雨後の
砂漠色の侵略者の侵攻中に沈んだ太陽は再び昇り、空は嵐の過ぎ去った後のように晴れていた。しかし森を守り抜いた二人の表情は晴れない。
『ひどい有り様ですね……』
土人形のアァリは昨夜の戦いの爪痕を見て唇を噛んだ。
強引にねじ曲げられた木は裂け目からその内部を覗かせ、緑に覆われていた地面は剥げて土が露出している。土も雨と混ざって一面泥だらけだ。
本当なら徐々に色づき始める紅葉を眺めていられたはずだった。それなのにこうも劇的に変わってしまうなんて。
『あまり悲しむものじゃないアァリ。殆どは私の魔法によるものだ』
『それはそうですけど……』
土くれの魔法使いのレムゥドの言う通り、この惨状が生まれた近因は彼の魔法だ。しかしそれは侵略者への迎撃の為に放たれた力、ようは不可抗力であって、彼の魔法がなければ理不尽な弱肉強食をその身で思い知る結果になっていた。
だから歯痒い。満足し難いこの結果が最良に近いものである事実に溜飲が下がらない。
『アァリが気にしても仕方ないよ。森は私が直しておくから』
『直せるんですか元通りに?』
『任せておいて。でもすぐに、とはいかないよ。森のあちこちを荒らし回ったからね。それに被害を受けていない部分と成長の具合がずれちゃうからその辺りも考えないと——おっ』
森の修復の算段を立てていたレムゥドはこちらを見つめる視線に微笑みを浮かべた。
『そうそう。そういう君が見たかった。それじゃあ気をつけて行っておいで』
『はい! 森は頼みましたよレムゥド!』
もう後ろ髪を引かれる事はなくなったアァリは軽快に駆け出した。
目指すのは昨晩の戦いで守ったもう一つの大事な場所だ。
、、、
「ミリアさん!」
森を抜けたアァリはその姿を視界に捉えると、開口一番に彼女の名前を呼んだ。
「——アァリ!」
名前を呼び返されたと思った時にはもう、ミリアに抱きつかれていた。抱きつく直前に見えたミリアの表情には驚きと安堵が混ざったものだった。
「……心配してくれてたんですね」
「当たり前でしょ。あんなふらふらの状態で別れたっきりで五日ぶりに会うのよ」
ミリアとはそんなに会っていなかったのか。数字で言われると改めて長く感じる。というか昨日以前の思い出がすごい遠いの日の事のように思える。
「すみません。本当はもっと早く顔を見せたかったんですけど、いろいろありまして」
「わかってるわよ。あんたのことだからまたぶっ倒れるような無茶でもしたんでしょ」
「ええと……」
アァリは口ごもった。無茶した覚えは無いのだが完全には否定できない。昨晩の帰り道の記憶は途中までしかなく、今朝目覚めた時にはレムゥドのベットの上にいた。帰る途中で力尽きたとしか思えない状況証拠が揃っている。
「と、とにかく! もう体は万全ですから大丈夫です! そ、そうだペコ! ボク、ペコ見に行きたいです!」
「ペコ? いいわよ。あの子にもあれから会ってないもんね」
実は一度会いにいっているのだが、その記憶は消却してミリアに話を合わせた。
一緒にペコの所へ向かっていると、以前よりもミリアの歩幅が小さくなっていた。こちらのスピードに合わせてくれているらしい。
そんな小さな変化に気づいて喜んでいると、ミリアは不可解な話題を切り出してきた。
「そういえば最近大きい揺れがあったじゃない?」
「揺れ? 地震ですか?」
「じし……? よくわかんないけどアァリのとこは大丈夫だった?」
彼女が地震という単語にピンと来ていないことは置いておいてアァリは訝しげに記憶を探った。心当たりはないが強いて挙げるとすれば、
(昨日の騒動のことかな?)
レムゥドの魔法は主に地面の土を操る。その反動で地震が発生していてもおかしくはない。昨日はそれなりに大規模な魔法も発動させていたので、村までその余波が伝わってしまったのかもしれない。
「大丈夫でしたよ。でもボクらもいっぱいいっぱいだったんです」
「?」
今度はミリアが怪訝な顔になったのでアァリは昨日の出来事を話した。今回は村へ被害が及ぶ前に事態を収拾させることが出来たが、いつ第二第三の侵略があるのかはわからない。村を襲う脅威への意識は高めておいた方がいい、とアァリは判断した。
あの鬩ぎ合いを語る上でレムゥドの活躍を割愛することは出来ないので、『土くれの魔法使い』の名は最小限かつ、ミリアの顔色を窺いながら出した。
ミリアは最初は次々と出てくる聞き慣れない単語に難しい顔を浮かべていたが、最終的には事態の深刻さを理解して神妙な顔つきになっていた。
「そんな事になってたんだ。家は大丈夫なの?」
「はい、なんとか。森の方はその、直してる最中なんですけど」
「そっか。まぁ、ある日に急に現れたとか変わった噂のある森だから心配いらないわね。いや他人事じゃないのか」
うあーついにこの辺も魔物が出るようになったかー、とミリアは両手で頭を抱えた。
「ミリアさんも魔物のことは知ってるんですか?」
「見た事はないわ。うちはそういう危ないのとは関わらないように生きてきたし。村によっては国から派遣された用心棒を置いてる所もあるみたい」
「ミリアさん達も用心棒を雇えばいいじゃないですか」
「うちにはそんな余裕ないもの」
じゃあもしも襲われたら——。
率直に思い浮かんだ疑問をアァリは口に出さずに引っ込めた。訊くまでもなく芳しい答えが返ってこないことの想像はついたからだ。
関わらないように。それが戦う力を持たない彼女らが選んだ戦いだ。
もしも襲われたのなら、家も畑も家畜も牧場も全てを捨てて魔物の手の届かない場所へ逃げるしかない。また一から全てを始めても再び襲われれば元の木阿弥だ。
