報告、決断
麟の部屋の前にやってきたヤタは、障子の前で一度立ち止まる。軽く瞳を閉じ、静かに息を吐くと同時に、中から声がかかる。
「八咫烏。待っていたよ」
「……」
ヤタは閉じていた瞳を開き、障子に手をかけて静かに開く。
麟は、文机の前に座り、こちらを振り返ることもなく誰かに手紙を書いているようだった。その傍らには、終わりかけの庭の桜の小枝が置かれている。
「今日は、休みを取ってるんだってな」
そういうと、麟は手を動かしたまま小さく笑みを浮かべる。
室内には、彼が書き綴る筆の微かな音しかしていない。
「今回は、何より優先しなければならない、大事な話になるだろうからね」
「……お見通しか」
「阿修羅が動き出しているんだ。それほどの事態といわずに何という?」
持っていた筆を硯の上に置き、ゆっくりと体ごとヤタの方へ向き直る。その表情は柔らかな口調とは違い、固い表情だった。
「ひとまず、中に入れ」
「あぁ」
麟に許可を得て、ヤタは室内に足を踏み入れる。そして麟の目の前にすでに用意されていた座布団の上に進み腰を下ろす。
膝を突き合わせて向かい合う二人の間には、短く、しかし重たい沈黙が落ちる。
「聞かせてくれるか。閻魔のところで得た情報と、帝釈天の話を」
「……」
ヤタは三者会議での一部始終を、全てうそ偽りなくそのままを伝え始めると、麟は表情を大きく変えることなく静かに頷きながら聞いていた。だが、時折迷うように視線を外す時もあった。
ヤタは、ただ一つ。帝釈天の魂の核についてだけ、一瞬躊躇い話を避けてしまった。
「そうか」
「……」
言葉を切ったヤタに対し、麟は小さく頷く。だが、すぐに口を開いた。
「他には?」
そういう麟の表情は、いつもの顔ではない。こちらの意図を全て見抜くような鋭さを秘めていた。
ヤタは瞬間、言葉に詰まる。
僅かなヤタの様子を感じ取り、麟は一度目を伏せてもう一度彼を見た。
「お前が全部を語らないのは珍しいな。まだ、何かいい難いことがあるんだろう?」
そう問われては、伝えないわけにはいかない。
ヤタは膝の上に置いた手を握りしめ、一度ごくりと喉を鳴らすと、視線を伏せておもむろに口を開く。
「麟……。帝釈天は、あんたに、大事なものを預けてる」
「私に?」
麟は驚いたように目を見開いた。
ヤタは視線を上げ、麟を見る。
「先の阿修羅との対峙で、阿修羅は帝釈天を一度倒してるだろ?」
「そうだな……」
「でも、帝釈天は倒れず、極楽ごと今も健在している。それは……魂を二分しているからだ。そして、その要である魂の核を、あいつはあんたに預けてる」
「!」
何も言わず、黙って託した帝釈天の魂。それを保有しているのが自分だと知り、麟の指先が反応を示した。
「……そのことを、お前は知っていたのか?」
その言葉に、ヤタは躊躇いながらも小さく頷き返した。
秘密保持を厳命されていたとはいえ、麟に知らせずにいたことに、ヤタの胸が痛む。
ヤタは麟から視線をそらし、固く手を握り込む。
「……あんたが保有している方が、三世界では安全に隠せるからと、帝釈天は言っていた」
その話を聞いた麟は、無意識に視線を下げて自分の手のひらを見つめる。
「……だから、私は戦えないのか」
麟の呟きに、ヤタの表情に影が差す。
二人の間に再び沈黙が落ちる。
ヤタは、自分だけに知らされていたことへの後ろめたさに口をつぐみ、固く目を閉じた。
「……」
二人にとって、長い沈黙。だが、やがて麟は見つめていた手をぎゅっと握り込むと目を閉じた。
「そうか……」
ため息交じりに呟くと、僅かに肩が下がった。
ヤタがもう一度彼を見ると、麟は静かに目を開く。
「阿修羅とひなのことはわかった。今しばらく……ひなとの接触は控えるとしよう」
「麟……」
驚いたように麟を見る。もう少し難色を示すだろうと思っていた。
「本当に、あんたはそれでいいのか……?」
聞き返すこと自体無粋なのかもしれない。だが、そう問わずにはいられなかった。すると麟は、僅かに寂しそうな目をするが、薄い笑みを浮かべる。
「雪那とは違うだろう。それに、今は自分の感情で動く時じゃない」
「……」
麟は先ほどまで書いていた手紙に向き直り、綺麗に折りたたむと傍にあった桜の小枝を付けてヤタに差し出してくる。
「その為に、これをあの子に届けてほしい」
手紙を見て、ヤタは理解した。
ここまでの話になるだろうことを、麟はすでに見抜いていた。
「……わかった」
ヤタがそれを受け取ると、麟は静かな息を吐く。
「八咫烏」
「?」
「お前に、期待している」
真っすぐ見据える真剣な眼差しを受け、ヤタは身の引き締まる思いだった。
受け取った手紙を自分の懐にしまい、自分が仕えるべき主に対し小さく頭を下げた。
「御意」
***
麟の部屋を出たヤタは、少し離れた場所で足を止め、庭先に目を向ける。
魂の核について、全てを言及はできなかった。
「……」
先ほどの、麟の驚きと僅かに寄った皺を、ヤタは見逃さなかった。
明らかに今まで見せることのなかった表情を見せた彼の姿に、ヤタの視線が無意識に下がる。ヤタは、懐にしまい込んだ手紙に、手を当てた。




