ひなの覚悟、想い
気持ちを奮い立たせるため、ヤタは深く息を吸い込み、その足でひなの部屋へと向かう。
「あ、ヤタさん」
ひなの部屋へやってくると、彼女は糾卯と共に談笑していた。
屈託なく笑う笑顔を向けられ、一瞬尻込みしてしまいそうになる。
「今日は、大丈夫なのか?」
「え? うん、大丈夫」
ヤタはひなの様子を見て部屋に入ると、彼女の前に腰を下ろした。すると、糾卯と共に傍にいた獅那が何も言わずに立ち上がる。
「ひなさん、お食事の支度をして参りますね」
「ひな、あたしもちょっと用事思い出したから、もう行くね?」
二人の様子とヤタを見て、ひなは瞬時に理解する。
「あ、うん」
短く頷き返すと、二人は部屋を後にした。
誰もいなくなったのを確認し、ヤタは軽く咳払いをして、改まったようにひなを見る。そのひなは、緊張した顔で見つめている。
「ひな。お前に、伝えないといけないことがある」
ヤタの言葉に、ひなは一瞬肩を震わせ、無意識に手を握った。
「は、はい」
懐に手を差し入れた瞬間、ヤタは麟の部屋から去り際に言われた言葉を思い出し、手が止まる。
『お前の言う通り、ひなには重要事項になる話はしないでくれ』
どこか思いつめた麟の顔がよぎる。
動きが止まったヤタに、ひなは不思議に思いながら顔を覗き込んでくる。
「ヤタさん?」
名を呼ばれ、ハッとなったヤタは手紙を取り出し、ひなにそれを差し出す。
「……これから話すことは、お前にとって辛いことかもしれない」
「辛いこと……?」
瞬間、不安そうな顔を浮かべるひなに、ヤタは頷く。
「……しばらく、お前は麟と接触はできない」
「え……なん、で……?」
麟の傍にいけない。そういわれて、戸惑いと寂しさ、そして明らかな不安権を前に出すひなに、ヤタは手紙を握る手に僅かな力がこもる。
「……悪いが、詳しく話すことは、できない。ただ、そこに阿修羅が絡んでいるということだけは言える」
「……」
阿修羅の名前が出た瞬間、ひなは顔色が変わった。
父が絡んでいるということは、とても重要な事柄が裏で動いているということ。
――あぁ、だからか……。
ひなは、獅那や糾卯、ヤタが常に緊張した空気を纏っていることを理解していた。
わがままをいってはいけない。
そう思ったひなは、視線を僅かに下げて寂しそうに呟く。
「……そっか」
「これは、お前にと預かった手紙だ」
ひなは手紙を受け取ると、麟のしたためた文字に目を通す。
読み進めるに従い、ひなは眉間に皺を寄せ、小さく手を震わせた。
ヤタは、そんな彼女の様子を静かに見守る。
やがて手紙を読み終えたひなは、それを丁寧に畳み直し、顔を俯けて浅い息を吐いた。
「ひな……?」
声をかけると、ひなは一度下唇を軽く噛み、ほどなく顔を上げてヤタを見る。
「……わかった」
静かな承諾の言葉に、ヤタは言葉を無くした。
「ほんとはね、傍にいられないこと、凄く不安だし、怖い……。けど、今はわがままを言ってる場合じゃないって、わかるから」
奇しくも、ひなは麟と同じ理解を示す。
ヤタは、彼女は泣き喚くかもしれないと思っていた部分が、あった。だが、思った以上に彼女は、自分を受け入れる覚悟をしていると感じた。
無意識に、ヤタはぎゅっと手を握りしめる。
「……悪い」
ヤタは無意識にそう口走っていた。すると、ひなは不思議そうな顔を浮かべる。
「何で? ヤタさんは悪くないよ?」
「理由はどうあれ、これは本意じゃない」
「うん……わかってる」
ひなは静かに頷き返すと、目の前にいるヤタの手に自分の手を重ねる。それに反応したヤタが視線を上げると、彼女の表情は硬かった。
「私は、皆を傷つけたくないし、ほんとはできる限り、巻き込みたくない」
その言葉が、ひな自身の心にも重たく圧し掛かる。
巻き込みたくないが、巻き込まざるを得ない現状が心苦しい。
「理由は聞かない」
ひなのその言葉に、ヤタは驚いた。
「私は、私にできることをする。それまでは、麟さんとお手紙のやり取りして過ごすことにするね」
そういって笑うひなの姿に、ヤタは強い思いを抱く。
もう一度、二人が手を取り合える未来を作る、と。
「ヤタさん」
ひなの添えられていた手が、軽くヤタの手を握りしめた。
「無理はしないで。ヤタさんのこと、信じてる」
「……あぁ」
ひなの真剣な表情に、ヤタはしっかりと頷き返す。
その晩。眠りにつくひなの傍には把蛇がつくことになった。
部屋の前に待機している彼の存在を気にしていたひなは、引きずり込まれるように深い眠りに落ち、そして夢を見た。
いつか見た、漆黒の闇。重圧が体全体に圧し掛かってくるような重たさ。
ひなは、直感的に阿修羅がすぐ傍に来ていることを感じていた。
『……ひな。逢いに来たぞ』
どこからともなく、頭の中に響くような阿修羅の不気味な声が聞こえてくる。
ひなが周りを見回し、警戒していると、背後の闇からゆっくり浮き上がってくるように阿修羅が現れる。完全に背後を取られた。
――!
それに気付いてひなが振り返るのと同時に、阿修羅の手がひなを羽交い絞めにする。
――は、放してっ!
力の限り抵抗しようと身を捩ると、阿修羅はしたり顔でひなに顔を近づけた。
『どうした。父の抱擁が気に入らないのか? お前の父親だぞ、俺は』
父親、という言葉を使われた瞬間、ひなはびくっと体を震わせ、無抵抗になってしまう。その瞬間を見逃さず、阿修羅はひなを抱く手に力を込めた。
――っ!
ひなは顔を歪める。
これは、抱擁などという優しいものではない。肺や気管を潰して呼吸を奪うような危険さを感じ、ひなは冷や汗を流す。
『お前を迎えに行くには、まだ力が足りないんだ。お前は良い子だから、もちろん可哀想な父親を助けてくれるだろう?』
――っ。
苦しさに言葉を発せない。
固く目を閉じ、容赦ない締め上げに顔を顰めることしかできなかった。
『さぁ……返してくれ。俺の可愛いひな』
ひなは、骨が軋む音を初めて聞いた。骨だけではない。心にもないその言葉が、分かっていてもひなの胸を刺す。頭も、指先も痺れて、意識が遠のきそうになった。
そんなつもりなどないのに、自然と溢れ出る涙が零れ落ちた。阿修羅はそのひなの涙をべろりと舐め上げると同時に、何かを察したように顔を上げ腕の力を抜いた。
――はぁっ……!
解放されたひなはその場に頽れ、息を継ぐ。
阿修羅は苛立ったように小さく舌打ちをすると、再び闇の中に溶けるように消えていく。
『やはり、一筋縄じゃいかねぇよなぁ』
忌々しく呟いた阿修羅の言葉が、霞むひなの脳裏に残った。




