まだ知らない雪那の真実
ひなは、閻魔の元へ案内される。
幽世とは違い、何処にいても地獄ならではの空気の重たさと人々の阿鼻叫喚があちらこちらから聞こえてきてどうにも落ち着かない。
執務室に案内されたひなの目の前には、山ほどはあるであろう大きな体躯をした閻魔と、積み上がった紙の束が現れた。
見上げなければならないほど、初めて見る彼の無言の威圧感にただただ戸惑ってしまう。
「初めまして、ひな殿。私は地獄の番人、閻魔。君の噂はかねがね聞いている」
閻魔はひなを怖がらせないよう静かにそう言うと、彼女は不安そうにしながらも小さく頭を下げた。
「ひな、です」
「ふむ……こうしてみると、君は確かに雪那殿に良く似ているな」
「……え?」
思いがけず母の話が出た事に、ひなは驚いて顔を上げる。その閻魔の顔には、何とも言えない哀愁が感じられた。
「お母さんを知っているんですか?」
「あぁ。彼女もまた幽世から“落ちて来た”からね」
「……」
その言葉に、マオの言葉を思い出したひなは悲壮な表情を浮かべ、無意識にぎゅっと手を握る。
「……ここまで大変だったな」
まじまじと見下ろしてくる閻魔が優しい笑みを浮かべて労いの言葉をかけると、ひなは胸が詰まった。
胸に手を当てて泣きそうに顔を歪め、視線を下げる。
「ひな殿。本来ならあなたをすぐ客間に案内したいところだが、今はあまり悠長にしていられなくてな。申し訳ないが、このまま話を続けても良いか?」
「……はい」
閻魔はそんなひなを小さく頷いて見つめた後、不知火へと視線を移した。
「不知火、ご苦労だった」
「痛み入ります」
「ひな殿と共に落ちてきたもう一人はどうした?」
「阿修羅に連れ去られました」
「……なるほど。そのもう一人について、何か分かった事はあるか?」
その言葉に不知火とひな、双方が一瞬言葉に詰まった。そんな二人を見て、閻魔は目を細める。
「……攫われたもう一人は、麒麟殿の側近のマオ殿でした。彼女は、どうやら阿修羅の諜報員だったようです」
閻魔は不知火の言葉にピクリと反応を示した。そして深いため息を吐き、顔の前に手を組む。
「そうか……。帝釈天の話通りだな」
「?」
「マオは、麒麟の側近としてついた頃が実は曖昧でな。過去の対峙以降ではあるはずなんだが……。今にして思えば、いつの間にか麒麟の傍にいた、という点が不気味だと言っていた。彼女が諜報員だと言うなら、納得が行く部分が多い」
マオが麒麟の懐にいて、帝釈天の魂の核の在り処を探らせていた。そしてそれが麒麟にあると確信を得てからは、麒麟を執拗に狙っていた点も頷ける。
着物の袂に腕を入れて組み、椅子に深く腰を掛け直しながら閻魔は話を続けた。
「奴はマオからの情報を得ながら、虎視眈々と動く機会を伺っていたはず。身動きの取れないあいつが大きく行動に出るきっかけが……ひな殿。あなたにある」
「私……?」
閻魔が深く頷き返すと、ひなは息を呑む。
「麒麟がひな殿を現世から連れて来たのは始めは偶然かと思ったが、あなたは雪那殿の血を引き、阿修羅の力を継いでいるそうだね?」
「はい……」
そこを詰められると、ひなは力なく返事を返すしかない。どうしても阿修羅の血を引いていると言うだけで何か悪い事をしているようなそんな気分になってしまう。
「奴はあなたに移った自分の力を取り戻そうとしている。それは知っているかね?」
「……はい。夢でそう言ってました。だから、私を迎えに来ると……」
ひなの言葉に、ヤタが阿修羅に渡すなと釘を刺して来た理由はそういう事だったのかと、不知火も納得が行く。閻魔側でもようやく話が繋がると、長い溜息が漏れた。
「そうか……。しかし、奴が今まで身動きを取れずにいたのは、やはり雪那殿の犠牲が大きかったのだろうな」
