収穫祭〜her best festival〜 前編
いまだに名も知らない異世界にも秋が訪れた。森の衣も変わり始めており、もう半分ほどは橙色に染まっている。
季節の変わり目を眺めていると時間の経過を実感するが、この世界に来たのはせいぜい『少し』前で、振り返るのには早すぎる。土人形の生活はまだまだ続くのだ。
『……おはようございます』
土人形のアァリは片目を指で擦りながらリビングへと向かった。起きた瞬間にわかった。寝坊だ。
リビングではテーブルの定位置にレムゥドが座っていた。アァリに気づいた彼の顔が上がる。
『おはよう。昨日は遅かったの?』
『いえ、特に。すぐに朝ごはんの用意をしますね』
この館の主人であるレムゥドは近隣の村では『土くれの魔法使い』の異名で呼ばれているれっきとした魔法使いだ。見た目は巨大な動物のようだが、実際には常に冷静さを保った知的な大人だ。人の倫理観から少しズレた言動をすることがあるのが玉に瑕だが。
食べることが好きな彼は底なしの大食いで、アァリの料理を興味深そうに味わってくれるので作りがいがある。館には二人で住んでいるが、調理はいつも大家族を相手にしているかのように忙しい。
『——っと』
アァリの手からバターナイフがすり抜け、床の上に転がった。拾い上げて水ですすぐついでに目覚ましにとそのまま水を手の平に貯めて一口飲んだ。
寝坊したのは今日が初めてだが、実のところ日に日に起床時刻がだんだんと遅くなっていた。就寝の時刻は変わらないので、おそらく疲れでも溜まっているのだろう。先日も掃除の最中に水の入ったバケツをひっくり返してレムゥドを驚かせた。
『寝ぼけてる場合じゃない、今日は大事な日なんだから!』
村に入るやいなや活気がいつもと全然違う事を感じた。老若男女、この村に住むほとんどの人がせっせと作業の準備に追われている。
アァリは行き交う人に挨拶をしながら人の群れの中を歩いた。挨拶は返してくれる人もいれば、ただ白い視線を向けるだけの人もいた。挨拶を返してくれる人も相手がアァリだとしっかり認識している人と反射的に応えているだけの人に分かれる。
不意に向こうから先に挨拶をされ、アァリもしっかりと相手の方を見てから返した。声をかけてきたのは普段から作業を共にすることの多い青年だった。
この世界では会釈の文化がないので、アァリは代わりに笑顔で小首を傾げる。
「あの、ミリアさん見ませんでしたか?」
「ミリアなら向こうの方にいるぞ。そういえばミリアもアァリの事を探してたみたいだったな」
「えっなんだろ? 直接訊いてみます。ありがとうございます」
感謝とお辞儀がセットで刷り込まれている体が無意識に動いた。あっ、と顔を上げると青年は笑いながらアァリのお辞儀の真似をしていた。照れ笑いでその場をやり過ごしてアァリはミリアの所へ急いだ。
「おはようございます! ミリアさん!」
「あっ、おはよう。アァリ」
ミリアは農具を収納する倉庫にいた。今日使用する農具の点検をしているようだ。
「あれ? ミリアさん、顔色あまり良くないですね」
「あー、今日が楽しみでね。昨日あまり寝られなかったの」
「ミリアさんでもそんなことあるんですね。ボクも今朝は寝坊しちゃって」
意外とは思いつつ、アァリはうんうんと頷いた。
なにせ今日は村の作物の大収穫という一大イベントがあるのだ。アァリはもちろん初参加だが、周囲から「この日の為に一年頑張ってる」と散々聞かされていたので胸が躍ってしまう気持ちは充分に理解できた。
「今日はよろしくお願いします。それであのー、ロミルさんってどちらに?」
「あんたたち……、まだあれから会ってないの?」
『あれから』というのは先日のアァリの偽物(正確に言えば偽物ではないのだがミリアにはそう説明してある)が出現した日だ。
あの後ミリアにはすぐに事情を説明して、一応は彼女も納得したようだったが、あの時の彼女の物憂げな表情を見るに『偽物が吹聴した嘘』では片付けられない何かがあったらしい。
記憶に無い自分(?)の失態はロミルも被害を受けたらしく、一度彼の視界に入ると露骨に避けられ、話す機会を作れない状態だった。