ミリアの言う通り用心棒がいれば安心出来るのかもしれない。アァリはその役目をレムゥドに与えられないかと考えたが、すぐに白紙に戻した。
彼は争いを好む性格ではない。昨日だってあそこまで森に踏み込まれてやっと動いたのだ。そもそも『長い目で見る』という彼の方針が用心棒の役割にまるで合わない。
しかし遠回しにだが、結果的にレムゥドは昨夜の戦闘で村の平穏を守っている。レムゥドと村の間を上手く取り持ってさえやれば不可能ではない。
つまりはアァリの仕事だった。
「これからも——ボクらがなんとかします」
「そう、心強いわね」
短く返したミリアの表情はアァリよりも一歩進んだ所にいた為に見えなかった。
、、、
ペコはデジャヴを感じるほど相変わらずの塩対応だった。ミリアはいつもより喜んでいると言っていたがその違いがアァリにはわからない。
ペコと別れた後はどうしようかと相談していると、急にミリアの顔が真剣なものとなった。
「ねえアァリ、あなたに会ってほしい人がいるの」
「ボクに?」
「私、アァリを待ってる間に考えてたんだけど、他の人にもあんたを会わせてもいいんじゃないかと思って。あんたなら嫌われることはないだろうし、みんなの反応も見てみたいの」
「ミリアさん、けっこう腹黒いですね」
「なんか言った?」
「いえ何も」
威圧感たっぷりの笑顔が出てきたのでアァリは発言を撤回した。クレバーと言うべきだったか。
実際、余所者であるアァリを使っての打診にはアァリも賛成だった。
一度に村全体の意識を変える博打を打つよりは、余所者にも好意的に接する村人を一人ずつ味方にして、徐々に多数派と少数派をひっくり返していく方が堅実で確実だ。
人に嫌われない振る舞いには自信があったアァリは憎たらしい笑みを浮かべてミリアの提案を承諾した。
しばらくしてミリアが連れてきたのはいかにも好青年といった見た目の男だった。
「はじめましてロミルです」
「はじめまして。アァリです」
普段からのクセで下げた頭を上げると、ロミルはぽかんと口を開けていた。この世界にはお辞儀の文化が無いことに気づいたアァリが気まずそうにしていると、彼は柔らかく微笑んだ。
「聞いてた通り変わってるね。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ!」
うわー明るいー。
彼の背後から差した後光が見えたアァリは思わず顔を逸らした。
どうやら第一印象に間違いはなさそうだった。しかし、この爽やかさはアァリのような人間には毒だ。こんな眩しいものを浴び続けていたら乾いた土のようにかぴかぴになってしまう。土人形だけに。
何故かこちらを見ようとしないアァリに地味に傷ついていたロミルはこっそりとミリアへ戸惑いの視線を向けた。
「あれ、俺なんかまずいことしたかな?」
「気にしないで。アァリはこれくらい普通だから」
「いや普通じゃないですよ。ミリアさんの目にはボクがどう映ってるんですか」
嫌われないようにしなくてはいけなかったのを思い出したアァリは何事もなかったかのように元の調子に戻った。
ロミルは相変わらず優しそうな表情を絶やさない。これくらいの奇行なら問題ないようだ。ミリアが一人目に選んだ人だ。信頼できる人物なのだろう。
「いやー早速嫌われたんじゃないかって焦ったよ。せっかくマリアに頼まれたのに」
「ミリアよ。いつになったら間違えなくなるのよ」
あれ、大丈夫かこの人。
多少不安になってきたが、これくらいは些細な事と言えなくはない。アァリは改めて頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「こっちこそよろしくね」
とりあえずはまず一人。仲間が増えた。
、、、
「あっ、ちょっ、ちょっと待って! 待ってって!」
うわー、というアァリの悲鳴が更なる絶叫の群れに飲み込まれていく。アァリは小柄な自分よりもさらに一回り小さい子ども達に囲まれていた。
この子ども達ももちろんミリアが連れてきた村の子で、『あのお姉ちゃんが遊んでくれるわよー』の号令一つでこの有り様である。
「ミリアさぁーん! これはちょっと違うくありませんかぁ⁉︎」
「なにもうへばったの? だらしないわねー」
けたけたと笑いながらミリアはアァリのSOSをスルーした。明らかに楽しんでいる。その隣のロミルも相変わらず微笑ましいと言わんばかりににこにこしていて、彼に悪気はないのだろうが何となく悪意を感じてしまう。
「もしかして子ども苦手だった?」
「そういうわけじゃないですけど……」
ミリアの前なので否定したが、正直苦手だった。
嫌いではないが接し方がわからない。ある程度成熟した相手とは違い、向こうの動きが予測出来ないのがアァリは特に苦手だった。
頭で考えてコミュニケーションをとるのではなく、同じ目線で自然体で接すればいいのだが、それがアァリにはとても難しかった。
「あんたたちー!」
振り回されるだけのアァリが流石に情けなくなったミリアは子ども達に声をかけた。ミリアの声が聞こえた瞬間、あれだけ騒がしかった集団が時間が止まったかのように大人しくなる。
「今から鬼ごっこね。鬼はそのお姉ちゃんがやるから」
「えぇっ⁉︎ 終わりじゃないの⁉︎」
再び音量が最大にまで上がったかと思えば、すぐさま四方八方に散らばり出した。それ以前に状況に追いつけない鬼役のアァリは『ほんとにやるの?』という視線をミリアに送ると、
