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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第二章

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不安の音

 街は、相変わらずの賑わいだった。だが、子供の時にきた時とは顔ぶれが少し変わっている。


「あれ? 前に見た人たちがいない……」

「この街は、奈落に向かって少しずつ移動しているんだ」


 麟の言葉に、ひなは不思議そうな顔を浮かべる。


「いつまでも同じ場所に居続けることで、精進する気持ちに緩みを持たせるわけにはいかないからね。……時間は、有限。そうだろう?」


 彼の言葉に、どきりとした。

 時間という概念の大切さを身に染みて分かっているひなは、小さく頷き返した。


「少し、歩こうか」


 麟はひなの手を改めて握り直し、ゆっくりと街中を歩きだす。

 ひなは足元に気をつけながら、履き慣れない草履と着物に気を取られながらも、前をいく麟の背中を静かに見つめた。

 賑わう街並みを歩き、麟から手渡された飲み物を受け取ると、奈落の傍にある広場の長椅子に腰を下ろす。


「深い……」


 ひなは椅子に座ったまま、手すりで囲われた奈落を覗き込んだ。

 街は巻貝のような形をしている。大きな円状になった中心にぽっかりと大きな口を開けた奈落。よく見れば、街はその奈落の底を目指しているように見えた。


「この穴の先に、最終審判の門がある」


 麟もまた、ひなと同じように奈落を見つめた。


「最終審判って、どんなことするの?」

「十三王の裁きを順に受けることになる。最終的に、閻魔が采配を振るんだ」


 ひなは穴の先を見つめたまま、思わず息を呑む。

 こうして見つめていると、まるで呼ばれているような感覚に陥り、吸い込まれてしまいそうだった。


「……そういえば、こうやって麟さんとお出かけするの、ずいぶん久し振りな気がする」


 奈落から慌てて視線をそらしながら、ひなは話の矛先を変えた。


「ひなには、だいぶ時間が経っているように感じるだろう」

「うん……。でも、麟さんはそうじゃないよね?」

「そうだね……。ほんのわずかな時間で、軽々と抱き上げられたはずの子が大きくなったことには、少し戸惑いはあるよ」


 困ったように笑う麟に、ひなもまた笑って返した。そして、手にした飲み物の水面を見つめ、容器の縁を親指でなぞる。


「……私、ずっと麟さんと同じになりたかったんだ」

「?」


 ぽつりと呟いた言葉に、麟は不思議そうな顔を浮かべる。ひなは、水面に映る自分を見つめている。その横顔は、どこか憂いが籠っている。


「ここは、魂だけが来る世界で、私は実態を持ったままここにいる……」


 その言葉を聞いた瞬間、麟は肌が泡立つような感覚を覚えた。


「麟さんと同じになるには、一回死んでこなきゃいけないのかも……って」


 ひなの話が途切れるよりも先に、麟の体が動いていた。

 伸びた手はひなの体を掻き抱くように抱きしめる。

 突然のことに目を見開いたひなは、手にしていた飲み物をその場に取り落とし、目を瞬く。


「り、麟さん?」

「……そんなことは、間違っても言わないでくれ」


 感情を抑えたような声で囁く麟の声に、ひなの知らない麟の心の傷に触れた気がした。


「ご、ごめんなさい……」


 戸惑いながら謝り、麟の着物の袖を小さく掴む。


「そんなに、取り乱すって思わなかった」

「……」

「ただ、違うなって思って……」


 麟はひなを抱きしめる手に力を込める。


「違わない」

「え?」

「何も違わない。君の居場所はここに……ある」


 抱きしめていた腕を解き、麟はひなの手を掴んで自分の胸元に引き寄せる。ひながそれを追うように視線を上げると、僅かに目を見開いた。

 いつも穏やかな笑みを湛える麟が、今にも泣きだしそうな表情をしている。

 そんな顔を見るのは、初めてだった。


「麟さん……」

「君は納得したから、あの時、この世界の食べ物を口にしたのだろう?」


 麟のあまりに必死な表情に、ひなは言葉を呑んだ。


「うん……。初めて桃を貰った時、だよね」


 ひなが納得したように頷き返すと、麟はようやく肩から力を抜いた。

 麟は掴んでいたひなの手をゆっくりと解き、まだどこか不安げに彼女を見た。その視線から逃れるように、僅かに俯いたひなの髪の一部がはらりと顔にかかった。

麟はそっとその髪をひなの耳にかけると、僅かに視線が上がる。


「……今日は、どうしてその恰好をしようと思ったんだ?」

「え?」


 思いがけない質問に、ひなは麟を見た。


「いつもの君とは違う。そうしようと思ったのには、何かわけがあるんだろう?」

「……」


 ひなはそう訊ねられ、視線を泳がせながら顔を下げた。


「……お母さんに、逢いたくなったの」

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