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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第二章

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接触

 屋敷に戻ってきたひなは、部屋に戻る前にマオに対し頭を下げた。

「マオさん、今日はありがとうございました」

 まさか礼をいわれると思っていなかったマオは、突然のことに面食らってしまう。

 行く前よりも素直な反応をするひなに対し、マオは釈然としない気持ちで視線を逸らす。

「別に。大したことありませんわ。では、私はまだ仕事が残ってますので、これで失礼しますわ」

 冷たい口調でそういうと、マオは離れて行ってしまった。

 そんな彼女の背中を見送りながら、ひなはふっと力が抜ける。

「……ちょっと疲れたかも」

 緊張しっぱなしだった体に怠さがある。

 ひなは小さくため息を吐き、廊下を歩いて部屋へと向かった。

――マオさんのことは、少し誤解していたかもしれない。

廊下を進みながら、マオのことを思い返していた。

――今までは、私のネガティブな考え方に引っ張られていたのかも。

ひなは、なんとなくそんな気持ちになり、小さく微笑んだ。

「……あれ?」

 部屋の前には、ヤタと狒猿の二人がいることに気付く。二人とも、険しい表情をしていた。

「ヤタさんと、狒猿さん……?」

「ひな……」

 近づいてくるひなに、ヤタは驚いた顔と同時にあからさまな安堵の表情を見せる。

「何もないようでよかった」

 狒猿の言葉に、ひなは首を傾げる。

「どうか、したの?」

 二人の様子にそう訊ね返すと、ヤタは険しい表情のまま口を開く。

「……阿修羅の動向が活発化しているらしい。把蛇から報告を受けているが、お前、また夢で阿修羅に接触されてるだろ?」

 その言葉を聞くと、先ほどまでの気持ちが、一瞬で冷える。

「うん……」

「だよな」

 ヤタはそういうと、ひなの肩に手を置く。

「ひな。今後また夢で、奴が接触してこようとしたら、振りほどけるか?」

「……」

 その言葉に、ひなはすぐ返事ができなかった。

 頭では理解していても、すぐに答えられない自分に戸惑ってしまう。

 黙ってしまったひなに、ヤタは一度視線を伏せ、ため息を吐く。

「ひな……。お前の気持ちがわからないわけじゃねぇ。けど、今のままだと危険を回避できなくなる」

「……」

 その言葉に、ひなは言葉が出ない。だが、自分の弱い心が皆を逆に危険に晒しているのだと気が付く。

 ――誰も巻き込みたくないなんていいながら、私……。

 ひなは胸の前で拳を握る。

「お前は……もう一人じゃねぇだろ?」

 ヤタの落ち着いた言葉に、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

「……うん」

 ひなの頷きに、ヤタは励ますように肩に置いていた手で、軽く叩く。

「俺たちは何があっても絶対にあんたを守る。だから、あんたも強くなれ」

「はい」

 狒猿の言葉に、ひなは小さく笑みを浮かべ頷いた。


***


 一人、庭園に佇むひながいた。

 舞い散る桜の花の数が以前よりも少なくなっている。もうじき、この幽世でも春が終わり、夏になろうとしていた。

 ――現世では一体どれだけの時間が過ぎたのだろう。

 ぼんやりとそう考えていると、背後に人の気配を感じて振り返った。

「……麟さん?」

 振り返った先には麟が立っていた。

 最近は中庭を挟んでしか会えなかった麟との久し振りの距離感に、駄目だと分かっていながら抑えきれない気持ちが勝り、ひなは彼の傍に駆け寄った。

「ひな……」

 麟もまた、駆け寄るひなに吸い寄せられるように近づき、互いにどちらからともなく抱きしめ合う。