「全員捕まえるまで終わらないから」
ルール説明をされた。というかアァリの知っている鬼ごっこと違う。
「あー! もー!」
やけくそ気味に叫びながらアァリは地面を駆け出した。
こうなったら考えるだけ無駄だ。こちとら疲れ知らずの土人形、地の果てまでだって追いかけてやる。
標的を見つめるアァリの目にもう迷いはなかった。
なりふり構わなくなったアァリを眺めながら、ロミルはその笑顔を少し引きつらせた。
「行っちゃったけどよかったの? あの子ら全員捕まえるの俺でも大変なんだけど?」
「大丈夫よ。アァリはああ見えて結構体力あるし。それにあんたの場合は要領が悪いだけ。あいつらは全力で走ることしか出来ないんだから疲れるまで焦らせばいいのよ」
「そういうとこ、計算高いというかなんというか……容赦ないよね」
「むしろ手は抜いてるわよ。小っちゃい子は何するかわかんないから体力は残しとかないと」
計算高い、という指摘をミリアは否定しなかった。実際、彼女が後先考えずに行動している所をロミルは一度も見たことがない。要領の良さは大人達のお墨付きで、若い衆を束ねるリーダーは別にいるが仕事を管理しているのは実質ミリアだ。
そんな自分とは比べようもないほどしっかりしている彼女だからこそ、ロミルは腑に落ちない事があった。
「ねぇ、アァリの事なんだけど——どう?」
「どう……って?」
不意の質問の漠然さにロミルは思わず聞き返した。
「率直な感想でいいの。どういう印象なのか聞かせて」
「別に……、見た目はちょっとこの辺の子とは違うけど、それ以外はどこにでもいる普通の女の子だよ」
「……そっか」
返ってきたのは空虚な相槌だけだった。
うんうん、と頷くミリアは既に答えたロミルを見ていない。値踏みしているかのような仕草はなにか計算しているのだろう。
その様子を見てロミルは口の端を引き締めた。
「ちょっと、いいかな? アァリをあの子達と遊ばせてるのって何か理由があるんだよね?」
普段よりも低い声を出したせいかミリアは少し訝しげな目でロミルを見つめた。顔にはあまり出していないがこちらの質問に答えるかどうか逡巡しているようだった。
「……子どもと仲良く遊んでるっていうのは印象いいじゃない? 子どもは正直だし。それにああやって小さい子が側にいれば直接手を出すような強引な真似はしないと思ってね」
「それってどういう——」
「さすがにアァリがかわいそうだから収拾つけに行きましょうか。日が暮れたら大変だしさ」
明らかに重要な説明を欠いた返答への追及は無視された。
今のロミルに嘘はつけない。だから理解する為のピースを削ぎ落とした端的な真実を話した。
ロミルは歯噛みした。もう笑顔などどこにもない。中途半端な誠意は信用しているからなのか。それとも信用が足りていないからか。
これではミリアの真意の半分もわからない。だが微かに触れたそれだけで、彼女の異変を感じるには十分だった。
、、、
不満を口の中に詰めたかのように頬を膨らませてアァリは憤っていた。
あと一人捕まえればゲームセット、という状況からどれだけ経ったのか。
捕まえた子と手を繋ぎながら他の子を追い回すのは不可能なので、捕まえた子にはミリアの所へ戻るように促したのだが、そこは秩序には無縁な子ども。駄々、物言い、逃走とグダグダだった。『あれ⁉︎ 君はさっき捕まえなかった⁉︎ って、同じことさっきも言わなかった⁉︎』とツッコんでも何も応えない。一人につき何回捕まえればいいのだろうか。
体力に関しては土人形なので問題ないのだが、終わったと思った作業がリセットされるのは精神的にキツい。おかげで子ども達の顔は大体把握出来たが。
「それにしても、ボクって浮いてるなぁ」
アァリは他の子たちと自分の風貌を照らし合わせて客観的に呟いた。
色素が抜けたような長い髪も生気が失せたかのような肌もまるで違う。普段着の集団の中にアニメのコスプレイヤーが一人混ざっているようだ。
シチュエーション的にはいろいろと逆な気がするが浮いているのは認めざるを得ない。ミリアが服だけでも周囲に馴染ませようとしたのも無理もなかった。
あっ、と思い出した。
周りと違うのは見た目だけではない。土人形には出来ても他の人には出来ないことがあった。
アァリはその場にしゃがんで地面に手を着いた。瞼を閉じて意識を地面へと流し込む。大地のエネルギーで活動しているアァリはこうすることで広範囲の大地のエネルギーを感じとれる。
最初からこうして頭を使えばよかったのだ。大地のエネルギーは全ての生き物に存在し、当然、人も持っているので位置などすぐにわかる。わかるのは大地のエネルギーの所在だけで、それが誰なのかまではわからないが、逃げ回るような動きをしていればすぐに当たりがつく。
大人には大人のやり方があるのだよ! とアァリは大人気ない目つきで遠くの民家の横の小屋を睨んだ。アァリ自身も大人を名乗れるような年齢ではないのだが、適切な表現が思いつかなかったのでとりあえず大人を名乗る。
標的はただ真っ直ぐに走って距離を稼ぐ、と見せかけて小屋の中に潜んだらしい。こちらの『子どもだから頭脳プレイはしない』という心理の裏をつくとは大したものだ。
接近が悟られないよう足音を殺して歩き出すと、ふと近くの建物から人の話し声がアァリの耳に届いた。そういえばこの辺りからもいくつかの大地のエネルギーを感じていた。
会話の内容はここからではよく聞こえない。しかしたまに聞き取れるワードがアァリを惹きつけた。忍び足は自然とそちらへと向かっていた。
