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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第三章

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ひなの決意

「では、こちらで休んでください」

 通された部屋は、少し変わっていた。

 部屋全体の造りは和風だというのに、赤を基調とした豪華な布や長椅子、装飾の細かいクッションなど、所々に中華風が混ざっている。

不思議な感覚を覚えながら、長椅子の傍にある丸窓を開けようとして、諦めた。

落ち着いた部屋とは対照的に、外からは絶えず阿鼻叫喚が響いているからだ。

「……」

ひなは長椅子からクッションを一つ取ると、壁にもたれかかるように地べたに座り込んだ。

「……疲れた」

 阿修羅が干渉し始めてから、ろくに休めていない。

 近頃は眠ることさえ怖くて、まともな睡眠も取れていない。そんな中、さらにいろいろなことが身の回りで絶えず起こり出したせいで、疲弊しきっていた。

 ひなはクッションを抱きしめたまま、膝を抱えて顔を埋める。

「……お母さん」

 無意識に口を突いて出る母。

 雪那自身の強さに、衝撃を受けた。その強さを、自分も受け継いでいると信じたい……。

 ひなはそのまま、眠り込んでしまっていた。


***


 誰かの冷たい手が、頬に触れる。そして、頭を優しく撫でられる感触に、ひなは閉じていた目をゆっくりと開いた。

 ――あ、れ……?

 いつもとは違う。

今のひなの目の前は、いつもとは対照的に真っ白な世界が広がっていた。上下左右の感覚はなく、周りには何もないのに、不思議と不安ならない。そんな世界だった。

――……?

ふと、自分を覗き込む視線に気づき、ひなは視線を上げた。

眩しさから一瞬目を細め、焦点が合わずにこちらを見ている相手の顔がぼやける。

――私が、いる……。

自分を覗き込む相手の顔を見るや、ひなはそう思った。だが、すぐにそれを改める。

顔はひなによく似ているが、そこにいるのは長い銀髪に、狐のような大きな耳を持っている女性だった。

女性はひなを優しく見つめ頭を撫で続けている。

「お……お母、さん?」

 ひなが目を見開いてそう呟くと、彼女も驚いたように目を瞬き、手を一瞬止めた。だがすぐにまた微笑むと頷き返してくる。

「……っ」

 ひなの胸に熱が宿る。しかしその反面、これも阿修羅による歪められた夢なのかもしれない。そう思うと身構えてしまう。

 じりじりと雪那から離れ、僅かに距離を取る。

 初めて見る雪那の顔を見ると、大きく揺らぐ心と警戒心が、ひなの中でせめぎ合う。

 強い警戒心を露わにするひなに、雪那は寂しそうに表情を曇らせると、着物の合わせを整え、背筋を正して座り直し、音もなく三つ指をついて頭を下げてきた。

「……え?」

 ひなが困惑していると、顔を上げた刹那の瞳には静かに涙が伝い落ちる。

『……』

 何かを言いたそうに口を開くが、声が届かない。

「何……? 何が言いたいの?」

 ひなが思わず距離を詰めると、雪那はひなの頬を両手で包み込み、瞳を閉じて額を合わせてきた。

 ――あなたは、大丈夫……。

 静かに、胸に落ちてくる。

言葉でなく伝わった言葉に、ひなは驚いて顔を上げた。


***


「お母さん!」

 飛び起きてそう叫ぶと、目の前には獅那の驚いた姿があった。

「……あ、れ? 獅那、ちゃん?」

 錯乱していたが、この場にいるはずがない獅那の姿に頭がはっきりとしてきた。

 獅那は心底安堵したのか、顔を歪め、目に涙を浮かべて微笑み抱きしめてくる。

「ひなさん、良かった……! また間に合わなかったのかと……」

「獅那ちゃん……」

 抱きついて泣いている獅那の背に手を置きながら、ひなは口を引き結ぶ。

 ――また間に合わなかった。

 この言葉の意味が、今ならわかる。

「……うん、ごめんね、獅那ちゃん」

 ひなは抱きしめられる温もりに目を閉じ、静かに謝った。

「本当、間一髪だった」

 聞き慣れた声が聞こえ、ひなは閉じていた目を開く。

 部屋の入り口に、腕を組んで立っているヤタと不知火の姿が見える。

「……ヤタさん」

 慣れ親しんだ身近な人の顔ぶれを見た瞬間、ひなはやっと体から力が抜けていくのを感じた。

「でも、どうしてここに?」

「お前を守るって、約束しただろ」

 ヤタがわざと呆れたような顔をする。

 獅那もまた抱きしめる体を放し、まるで母がそうするようにひなの乱れた髪を撫でながら頷く。

「私も、もう心配で心配で……いても立ってもいられませんでした。本当に、無事でよかった……」

 二人の気持ちに、胸が詰まり熱くなる。何かを言おうとしても、喉の奥にひっかかってうまく出せず、ひなはぎゅっと目を閉じた。

 心が荒み、苦しいことが立て続けに起き、心が擦り切れかけていた。弱音を吐くつもりがなくとも、口からついて出るのは後ろ向きな言葉ばかりになりそうで、話すことを躊躇ってしまっていた。

「うん……うん。ありがと……」

 ひなはようやくそれだけを言う。

 胸がいっぱいで、多くをいえば涙が零れ落ちそうだった。

「……麟も、心底心配してたぞ」

 ヤタはそういうと、ひなの前に片膝を着いて手紙を差し出してくる。

 ひなはそれを受け取って広げると、手紙の隙間から一枚の人型の紙が滑り出る。

 それを拾い上げ、麟の手紙の文字を追っている内に、堪えきれずにぼろぼろと涙が溢れ出て止まらなくなる。

「麟さん……」

 読み終えたひなは、そのまま手紙を胸に抱きしめた。

「そのままその手紙を麟に返すことがなくて、よかった」

 ヤタは泣き崩れるひなの頭に手を置く。

 何度も頷き返す。


 ――どんな時でも、君らしさを見失わないでほしい。

 君が君でいる限り、私もまた、道に迷うことはない。


 以前、麟にいわれた言葉がそのまま、手紙に載せられていた。

 困難が目の前に立ち塞がるほどに、見失いがちな自分を現実に引き戻す。その言葉は、ひなの心に強さを思い出させた。

「……私、自分を見失いかけてた」

 ひなは涙を拭い、大きく息を吸い込む。

「怖くないっていったら噓だけど……私は、絶対に自分を諦めない」

 いつまでも現実から目を背ける自分でいたくない。

 そう伝えると、ヤタたちは静かに頷き返した。

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