 久し振りの抱擁に、ひなの胸は嬉しさに埋め尽くされる。

「麟さんに会いたかった」

「私もだよ、ひな」

 その言葉が、これまでの緊張感も全てを流していく。

「……最近、ずっと怖いことばかり続いているから、凄く不安だった」

 手紙にも綴っていた気持ちが、自然と口に出る。

 紙を隔てて語るより、確かな温もりが欲しい。ヤタたちの想いや言葉も温かく励まされるが、麟の温かさが恋しくて仕方がなかった。

「阿修羅の動きが活発化してるって、聞いた。私、いつも夢で阿修羅に惑わされて、それで皆を危ない目に遭わせちゃってる……」

「……」

 ひなの、麟を抱きしめる手に力が入る。

「皆を巻き込みたくない。だって、これは私の問題だと思うから……」

 その言葉に、麟の手にも力がこもった。

 力強い抱擁に、ひなは少しばかり息が詰まりそうになる。

 耳の傍に寄せられた麟の唇が静かに動く。

「……なら、差し出せばいい」

「え……?」

 その言葉にゾクッとした寒さを覚える。

 耳を疑うようなその言葉。麟の、優しく温かないつもの声音でもう一度囁かれる。

「君が、阿修羅の元へ行けば、誰も危険な目に遭わず、全てが丸く収まるだろう?」

「!?」

 ひなは強い違和感を覚え、麟の体を押し退けようとした。だが、彼の腕は緩むことなくしっかりとひなの体を抱きしめて放さない。

「ひな……私たちのために、阿修羅の元へ行ってくれるか?」

「い、いや……」

「なぜ? 今君がそう言ったじゃないか。これは自分の問題だと」

「やだ……やめてっ!」

 ひなは必死になって麟の手から逃れようともがく。だが、やはりビクともしない。

 ゆっくりと近づいて来る麟の顔に、ひなは強い恐怖が勝った。

「可愛いひな。皆を傷つけたくないという優しさは、君らしくていい……愛してるよ」

 囁かれる愛の言葉と同時に、麟の顔だけが黒く歪み、阿修羅のそれへと変わった。そして、阿修羅の牙が、ひなの喉元にかかる。

「いや……いやああぁあああぁ!」

 首筋に走る鋭い痛みに、ひなは全身全霊をかけて拒絶した瞬間、ひなの中に眠る力が爆発した。

 目の前の阿修羅を容易に消し去る強い力。

 体が解放され、倒れ込むひなの目には阿修羅の不敵な笑みが映る。

 ――あぁ、もう少しだったのに、残念だ……。

 姿は見えずとも、脳裏に響くくぐもった阿修羅の笑い声と言葉を聞きながら、ひなは意識が遠のいた。


***


「っ!!」

 瞬間的に目を開く。

 激しい呼吸と、痛いほどの動悸。

 ひなは全身に汗をかき、激しく寝乱れていた。

「ひな」

 ふと至近距離で名を呼ばれ、ひなは短く息を吐きながら反射的にそちらに目を向ける。

 視線の先にはヤタがいて、心配そうな目を向けていた。

「……はっ、はっ」

 過呼吸のような呼吸を繰り返す。

 ここは夢なのか、現実なのか……。

ひなは、錯乱状態に陥っていた。

「大丈夫か?」

「やだっ!!」

 ヤタが手を伸ばしてくると、半狂乱になりその手を激しく拒む。そして寝ていた体を急いで起こし、彼の傍を離れようとした。

「ひな!」

「やだ!! やだぁっ!!」

 激しく取り乱すひなの姿に驚いたが、自分から逃げ出そうとする彼女を急いで追いかけ、強引に彼女の両腕を掴む。

「ひな! 落ち着け! ここは夢じゃねぇっ!!」

 ヤタは、初めて語気を強める。

ひなはその言葉に、乱れた髪も着物もそのままに、目を見開いたまま肩で息を吐きながらようやく動きを止めた。

 ひなが落ち着いたのを見計らい、ヤタは掴んでいた手をゆっくりと放すと、ひなはゆるゆると体から力を抜いた。

「悪い……」

 体を気にするヤタを、ひなは緩慢な動きで見つめた。

 心を抉るような夢に、涙がボロボロと溢れ出る。

「……ごめん、なさい」

 ひなは手で顔を覆い隠し、さめざめと泣き崩れた。

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