ひなの決意
「では、こちらで休んでください」
通された部屋は、少し変わっていた。
部屋全体の造りは和風だというのに、赤を基調とした豪華な布や長椅子、装飾の細かいクッションなど、所々に中華風が混ざっている。
不思議な感覚を覚えながら、長椅子の傍にある丸窓を開けようとして、諦めた。
落ち着いた部屋とは対照的に、外からは絶えず阿鼻叫喚が響いているからだ。
「……」
ひなは長椅子からクッションを一つ取ると、壁にもたれかかるように地べたに座り込んだ。
「……疲れた」
阿修羅が干渉し始めてから、ろくに休めていない。
近頃は眠ることさえ怖くて、まともな睡眠も取れていない。そんな中、さらにいろいろなことが身の回りで絶えず起こり出したせいで、疲弊しきっていた。
ひなはクッションを抱きしめたまま、膝を抱えて顔を埋める。
「……お母さん」
無意識に口を突いて出る母。
雪那自身の強さに、衝撃を受けた。その強さを、自分も受け継いでいると信じたい……。
ひなはそのまま、眠り込んでしまっていた。
***
誰かの冷たい手が、頬に触れる。そして、頭を優しく撫でられる感触に、ひなは閉じていた目をゆっくりと開いた。
――あ、れ……?
いつもとは違う。
今のひなの目の前は、いつもとは対照的に真っ白な世界が広がっていた。上下左右の感覚はなく、周りには何もないのに、不思議と不安ならない。そんな世界だった。
――……?
ふと、自分を覗き込む視線に気づき、ひなは視線を上げた。
眩しさから一瞬目を細め、焦点が合わずにこちらを見ている相手の顔がぼやける。
――私が、いる……。
自分を覗き込む相手の顔を見るや、ひなはそう思った。だが、すぐにそれを改める。
顔はひなによく似ているが、そこにいるのは長い銀髪に、狐のような大きな耳を持っている女性だった。
女性はひなを優しく見つめ頭を撫で続けている。
「お……お母、さん?」
ひなが目を見開いてそう呟くと、彼女も驚いたように目を瞬き、手を一瞬止めた。だがすぐにまた微笑むと頷き返してくる。
「……っ」
ひなの胸に熱が宿る。しかしその反面、これも阿修羅による歪められた夢なのかもしれない。そう思うと身構えてしまう。
じりじりと雪那から離れ、僅かに距離を取る。
初めて見る雪那の顔を見ると、大きく揺らぐ心と警戒心が、ひなの中でせめぎ合う。
強い警戒心を露わにするひなに、雪那は寂しそうに表情を曇らせると、着物の合わせを整え、背筋を正して座り直し、音もなく三つ指をついて頭を下げてきた。
「……え?」
ひなが困惑していると、顔を上げた刹那の瞳には静かに涙が伝い落ちる。
『……』
何かを言いたそうに口を開くが、声が届かない。
「何……? 何が言いたいの?」
ひなが思わず距離を詰めると、雪那はひなの頬を両手で包み込み、瞳を閉じて額を合わせてきた。
――あなたは、大丈夫……。
静かに、胸に落ちてくる。
言葉でなく伝わった言葉に、ひなは驚いて顔を上げた。
***
「お母さん!」
飛び起きてそう叫ぶと、目の前には獅那の驚いた姿があった。
「……あ、れ? 獅那、ちゃん?」
錯乱していたが、この場にいるはずがない獅那の姿に頭がはっきりとしてきた。
獅那は心底安堵したのか、顔を歪め、目に涙を浮かべて微笑み抱きしめてくる。
「ひなさん、良かった……! また間に合わなかったのかと……」
「獅那ちゃん……」
抱きついて泣いている獅那の背に手を置きながら、ひなは口を引き結ぶ。
――また間に合わなかった。
この言葉の意味が、今ならわかる。
「……うん、ごめんね、獅那ちゃん」
ひなは抱きしめられる温もりに目を閉じ、静かに謝った。
「本当、間一髪だった」
聞き慣れた声が聞こえ、ひなは閉じていた目を開く。
部屋の入り口に、腕を組んで立っているヤタと不知火の姿が見える。
「……ヤタさん」
慣れ親しんだ身近な人の顔ぶれを見た瞬間、ひなはやっと体から力が抜けていくのを感じた。
「でも、どうしてここに?」
「お前を守るって、約束しただろ」
ヤタがわざと呆れたような顔をする。
獅那もまた抱きしめる体を放し、まるで母がそうするようにひなの乱れた髪を撫でながら頷く。
「私も、もう心配で心配で……いても立ってもいられませんでした。本当に、無事でよかった……」
二人の気持ちに、胸が詰まり熱くなる。何かを言おうとしても、喉の奥にひっかかってうまく出せず、ひなはぎゅっと目を閉じた。
心が荒み、苦しいことが立て続けに起き、心が擦り切れかけていた。弱音を吐くつもりがなくとも、口からついて出るのは後ろ向きな言葉ばかりになりそうで、話すことを躊躇ってしまっていた。
「うん……うん。ありがと……」
ひなはようやくそれだけを言う。
胸がいっぱいで、多くをいえば涙が零れ落ちそうだった。
「……麟も、心底心配してたぞ」
ヤタはそういうと、ひなの前に片膝を着いて手紙を差し出してくる。
ひなはそれを受け取って広げると、手紙の隙間から一枚の人型の紙が滑り出る。
それを拾い上げ、麟の手紙の文字を追っている内に、堪えきれずにぼろぼろと涙が溢れ出て止まらなくなる。
「麟さん……」
読み終えたひなは、そのまま手紙を胸に抱きしめた。
「そのままその手紙を麟に返すことがなくて、よかった」
ヤタは泣き崩れるひなの頭に手を置く。
何度も頷き返す。
――どんな時でも、君らしさを見失わないでほしい。
君が君でいる限り、私もまた、道に迷うことはない。
以前、麟にいわれた言葉がそのまま、手紙に載せられていた。
困難が目の前に立ち塞がるほどに、見失いがちな自分を現実に引き戻す。その言葉は、ひなの心に強さを思い出させた。
「……私、自分を見失いかけてた」
ひなは涙を拭い、大きく息を吸い込む。
「怖くないっていったら噓だけど……私は、絶対に自分を諦めない」
いつまでも現実から目を背ける自分でいたくない。
そう伝えると、ヤタたちは静かに頷き返した。




