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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第二章

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報告、決断

 麟の部屋の前にやってきたヤタは、障子の前で一度立ち止まる。軽く瞳を閉じ静かに息を吐くと同時に中から声がかけられた。


「八咫烏。待っていたよ」

「……」


 その声にヤタが障子に手をかけて静かに開く。

 中にいた麟は文机の前に座り、こちらを振り返ることなく誰かに手紙を書いているようだった。


「今日は休みを取ってるんだってな」


 ヤタがそう言えば、麟は小さく笑みを浮かべてさらさらと掻き綴る手紙の手を止めることなく口を開いた。部屋の中には、書き綴る筆の微かな音しかしていない。


「今回は、何より最優先にしなければならない大事な話になるだろうからね。それに、私が決断しなければならない重要な事柄があるんだろう?」

「……お見通しってわけか」

「阿修羅が動き出してるんだ。それほどの事態と言わずに何という?」


 麟はふっと筆を紙から外し、傍のすずりの上に筆を置きゆっくりと体ごとヤタの方へ向き直る。その表情は柔らかな口調とは違い、固い表情を浮かべていた。


「ひとまず中に入れ」

「あぁ」


 そう勧めると、ヤタはようやく室内に足を踏み入れた。そっと障子を閉じて、麟の目の前にすでに用意されていた座布団の上に進んで腰を下ろす。

 膝を突き合わせて向かい合う二人の間には、短い沈黙が流れる。


「聞かせてくれるか。閻魔のところで得た情報と、帝釈天の話を」

「……」


 ヤタは三者会議での一部始終を全てうそ偽りなくそのままを伝え始めると、麟は表情を大きく変えることなく静かに頷きながら聞いていたが、時折迷うように視線を外す時もあった。しかしすぐに表情を元に戻し、ヤタの報告をすべて聞き届ける。ただ一つ、ヤタは魂の核について一瞬躊躇いを覚えて話を避けてしまった。


「そうか」

「……」


 言葉を切って黙ったヤタに対し、麟は小さくそう呟いた。だが、すぐに口を開く。


「他には?」

「……っ」

「お前が全部を語らないのは珍しいな。まだ何か言い難い事があるだろう?」


 そう問われて、伝えないわけにはいかない。

 ヤタは膝の上に置いた手を握り締め、一度ごくりと息を呑み視線を伏せおもむろに口を開く。


「麟……。帝釈天はあんたに、大事な物を預けてる」

「私に?」


 その言葉に麟は驚いたように目を見開いた。

 この事は麟自身も知らない。初めて聞くその話に彼が驚かないわけが無かった。ヤタは視線を上げ、言葉を続ける。


「先の阿修羅との対峙で、阿修羅は帝釈天を一度打倒してるだろ?」

「そうだな……」

「でも、帝釈天は倒れず極楽ごと今も健在している。それは……魂を二つに分けているからだ。そして要である魂の核を、あいつはあんたに預けてる」

「!」


 何も言わず、黙って託した帝釈天の魂。それを保有しているのが自分だと知った衝撃に、ぴくっと彼の指先が反応を示した。


「……その事を、お前は知っていたのか?」


 その言葉に、ヤタは小さく頷き返す。


「幽世の番人としてのあんたが保有している方が、三世界ではどこよりも安全に隠せるからだと帝釈天は言っていた」


 その話を聞いた麟は、無意識に視線を下げて自分の手の平を見つめる。


「……だから、私は戦えないのか」


 麟の呟きはヤタの表情を曇らせた。

 ヤタは先の戦いで麟自身も戦いに加わっていた事を知っている。しかし決して相手を傷つける為にいたわけじゃない。今のように「守るため」に加わっていた。麟自身、自らが戦う事が出来なくなったことを理由が分からずともどこかで自覚していた。


 二人の間に沈黙が落ちる。

 ヤタは自分だけに知らされていたこの事への後ろめたさに言葉をつぐみ、視線を下げた。もしかしたら温厚な麟が取り乱すかもしれないと言う考えもなかったわけではないが、当の麟は何も言わず静かにその場に座して自分の手を見つめたまま、茫然としてしまっていた。


「……」


 二人にとって、長い沈黙だった。だが、やがて麟は見つめていた手をぎゅっと握り込むと目を閉じる。


「そうか……」


 全ての話を聞いた麟は静かにそう呟くと、僅かに肩が下がった。

 ひなの事、三世界の事、阿修羅の事……考えなければならない事は多い。その中で少しでも安全だと思われる道を拾い上げなければならない責任の重さは、一口には言い表せないだろう。だが、麟はすでに考えはまとまっていたかのように静かに口を開いた。


「阿修羅とひなの事は分かった。ひなが夢を見る体質だと言う事は既に分かっていた事だ。そこを介して接触をしてくる事まで考えが及ばなかったとは言え、この状況になってみれば納得せざるを得ない」


 麟はそう言うと、一度ふっと息を吐き瞼を伏せる。そしてややあってゆっくりと伏せた瞼を開いた。


「今しばらく、ひなとの接触は極力控えるとしよう」

「麟……」


 ヤタは驚いたように麟を見る。その答えが返って来る可能性を考えられなかったわけじゃなかったが、麟の決意の早さに躊躇うほどだった。


「本当に、あんたはそれでいいのか……?」


 聞き返す事自体無粋なのかもしれないが、ヤタは思わずそう訊ねていた。すると麟は僅かに寂しそうに目を細め薄い笑みを浮かべた。


「雪那と違って、ひなとは今生の別れになるわけじゃない。あの子と直接的な関りが持てなくなるのは正直寂しくもあるが……。今は自分の感情で動く時じゃない事は分かっている」

「……」


 麟のひなに対する信頼は厚い。ひなは既に麟に対し「離れない」と宣言をしている事が、彼にとって芯を強く保てる力となっている。


「その為に、これをあの子に届けて欲しい」


 そう言いながら、麟は先ほどまで書いていた手紙を折り畳みヤタに差し出してくる。


「……分かった」


 ヤタがそう言いながらそれを受け取ると、麟はふっと静かな息を吐く。


「八咫烏」

「?」

「……お前達に、期待している」


 真っすぐ見据える真剣な眼差しを受け、ヤタはぎゅっと身が引き締まる思いになる。

 受け取った手紙を自分の懐に仕舞い、自分が仕えるべき主に対し小さく頭を下げた。


「御意」



                   *******



 麟の部屋を出たヤタは、少し離れた場所で足を止め庭先に目を向ける。

 魂の核について、全てを言及は出来なかった。それでも、今その事を伝えなければいつ伝えられるのか。これこそ、知らぬ存ぜぬではもうまかり通らないところまで来ているのだ。


 そして、一つ僅かに楽になった事もある。

 幽世で唯一その事をヤタだけが知っていると言う状況から、本人にも自覚してもらう事でヤタの肩の荷が微かに降りたのは言うまでもない。


「……」


 先ほどの、麟の驚きと僅かに寄った眉間の皺をヤタは見逃さなかった。明らかに今まで自分の前では見せる事のなかった表情を見せた彼の姿に、ヤタの視線が無意識に下がる。そして麟自身が下した重い決断に、ヤタは懐に仕舞い込んだ手紙に手を当てた。

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