地獄の番人・閻魔
重たく、禍々しい空気が立ち込め、至る場所で、生前業を重ねた魂たちの阿鼻叫喚が響き渡る世界――地獄。
枯れ地に生える黒い枯れ木は、それこそ魂たちのやせ細った成れの果て。その向こうに、巨大な一枚岩が幾重にも重なった洞窟がある。その入り口は茨に覆われ、安易に立ち入ることはできない。
どこかで電磁波のような音が聞こえてくる。その瞬間、茨の蔦が数本焼き切れた。
バラバラと音を立て、砂塵を舞い上げて地面の上に投げ出される。
「……」
屋敷の執務室で仕事をしていた閻魔が、ふと手を止めて顔を上げる。
胸の奥がざわつく。
閻魔は視界を泳がせ、傍に置いてあった手紙で止まると、低く唸った。
その手紙は、帝釈天が寄こしたもの。その手紙の内容は、実に簡単だった。
――阿修羅が不穏な動きをしている。確認後、私の屋敷に集合。のみ。
「……あいつが動くか」
目を細め、唸るように呟く。
地獄は閻魔そのもの。だからこそ、僅かな変化には敏感に察知する。
その異質な空気感は、閻魔の住む屋敷の鬼たちにも影響が出て、いつもと違い落ち着きがない。
閻魔は手にしていた笏で数回机を叩く。するとほどなくして、黒い翼を持ち、左目にモノクルをつけた男が一人、閻魔の前に現れた。
「お呼びでしょうか。閻魔様」
「不知火。すまないが急ぎ、阿修羅の瞳孔を確認してきてほしい」
不知火と呼ばれた男は、モノクルを光らせ僅かに目を細めて閻魔を見上げる。
「……承知いたしました」
「うむ。戻り次第、わしは帝釈天の元へ向かう」
「かしこまりました」
不知火は深々と腰を折り、踵を返した。
彼を見送っていると、小鬼の一人が手紙をもってそそくさと部屋に入ってくる。
「閻魔様、麒麟様よりお手紙が届きました」
「ふむ」
閻魔はその手紙を受け取り、小鬼を下がらせると手紙に目を通す。深いため息を吐きながら椅子に深く座り直すと、手紙をたたんだ。
「八咫烏をこちらへ寄こすか」
どうやら、ただ事でない。
いずれにしても、八咫烏か不知火。どちらかが来るまでの間たまっている手元の書類に判を押そうと手を伸ばした瞬間、ぴたりと動きが止まる。
「……来たか」
そう呟いた直後、扉がノックされ、小鬼たちに案内されてヤタが姿を現した。
その表情はどこか固く、笑みはない。
閻魔は判から手を放して、机の上で手を組み、口元に笑みを浮かべる。
「ずいぶん早い到着だな。八咫烏」
ついぞ麒麟からの手紙を受け取ったばかりだ、と言葉を付け足してそういうと、ヤタは表情を崩すことなく深々と頭を下げた。
「お久し振りです。閻魔様」
「阿修羅のことで来たのだろう?」
何が、といわず、そう訊ねれば、ヤタは頷き返した。
「すでにお気づきでしたか」
「無論だ。あいつの管理は私が行っている。今ほど、不知火に様子を見に行ってもらったところだ」
「そうでしたか」
「して。今幽世はどのような状況だね?」
確認のためにもそう促すと、ヤタは現状報告をする。
その話を聞くや、閻魔は驚いたように目を見開き、やがて頭を抱えた。
「……あいつに、娘がいたとは」
あまりにも意外だと呟く。その反面、先ほどの違和感に対して意味づけができる。
「その、ひなという娘への接触だが」
閻魔は抱えていた頭を上げ、腕を組んで背もたれに背を預ける。
「夢を介して娘に接触したことで、奪っている可能性がある」
「奪う?」
「力だ」
「!」
閻魔の言葉に、ヤタは険しい表情を見せる。
「ひなに、そういった兆候は見られませんでしたが……」
唸るようにヤタの声が低くなる。
「そなたの話と照らし合わせると、私の中で繋がる部分があるのだよ。接触するだけで、本人さえも気付かぬ内に、一部だけを削がれていた、とすれば……」
「……」
ヤタの拳が固く握りしめられるのを見て、閻魔は意外そうに彼を見る。彼の中で、そこまでの目星はついているだろうと思っていたのだが……。
「夢を介して直に痕跡を残せるほどだ。その程度、可能だと思わないか?」
「……確かに」
ヤタは軽くした唇を噛みながら、怒りを滲ませる。
今後も夢を介されては、どんなに侵入を防ごうとしてもできない。当然、ひなに眠ることを禁じることもできない。
「何か、手を打たねばなりませんね」
「……いや、すでに時遅しかもしれぬ」
その言葉に、ヤタの手がぴくりと反応した。
動き出した最悪のシナリオは、このまま阿修羅が姿を見せる時まで止めることは不可能。
――まただ。また、防ぎきれなかった。
ヤタは目を眇め、拳を震わせる。
そんな彼の姿を見つめ、閻魔はやるせない顔を浮かべる。
「八咫烏。お前は、いつも苦労する側に立たされるな」
そう伝えれば、ヤタは閻魔を挑むような眼で真っすぐに見上げた。
「それは、俺が自分で臨み、選んだことです」
「……そうか」
その答えに、一切の迷いはないようだった。




