苦い告白
12月19日現在
ここまで改稿済み
奈落から柔らかい風が吹き、二人を包むように流れる。
ひなの言葉は、麟から音を奪った。
固まってしまった麟を見て、ひなは不思議に思いながらも一瞬息を吸い、視線をそらした。
「私……お母さんのこと、何も知らないんだ」
ひなの視線の先には、暗い奈落の対岸にある街のほのかな明かりが滲んでいる。
「現世からここに帰って来た時、夢を見たの。赤ちゃんを抱えた、女の人。その人がお母さんだって、すぐに分かったんだけど、顔はわからなかった……」
遠くを見つめたまま、何かを言いかけて軽く唇を噛んだ。
「……お母さんね、夢で、私のこと殺そうとしてたの」
「!」
その言葉に麟は息を呑み、浅く息を吐きながら視線を下げた。
彼の様子に、視線を向けたひなは、首を傾げる。
「……麟さん?」
「……いや、何でも、ない」
ぎこちない否定の言葉に、疑問を抱きつつひなは話を続ける。
「でも、できなくて泣いてた。ごめんねって……」
ひなは大きく息を吸い込み、視線を足元に落とす。そして、自分の体を抱きしめるように腕を掴み、その手に力が僅かに込められた。
「謝って欲しかったんじゃない。初めて会うお母さんは、笑っていて欲しかったの。――でもずっと泣いてて……。それが、すごく、悲しかった」
腕を掴んでいる指に更に力を込め、表情を歪める。
「あんなに辛そうに泣くお母さんを見たら、私が産まれたことは、間違いだったのかなって……」
「それは違う……っ」
ひなの言葉に被せるように、強い言葉で否定する麟に、ひなは驚いたように目を開く。
麟は、ひなが自分自身を否定するような発言をする度に、酷く怖がるような反応を見せる。
ひなは、腕を解いて麟の手に自分の手を重ね、落ち着いた声で話しかけた。
「……麟さん、大丈夫だよ」
やんわりと微笑む彼女の表情と口調には、心の揺れが感じられない。
それがわかると、麟は思い出したようにふっと息を継ぐ。
「ただ、ね。お母さんはどんな顔をしていて、どんな性格で……どんな話し方をして、どんな風に笑うんだろうって思ったら、逢いたくなったの」
麟の手に重ねていた手を持ち上げ、その手のひらを見つめる。
「大人になった今なら、私を通してお母さんに逢えると思った。だから、獅那ちゃんにお願いしたんだ」
緩く手を握り込み、微笑んだひなの顔に、面影が重なる。その姿があまりにも似すぎていることに、麟は目を細めた。
「ひな……」
「でも不思議だったのは、なんだか獅那ちゃん、お母さんのこと知ってるみたいだった」
その言葉に、麟はひなの頬にそっと触れる。
「……知っているよ」
静かに語るその言葉に、思いがけずひなは目を瞬く。
「獅那も、八咫烏も……私も、よく知っている」
「ど、どういう、こと……?」
「君の母親は……元々、この世界にいたんだ」
ひなの瞳が大きく見開かれ、瞬間、呼吸を忘れてしまう。
麟を見ていた目が微かに揺れ、瞬きと共に落ち着きなく泳ぎながら、自然と視線が下がる。
「え……でも、なんで現世に?」
「……彼女は何も言わず、突然いなくなった。まるで逆神隠しにあったかのようだったよ」
「それじゃあ、お母さんはあやかしだったけど、現世で人間のお父さんと結ばれて、私が産まれたってこと?」
そこまで考えて、はたとひなの動きが止まる。
――私の罪は私のもの……。
夢の中で呟いた母の言葉が蘇る。もし、仮にそうだとするなら、罪とは?