「ロミルには私からも説明しといたから変に誤解したままってわけじゃないと思う。あいつとあの子がなに話したのか詳しくは知らないからたぶんになるけど」
「わかりました。ロミルさんも話すタイミング逃してるだけかもしれませんし、ボクから近づいてみます」
「ごめんね。そうしてやって」
苦笑したミリアの顔が一瞬だけ逡巡し、彼女はもう一度アァリに視線を合わせた。
「ごめんアァリ、今日の収穫が終わったらまた私に会いに来て。話したいことがあるの」
ミリアの神妙な面持ちを汲み取ったアァリは二つ返事で了承した。
「いやーごめん、なんか顔合わせづらくて。よくわからなかったけど一応ミリアから話は聞いたから。あれはアァリの偽物だったんだよね? よくわからないけど。大変だったねよくわからないけど」
あ、これ細かい所全部端折ったやつだ。
早口で捲し立てられる話はたぶん彼自身も何を言っているのかよくわかっていない。面倒になったのか始めからねじ伏せるつもりだったのか。ミリアの雑な仕事ぶりにアァリは苦笑いを浮かべるしかない。
「まぁ、でもあれがボクじゃないってわかってくれたならいいです。あれに言われたことは全部忘れちゃって大丈夫ですから」
「うん……それはわかってるんだけどね……」
煮え切らない返事はロミル自身が『あれ』とのやりとりを忘れようとしていないことを示唆していた。本当に何をしたんだアイツは。
自分の発言で場の空気を悪くしたと思ったのか、ロミルは慌てて別の話題を切り出した。
「今日の収穫はアァリ初めてでしょ。俺と一緒にやろうか」
「いいんですか⁉︎ 実はさっきから誰の手伝いをしたらいいのかわからなくて困ってたんです」
「全然いいよ。ミリアにも頼まれてるし」
どうやらミリアはアァリとロミルが話せるように取り計らってくれたらしい。ロミルへの説明は雑だったがこういう気の利かせ方は彼女の人となりが出ている。
大収穫は村の総力を挙げての作業となる。
秋が終われば冬が訪れ、農業での自給自足で成り立っているこの村はその間新たな供給は望めない(動物の狩りも行うがあまり芳しい成果は出ないらしい)。過酷な冬を乗り越える為に食料となる農作物を貯蓄するのがこの大収穫の目的だ。
作物はすべてこの時期に収穫し切れるように調整して種を蒔いているので、畑には様々な種類の野菜が潤潤と実っている。現代っ子のアァリからすれば農業機械もビニールハウスも使わずにここまで成長をコントロールできるのが不思議でならない。
「牛とか動物は冬の間どうしてるんですか?」
「いつも通りだよ。寒さには強いからさ」
へー、とアァリはサツマイモを掘り返しながら相槌を打った。サツマイモの茎を引っ張って地下茎を引っこ抜くお馴染みの収穫は村の子ども達が率先して行い、アァリが攫っているのはその取り残しである。
「おっ、アァリが今掘ってるやつ大きそうだね」
「残り物には福があるんですよ。まあ、最終的には全部採るんですけど」
無事、大物を発掘したアァリはその重みに笑みをこぼした。その姿も立派だが味もまた格別に違いない。特に、焼き芋にした時にはどれだけ甘くなるのか。
焼き芋を頬張るレムゥドを想像し、少し分けて貰えないだろうか? とアァリは別れを惜しみながら大物を収穫カゴへと入れた。
ふと近くで力任せにシャベルを地面に突き刺している子どもが気になった。狙っているサツマイモがある訳ではないようで、他の人の見様見真似でひたすらに地面を穿っている。あれでは地中のサツマイモを傷つけかねないし、何より手つきが危なっかしい。
見ていられなくなったアァリは堪らず声をかけた。
「ねぇ、それじゃ危ないよ。物は大事に使わないと」
「なんで?」
正論にそんなカウンターをぶつけてくるとは。まったく無知というのは恐ろしい。
しかし正論を叩き込むだけが教育かと言われるとアァリも疑問が生じるので、しばし無垢な質問へどう答えようかと頭を捻ってみる。
「物にはね、付喪神っていって神様が宿ってるの。そのシャベルにもちゃんと神様がいるから、そんな風に使ってるとかわいそうでしょ? だから大事に使ってあげないといけないんだよ。あとは、単純に君とサツマイモが危ない」
「は? 意味わかんない」
幼児はあんまりな感想を残してどこかへ行ってしまった。残ったアァリは固まり、地面に突き刺さったままのシャベルが哀愁を誘う。
