表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/43

心合わせ

 地獄の最果て、阿修羅が壺として存在する洞穴から大きな音が聞こえて来た。

 大きなものが倒れたような、何かが砕かれたような、そんな音だ。そしてその直後に何かを引きずる音が響いて来る。


 ズル……ズル……と重たいものが引き摺られる音の主は阿修羅だった。


 白い布で体中を巻かれ、更に護符で動きが封じられているはずの体を地面にこすりつけ、まるで蛇のように体をくねらせながら洞窟の奥から這い出ようとしている。

 足は木化していたが、倒れこむ事でへし折った。元々生身の足だったが木化している為か痛みも何もない。足首から折れ、残された足の残骸はまるで墨を砕いたかのような破片と化していた。


 ズルズルと体を地面や岩壁に擦り付けながら動いている内に、護符の端が千切れ始め少しずつ剝がれ始める。


「……雪那ァ……」


 思うように身動きが取れない阿修羅は息を荒らげながら何とか外に這い出ようと必死だった。そして彼の口からは、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべたままで再び雪那の名が零れる。








「麟さん?」


 仕事の休憩の合間を縫って、ひなに会いに来ていた麟は座敷の中で座布団に座り込ったままぼんやりと外を眺めている。

 シナが持ってきてくれたお茶をひなが受け取り、シナの代わりに持って行こうと振り返ったところだったが、何やら麟の様子がおかしい事に気付く。


 ヤタといい麟といい、何やら今日は変だ。


「……シナちゃん、麟さん疲れてるのかなぁ?」


 ひながそう訊ねると、シナもまたよく分からないと首を傾げて来る。


「疲れてるんだとしたら何か少しでも甘いもの食べたら、元気出るかもしんないよね」

「……!」


 ひなの呟きに、シナはポンと手を打ち鳴らして大きく頷くと、「任せなさい」と言わんばかりにドンと胸をたたいて部屋を後にした。

 麟が元気になるものに心当たりがあるんだろうシナが立ち去ると、ひなはお茶を持って麟の隣に座る。


「麟さん、お茶です」

「……あ、あぁ、ありがとう」


 声をかければ普通に返してくれる。だがどこか上の空な様子に、ひなは顔を顰めた。


「麟さん? どうかしたの?」

「いや、どうもしないよ」


 手渡したお茶を受け取りながら笑ってやり過ごそうとする麟に、ひなはムッとした顔を浮かべて彼の前に回り込む。


「どうもしなくないよ。だってここに来てからずっと上の空だもん」


 膝を突き合わせて怒ったような顔をしたままこちらを見上げて来るひなに、麟は観念したように小さく微笑み、右手を持ち上げてひなの頬に手を伸ばした。

 突然柔らかく頬に触れられ、先ほどまでの機嫌悪そうな顔は何処へやら。触られた場所からカーっと熱が集まり始めて来る。

 麟は茶化すわけでもなく、柔らかく目を細め真っすぐに視線を逸らす事無くそんなひなを見つめていた。


「こうして触れられる位置にいて、どれだけ心を注いでも届かない事もある」


 呟くように話す麟の言葉に、ひなは首を傾げる。 


「麟さん……?」

「どれだけ愛し、共にいても、分からない事もある」


 麟は逆の手を伸ばし、ひなの片手を握ると自らの頬に導いた。そしてそのまま自分の頬に触れさせているひなの指に自分の指を絡ませたまま軽く握りしめる。

 突然の甘い雰囲気に、ひなの心臓はバクバクと早鐘のようになり体中が熱に包まれる。

 更に麟はそんなひなの掌に瞼を伏せ、顔を僅かに傾けて頬を摺り寄せた。


「……君にとって私は、信用に足る男じゃないだろうか?」

「え……?」


 その言葉に一瞬、ひなは目を見張った。

 急に囁かれたいつもとは違う、麟の自信のなさが露呈されている言葉に彼らしさが感じられず、突然どうしたのだろうかと心配の方が大きくなる。

 今にも泣きだしてしまうんじゃないかと言うほど、陰りが見える麟の瞳を見つめていると胸を締め付けて仕方がない。そして、自信がないのなら自信をつけてあげるのは自分しかいないと強く感じた。


 ひなはぎゅっと空いている方の手を握り締めるとまたしてもムッとした顔をして麟を見上げ、強い口調で麟の言葉を否定した。


「そんなことない!」

「……ひな」


 突然そう言い返され、麟は閉じていた目を開いて驚いたようにひなを見下ろした。

 目の前のひなは頬を膨らませ、怒ったように言葉を続ける。


「麟さんは私が今まで出会って来た人の中で一番信用できる人だよ。もちろん、ヤタさんもシナちゃんも、ここにいる人たち皆そうだけど……でも、私にとって麟さんは私の拠り所。一番頼れる人で、一番頼りたい人。いつも一緒にいて欲しい人で、一緒にいたい人なの」


