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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第二章

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式神

 ひなは着物を着込み、手首に残る手跡を隠すように包帯で巻いてそっと部屋を抜け出す。

 麟に先ほどの夢の事を話した方がいいと思ったが、彼は今離れで仕事の真っ最中だ。しかも傍にはあのマオがいると思うとあまり近づきたくはない。


 気を紛らわせようと中庭に出て、池を跨ぐ小さな橋の上で足を止める。

 池では錦鯉がひなの気配に気づき餌を貰えると思ったのか寄ってきて、水面でぱくぱくと口を動かしていた。

 ひなはしゃがみ込み、餌をねだる鯉達に声をかけた。


「ごめんね。ご飯、持ってないんだ」

「あるよ、ご飯。いる?」


 ふと思いがけないところから声がかけられてひなが顔を上げると、いつの間にか自分の傍に見た事が無い少女が一人立っている。巫女のような姿をした10歳くらいの少女は、ひなの隣にやってくると手にしていた袋をそのままポンと手渡してきた。


「今丁度、ひなと一緒に餌を上げようと思って持ってきたんだ」

「え……どうして私の名前……」


 名前を名乗った事も、会った事もないはずなのに、少女はこちらの名前を知っている。

 ひなが困惑していると、彼女はニッコリほほ笑みかけてきた。


「初めまして。私、糾卯きゅうって言うの。よろしくね、ひな」


 糾卯と言う少女は敵意の全く感じられない人懐っこい笑みを浮かべている。


 以前どこかで会っただろうか? と思い巡らせていると、ヤタがやって来るのが見えた。彼の姿を見た瞬間、それまで愛くるしく笑っていた糾卯の眼光が一気に冷たさを帯びるのを、ひなは見逃さなかった。


「おい、糾卯。また勝手にうろうろしやがって……」

「うるさいな。八咫烏が遅いんだろ。私は早くひなに会いたかったんだよ。変な気配もしてたしさ」


 話し方まで突然のぶっきらぼうさに、ひなはきょとんとして目を瞬いた。

 ヤタは糾卯の言う「変な気配」に対し、すでに察知していたのか真顔でひなの前に立つ。そして手首に巻かれた包帯に気付いてその手を取った。


「ひな、これどうした?」

「え……えっと……」

「こいつが言うように、少し前にお前の身の回りに変な気配があった。何もなかった……ってわけじゃなさそうだな?」


 ヤタの言葉に、ひなはぎこちなく頷き返す。

 元々ヤタにも話をするつもりだったひなは、先ほど見た夢の話をそのまま伝える。


「変な夢を見たの……。その夢で黒い男の人に手を掴まれて……」


 そのひなの言葉に、ヤタの眉がぴくりと反応する。

 

「……で、目が覚めたら手跡が残ってた?」

「え? あ、うん」


 ひなは「なぜ分かったのだろう」と思いつつ、不安そうに頷き返す。その様子を見たヤタは一度ひなから視線を逸らし険しい表情を浮かべて小さく舌打ちをした。

 どこか苛立っているかのようなその素振りに、ひなは心配そうにヤタを見上げる。


「あの、ヤタさん……機嫌悪い?」

「あ……いや。お前にじゃねぇから」 


 そう言いながら、ヤタは表情を変えることなく視線を他へやる。

 何かに警戒しているような雰囲気に、ひなの表情が俄かに固くなった。


「おい八咫烏。いつまで女の子の手握ってんだ。早く離せ変態」

「は?」


 突然の糾卯の言葉に、心外だと言わんばかりの表情を浮かべたヤタは彼女を睨み下ろす。


 この二人は、よく分からないが仲があまり良くないのだろうか?


 ひながそう逡巡している間に目の前で口喧嘩を始める二人。ひなは最初こそ狼狽えていたものの、二人の様子を見ていると先ほどまでの不穏な気持ちが解け、だんだんおかしくなってくる。


「ふ、ふはっ……!」


 ひなが吹き出す声を聞き、ヤタと糾卯は喧嘩を止めて彼女を振り返った。

 くすくすと笑うひなに、二人は短く溜息を吐いて互いに落ち着きを取り戻した。


「少しは元気になりましたか? ひなさん」

「獅那ちゃん」


 一気に賑やかになった中庭に、獅那がひなの傍に近づいて緩く微笑んでくる。


「麒麟様の計らいで、かつてこの屋敷に仕えていた式神を解放されたんですよ」

「式神?」

「はい、私とそこにいる糾卯です。本当はもう二人いるんですけれど、今は麒麟様の元でお手伝いをしております」

「四人も? どうして?」


 ひなのその問いかけに、糾卯と喧嘩をしていたヤタが答えた。


「まぁ、何て言うか……。念のための強化だな。お前の身の回りで不穏な事が立て続けに起きてるから、麟が気にしてこいつらを配備したんだ」

「そう、なんだ……」


 本当は違う意味での配置だが、無駄にひなを不安がらせるのは違うとヤタは軽く言葉を濁した。

 獅那はひなの手首の様子を見つめ、彼女の周りを気にする。


「ひなさん、他におかしなところはありませんか?」

「あ、うん……。大丈夫」

「……獅那、ちょっといいか」


 ヤタは獅那を呼び寄せ、少し離れた場所で話を始める。その様子を見ていたひなに、糾卯は近づきにっこりと笑って鯉の餌を差し出してきた。


「ね。ひな、鯉に餌あげよう?」

「え、う、うん」

「知ってる? 実はこいつら、名前あるんだよ。これが鯉太郎で、あれが鯉次郎、そんであの隅っこにいるのが鯉三郎で……」


 糾卯は嬉々としてひなの傍に付き、池にいる鯉を指さしながら名前を教えて行く。

 この彼女の行動が、厄介事から目を逸らすためにわざと仕向けているとは、ひなにはまだ気付く余裕はなかった。

 そんな二人の様子を横目に、ヤタ達は意見のすり合わせを行う。


「ひなの夢に何かが感化した気配があった」

「えぇ。禍々しい気配だったわ」


 ぐっと声を落として話すヤタに、獅那も小さく頷き返す。


「お前はどう思う? あいつの仕業だと思うか?」

「そうね。確証はないけれど……」


 ヤタは腕を組み、渋い表情を浮かべる。

 思ったよりも早い段階で、阿修羅側からひなへの接触があった。今後も夢を媒介して接触してくる可能性は十二分に考えられる。しかも実際に痕跡を残していくほどの能力だ。下手をすれば、今回のような生易しい痕跡に留まらなくなってくる可能性もある……。


「麟にこのことは報告をしておく。ひなの就寝時の配備は、また追って指示する」

「了解」

「……麟も、あの気配には感づいている。だが夢を介されている今の段階では、俺たちは手の出しようが無い。今しばらくは見守りになるだろうな」

「そうね」


 ヤタは背後で餌をやるひなに目を向けた。

 あまり不穏の中に晒し続ければ、ひなの力が暴走しかねない。もしそうなったとしたら、より鮮明に阿修羅に知られる事になるだろう。今後は以前にも増して用心深く見て行く必要がありそうだった。

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