報われたかったわけではないので別に問題はない。……ないのだが、扱いに困る感情がアァリの中で大きくなっている。
「気にしないのが一番だよ」
密かに二人のやりとりを見ていたらしいロミルがエスパーかと思うほど的確にアァリを慰めた。
「……無かったことにしてもいいんでしょうか」
「たぶんあっちはもう覚えてないよ」
「そうですか……そうですよね、きっと……」
「俺は結構感心したよ。アァリは変わった考え方するんだなーって」
傷口に染みるロミルのフォローに感謝しつつ、アァリは気になったので話を繋げてみた。
「この辺の地域には付喪神の考え方はないんですね。庶民的な神様なのでもしかしてとは思ったんですが」
「うーん、無いね。そもそもその『カミサマ』ってのが何なのかわからないし」
予想外の回答にアァリは怪訝な顔をした。
「神様……を知らないんですか? ゴッドですよ? あの世界を創ったり、なんか、すごいことするあの存在を」
「知らないなぁ、っていうかそんなすごい事する人がほんとにいるの?」
「それはボクにもわからないんですけど……」
ロミルの反応はとてもあっさりとしていて、普段アニメや漫画を観ない人にその手の話題について説明している時のようだった。
どうやらこの世界は魔物はいても神のような存在はいない世界観らしく、アァリの世界では常識中の常識といってもいいほどの知名度を誇る存在だが、創作物や宗教などに触れていなければこういうケースもあり得るのだろう。
この宗教に無垢な状態につけ込み、レムゥドを神として祀れば人との交流も案外上手くいくのでは? とアァリはふと思いついた。大地のエネルギーを操り、ここら一帯を毎年豊作が約束される肥沃な土地に変えられる彼には地母神としての素質は十分にある。
我ながら下衆い考えだが現実的な案である。思わぬ収穫にアァリは悪どい笑みを浮かべた。
自分の世界に入っていたアァリにロミルが声をかける——と同時に、がなるような声が浴びせられた。
「邪魔だよ! どけ!」
「あ、すみません……」
通行の妨げになっていたと思ったアァリは身を寄せて通路を確保した。それでも人一人が通るにはやや狭く、アァリの背後を通る男の足が背中を擦る。
「チッ、なんで部外者がいんだよ」
露骨に吐かれた悪態には聞こえないフリをして、足音が遠ざかってからアァリは男の姿を確認した。
話したことはない、しかし何度か見かけたミリア達と同年代の青年だった。
「アァリ、ごめん。大丈夫だった?」
「ええ別に。ていうかロミルさんが謝らなくても」
「いや俺が悪いんだ。あいつとアァリを会わせないようにしないといけなかったのに」
珍しくロミルが鋭い目つきで青年の方を睨んだ。今朝、彼が作業を一緒にやろうと誘ってくれたのはそういう都合があったかららしい。
「で、あの人はなんですか?」
「名前はダジ。この村のまとめ役の息子だから態度がでかいんだ。親が偉いからって俺らのことも仕切ろうとするんだけど、実際仕切ってるのはミリアだからミリアと仲良い人にはいつもあんな感じなんだよ」
要するに親の七光りか。初対面の印象からアァリはダジに辛辣な評価をした。
親が例のまとめ役ということは、先程の悪態もミリアの事を抜きにして、アァリ個人への悪意で行ったのだろう。
ロミルの説明を纏めると、親の排他主義を濃く継いでいるダジとアァリの遭遇は普段はミリアによって避けられていた。しかし村人が総動員され、作業に忙殺されるこの大収穫では完璧に防ぐことは難しい。そこでロミルが万が一の為の見張りについたとの事だった。
「何かあるとすぐ親の事持ち出してさ、他人には当たりが強いくせに自分には甘くて自己中で——」
「ロミルさん。もういいですよ」
止まらないダジへの陰口は個人的な因縁があるのを想像させるが、大体の察しはつくのでその内容は伏せてもらう事にした。たぶん途中からミリアが出てきて惚気話が始まる。
アァリは地面に突き刺さったシャベルを回収してサツマイモの収穫を再開した。
収穫は量が量なので忙しく、それでも楽しい時間だったのでダジに悪態をつかれた事はいつの間にか忘れていた。
、、、
収穫作業の終わりを告げる鐘が村に鳴り響き、周囲の村人は後片付けを始めた。