そこは民家にしては生活感がなく淡白で、集会所のような場所に思えた。
窓から顔を覗かせると盗み聞きがばれる為、アァリは建物の壁に張り付いて耳を澄ました。
「——するつもりだ、あの子どもは。あれを村に引き入れたのはあんたの娘だそうだな」
「すまない……、何度もやめろと言っているんだが……」
「自分の娘くらい黙らせられないでどうするんだ。お前はほんと昔から……」
聞こえてくる声は三人分でどれも大人の男性のものだ。全員タメ口だが声の調子から力関係が平等ではない事が伝わってくる。アァリはおそらく最も立場が弱い男の声に聞き覚えがあった。
「すまない。反抗期なのか、まったく話を聞いてもらえないんだ。昔から一人で何でも出来てしまうやつだったからな。ミリアにはもう父だと思われてないのかもしれん。見下されているのかな」
やはりミリアの父親だ。この場にミリアがいないせいか以前会った時より乱暴な言葉遣いだった。
「言い訳するな!」
自嘲気味に笑っていたミリアの父の声がかき消された。
外で盗み聞いていたアァリも突然の怒声にビクンっと肩を震わせる。
「何かあってからでは遅いんだぞ! あの時は不憫だと思ったから今まで何をしても大目に見ていたが今回は駄目だ! 下手に刺激すまいと思って甘やかしていたのを勘違いしている! お前達も見ただろ! あの子どもの髪に肌! どう見ても人じゃない! あんな不気味なものを村に入れるなんて狂っている!」
この声の主が最も強い立場なのだろう。おそらく村の中では誰も頭が上がらない程の。様々な意味で口を開けば場の空気を一変させる人物だ。この会話に潜り込んでいるだけのアァリも喉の奥が詰まったような気分になる。
虫唾が走る。無駄に声を荒げて相手を威圧する、アァリの嫌いなタイプだ。何が自分の神経を逆撫でたのか冷静に分析しようとすればするほど頭に無いはずの血が上った。
アァリはミリアの父の発言を待った。
彼だって同じ気持ちのはずだ。自分の娘を『狂っている』と言われて黙っていられる父親がどこにいる。
互いの立場があるのかもしれないが、ここで爆発しない方が人としての信用を落とすのではないのか。
場の流れが一転するような大逆転を求めているわけではない。
ただ一言、横暴の極みのような偏見に反抗する一言が欲しい。
そして、祈るように顔を伏せるアァリの耳に届いた言葉は、
「すまない」
アァリは黙ってその場を離れた。
、、、
ペースが落ちたこともあり、鬼ごっこが終了したのは日が沈み始めた頃だった。
アァリが必死に集めた子ども達は流石に疲れ切っていて、ミリアはその子達を家まで送りに行っていた。
子ども達から解放されたアァリはオレンジ色に染まった原っぱの上に座って黄昏ていた。
「おつかれアメリア」
「……アァリですよ」
背後から声をかけてきたのはロミルだ。またとても自然に名前を間違えてくる。
「あれだけの育ち盛りの子を相手にしてたらもうくたくたでしょ?」
「えぇ、まあ……」
アァリは歯切れの悪い返事をした。ロミルの言う通り疲れているがそれはまた別の理由で、それも気軽に話せるものではない。
悟られないよう作り笑いくらいするべきか、と振り向いてロミルの顔を窺うと彼はいつも通り——笑っていない。
なんでも許してくれそうなあの微笑みは無く、監視するような冷たい眼差しがアァリに向けられていた。
「あのさ、君は何者なの?」
アァリの思考がフリーズした。自分が人外だとバレたかもしれないという懸念が頭の中を埋め尽くす。
「ど、どういう意味ですか?」
「最近ミリアの様子がおかしいんだ」
「ミリアさんの?」
それがどうしてさっきの質問に繋がるのかがわからない。しかし直接訊いてしまうと墓穴を掘りかねない。
二人の間に妙な緊張感が漂い始めていた。
「アァリは知らないと思うけど少し前までミリアはひどく落ち込んでいたんだ。塞ぎ込んでいたわけじゃなくて、それを隠していつも通り振るまって。——あの時のミリアは怖かったよ」
夕日と重なったロミルの表情はもう読めない。だが彼の声は悲痛に耐えるように震えていた。
「それでも少しずつ元のミリアに戻っていったんだ。元の明るくておしゃべりなミリアに。それなのに君が現れてからまたおかしくなった。あの時のような冷たい目をするようになった。アァリ、君はミリアに一体何を吹き込んだんだ?」
「ボクは……」
アァリは慎重に言葉を探した。
ロミルはミリアの異変にアァリが関わっていると踏んでいる。そしてその予想はおそらく間違ってはいない。土くれの魔法使いの関係者である自分がミリアに何らかの影響を与えていることはアァリも自覚している。
与えているのが悪影響ではないと弁解したいところだが、あくまでミリアの協力者のアァリは彼女の許可なしに彼女の真意を話すことは出来ない。
しかしこのまま何も答えないのはロミルの推測を悪い方向へと推し進めることになってしまう。
「……何も言っていません。ただ今のミリアさんには大事な……やらなくちゃいけないことがあるんです」
「それは本当にミリアが決めたこと?」
アァリはロミルと目を合わせて頷いた。
彼は口に手を添えて僅かに視線を伏せた。こちらの言葉の真偽を確かめている。
「わかった。信じるよ。だけど君がミリアと一緒にいるのは見逃せない」
ロミルの出した結論にアァリは苦悶の表情を浮かべた。
「……どうして、ですか?」
アァリは必死に反駁しようとする自分を抑えて尋ねた。ここでロミルとぶつかるのは自分のためになってもミリアのためにはならない。
ロミルは短いため息をついた。