あらゆる可能性を考えては消えるひなの頭の中は、混乱していた。それでもただ一つ、はっきりの残る疑問がある。
「……じゃあ、私のこの力は、どこからきたの?」
自然と口をついて出た疑問に、麟は静かに答える。
「君の、本当の父親は……別にいる」
「……!?」
麟は口を引き結び、瞼を伏せる。その姿に、ひなは不安に大きく胸が鳴るのを感じた。
咄嗟のことに、言葉が出てこない。
「君に、この話をするのは、正直とても……怖いんだ」
瞳を閉じたまま、苦し気に語る麟に、ひなは一度口を引き結ぶ。
麟は緩慢な動きで視線を上げ、そんなひなを見ると息を短く吸い込む。
「どんな話を聞いても、驚かないか?」
その問いに、ひなは瞬間唇を噛み、視界を彷徨わせた。
「……わからない。けど、聞かなきゃいけないと、思う」
ひなは緊張から、ごくりと喉を鳴らす。
自分のルーツを知ることは、怖い。それでも、知らないままにしていてはいけないと、漠然と感じていた。
ゆっくりと視線を上げたひなの目は、覚悟を決めたように麟を見据える。
麟はそんなひなを見つめ、小さく顎を引く。
「……君の母親の名は、雪那というんだ」
「雪那……」
「私が名付けた。彼女は、とても聡明で、慈愛に溢れた人だったよ」
ひなは、夢で見た母の姿を思い浮かべる。
麟のいうように、悲しみに打ちひしがれた心とは裏腹に、自分に向けられた想いだけはとても深い愛情に満ちていたことを思い出す。
「……私、お母さんに似てる?」
「今の君は、とてもよく似ている」
そう教えられ、どこかほっとしたような表情を浮かべ、ひなは小さく微笑んだ。
「そっか……。やっぱり、似てるんだ」
胸の奥が、切なく疼くのと同じくらい嬉しさに震えた。
一度も会ったことがない母との唯一の接点。それがひなにとって心の支えになる。
僅かに頬を緩ませ、そっと喜びを噛みしめているひなとは相反し、麟の表情は変わらず固い。膝の上に置いていた手に、無意識に力が籠ってしまう。
それに気付いたひなが顔を上げると、麟は視線を横へそらす。
「麟さん……?」
「……彼女は、幽世に来た時点で極楽行きが決定していたんだ」
「……うん」
そこまでいうと、麟は視線を手元に下げ、一瞬息を詰めた。
言いにくそうにしている彼の様子に、ひなはただ首を傾げるしかない。
「だから、私は……」
麟はそこで一度言葉を切り言い淀む。
目を閉じて息を大きく吸い込み、覚悟を決めたようにひなを真正面から見つめる。
「私の、伴侶にと……彼女を選んだ」
ひなは驚いて彼の顔を見上げる。すると不安に目を細めて見下ろしてくる視線がかちあった。
驚愕のあまり言葉が出て来ず、代わりに顔が青ざめていく感覚を覚える。
「そ、それじゃ……」
整理がつかない頭で必死に考えたが、どう考えても、その答えにしか辿り着かない自分に、酷く困惑した。想像の斜め上をいく麟の回答に、視野と思考が狭まっていく。
「……え、っと」
ぎこちなく席を立ちあがる。無意識に麟との距離を取ろうとして、よろめきながら後ずさりをすると、麟が弾かれるように立ち上がった。
「ひなっ!」
麟は慌ててひなの手を掴み、自分の方へと引き寄せる。
あわや、背後の手すりに辺り足を滑らせるところだった。だが、今のひなにはそんなことを考える余裕がなかった。麟の腕の中にありながらも、頭の芯が痺れているような感覚が拭えず、目を見開いたまま硬直してしまっている。
胸の中に芽生えていた気持ちが、本来抱いてはいけない想いだったのかと、激しい動揺に思考回路がうまく働かない。
固まってしまっているひなに、麟は腕を解いて彼女の肩を掴み、固く目を閉じて首を横に振る。
「違う」
「……?」
「君が考えているようなことじゃない。彼女は、私と祝言を上げる前にいなくなったんだ。だから……父親は、私じゃない」
「……え?」
何度驚いたことだろう。それは一体どういうことなのか、ひなはますます理解ができず麟を見た。
必死な麟の顔を見つめていると、止まりかけていた思考回路がゆっくりと働き始める。
――お母さんは、夢で「罪」だといっていた。
ひなは、上げていた視線をゆっくりと下げ、険しい顔を浮かべる。
――麟さんと夫婦になるなら、幸せだったはず。でも、お母さんは……。
そう考えだすと、無意識にも体が震え始めた。
顔を伏せたまま麟の腕を緩く掴む。
「お……お母さんは、夢で、罪を犯したといっていたの」
「……」
「麟さんのお嫁さんになるって、決まってたなら、それは、凄く喜ばしいことであって、罪にはならない、でしょ?」
「……あぁ」
「麟さんと、お母さんは、お互いに好き合っていたんでしょ?」
「……あぁ」
「じゃあ、罪って……どういうこと?」
麟の着物を掴むひなの指は、力が入らず冷たくなっていた。