太陽の位置を確認したアァリはロミルに尋ねた。
「もう終わりですか? まだ明るいですよ?」
「今日は終わりだよ。一日で収穫し切れる量じゃないから残りは明日。でもまだ帰れないよ。道具を片付けたら今日収穫した分を保存する準備が始まるから」
「了解です」
返事をしてアァリも後片付けに取り掛かる。村人総出で収穫しているとはいえ、機械などを一切使用していないので一日で終わらないのは仕方がない。それでも二日で収穫が完了する事にアァリは驚いた。
「おお……野菜がいっぱいですね」
本日の作業の成果を目の当たりにしてアァリは当たり前の感想を述べた。捻りのない感想だが、八百屋でもない場所でこれだけの物量を見たら率直な感動がまず出てくる。
色とりどりの野菜が並べられた光景はまるで鮮やかな絨毯のようで、ゆっくりとその色彩を眺めていたアァリは立派な南瓜の前で足を止めた。
硬い果皮を指でなぞり、持ち上げてみると、重心が持っていかれそうになる。アァリはニヤニヤしながらもう一度緑色の果皮を撫で回した。
「かぼちゃだぁ……!」
「なにその今日初めて見たみたいな反応?」
くすくすとロミルが笑いながらからかってくる。
「いやわかってますよ、途中参加ですけど育ててたんですから。でもこうして成長して、収穫してみると感慨深いじゃないですか」
今までお店に陳列されている状態のかぼちゃしか見た事がないアァリだからこその感動がロミルに伝わるわけがない。なぜならロミルは昔からこの光景に見慣れた『生産者』だからだ。
アァリの感動は『生産者』の背景について無知だったからこそ感じているもので、新たな体験ができた嬉しさと同時に、アァリは忸怩たる思いも感じていた。
「……?」
アァリは体を静止させ、ふと感じた違和感に全神経を集中させる。しばらく様子を見て、近くのロミルに確認をとった。
「……今、揺れませんでした?」
「ん? 揺れって、何が揺れたの?」
「地面です。わずかですけど揺れませんでした?」
「そう? 全然わかんなかった」
呑気に笑っているロミルを見てアァリも真剣な顔を崩した。例え気のせいではなかったとしても、気に留めるほどの地震ではないのは確かだった。
「アァリはよくわかるね。地面が揺れるってどんな感じなの?」
「えっ、地震を経験したこと無いんですか?」
「うん。地震って名前も初めて聞いたよ。……待って、そういえば前も何度か揺れてたかも」
ロミルの呟きと似た話を以前にも聞いたような気がした。ロミルは世間話程度のノリで話しているが聞いているアァリは胸がざわついて仕方がない。
(杞憂だといいけど……)
こんな独白を思うと、その万が一が起きてしまったりするのは重々承知しているが思わずにはいられない。
せめてその災厄が自分にだけ降りかかればいいのに、とこっそりアァリはいるかもわからない神様に願った。
、、、
本日の作業が完全に終了し、解散となった。
それぞれの家路に着く人の流れをかき分けてアァリはミリアの姿を探していた。
「ミリアさーん? どこですかー?」
「——こっちよ」
急に背後から掛けられた声に振り返ると、そこにはミリアがいた。
「全然気づきま——」
「静かに。ついてきて」
アァリは口をつぐんで頷いた。普段から冷静な彼女だが今日はまた一段と、それこそ怖いくらいに落ち着いているように見えた。
ミリアに案内されて辿り着いたのはとある建物の裏だった。本当に何もない場所で、人目を避けたくてここが選ばれたと思われた。ミリアの雰囲気といい、何か踏み込んだ話が始まる予感にアァリも緊張感を帯びていく。
表情が硬くなったアァリを見て、ミリアは相好を崩す。
「そんな緊張しなくていいわよ」
「すみません……」
「もう、しょうがないわね」
ミリアはしゃがみ込み、子どもと話す時のように目線の高さをアァリに合わせた。
改めて間近で見る彼女はとても綺麗な顔をしていて、田舎生まれの田舎育ちなのに都会の垢抜けた女子と張り合える容姿というのは反則だろう。彼女の魅力はその外見だけではなく、竹を割ったような明朗な性格で判断力にも優れる上に気立も良い。アァリも何度も助けてもらっている。
「なに急によそよそしくなってんのよ」