「はっきり言うけど、この村では君のような余所者は歓迎していない。村のまとめ役が許さないんだ。前も村に寄った旅人をどしゃ降りの中追い返したりしてたし。——ああ、やり過ぎだよ。でもあの人の言う事は村の中じゃ絶対なんだ。理由は……他の人よりずっと村に住んでるからっていうのでわかる?」
彼は年功序列を子どものアァリにもわかるよう簡単な言葉で説明した。
年功序列は目上を敬うという刷り込まれた心理からできるヒエラルキーで、決して効率的でも公平でもない。強いていえば積み重ねた経験値を活かせるが、勝手に年季に比例して権力が増大してしまうため横暴な人物が生まれやすい。
「誰か、その人に反対する人はいないんですか? その、同じくらいの年齢で」
尋ねている途中でそれがミリアなのだと気づき、アァリは急遽条件を付け足した。
「いない。逆らえば身内だろうとどんな目に遭うのかわからない。むしろ村には同じ考えの人のほうが多いんだ。まあ、俺の父さんもそうなんだけど」
アァリが猜疑心に満ちた視線を向けると、ロミルは「俺は中立だよ」と主張した。
「で、今その人達が目をつけているのが——」
「ボクなんですね」
あの髪に肌。どう見ても人間じゃない。
先程、ロミルに自分の正体がバレたのかと悟った時、真っ先にあの怒声が再生された。
おそらくあの集会所に集まっていたのが村の排他的な空気の発生源である保守派で、怒鳴っていたのが村のまとめ役とやらなのだろう。
「見るからに余所者のボクがミリアさんといると、ミリアさんまでその人達に目をつけられる、ですか?」
「ああその通りだ。ミリアが君の何に惹かれているのかはわからない。だから君の方から引いてくれないか?」
やっぱりそういうことか。アァリは苦々しく唇を噛んだ。
なるべく波風を立てないように村から追い出そうとしているのは彼の優しさなのか、それともただ意気地がないだけなのか。どうでもいいことだが。
「……嫌です」
こちらを見つめるロミルの目が鋭くなる。
「さっきも言いましたけど、ミリアさんにはやらなくちゃいけないことがあるんです。それにボクはもう無関係じゃない。今更離れるなんて……無理です」
「アァリはミリアが大切じゃないの?」
ロミルはアァリの言葉をねじ伏せるように尋ねてきた。こんな時は名前を間違えない。
「大切ですよ! だから」
「なのにミリアを巻き込むのか。このままじゃどんな事になるのかわからないのに」
そういうことじゃ——
アァリの中で何かの膜が破れる感触があった。
ずっと我慢していたが限界だ。
ここで言わなければこの先彼を信用することができない。
「そういうことじゃないでしょ! あなたはミリアさんのこと何もわかってない! ミリアさんが大切ならなんでミリアさんに協力しないんですか⁉︎」
「何もわかってないのは君の方だ! あのミリアが! 子どもが大好きなミリアがあの子らを巻き込むなんてありえないんだ! ミリアはまだ元のミリアに戻ってない、立ち直れてないんだ! そんな状態のミリアを君みたいな子と関わらせるわけにはいかない!」
売り言葉に買い言葉だ。お互いに使い慣れていない感情をぶつけ合う。
もう他人行儀の一線は超えた。今日はどうしようもない。
二人は睨み合うだけで、それ以上の言葉は交わさなかった。
、、、
『という事があったんですよー』
アァリは小判型に形を整えたハンバーグのタネをフライパンに並べながら今日の顛末をレムゥドに話した。
『聞いてますかレムゥド?』
返事がないのでリビングを覗くとレムゥドと目が合った。聞こえてはいたらしい。
『どうかしました?』
『いや、アァリが人間の村の話をそんなに話すのは珍しいと思って』
『そうですか?』
アァリはハンバーグの片面に焼き色がついたのを確認すると、ひっくり返してフライパンに蓋をした。あとは蒸し焼きで中に火を通せば完成だ。
レムゥドが人との交流にあまり前向きではないので、人についての話題を彼の前では控えていたのは事実なのだが、今日の自分はそこまでおしゃべりだったか。
『すみません。愚痴っぽかったですよね。気を悪くしたなら謝ります』
『そんなことはないよ。ただアァリの変化を感じて驚いただけさ』
『え? ボクなにか変わりました?』
『変わったよ。自分では気づいてないだけ』
『そうですか? うーん?』
考えてもわからないがレムゥドが言うのならそうなのだろう。頭を使うことはひとまず置いておいて、まずは晩ごはんだ。
レムゥドの分は巨大なハンバーグにしようかと思ったが、火の通りが怪しいのとキレイにひっくり返す自信がなかったのでとりあえず一皿に三つ盛り付けることにした。足りなくてもおかわり分のタネは用意してある。もしタネが余ってもハンバーガー、メンチカツ、ミートパイと使い道は山程あるので問題ない。
『森の修繕はどうですか?』
アァリはハンバーグを一口サイズに切り分けながら尋ねた。以前のように切り分けるとこの体の口には少し大きいので小さめに意識する。
『大丈夫。すぐにではないけど元の森に戻るよ。ただあちこちで騒いだせいで生き物がいなくなってしまったのがね』
『森から出ていっちゃったんですか?』
『出ていってはないようだよ。森の被害のない所に集まっているんだけど警戒心が強くなっていて、元の所に戻ってくれるかどうか』
『そうですか……』
芳しくない情報に自然と食事の手が止まる。
解決したとうかれていたのがただ現実逃避していただけだと思い知らされているようだった。
『なにかいい方法を考えないといけませんね……』
