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桜の夢路 〜守れなかった願いが導く異界譚〜  作者: 陰東 紅祢
第二章

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闇

「君の、本当の父親は……」


 一度そこで言葉を言い淀んだ。唇を噛み、両の手に力が込められる。


 ――なぜ、そんなに辛そうな顔をするのだろう?


 ひなは、麟の僅かに滲む後悔の色を見た。


「君の父親は――阿修羅と呼ばれる、戦(いくさ)神(がみ)だ」


 喉の奥から絞り出すように、呟く。


「……阿修、羅?」

「ひな……。雪那のいう罪とは、一つではないのだろうと思う」


 麟の言葉に、ひなは止まりかけた思考を働かせる。

 自分の父親は、阿修羅という戦神で、雪那は母親で……。罪が、一つではない?

 夢で、自分の胸を貫くはずだった短剣の意味は……? 

 生まれつき持っていた、この危険な力の意味は……?

 自分の知る情報の点と点に、じわり……と線が浮き上がり、繋がり始めていく。


「……っ」


 ひなは顔を歪ませ、口元に手を当てる。


「お母さんの、罪って……」


 声が震え、はらりと頬に涙が滑り落ちた。


「……本当に、罪なの?」


 胸に突き上げてくる感情は、声を詰まらせる。

 愛情深い母が最期まで罪だといって疑わなかった行動のすべては、ひなにとっては苦しいものでしかなかった。


 ――それが、愛でなく、なぜ罪になるのだろう?


 零れる涙もそのままに、目を閉じて顔を伏せるひなの肩に、麟は手をかけた。


「……ひな」

「……っ」

「私は、これを知ることで、君まで去って行ってしまうかもしれない。それが怖いんだ……」


 麟は背を丸めて泣き崩れるひなに、覆いかぶさるようにして抱きしめる。

 二人はしばらくの間その場で言葉を交わすことなく、胸の痛みに触れていた。


***


 ゆるゆると風が吹きつけてくる。

 ひなはぼんやりとした頭で、手すりに手をかけて奈落の底を見つめていた。

 あの後、「一人になりたい」といって麟の傍を離れ、一人誰もいない広場の片隅に建っている。

 何を考えるわけではなく、ただ目の前の景色を眺めていた。


「……ひなさん?」


 ふと、背後から声がかけられ、ひなは緩慢な動きで振り返った。するとそこには、風呂敷の包みを持ったマオの姿がある。


「どうされたんです? 麒麟様と一緒ではなかったんですか?」


 マオは心配そうな顔を浮かべて近づいて来る。

 ひなは彼女が誰なのかを、すぐに思い出せずにいた。だが、彼女の目を見た瞬間に目を見張った。


「え……と。ちょっと、一人でいたくて……」

「まぁ……」


 少しずつ近づいて来る彼女の、無言の圧力。

彼女昔と変わらない圧倒される強い眼差しに、ひなは無意識に緊張してしまう。


「ここでの暮らしはいかがです?」

「あ……え、と。凄く、過ごしやすくて、快適です」


 たどたどしく告げるひなの言葉に、マオのこめかみが一瞬ぴくりと反応する。


「――でしょうね」

「え?」


 マオが口の中でぼそりと吐いたその言葉に、ひなは首を傾げる。しかしマオは口元に笑みを浮かべた。


「それは良かったですわ。あなたみたいな、実体のある人間が来るなんて今まで一度もなかったので、もしかしたら暮らしにくいんではないかと心配してましたの」


 棘のある物言いに、ひなは言葉が出てこない。

 マオが隣に並ぶと、途端に居心地の悪さを覚えて、ひなは手すりから手を放した。


「あの、私、もう戻りま……」

「あなた、本当に雪那さんにそっくりですのね」


 この場から離れようとすると、被せるように母の話を出され、ひなは思わず足を止めた。麟たちが知っているのだから、彼女が知らないはずがない。だが、突然その名前が出てくることに驚いてしまった。


「お母さんを、知ってるんですか……?」

「えぇ。よく存じてますわ。だって、麒麟様の元花嫁候補でしたもの。それに……」


 何かを言いかけて、マオは目を細め、ひなを見る。

 怪訝な顔を浮かべるひなに、小さく笑った。


「……雪那さんが麒麟様の元を去った理由、ご存じ?」


 その言葉に、ひなの心臓が跳ねる。


「マオさんは……知ってるんですか?」

「えぇ。だって彼女、私の目の前で落ちてしまったんですもの」

「落ち、た?」


 探るようにひなが聞き返すと、マオは表情を曇らせて悲しそうに瞼を伏せ、ひなから僅かに視線をそらした。


「えぇ。私がお傍にいたのに、何のお役にも立てなくて……」


 声を震わせながら口元に手を当て、ちらりと横目でひなを見る。そして無言で手を持ち上げると、後ろの奈落を指さした。


「雪那さん、落ちてしまったんですの……丁度、そこから」

「!」


 語尾の言葉の低さに、ぞくっと寒さを覚える。ひなはぎこちなく、指を指された背後の奈落を振り返った。


「あの日はとても人が多い日でしたわ。一緒に街を見て回っていたんですけど、少しそばを離れた隙に……」


 着物の袖で涙を拭う素振りを見せるマオの唇がわずかに動いた。


「人が多い日はあまり奈落の傍に近寄らない方が賢明ですわ。もし万が一……ねぇ?」

「……ご、ご忠告、ありがとうございます」


 ひなはこの場を離れようとして、マオに背を向ける。


「あら、お待ちになって?」


 突然、手首を掴まれたひなは露骨に体を強張らせ、掴まれた手を強く自分の方へ引き寄せる。

 ビクともしないマオの掴む手の強さに、ひなは彼女を見た。その瞬間、ひなは息を呑む。

彼女の表情は穏やかなのに、目だけが冷ややかだった。


「そんな怖がらないでくださいな。私もさすがに二度も同じ場面に遭遇したくありませんもの。……それより、少し私と街を散策しません?」

「い、いえ……」


 ひなが後ずさりをすると、マオの手に更に力が込められた。


「あぁ、駄目ですわ。そちらには近づかないでください」


 手首に痛みが走り、ひなは思わず顔を顰めた。


「……マオ?」


 その時、ひなを気にして近づいてきた麟が声をかけてくる。その途端、マオはひなから手を放した。

 手を放されたひなは、そそくさと着物の袖に自分の腕を隠し顔をそらす。


「麒麟様」

「こんなところで、どうしたんだ?」

「いえ。ひなさんが奈落の傍にいらっしゃったので、昔を思い出してしまって……。いてもたってもいられず声をおかけしたんですわ」


 マオはそう告げると、何事もなかったかのように頭を下げた。

 麟からは見えない角度で、ひなの傍を通り過ぎるマオの口元の端が引きあがっている。


「ひな……大丈夫か?」

「……う、うん」


 ひなは力なく笑うが、再び視線が下がる。


「もう戻ろう。顔色があまり良くない」

「はい……」


 麟と共にひなは歩き出したが、もう一度背後を振り返った。その瞬間、生暖かい風が吹き、ひなの頬を撫でていった。

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