「いえ、別に」
『なんとなく異性として認識してみたら直視するのが難しくなった』とは言えず、しかし今のミリアに嘘が通用するとは思えなかったアァリは別の言葉を探した。
「えっと、ミリアさんはボクにとって、何て言えばいいんだろ? 理想の……お姉さん? でして」
「ふーん、ちょっと意外だったわ。まさかあんたにそう思われてるなんてね。まあでも、——気が向いたら呼んでいいわよ」
「え?」
「だから、私はあんたの理想のお姉ちゃんなんでしょ? だから……いいや、本題に入りましょ」
「あっ、はい」
なにか食い違ってるような気がするが、ミリアの本命とは無関係らしいのでアァリもひとまずは忘れて彼女と向き合った。
「明日の収穫が終わった後に何があるか知ってるわね?」
「はい。収穫祭ですよね」
無事に収穫を終えた事への感謝と日頃の労働への労いを兼ねて明日はパーティが催される。収穫祭といってもアァリが元いた世界のものとは違い、宗教や観光事業の意味合いは無いため、強いて言えば忘年会に近い。アァリに忘年会の経験は無いが。
「その収穫祭にアァリも出てほしいの」
アァリは目を丸くした。収穫を手伝いには来ているものの、まだ村人から余所者扱いされているアァリには収穫祭は無縁の話だと思っていた。
「そこであなたの正体をみんなに話したい」
今度は目が点になった。耳を疑い彼女を窺い、やっと聞き間違いでも冗談でもないと理解する。それは理解できたが、ミリアの言う『正体』とは一体何の事だろうか。
「ボクが土くれの魔法使いの弟子だって話なら、あれは……」
『アァリは土くれの魔法使いの弟子』。ミリアに伝えているレムゥドとの関係はそのようになっているはずだ。でもそれは真実をぼやかしたアァリの嘘で、その旨はミリアも知っているはずだ。
窺うようにミリアを見ると、彼女の目が据わっていた。心臓の辺りがきゅっと締まる。
「私もう知ってるの。あなたは『土くれのアァリ』なんでしょ?」
「……ッ⁉︎」
知っている。
カマをかけているわけでもなければ、答え合わせですらない。アァリが人を模した『土人形』だという事は、いつの間にか彼女にとって既知の事実になっている。
「……いつ、どうやって知ったんですか?」
「この前あの子から聞いたの」
「ああ……そっか、考えてみればそうですね……すみませんでした。今まで言えなくて」
ミリアは小さく首を横に振った。正体を隠していたアァリを責めようとはしないその優しさに甘えて、アァリは言い訳を始めた。
「人じゃないのがバレるのが怖かったんじゃないんです。魔法使いと人の中間みたいなボクにしかできないことがあると思って、その為には人じゃないって偏見持たれるのはまずいと思って隠していたんです。ボク自身は自分のことを人だと思ってるんですけど、人の言葉を話す魔物じゃないのかって言われると否定できないですし……」
「そう、難しい立場にいたのね。でもアァリの気持ち、わかる。私はその偏見と戦ってるんだもの」
寄り添ってくれる彼女の優しさは純粋に嬉しかった。しかしどこか、アァリを逃さないように囲い込もうとしているようにも感じた。
「大丈夫、でしょうか? ボクにもやりたいことがあるので失敗はしたくないですし、正直怖いです」
この村とレムゥドの確執を知らないアァリにはミリアが壊そうとしている悪習の厄介さが想像つかず、この大勝負に勇気だけで踏み切るのは簡単な事ではない。
「アァリの味方になってくれる人だっているじゃない。パンケーキだって大人気よ、心配しないで」
ミリアの言葉でロミルの呑気な笑顔が思い浮かんだ。いつもは情けない所が目立つ彼だがこんな時には仲良くなれてよかったと心から思える。
頼みがあるの、と優しく囁かれた。
「土くれの魔法使いの名前教えてくれない?」
「名、前……」
逡巡したのは言うかどうかを迷ったからではない。この世界ではアァリと彼の二人しか知らない『彼の名前』。それをついに他の誰かに教える日が来た。ただそれだけの事に胸が震えた。
「レムゥド——です。あの人の名前はレムゥド」
「レムゥド……」
確認にミリアが復唱をした。彼女の口から彼の名前が出たことにアァリは口の端を緩ませた。
