マオの挙動・弐
ご機嫌なマオと共に街におりたひなの表情は暗い。
前を行くマオの一歩後ろをついて歩くが、逃げ帰りたい気持ちに包まれている。
そんなひなの心情とは裏腹に、街はいつもと変わらない賑やかさだった。行き交う人々は今日も陽気に、楽しそうな話をしている。飲食店の店主の掛け声も明るいのに、ひなの耳や目にはどれも滑る。
「……」
一歩後ろを歩くことに気にも留めず、前を歩くマオの後姿をひなはちらりと見上げた。
気分転換に、と麟が気にかけてくれたことは有り難いが、正直彼女と一緒では息が詰まりそうだ。
「お! もしや、いつぞやのお嬢さんじゃないか?」
視線を下げたまま無言で歩くひなに、陽気な声がかかる。そちらに目を向ければ、まだ子供だった頃に串焼きをくれた店主だった。
「あ……」
見覚えのある人からの声掛けに、内心とても安堵する。
暗かった表情に、僅かに明るさが戻りかけた瞬間、まるで遮るかのようにマオが間に割って入ってきた。
「あら、串焼き屋の店主じゃありませんの」
「おお、誰かと思ったらマオさんじゃないか。今日は買い物かい?」
「えぇ。最近八咫烏が忙しくて手が離せないから、私が代わりにきましたの」
ひなの安心は、脆くも崩れる。
目の前で談笑する二人の間に、逃げ道を塞がれたひなは一言も話すことができない。
マオはそんなひなをちらりと横目で一瞥すると、さりげなく体を動かし、店主からかくしてしまった。
――こんなの……。
ひなは悲壮な表情を浮かべて、手を握りしめる。
忘れかけていた記憶が呼び起こされる。
――まだ現世にいた頃、力のせいでどれだけ周りにいじめられてきたか……。
ひなは唇を噛み、顔を俯けた。
「八咫烏の旦那、そういえば最近見てねぇな」
「視察にもしばらくは来られないと思いますわ。でも、代わりに私が見てますわよ?」
「ははは。こりゃあ、八咫烏の旦那より手強そうだ!」
後ろ頭を掻きながら大声で笑う串焼き屋の店主と、マオのやり取りの陰になったひなは、小さくため息を吐いて視線を他所へやる。すると、以前果物のジュースを打ってくれた女性店員と目が合う。すると、その女性店員は隣の仲間に何かを話し始めた。
ズキン、と胸が痛む。
何てことないはずのその流れすら、まるで自分のことを言われているような気になってしまう。
「ひなさん? どうしました?」
よそ見をしていたひなに、マオが声をかけてくる。その声に体を震わせて振り返ると、マオはにっこりと微笑んでいた。
「い、いえ……何も……」
「鬼反屋はもうすぐですわ。参りましょう」
「……はい」
視線を下げたままのひなを、横目で一瞥して口の端を引き上げたマオは、そのまま何も言わずやはり先を歩いていく。ひなは、そんな彼女を追いかけるしかなかった。
鬼反屋に辿り着くと、店主である老婆が不機嫌そうな顔でこちらを見つめてくる。
「何だい。よりにもよって小娘二人か。八咫烏はどうしたんだい?」
しゃがれた濁声が、やたら大きく店の中に響き渡る。
二本の角を持った鬼の形相をしている老婆に怯えるひなに対し、マオは涼しい顔だ。
「八咫烏は別件で今日は来られないんですわ」
「ふん! つまらないねぇ。あの人が来ると思って、楽しみにしていたのに」
憮然とした態度でそう呟く老婆は、文句を言いながら店の奥に仕立てた着物を取りに戻る。それを見て、マオはこそっとひなに耳打ちをしてきた。
「ここの店主、八咫烏がお気に入りなんですのよ」
「……え?」
突然の耳打ちに驚いて顔を上げる。するとマオは老婆の様子を窺いながら話を続けた。
「八咫烏は、いつもここに遣いに出されると嫌がってません?」
その時、ひなは初めて幽世にきた時のことを思い出した。
あの時のヤタはとても面倒くさそうで、渋々了承していた……。
「……確かに」
「でしょう? 将来は嫁に貰ってもらうんだって、いつも豪語してるんですのよ? いい年して」
くすくすと笑うマオに対し、ひなも少しだけ笑ってしまう。
「何だい! コソコソして! 用がないならさっさと帰んなっ!」
店の奥から着物を持ってきた老婆は、マオに着物を押し付けるようにして渡すとまくし立てて店から追い出した。
追い出された二人は、店を出るなり笑い出すマオにつられ、ひなもおかしくなって笑ってしまう。
思いがけず、マオと普通にやりとりができたひなの心に、彼女に対する警戒心が僅かに解ける。
――打ち解けたら、こんな風に笑い合える関係を築けるのかもしれない……。
そんな心の余白が生まれる。
笑って歩いている内に、ひなはふと足を止めた。
「……あ、綺麗」
街の中央――奈落の上に、街を照らす火灯中が集まり、幻想的な風景を作り出していた。まるで幻想郷のように揺らめき、暗い闇の先にもう一つ街があるように見えるその現象は、幽世の名物とも呼べる光景だった。
ひなは夢中になり、無意識に奈落の策に近づいて火灯中を見上げる。
「……」
その瞬間、マオの表情が真顔になる。
ゆっくりと、足音を立てないようひなに近づく。
目は真っすぐにひなの背を見据え、呼吸すら浅い。もう少しで手が届きそうになった瞬間――マオの背後から男女のカップルの感嘆の声が聞こえ、手が止まった。
「マオさん、綺麗ですね」
何も知らないひなは振り返りながらそういうと、マオは出していた手を引きにっこりと笑みを浮かべる。
「えぇ。そうですわね」
――本当、憎らしいほどに……。
マオは心の中でそう呟くが、そんなことはおくびにも出さず微笑んでいた。