『それは私に任せて。アァリにもやることがあるんでしょ? さっきの話、ロミル……だっけ? その人間について悩んでるんだよね?』
『そう……ですけど』
アァリがきょとんとしていると、それを真似るかのようにレムゥドも呆然と固まった。
『どうしたの?』
『その、レムゥドの口から人の名前が出たことにびっくりしてます。というか、人に関する話題をレムゥドの方からって……』
それを聞いたレムゥドが笑いを零した。釣られてアァリも笑い声を漏らす。
『そうか、私も変わったようだ』
『そうですね。変わりましたよ二人とも。何が何で変わったのかわかりませんけど』
『ほんとに何だろうね?』
『なんでしょうね?』
しばらくの間、疑問系にしているくせに答えを求める気のない馬鹿な会話を交わした。
おそらくは昨日の出来事でお互いの距離がより近づいたせいだが、そんな答え合わせはどうでもよく、共鳴したかのように互いに一歩前に進んだ事実に浸っていられればそれでよかった。
『で、どうしましょうか』
ひとしきり惚気たアァリとレムゥドは話題をロミルについて戻した。
ここからは答えを出さなくてはいけない議論だ。
ロミルのあの決心を見る限り心変わりはありえず、様子見などする意味はない。出来るなら明日からでも何かしらのアクションを起こしたい。
『何故ロミルはミリアに直接言わないんだい?』
まず相談役のレムゥドが気になったのはそこだった。細かい人間関係やバックボーンはアァリにしかわからない為、疑問に思っても仕方ないのだが——
『それは……、ロミルさんよりミリアさんの方が……強い? からです……?』
『強い?』
『あの、立場が、ってことです』
長年世俗から離れていたこの魔法使いにどう伝えればいいのか。
人と交流がまったく無かったわけではないのは知っているが、赤の他人の心理を慮る経験はあったのかはさっぱりだった。
『ミリアはロミルより上位の存在なの?』
『そうじゃなくて、そんなはっきりとした上下関係はないんです。もっと個人個人の間での苦手意識というか』
『捕食者と被捕食者のような?』
『命の危機はないんですよね。コミュニケーションの範疇で、です』
なるほど、とレムゥドは力強く相槌を打った。なんとなくだがわかっていないような気がする。
『つまり生物の群れの中で見られる同族間のヒエラルキーか』
『ほら違う』
科学者らしい言い回しだが、そんな薄情な結論ではとても及第とは言えない。
『はぁ……人を動物みたいに言わないで下さい』
『人間も動物だよ』
『そうですけど……、まあそれはいいです。とにかくミリアさんはしっかりとした人なので説得するのは難しいと判断したんでしょう』
『それでロミルはアァリを村から追い出そうとしたのか。最初からそう説明してくれればいいのに』
これでもいろいろ省いて簡単にしたんですよ、とアァリは心の中で呟いた。
アァリが思うに、問題なのはミリアが気丈すぎることではなく、彼女に正面を切って物を申せないロミルの臆病さだ。
ミリアに気圧されるのは責められないが、彼女の見えない所での裏工作というのは褒められるものではない。
第一、そんな狡猾な方法を彼女は絶対に認めない。ロミルの案に乗る気はないが、いざ彼の思惑通りに進んだ所で待つのはバッドエンドだ。
『そんな人間なんか無視すればいいじゃないか』
『ダメですよ。なんとか和解しないと』
今回の目的はミリアに賛同する仲間を増やす事だ。まずは様子見として一人目に選ばれたロミルと不和を起こしたなどミリアの信用を失いかねない。
ロミルの思惑を退けただけでは足りない。マイナスをゼロではなくプラスへ。ロミルと仲良くならなければこの件を解決したとは言えない。
『いや、ほんとなんとかしないと』
『そうだね。なんとかしないと』
『……』
『……』
苦手分野だな、とアァリは改めて思った。
自発的に人との距離を縮めることを避けてきたツケを払わされているような気がしてやるせなくなってくる。きっとレムゥドも同様だろう。
アァリは両手で自分の頬を打った。ぱちんっと思っていたより情けない音が出たが、向かいの席のレムゥドは驚いて顔を上げる。
『なんとかしないと! このままじゃこちらにメリットは何も無いんです! 意地でも作戦考えますよ! その為にはまず腹ごしらえです! レムゥドおかわりは⁉︎』
『——もらおう』
アァリは調理場へ飛び込み、肉のタネを鷲掴んだ。
もう苦手だからと逃げてる場合じゃない。たとえ目の前が暗闇だとしても這ってでも前に進まなければ。
両手の中でタネを遊ばせて空気を抜いていると、リビングの方からかすかに、堪えているような笑い声が聞こえてきた。
食後のコーヒーを淹れ、改めてアァリは席に着いた。
『なんでもいいです。ロミルさんと仲良くするアイデアを出してください』
『わかった』
レムゥドは短く返事をしてじっと考え始めた。彼も得意分野ではないが必至に頭を悩ませていた。
『機嫌をとるなら物で釣るのがいいんじゃないかな』
『物ですか、いいかもしれませんね』
古典的だがわざわざ難しい策を選ぶ必要はない。それに使い方によっては交渉材料にもできる。
『となると何をあげるかですけど』
『彼の好物だね。こればっかりは私にはわからない』
『ボクだって同じですよ。今日初めて会ったんですから』
わかるのは名前と大まかな性格。それだけだ。
趣味や好きな食べ物すらわからないのなら無難な物を渡すしかないが、それでは大きな成果は望めない。
アァリは頭の中で見聞きしたロミルの言動を入念になぞり始めた。