「いい人なんですよ! 優しくて面白くてかっこ——いいかな? あと魔法もすごくて! ボクの料理もいっぱい食べてくれて! あとその、ボクをかわいがってくれるんです。怒られたこともないんですよ!」
「ああ、うん、わかったから落ち着いて。ね?」
「ご、ごめんなさい……」
つい調子に乗って話し過ぎたアァリは耳まで顔を真っ赤にして顔を伏せた。
「そろそろロミルがみんなを呼んでくるから続きはまた後で聞くわ。ごめんね」
「え? 誰か来るんですか?」
まだほんのり赤い顔を上げて、アァリは周囲を見やった。
「まだ来ないわ。安心して、リハーサルみたいなものだから。まさか収穫祭でいきなり発表すると思った?」
しばらくしてロミルが連れてきたのは村人の中でもアァリに好意的に接してくれる面々だった。
ロミルを含めて何の為に集められたのかは知らされていないらしく、皆揃って怪訝な面持ちだった。
「用ってなんだよミリア。収穫したもんの取り分にまた文句言いに行くのか?」
最初に口を開いたのは今朝アァリに声をかけてきた青年だった。
「それは今年はなし。ちょっとみんなに話があるのよ。ここにいるアァリについてね」
声はあがらなかったが彼らが動揺したのをアァリは感じた。この村でアァリがどう扱われているかを知っているからこその反応だ。
アァリの肩にミリアの手が乗せられ、小さな声で「あとは任せて」と呟かれた。頷いたアァリは口を閉じて彼女に託した。
「今まで黙っていてごめん。アァリはただの子どもじゃないの。でもそれを話すにはみんなとアァリが信頼できる関係を作る必要があって、それでこんなに時間がかかったの。本当にごめん」
謝罪から始まったミリアの話は言いたい事が纏まってはいるが、『アァリが土人形』というオチを勿体つけてるようにも聞こえて実に心臓に悪い。
それはロミル達も同じようで、露骨ではないものの落ち着きがない。
「それで、アァリは何者なの?」
耐えきれなくなったロミルが結論を促した。
「アァリは——」
待ち侘びた瞬間だったのだろう。彼女の口角が一瞬上がるのをアァリは見ていた。
「私達が恐れているあの『土くれの魔法使い』なの」
その場にいた全員が耳を疑った。
嘘だろどういうこと思ってたのと違うんだけど。
一斉にアァリに視線が向けられるが、こちらを見てそんな台詞を言われても困る。
そんなの、ボクだって同じだ。
「ミリ——」
「信じられないとは思うけど本当よ。彼女は人間について知りたがっていて、私の判断で仕事を手伝わせてたの。ねっ? アァリ」
「……はい、そうです」
アァリに余計な事は言わせない。ミリアの筋書きにない展開は許さない。そんな圧力が肩に置かれた手から伝わってくる。
彼女の独擅場は続く。
「みんな——アァリのこと、怖い?」
皆が揃って視線を逸らした。本当にアァリが土くれの魔法使いであるのなら、本人の目の前で正直に答えられるはずがない。
急にアァリの肩に置かれた手に力が入った。痛くはない。しかし先の読めない彼女の行動にアァリは恐怖した。
怯えるアァリにミリアは白々しく声をかける。
「アァリ、大丈夫? みんな本当はわかってくれてるからそんなに怖がらないで」
この人すごいな、とアァリは素直に思った。
アァリとしては『ミリアに掴まれて肩をすくめている』だけだが、向かいの彼らには『騙していた後ろめたさと受け入れてもらえそうにない悲痛で落ち込む少女』に見えている。
ここに集められたのは偏見などを持たずにアァリと友好的に接してくれた人達であり、暗い表情のアァリを無視したりはしない。
特に彼はそうだろうな、とちらりと視線を向けると偶然にもロミルと目が合った。この展開まで読んだ人選ならもう彼女に一蓮托生のつもりで任せるしかない。
ロミルが舞台上の役者のように一歩前に出る。
「俺は平気だよ! アァリが土くれの魔法使いってのはまだ信じられないけど……アァリが俺達にとって危険な存在だとは思えない。アメリアの事だって俺達が知らない事情があるんだと思う。きっとそうだよ!」
「ロミルさん……!」
ミリアの筋書き通りの展開だが、ロミルは自分の言葉で話している。そうでなければこんなにアァリの心に染みたりはしない。それはそうと、今ロミルが口にした『アメリア』とは一体誰だろうか?
