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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第三章

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ひなの決意

 部屋の前まで案内されたひなは、不知火と別れて部屋に入る。部屋の奥にある丸窓の障子を開けようとしたが、遠くで騒ぐ人々の叫び声に気持ちが萎え、諦めた。


 ひなは部屋の隅に置かれたクッションを一つ手に取ると、壁に背を預けて座り込んだ。


 阿修羅が動きを見せ始めてから、ろくに休めていない。眠れば阿修羅が侵食してくる。それが怖くてまともに眠れてもいない。そんな中、色々な事が身の回りで一気に起こり始めたせいで、ひなは疲弊していた。


「……疲れた」


 ひなはクッションを抱きしめ、誰に言うでもなく呟いて膝を抱え、顔を埋める。


「お母さん……」


 顔を知らない母親。雪那自身が持つ強さを聞かされ、無意識に名を呼ぶ。

 ひなは知らず知らず、そのまま眠り込んでしまっていた。



          ****



 誰かの冷たい手が、頬に触れる。

 頭を優しく撫でられる感触に、ひなは閉じていた目をゆっくりと開くと、目の前は真っ白な世界が広がっていた。周りには何もないのに、不思議と暖かい気持ちになる。そんな世界。


 ふと自分を覗き込む視線に気付き、目線を上げた。

 目覚めてすぐだからか焦点が合わず相手の顔がぼやけて見える。だが、少しずつ視界がハッキリとしてくると、相手の顔が見えた。


(私がいる……)


 ひなはそう思った。しかし、すぐにそれを改める。

 そこにいるのは長い銀髪に狐のような大きな耳を持った女性だった。

 目を細め、ひなを優しく見つめる暖かな眼差しに、頭を撫で続ける手。


「お、母さん……?」


 ひなが目を開いてそう呟くと、女性も驚いたように目を瞬き、撫でていた手を一瞬止めた。だがすぐにニッコリと微笑むと小さく頷き返してくる。


 ひなの胸に熱が籠る。しかしその反面、これも阿修羅による歪められた夢なのかもしれない。

 そう思うと、身構えてしまう。

 

 ひなは飛び起きて雪那から離れ、僅かに距離を取る。


 初めて見る雪那の顔。驚いた顔をしてこちらを見つめている姿を見ると、大きく揺らぐ心と素直になれない心が、ひなの中でせめぎ合う。


 雪那は警戒するひなに、着物の合わせを整え背筋を正して座り直すと、音もなく三つ指をついて頭を下げてきた。


「……え?」


 ひなが困惑していると、顔を上げた雪那の瞳には静かに涙が伝い落ちる。そして何かを言いたそうに口を開くが、声が届かない。


「何……? 何が言いたいの?」


 ひなが距離を詰めると、雪那はひなの頬を両手で包み込み、瞳を閉じて額を合わせて来た。


――あなたは、大丈夫……。


 言葉でなく伝わった言葉に、ひなは驚いて顔を上げた。



        ****



「お母さん!?」


 ひなが飛び起きてそう叫ぶと、目の前に獅那の驚いた姿が見えた。


「あ……れ……? 獅那ちゃん?」


 錯乱していたが、この場にいるはずがない獅那の姿に頭がハッキリとしてきた。獅那はそんなひなに対して心底安堵したのか、顔を歪めて目に涙を浮かべながらも微笑み、きつく抱き締めてくる。


「ひなさん、良かった……!! また間に合わなかったのかと……」

「獅那ちゃん?」


 まさか獅那が泣き出すとは思っていなかったひなはあまりの事に目を丸くした。


「本当、間一髪だったな」


 その聞き慣れた声に、ひなは弾かれたように視線をあげる。


「ヤタさん」


 部屋の入り口に腕を組んで笑うヤタと不知火の姿があった。

 慣れ親しんだ身近な人の顔を見た瞬間、ひなは身体から力が抜ける。そんなに長い時間離れていたわけではないのに、何とも言えない懐かしさを感じ、意図せず涙が零れた。


「どうして、ここに?」

「お前を守るって約束しただろ?」


 ヤタがわざと呆れたような顔をしてそう言うと、獅那もまた抱き締める身体を離し、まるで母がそうするようにひなの乱れた髪を撫でながら口を開く。


「私ももう心配で心配で……居ても立ってもいられませんでした。でも、無事で本当に良かった……」 


 ひなはただもう胸がいっぱいになる。喉の奥が詰まり、ぎゅっと目を閉じた。


 心が荒み、擦り切れてしまうかと思うほど苦しく辛い事ばかり立て続けに起きて、壊れかけていたのかもしれない。だが、こうして誰かの暖かさに触れることで不思議と緊張や不安が解け、力が戻ってくるような気がした。


「麒も、心底心配してたぞ」


 ヤタはそう言うと、手紙を差し出してきた。

 ひなはそれを受け取って広げると、手紙のすき間から一枚の人型の紙が滑り出た。

 ひながそれを拾い上げ、麟の手紙の文字を追っている内にボロボロと涙が溢れて止まらなくなる。


「麟さん……」


 読み終えたひなは、そのまま手紙を胸に抱き締めた。


――どんな時でも、君らしさを見失わないで欲しい。君が君でいる限り、私もまた道に迷う事はなくなる。


 以前、麟に言われた言葉がそのまま手紙に載せられている。


「自分を見失えば、別の何かに取って代わられる。それが、もっと最悪を引き寄せるんだよね……」

 

 ひなはそう呟くと涙を拭い、大きく息を吸い込むと目の前にいる三人に目を向けた。


「……私、もう迷わない。私は自分を諦めない為にも、皆の為にも戦う」


 その言葉に、三人は頷き返した。

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