『ちなみにレムゥドは何を貰うと嬉しいですか?』
『アァリからなら何でも嬉しいよ』
『もーそういうことじゃなくて』
不意に火照った顔を冷ましながら、ふと思いついた。
『——いけるかも、しれないです』
『ほんと? アァリ、なんか意地悪そうな顔してるよ』
『そうですか? じゃあ覚えておいてください。レムゥドも昨日同じ顔をしていました』
心当たりがあったのかレムゥドは一旦コーヒーを挟んでから後ろめたそうに口を開いた。
『あんまり悪いことしちゃ駄目だよ?』
その忠告にアァリは鼻で笑って答えた。
『何を言ってるんですか恋のキューピッドですよ? むしろ良いことです。まぁ、射殺すつもりでいきますけど』
、、、
自身の心の淀みを感じてロミルはますます顔を曇らせた。
昨日、一念発起して渦中のあの子に残酷な現実を突きつけたのだが慣れないことをしたせいでこちらも手傷を負ってしまった。
自分よりうんと年下の子どもなのに。もっと言い方があったんじゃないのか。もはや誰を慰めたいのかもわからない後悔をただただ繰り返していた。
いつもなら無自覚の内に崩れている相好がなんとも言えない形で固まっている。まるで別の誰かの顔が張り付いているような不快感がする。
やはり一度謝った方がいいかもしれない。眉間のについたシワが取れないロミルはそう思い始めていた。
昨日の発言を撤回するわけではないが、このもやもやとしたわだかまりは両者の間には不要だ。戦うからといって非情でなければならないという事もないはずだ。
ロミルは深呼吸をした。
今落ち着いた所で暗く沈んだあの子の顔を見ればまた心の空模様が怪しくなるのはわかっている。昨日は強がってそういう表情を出さなかったが今度は無理だろう。
覚悟が崩れる所まで覚悟したロミルへ小さな足音が近寄る。
遂に来たか、と振り返ったロミルの薄氷の平常心は案の定、荒れるに荒れた。
「おはようございます! ロミルさん!」
落ち込んでいるなんてとんでもない。そこには満面の笑みのアァリがいた。ロミルの分まで笑ってやっていると言わんばかりの、どことなく胡散臭い笑顔だった。
「おはよう……えっと、何か変なものでも食べた?」
「ボクは家では自分の作ったものしか食べませんよ」
「そうなんだ、料理するんだ……」
「ロミルさんはミリアさんのことが好きなんですよね?」
「はっ⁉︎」
不意に核心を突かれたロミルはたじろいだ。
「いやいやいやどうしたの急に⁉︎ 俺らが話さなくちゃいけないのはそんな話じゃないじゃん! マリア関係あるけど関係ないじゃん!」
ミリアですよ、と訂正しながらアァリは腹の中でもほくそ笑んだ。
認めようとはしないが、頬を紅潮させ照れ隠しでニヤついてるあの顔は当たりだ。
昨日はミリアを人質のようにちらつかせて、アァリを村から出ていくように誘導しようとしていたが、改めて彼の言葉を思い出してみると『ミリアのため』に動いているのは彼の方も同じだった。
ただ、動機はアァリとは違う。
どういう経緯で惚れたのかは知らないがアァリはそこがつけ入る隙だと判断した。
昨日とは違う意味で警戒心が高まっている彼にアァリはずんずんと近づいていく。反射的に後退していくロミルだったが数歩退がった辺りで牧場の柵に阻まれた。
「昨日、帰ってからずっと考えてたんですよね。どうすればロミルさんにボクが危険な存在じゃないってわかってもらえるかなって。で、思いついたのが何かロミルさんの味方になる事で、じゃあ何を手助けしようと考えたら『あっ!』ってなりまして、」
アァリは目と鼻の先、という距離まで接近した。
肉薄された彼は完全にアァリにのまれ、もはやその顔は慄いている。
「お手伝いしますよ。ミリアさんのこと『好き』なんですよね?」
アァリは同じ質問を微妙にイントネーションを変えて繰り返した。
『答えれば承諾とみなす』。質問はそういったニュアンスを含んだものに変わっている。
「ギブ&テイクです。同じミリアさんを敬愛する者同士仲良く、ね?」
彼の唾を飲み込む動作をもって交渉は成立した。
、、、
昨日の態度は何だったのかと思うほどロミルは積極的にアァリを頼ってきた。現金なものだがこちらの方がアァリとしてはとっつきやすいので甘んじて受け入れた。
まず、ロミルからの要望は奥手な彼らしく『ミリアの好みのタイプを探ってほしい』とのことだった。
快諾したアァリだったが、昨日あれだけ悩まされた事があっさり解決したことにいまいち溜飲が下がっておらず、ちょうど昨晩のレムゥドの質問がよぎったので少し意地悪をすることにした。
「直接訊かないんですか?」
「……ちょっとね。変に警戒されたくないし」
彼はわかりやすく視線を逸らした。
「ミリアは勘が鋭くて優しいから気を遣わせちゃうかもしれない。いつもみんなの手本になるよう気を張ってる所もあるから余計な苦労をかけたくないんだ」
「じゃあボクが訊きにいってもダメじゃないですか」
「そ、そうなんだけど、いつまでも何もしないでいるのはミリアの事を言い訳にしてるみたいだから」
慣れていないせいか彼はたどたどしく自分のわがままを吐露した。
彼女を尊重するが故に自分は身を一歩引く。どこかで聞いたような話だった。
『ミリアのために』。というアァリの推測は間違っていなかった。そしてロミルは自身を犠牲にするという方法でそれを実現した。
彼女に近づきたい。しかしそれが彼女の負担になってしまうのなら、この気持ちは胸にしまっておくべきではないのか。
そうして彼は結論を出した。