 ひなにその真っ直ぐな言葉を向けられ、麟は僅かに目を見開いた。

 感情が高ぶってきているのか、ひなの顔が赤らみ、手が微かに震え目に涙が滲み始めている。


「麟さんが自信がなくなっちゃうくらいの事が私の知らないところであったのかもしれないけど、麟さんが私に向けてくれてる優しさも誠実さも、ひ、独り占めしたいとか思っちゃったりするし、分からない事もまだ沢山あるけど、それもこれからもっと知って行きたいって思うし、色々違うとことかあるけど、でもそんなの関係ないくらい麟さんの事、私大好きだもんっ!!」


 体を震わせ涙目になりながら真っ赤な顔をして肩で息を吐いているひなを、麟は彼女の頬に触れていた手をひなの後頭部の後ろに滑らせ、逆の手でひなの体を強く引き寄せた。


「わ……っ!?」


 突然身動きが取れなくなるほどに抱きすくめられたひなは、驚きのあまり見開いた瞳を瞬く。だが抱きしめて来る麟に応えるようにすぐに彼の背に手を回してしっかりと抱きしめ返すと、微かに彼の体が震えているかのように感じられ目を開いて麟を見つめる。


「麟さん……?」

「……君は、私にとってなくてはならない人だ」


 麟は顔を上げる事もなく、ひなを抱きしめる手に力を込めて呟くように語った。


「ひな。私がどれほど君に救われているか分かるだろうか……」

「私が、麟さんを?」


 麟の問いかけにひなは内心首を傾げる。

 愛情を知らないまま育ってきた自分に、麟は初めて愛を教えてくれた人だった。

 どこにも居場所がなかった自分に居場所を与えてくれ、安心をもたらしてくれた人。

 誰かと共にある事が楽しくて時には不安になることもあるが、それを含めた上で居心地が良いと言う事を教えてくれた人。

 他の誰かでは成り立たない、この人だからこそ共にありたいと思える人。心から愛しいと思える人だった。


 これ以上ないほどに満たされるこの気持ちを再確認すればするほど、どう考えても自分の方が救われているとしか思えない。


「私、何もしてないよ?」


 不思議そうに答えれば、麟は抱きしめる手を解いてひなの両肩に置き小さく微笑む。そして目を閉じひなの額に自分の額を付けて


「幽世の番人としてもう長い間ここにいる。魂たちの水先案内人としての役割と守護を担う者として存在していた中で、私は知ってしまったんだ。他の誰かに心惹かれ、どうしようもなく焦がれるほどに愛すると言う事を。それ以来、私は八咫烏やマオと共にあっても一人でいるような気持が拭いきれなかった」


 麟の呟く言葉が、彼の心の内からでる本音であり弱音でもある事をひなは気付く。

 ひな自身にもそれはあることだ。


「君の言葉が、存在が、私の心を埋めてくれる……」

「それは私も同じだよ。麟さんの言葉と存在が、これ以上ないくらい私を満たしてくれる」

「ひな……」


 くっつけていた額を離し、至近距離で互いの目を見つめ合う。


「相思相愛……だね?」


 そう言ってひなは照れ臭そうにはにかんだ笑みを浮かべるが、すぐに自分の言った言葉が恥ずかし過ぎたのか顔を真っ赤に染め上げて両手で顔を隠し俯いてしまう。


「す、凄く恥ずかしい事言っちゃった……!」

「……」

 

 あまりの恥ずかしさに顔が上げられずにいるひなの手を、麟はやんわりと掴む。するとひなは更に顔を横に向けて麟から逃れようとする。


「じ、じじ、自分で言っておいて何だけど、は、恥ずかし過ぎるからっ!!」

「ひな」

「ダ、ダメダメっ! 今顔見ないでっ!」


 これ以上ないほど顔を真っ赤に染め上げているひなに、麟は掴んだ手に僅かに力を籠めると、ダメだと言いながらもすんなりひなの手は顔面から離れ、視線が重なり合った。


「……愛してるよ」

「!」

「君を、心から愛してる……」


 麟の落ち着いた心地よい低温で囁かれた言葉に、ひなは大きく目を見開きボロっと涙が零れ落ちた。

 ぎゅっと目を閉じ、ひなは涙を零しながら頷き返す。


「うん……うん。わ、私も……!」


 その時額に柔らかな感触が押し当てられ、驚いて顔を上げるとすぐに口づけられた。

 初めて聞かされた麟の言葉と、ひなが抱えている想いが重なり合ったのを確認できた。溢れる涙を止めることも出来ないまま、そっと目を閉じる。 

 


――私には応えられなかった……。


 ふと、ひなの頭に自分の知らない女性の声が響き渡る。


――真っすぐに向けられる麟の真っすぐで、優しさに溢れた純粋な愛情に、歪んだ私が応えることは出来なかったの……。


 泣いているかのようなその声にひなが薄く目を開くと、霞む視線の先に見知らぬ女性の姿が見えた気がした。


――私も、応えたかった。この人の想いに……。


 自分のものなのか、それともこの声の女性のものなのか分からず涙が溢れて零れて行く。浮かされた頭の中で何も考えられず、ひなはもう一度目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