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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第二章

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近付いてくる危機

「はっ……!」


 汗を流し夢から覚めたひなは荒い呼吸を繰り返す。一瞬今が夢か現実か分からなくなったが、そんなひなを見守る把蛇の姿が目に入り、徐々に落ち着きを取り戻しはじめた。


「大丈夫ですか?」


 そう訊ねられ、ひなはキュッと口を引き結び何度も小さく頷き返した。その時、無意識にも滲み出た涙が頬を伝い落ちると、意図せず次から次へと溢れて止まらなくなってくる。

 ひなは堪えられない涙を覆い隠すように、腕で顔を隠す。


「ひな」

「ごめんなさい……」


 突然泣き出したひなを心配し、把蛇は彼女を抱え起こす。ひなは小さく謝りながら、両手で口を塞ぎ切なげに瞳を伏せた。


 「父親」と言う言葉に惑わされてしまう自分の弱さに、涙が溢れて止まらなかった。


「阿修羅は危険な人で、私を娘だなんてちっとも思ってないはずなのに……父親だと言われたら、何も出来なくなる……」


 口元を押さえていたひなの手が降り、きつく布団を握り締めた。

 微かに震える両こぶしを顔を伏せて見下ろし、静かに涙を零し続ける。


「……っ」


 阿修羅の手を振り切れなかった矛盾に打ちひしがれてしまう。ただ夢でひなが感じたのは、恐怖と同時に寂しさだった。 


「……私、あんな人に何を求めようとしてるのかな。そんなもの、絶対にありえないのに」

「ひな。それは……」

「間違えてるって分かってる。求めたところで何もないし、傷つくだけだって事もちゃんと分かってる。だけど、曲がりなりにも阿修羅はお父さん……なんだよ」


 ひなは濡れる瞳を固く閉じ、自分の中にある矛盾に唇を噛んだ。

 父を求めてしまう弱い心と認めたくない心。その両方に挟まれてひなは苦しんでいた。


「……」


 真実を言えば済む話ではない。

 把蛇はそれを理解しているからこそ、言葉が出なかった。ただ、目の前で葛藤するひなの傍にいて、彼女の背に手を添える事しか出来なかった。


「……ごめんなさい、把蛇さん。傍にいてくれてありがとう」

「……いえ。何も出来なくて申し訳ない」


 ひなはそんな把蛇にゆるゆると首を横に振った。

 昔のように傍に誰もいない訳じゃなく、必ず誰かが静かに寄り添ってくれている。その存在がひなにとって、とても大きなものだった。


      

   

                       ****




 その頃、地獄では以前にも増して阿修羅の厳重管理をしていた不知火が、血相を変えて閻魔の元へ駆けつける。

 大門を駆け抜け、書類を抱える鬼たちの横を素早く通り過ぎる彼の様子を見ていた者たちは皆一様に「ただ事ではない」と肌で感じその場に凍り付いた。


「閻魔様!!」


 閻魔の執務室に突然現れた不知火。いつもなら取らない彼のその行動に驚いた閻魔同様に、下働きをしている鬼たちも一斉に彼の方へ振り向いた。

 不知火はそんな鬼たちに目もくれずこちらを見下ろしてくる閻魔を、額から落ちる汗もそのままに荒い呼吸を落ち着かせながら凝視する。


「阿修羅の封印が……」


 その言葉を聞いた瞬間、閻魔の眉間に深い皺が刻まれる。

 想定しているよりも早く、事態は加速しているのかもしれない……。

 胸に迫る焦燥感を落ち着かせるように、閻魔は努めて呼吸を整え口を開く。


「封印がどうした? また解かれたか?」

「はい……今し方、茨の蔓が更に数本、焼き切れました」


 不知火は拳を握り締め、固い表情で閻魔を見る。

 痛いほど肌からも伝わる緊張感にこの場の空気が張り詰め、誰からともなく息を詰めた。


「……阿修羅は、我々が思うよりも早くこの世界に戻るかもしれません」


 不知火のその言葉に、その場にいた鬼たちの血相が変わり、閻魔は僅かに歯を噛み鳴らした。


「……残念だが、わしらに出来るのは監視のみだ。阿修羅の封印を更に掛け直せるならそうしたいが、その為には帝釈天の力が必要だ。だが……」


 核を持たない今の帝釈天には、不可能。


 閻魔はそれを知っているからこそ、もどかしく歯噛みした。


「閻魔様。我々に出来ることはないのでしょうか?」


 不知火の言葉に閻魔は瞳を伏せて首を横に振る。


「本当に阿修羅が戻ることになるのなら、その時までどうすることも出来ん……」


 阿修羅と因果を持たない者に手出しは出来ない。そう言う閻魔に、不知火もまたもどかしそうに顔を歪める。長年、何の動きも見せなかった災厄が今まさに動き出そうとしている。それを分かっていて何の手出しも出来ない事が歯痒かった。


「兄上……」


 意図せずそう呟いた不知火は視線を伏せる。

 阿修羅が復活を果たした際、戦場の第一線に躍り出るのはヤタに違いない。阿修羅の力を身を以て知っている彼が頼みの綱になってしまうのが、不知火にとっても心苦しい。


「不知火、早急にこの事を麒麟達に知らせてくれ。帝釈天はこの経過はもう視ているはずだからな」

「承知しました」


 不知火はすぐにこの場を後にした。 


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