「私も、アァリは悪い子じゃないと思う……」「俺も別に……」「僕も……」
一人が切り出せば後はすんなりと続く。
ミリアの用意した結末は皆が打ち解けるハッピーエンドだ。それはさぞかし、あの息が詰まる空気の中では飛び込まずにはいられない、迷路の出口に見えたことだろう。
完璧な一幕だった。しかしそれは、操り人形の糸が見えている者にはただただ滑稽に映る。
「茶番はやめろ!」
纏まりかけていた流れに水を差す怒声が輪の外から飛んできた。
聞き覚えのある声はやはり昼間にすれ違った村のまとめ役の息子、ダジだった。彼の顔をまともに見るのは初めてだったが、狐のように吊り上がった目がアァリの警戒心を刺激した。
横目で隣のミリアの様子を窺う。抑えてはいるが案の定、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「騙されんな! 本当にそいつがあの魔法使いだとしても何か目的があるに決まってんだろ! ガキの格好してるのだって魔法で姿変えて油断させる為だ!」
「何を根拠に言ってんの……?」
聞いた事のないほど低い声でミリアは反駁した。
ダジの言いがかりにはアァリもムカついていたのでミリアの発言はありがたいが、ここまで不機嫌だと味方でも恐ろしい。ロミル達もアァリと同じ思いらしく、さっきまでの大団円一歩手前の空気は完全に消え去っていた。
ダジは勢いよく威圧的な笑い声を上げた。
「根拠? 逆に訊きたいね。土くれの魔法使いが人間の俺達となんで仲良くしなきゃなんねーんだ? それともなんだ、お前もうアメリアの事を忘れたのか?」
また出た。どこかで聞いたような名前だ。
しかし今はそれどころではない。向かいの彼らの反応でわかる。たった今、ダジがなにかとんでもない地雷を踏み抜いた。
「ミリアさん!」
敵に向かって距離を詰めたミリアの手をアァリは反射的に掴んだ。まだ爆発寸前だったのかミリアの足が止まった。
気が立っているどころではない今の彼女からは一秒でも早く離れたいが、この手を離してしまうと取り返しのつかないことになる気がした。
ミリアの手を握りながらアァリはダジを睨んだ。
乱入してきたあの男は決して正義感などで動いてはいない。ただ単にミリアへの私怨で行動している。論理的な反論よりもミリアを挑発する暴言を選んだのが何よりの証拠だ。
「前から気に食わなかった」
吐き捨てるようなミリアの言葉にアァリは安堵した。ひとまず手を出すような事にはならずに済んだ。
「親が偉いからってなんであんたまで偉くなれると思ってんの? 親の言うことにはいはい従って、親の言葉を馬鹿みたいに繰り返して、自分一人じゃ何も出来ないって言ってるような奴を誰が尊敬すんのよ」
直接の暴力はなくなったが言葉を用いた暴力は容赦がなかった。悪態が淀みなく出てくるのは普段の陰口から引用しているからだろうか。
「うるせえっ!」
更に目尻を吊り上がらせたダジは大声で物理的に罵倒をかき消そうとする。しかし若干蚊帳の外気味のアァリには通じてもミリアには何も響かない。
「俺が一人じゃ何もできないだと⁉︎ 父さんの真似しかしてない⁉︎ はあ⁉︎ 父さんの力なんか無くったって余裕でやれてんだろーが!」
「どこが? 言いなりでしょ? 自分の力でやってるって自分に言い聞かせてるだけなのよあんた」
「父さんの言いなりなのはお前のジジイだろうが!」
「それはそうね。でも関係ないわ。うち、あんたのとこほどべったりじゃないのよ」
殴り合いのように体力という限界がある喧嘩とは違い、口喧嘩はどちらかの熱が冷めるまで終わらない。一見、会話が成立しているように見えるが実際にはお互いに言いたい事をぶつけあっているだけのやりとりなので、こうしてだらだらと続いてしまう。
堂々巡りからいち早く抜け出そうとするのは分が悪い方と相場が決まっていて、今回もその通りになった。
「そもそもお前はこのガキを使って何をしようとしてんだよ⁉︎」
ここまでテンポよく答えていたミリアが急に口を閉ざした。動揺した訳ではなくその顔は変わらず凛としている。
ダジの質問には答えられない。ミリアの目的はこの村に蔓延している排他主義を撤廃することだが、今まさに口論をしている相手はその元凶とも言える男の息子だ。目下最大の敵に情報を与えることになってしまう。
「お前が言わねーなら、こっちに訊くだけだ」
薄気味悪い目の焦点がアァリへと向いた。
急に標的にされたアァリはどうしていいのかわからず、中途半端にミリアの後ろに隠れた。
「なにが狙いなんだ? なんでミリアと手を組んだんだ? お前ほんとに土くれの魔法使いなのか?」
アァリは必死に視線を逸らして聞き流した。
ダジの質問にはすべて答えられる。しかしレムゥドやミリアとの繋がりをこんな奴には話したくなかった。
「白々しくビビっちゃってよぉ、ガキのフリも疲れないのか? つーか本物だっていうなら魔法見せてくれよ。なんでもいいぜ? なんならアメリアにやったのと同じやつでもよぉ」