その話を聞いた瞬間、ひなは母の自己犠牲に胸が酷く痛んだ。
雪那も麟も、互いに深く愛し合っていた事は麟に聞いて知っている。だが、マオの一方的な感情のせいで二人は引き裂かれてしまった。
さらに追い打ちをかけるかのように、阿修羅のせいで自分と言う存在が生まれる事になったのだと言う事も……。
「お母さんの、犠牲って……」
ポツリと呟くように言ったその言葉に、閻魔は一瞬視線を逸らし「どこまでを話すべきか」を考える。だが、ここまで来て隠す必要があるだろうかと視線を戻し口を開く。
「……そうだな。こうなった以上、話さないのもおかしな話だろう」
そう言うと、閻魔は一度言葉を選ぶように沈黙する。
「……彼女は」
そう言いかけて、ひなの顔を見た閻魔は、一瞬言葉を言い淀む。
「彼女は……阿修羅から力を削ぎ落すために阿修羅に自ら身を捧げたのだよ」
「!」
ひなは喉の奥が絞まるような思いに駆られる。
きっと当時の雪那は麟を……世界を守るためにあえて自己犠牲を選んだ。もしその時いたのが自分だったら、同じ選択をしていたかもしれない、と。
「過去の阿修羅との対峙後、雪那殿は地獄へ落ちて来た。彼女が落ちて来たのは我々にとっても阿修羅にとっても想定外だったのだよ。我々の判断が遅く、当時雪那殿は阿修羅に囚われてしまった」
それが次の破滅への始まりだったのかもしれない。閻魔はそう言い含む。
「当初雪那殿は、阿修羅に操られ“麒麟を殺す”よう命じられていたようだ。それも、雪那殿が麒麟の花嫁候補だと知った上でな」
「……っ!」
思わず耳を疑うような言葉に、ひなは目を見開く。
恋仲だと知った上で、麟を殺させようとした。その残忍さに言葉が出てこない。同時に、そんな人が自分の父と分かると、胸が抉られそうだった。
「……だが、雪那殿はその後幽世に戻った後、自責の念に駆られ麒麟に刃を向ける事なく姿を消した。そして麒麟はあなたと巡り合い、ここへ戻ってきた」
「……」
かつての「血」が再び同じ場所に戻ってくるとは、一体何の因果か……。
閻魔は瞳を閉じる。
おそらく、これはなるべくして立てられた道筋。今度こそ終わらせなければならないものなのかもしれない。
「今はひな殿、あなたを最優先に保護しよう。……正直、あなたの存在は危うく、そして尊い」
閻魔の言葉に、ひなは小さく頷き返す事しか出来なかった。
「不知火、ひな殿を客間に」
「はい」
閻魔に促され、ひなは不知火に客間へと案内してもらう。
赤と黒、そしてじんわりと暑さを感じる地獄の世界には似つかわしくないほど、閻魔の屋敷は穏やかで、造りがどこか麟の屋敷に似ていた。
ひなは、前を行く不知火の後ろ姿を何となく見上げる。
全く知らない場所で、最も頼りたい麟がいなくてヤタもいない。しっかりしなければと思いながらも、今目の前にいる彼の後姿があまりにもヤタに似ている事から、気持ちが揺れてしまう。
「あの……、不知火、さん?」
「はい」
ふと声をかけると、不知火は足を止めてひなを振り返る。ひなはそんな彼をマジマジと見つめた。
何処からどう見てもヤタに似た顔と背格好、そして彼が纏う雰囲気もよく似ている。違うとすれば、髪の長さと、左目にかけたモノクルだけだ。
「……ヤタさんに、そっくりなんですね」
そう言うと、不知火は目尻を緩めやんわりと微笑む。
「はい。八咫烏は、私の双子の兄ですから」
「あ……そうだったんですね」
だからこんなにも似ているのかと、腑に落ちる。
不知火は元気のないひなと向かい合って立つと、小さく咳払いをした。
「兄からの命と言うのもありますが、ここでは私がひな殿を守るのでご安心ください」
「……ありがとうございます」
ひなは小さく頷き、礼を述べた。




