マオの挙動
地獄の沙汰で忙しくなっている頃。幽世の執務室で、麟とマオの二人が通常業務に当たっていた。
書類を分類しているマオは一人、ひっそりとご機嫌な様子だった。
――麒麟様と、あの娘が最近全く会ってない。
鼻歌交じりに仕事をこなすマオに、同じ仕事仲間のあやかしたちも不思議がっていた。
「マオ」
ふいに名を呼ばれると、マオの心は甘く疼いて表情が自然に緩む。しかし、そんな表情を麟の前では露ほども見せず、いつものすまし顔で麟を振り返った。
「はい、麒麟様」
「子の巻物を、倉庫へ移しておいてほしい」
「えぇ。かしこまりましたわ」
上機嫌な彼女とは相反し、麟は深いため息を吐いた。
「麒麟様。大丈夫ですか? お元気がないようですわ」
「そう見えるか」
「えぇ。そういえば、近頃ひなさんとお会いになっていらっしゃらないとか……」
「……あぁ、そうだな」
視線をそらし、力なく呟く麟にマオは小さくほくそえんだ。
「それは何かと気がかりですわね。きっと今頃、ひなさんも落ち込んでいると思いますわ」
心底心配しているような表情と声音でそう呟くと、麟はマオを振り返ることもなく窓を見ながら小さなため息を吐いて、ぽつりと呟く。
「……近くにいても、遠いな」
誰に言うでもない独り言のようなその呟きに、マオの表情が張り付く。
ここで執務に追われていても、麟の気持ちはひなへ真っすぐに向いたままだ。
胸の奥で燻る黒い炎が、静かにマオの胸を焼いていく。
「でしたら……」
マオは穏やかな笑みを作った。
「私がひなさんのお相手をさせて頂くのはいかがでしょう?」
「マオが?」
意外そうに視線を向ける麟に、マオはにっこりと微笑みかける。
「ずっと塞ぎがちでは、心身ともに良くありませんし、街へ降りて少しでも気分転換をして頂くんです。ひなさんが少しでも元気であれば、麒麟様も安心されますでしょう?」
「……そうだな」
マオの提案に、麟は少し考えてから同意する。
「少し前に、鬼反屋から連絡があったんだ。いつもはヤタに頼んでいたんだが……今回はマオに頼んでも良いだろうか?」
「えぇ、もちろんですわ!」
仕事を任されることに表情を明るくして喜ぶマオに、麟は言葉を付け足した。
「阿修羅の動向がある以上、今はあまり必要以上に出歩くことは危険だ。気分転換はいいが、用事を済ませたらすぐに戻ってきてほしい」
阿修羅という言葉に、マオは小さく反応を示す。
「かしこまりましたわ」
マオは笑みを浮かべたままそういうと、「では、早速行ってまいります」と執務室を後にした。
――チャンスよ。チャンスが巡ってきたわ……!
部屋を出たマオは、歪んだ笑みを浮かべる。
自室へ入るなり肩を揺らして笑い出し、目を見開いたまま興奮した様子で乱れた呼吸を整える。
「あの女の血は汚れてる……」
呟いた言葉は、マオの中で納得のいく答えだ。
「それに、阿修羅の力は危険……」
自分の中の感情が沸き立つような感覚を覚える。
「こんなの、麒麟様のためにも、消えるしかないじゃない」
マオは豪快に衣装箪笥を開き、取り憑かれたように身支度を整え始める。
「ひなさん、いらっしゃいます?」
身支度を済ませたマオは、すぐにひなの部屋を訪ねて来ていた。
障子の向こうにいるひなに声をかけると、ややあってから返事が返ってくる。
「……はい」
「失礼いたしますわ」
マオが障子をそっと開くと、中には獅那とひながいた。獅那はマオの姿を見てすぐに頭を下げるが、ひなは怯えたような目を向けてくる。
そんなひなに、マオは目を細めた。
「ひなさん、一緒に街におりませんか?」
その言葉にひなはビクッと体を震わせた。
「い、いえ、私は……」
「八咫烏が任されている仕事の一端で、着物の引き取りに鬼反屋に伺うことになりましたの。そこで、ひなさんも一緒に気分転換に連れ出してほしいと、麒麟様が仰られていましたわ」
「……で、でも」
「あら。せっかくの麒麟様のお気持ちを無下になさるの? 麒麟様も悲しむと思いますわよ?」
いい淀むひなに対し、マオは追い打ちをかけるような強い物言いをする。
ひなは麟を引き合いに出されては、それ以上嫌だとはいえなくなる。
「……わ、わかり、ました」
視線を下げながら了承するひなに対し、マオは嬉しそうに両手を合わせてにっこりと微笑んだ。
「良かったですわ! 早速準備して参りましょう。外で待ってますわね!」
そういうと、マオは足取り軽くこの場を後にする。
マオが立ち去った後、不安げに視線を下げたひなを見て、獅那は優しい笑みを浮かべて肩に手を置いた。
「マオさんは、少し言葉が強いですが、悪い方ではありませんよ」
「……うん」
獅那から見ても、彼女は信頼のおける人物だ。
微笑む獅那を見上げ、ひなは迷っていた。
彼女は、初めから……自分を嫌っていたような気がする。
「あ……」
「?」
喉まで出かかって、ひなはすぐに言葉を呑み込む。
言えない。この屋敷にいる者たちは皆、麟もヤタも、マオを信用している。
「な、何でもない」
ひなは力なく笑って、首を横に振った。
獅那は不思議に思いながらも、ひなの身支度を手伝い送り出した。




