愛
話が終わり、麟たちがいなくなった自室の前で、ひなはぼんやりと外を見つめていた。
見上げた空は茜色が差し、夜の訪れを物語っている。その空を見つめながら、ひなは「現世では、もうすぐ一年が終わろうとしている」と漠然と考えていた。
短時間で色々なことが起こり過ぎた。頭の芯がふわふわとしているようなぼんやり感が、ひなを包んでいる。
「ひな?」
無意識なため息を吐いた時、手燭台を持ったヤタが近づいて来る。
「……あ、ヤタさん」
「どうした?」
虚ろな顔をしたままゆっくりと振り返ったひなに、ヤタは眉根を寄せて彼女の顔を覗き込む。
ぼんやりしているひなに、ヤタは嫌な予感がして咄嗟に彼女を部屋の中へ追いやるよう背に庇いながら、中庭に鋭い視線を巡らせる。
「ヤタさん?」
突然庇われたことに困惑するひなに、思い違いだと気付いたヤタは体の力を抜き、瞳を閉じて息を吐くその彼の様子に、今度はひなが首を傾げた。
「いや、すまん。少しの間に、また接触があったのかと……」
「あ、ごめんなさい。そういうんじゃないの。ただ、ちょっと……実感が湧かなくて」
狼狽えるひなに、ヤタは静かに向き合った。
「さっきの話のことか?」
「うん……」
ひなは視線を下げて、手跡のついた手首に触れる。
「色んなこと、一気に起きたから頭の処理が追い付かないっていうか……」
「……そう、だな」
ひなは深いため息を吐き、暮れ行く庭先に視線を向けた。
「お母さんのことは、受け入れられるんだ。でも……阿修羅の、ことは、なんだか想像の斜め上をいっちゃったなって、思って」
「……」
「私のお父さんにあたる人は、良い人じゃないんだろうなっていうのは、漠然とだけどわかってた。だって、こんな力を持ってるくらいだし」
力なく笑いながら、その手はずっと手首に触れている。その様子は葛藤しているように見えて、ヤタはただ次の言葉が出るまで、じっとそのしぐさを見つめている。
ひなは庭先を見つめ、視線を泳がせたり、何かをいいかけては言葉を呑み込む。
「……私、今、複雑……なんだと思う」
しばしの沈黙のあと、躊躇いがちに語るひなの言葉に、ヤタは首を傾げた。
「複雑?」
「変な話かもしれないけど……聞いてくれる?」
「あぁ」
戸惑いがちにヤタを見上げるひなは、その瞳の奥にどこか怯えているような印象を与えてくる。
見上げた視線を下げながら、ひなは一度息を呑む。
「……阿修羅が、私の……父親だって聞かされた時ね、あぁ、私にもちゃんとお父さんがいたんだなってわかったら……心の奥で、ちょっと、安心した部分が、あったの」
「それは……」
「それ以上に、ショックの方が大きかったんだけどね」
反射的に何かをいいかけるヤタの言葉を遮るように、ひなは小さく笑いながら言葉を付け足す。
「……夢で会った時、凄く怖くて、すぐに危険な人だってわかった。それに、阿修羅に話は通じないし、私のことも……きっと、娘だと認識はしてないと思う」
「……」
「それから、もう一つわかっちゃったことがあるんだ」
ヤタを見上げたひなの瞳に影が差し静かに揺れている。だが、彼女は口元に笑みを浮かべていた。
「現世にいた時の、お爺ちゃんやお婆ちゃんのこと。お母さんに惚れ込んだお父さんが、お母さんを捜してそのまま蒸発しちゃったって聞いたことあって……。きっと許せなかったんだと思う。しかも、その子供が私だなんて、許せなくても仕方がなかったんだよね」
ひなは溢れそうな涙を我慢するように、下唇を噛んだ。
祖父母が自分に対して冷たかったことも、破壊的な力のことも、現世の父のことも、全てが抜け落ちていたパズルが埋まるように綺麗に収まる。
ヤタは言葉に詰まり、口籠ってしまう。
「私、これからどうなっちゃうんだろう……。また、みんなを傷つけてしまうんじゃないかって、思うと……」
ひなは、ぎゅっと手首を握る手に力が入る。
多くのことにがんじがらめになってしまっているひなを見て、ヤタは一瞬、自分が重なって見えてしまった。その複雑な思いを、ヤタ自身も知らないわけじゃない。
「……」
ヤタは何も言わず、ひなの頭に片手を置くと自分の方へ引き寄せる。抱きしめるわけではなく、自分の胸元に引き寄せるだけの簡単なハグ。
それに驚いたひなは目を瞬いた。
「……どんな状況になったって、変わらねぇこともある」
静かに語るヤタは、ひなの後ろの床を見つめたまま、僅かに目を細める。
「これから俺たちがやることは変わんねぇ。お前は雪那以上に麟が見染めた相手だ。俺は全てをかけて、お前のことも守る」
「でも、私が力のせいで二人を傷つけるようなことがあったら?」
「変わんねぇ」
語尾を僅かに強くして断言するヤタに、ひなは言葉に詰まった。
「何も変わんねぇから、心配するな」
安心させるように静かに話すヤタに、ひなは小さく頷き返した。
全てを納得したわけではない。それでも、ヤタの言葉は頼ってもいいのだと確信させる言葉だった。
「もう休め。今日は俺が近くにいるから」
「……うん」
ひなは部屋の中に戻っていく。
それを見送ったヤタは、自分の手の中に残るひなの温もりを包むようにぎゅっと握りしめながら、その場に腰を下ろして空を見上げる。
「……明日は、閻魔のところへ行かねぇとな」
この日見た夜空は、どこか淀んでいる。
ヤタはその空を見つめながら、更なる決意を固めた。