まずい。
急遽取り付ける事になったメッキが剥がれそうになっているのもまずいが、それよりもギリギリ不発で済んだ地雷がまた踏まれたのがまずい。
先程よりも彼女に密着しているため杞憂ではないのはすでにアァリに伝わっている。
今度も止められるか、いや止まってくれるだろうか。もう爆発した後の事を考えた方がいいのかもしれない、と思ったその時、
それは来た。
アァリの体が揺さぶられた。しかしミリアが動き出した——というのは早とちりで、動いているのはミリアではなかった。
(地震⁉︎)
立っていられないほどの急で凄まじい揺れがその場にいた全員に平等に襲い掛かった。
いち早く地震に気づいたアァリは同時に思い出す。
確かこの村の人達は『地震』という単語を知らないほど、この災害に疎いはずだ。
「建物から離れて!」
叫んだアァリに気づいた人達がその場から動こうとするが、経験した事のない揺れに手玉に取られて動けない。屈強な体の青年が腕の力だけで建物の側にいた仲間を引っ張ろうとしているのが辛うじて確認できた。
しがみついていたミリアが揺れに中途半端に抵抗していることに気づいたアァリは体重をかけて彼女をしゃがませる。この不安定な地面の上にいては倒れた時に受け身を取るのも難しい。
そのまま、余計なことができないようにアァリはミリアに抱きついた。
「じき! じき収まりますから大人しくしててください! あとムカつくのはわかりますけど暴力はダメですよミリアさん!」
「アァリ……」
名前の後にミリアが謝った気がしたが、周りの悲鳴のせいでよく聞こえない。イレギュラーな事態だが、ミリアが頭を冷やしてくれたのならそれは不幸中の幸いだ。
揺れは異常に大きく、不気味なほど長かった。収まる時も徐々に小さくなるのではなく不意に、というタイミングで去っていった。
揺れの終息とそれを確かめる間が重なり、きょとんとした沈黙が生まれた。
「みんな大丈夫⁉︎ 怪我がないか近くの人と確認!」
いの一番にミリアが声を挙げた。普段から皆を仕切っている立場という自覚が無ければできない迅速さだ。
次々と報告が入り、怪我人はいないようだった。ダジの怪我の有無は誰も確認していないが、見た感じ平気そうだった。
「すぐ村の方に被害の確認に行って! まず家族が無事かどうか! 畑や牧場はその後でいいから!」
ロミル達は短い返事をするとすぐに各々の家族の下へと散っていった。ダジもいつの間にかいないが、それよりもアァリには気にしなければいけない事がある。
「あの、ミリアさん」
「さっきはありがとうアァリ。何が起きたのか今でもよくわかんないけど、さっきのあんたはちょっとかっこよかったわよ」
「ミリアさん。……さっきのはどういうことですか。ボクが土くれの魔法使いって」
あの時はとりあえず彼女に合わせたが、急なアドリブには心底肝が冷えた。アドリブといってもアァリに知らされていなかっただけでミリアとしては計画通りだったのだろうが。
「その方が都合がいいでしょ」
腕を組んだミリアは悪びれもせずに答えた。
「この村が余所者に厳しいのは怖いからなのよ。土くれの魔法使いのことだってそう。怖いから危険なものを近づけたくないの。だからアァリが土くれの魔法使いってことにすればみんな安心するじゃない。アァリのことを危険だって思う人なんかいないし。それにアァリだって私達と土くれの魔法使いの仲介役をやりたかったなら悪い設定じゃないはずよ」
ミリアの言う通り、歪だがこの関係性でも人とレムゥドの交流は実現できるかもしれない。しかしそれではアァリは納得ができない。
「……それじゃあ、レムゥドとミリアさん達が直接会うことはないってことですよね? あの、ボクはレムゥドも人と仲良くさせたいんです。あの人はボクがいないと一人だから、なんとかしたいんです」
「ごめん、それは無理」
聞き間違えようのないほどきっぱりと断ち切られた。
「『アァリ』っていう先入観がなければ私達と土くれの魔法使いの関係は覆りはしないの。あなたが働き者で礼儀正しくてわがままを言わない良い子だってみんなが思ってるから可能な事なの。わかって」
「……わかりません」
搾り出すような声でアァリは反駁した。
ミリアは組んでいた腕を解いた。ただそれだけの動作ですらアァリに圧をかけてくる。
「だって知らないんです、この村の人達がなんであんなにレムゥドを嫌っているのか。アメリアって誰なんですか? 何があったんですか?」
尋ねられたミリアは視線を逸らした。逡巡している。
決断したミリアは重いため息を吐いた。
「そっか……思ってみればここまで来たのにあんたに教えてなかったわね。いいわ。あんたには知る義務がある」
再びアァリに向いた彼女の目は初めて会った時のよう目をしていた。
「アメリアは殺されたの。土くれの魔法使いに」