なのに彼女の隣にはアァリがいた。
ジレンマに悩みに悩み抜いて自分が諦めた選択肢の先にいたアァリを見た時、彼はどういう感情に襲われたのだろう。
怒り憎しみ嫉妬。
何にせよ、普段とは違う自分に彼は気付いた。
「——優しいんですね。やっぱり」
これはきっとボクのせいだ。
このお手伝いはロミルとの距離を縮めるための口実で、適当な所で関係が前進したと思わせて終わらせるつもりだったが、アァリは本気で頑張りたくなった。
、、、
意中の彼女は牧場の柵にもたれて、遠くで遊ぶ子供たちを眺めていた。
その様子をアァリは不安な面持ちで物陰から見つめていた。
今からミリアの好みのタイプを探りにいく。そしてその情報をもとに作戦会議を行う。
もし芳しくない情報が出てきたとしても恋愛経験の無いアァリには生かしようがない。極端なことを言えば、この後の会話でロミルの恋路の脈ナシか脈アリが判明してしまう。
「——よし行こう」
悪い方ばかり考えていても仕方ない。慎重なのは悪いことではないが、恋愛は押していくもののはずだ。
「おはようございます。ミリアさん」
「おはよう」
にかっとミリアは明るすぎるぐらいの笑顔を見せてきた。惚れてしまうのも仕方ないと思えるほどの。
「唐突なんですけどミリアさんの好みってどんな人ですか?」
「ほんとに唐突ね」
唖然としつつもミリアはアァリの質問に向き合い始めた。特に何の抵抗もなく答えようとしているのはやはり子どもで同性の人物が訊いているからか。
「そうね、とりあえず優しくて——」
(おっ、いいぞ)
「頼りがいがあって——」
(……まだ大丈夫)
「なんでも私に正面から言ってくれる人かな」
撃沈。
「あの、最後のやつの理由訊いていいですか……?」
「まどろっこしいの嫌いなのよね。言いたいことがあるならさっさと言えば? って思っちゃってさ。……なんかすごい目が泳いでるわよあんた」
「気にしないでください……。そうですよね、ミリアさんって裏でコソコソしてるのとかも嫌いそうですよね……」
「うん。っていうか好きな人なんかいるの?」
確かに。アァリは思わず頷いてしまった。
甘かった。彼女の好みを聞き出してから本格的な作戦会議に入るつもりだったが既に駆け引きは始まっていた。あと今更というか元も子もない話になるが、彼女は素人には手に余る。
あとね、とミリアは膝を折ると右に左に彷徨っているアァリの目を見つめた。
「隠し事も嫌い」
「え?」
ミリアの視線に気付いたアァリは彼女の瞳の奥を見つめた。
「嘘をつくのが嫌いじゃないの。たとえば、何か悪さしたのを隠すのはまだいい。けど、辛いのを隠されるのは嫌なの」
「ミリアさん……?」
他の答えとは違い、これはボクに直接言っている。そうアァリは感じた。質問をしたアァリに応えているのではなく、何故かアァリに言い聞かせるように彼女は話している。
ミリアの答えについて深く考えようとしたが、寸前で振り払った。今はロミルの事について考えなければならず、自分に構っている時間などない。
「たしかに、隠し事されるとなんか中途半端な気持ちになりますよね」
「……まぁいっか」
そう言って立ち上がるミリアの顔が一瞬、悲しいものに見えたのはきっと気のせいだろう。
「ねぇ、私の方からも質問していい? ロミルはどう?」
「えっ⁉︎」
ぎくりとアァリは身を強張らせる。そこまでお見通しなのかと思ったが、どうやら単に彼にどういう印象を持ったのかを聞きたいだけらしい。
「や、優しくて良い人ですよ。よく気遣ってくれますし」
「それだけ? もっと正直に言っていいわよ?」
「……ちょっとヘタレっぼいですかね」
次の瞬間、ミリアは盛大に吹き出した。
「ふふっふ、あっはっはは! 言うじゃないのアァリ! そっか伝わっちゃったかーロミルったらかわいそうに! ふふっ」
「笑いすぎですって。いいところもありますから!」
「わかってるわよ。長い付き合いなんだから」
今の言葉をロミルに聞かせてやりたいと思うと同時にチャンスだとアァリは目を光らせた。
「じゃあ言ってみて下さい。例えばどこですか?」
「そうね……」
ミリアはアルバムをめくるように前髪をいじり始める。
「昔から年上には言いたいこと言えない奴で、その度に私があいつの代わりに言ってあげてたのよ。正しいこと思ってても言わなくてね、何度もそれを注意したんだけど謝られた後にいつも『大人にも堂々と言えるなんてすごい!』って褒められるのよ」
身内の自慢話をするミリアは和やかに笑い、その表情は彼女の話をしている時のロミルと似ていた。
ミリアはロミルを嫌っているわけではない。むしろ幼馴染としてだが関係は良好だ。なのにロミルの望む関係とは程遠い気がする理由がアァリにははっきりと分からない。
まずはそこを明確にしなければ作戦なんて立てようがない。
、、、
アァリはロミルの所に戻る前に村を出て、森へと向かった。
『たしか今日はこの辺りって——あっ、レムゥド!』
森の修復に勤しむレムゥドを見つけたアァリは彼に近寄った。
アァリに気付いたレムゥドは作業の手を止め、アァリを受け止めた。
『アァリ、もう帰ってきたの?』
『ちょっとレムゥドと考えたいことがあって戻ってきました。一人で考えてもよくわからなくて』
『相談にはのるけどそれは私にも力になれること?』
『微妙ですけど年の功に期待してます』
『そう。じゃあまずは一緒にお昼にしようか』
二人は手頃な岩に腰掛けてサンドイッチのお弁当を広げた。
急遽、二人で昼食をとることになったがこれもピクニックのようで悪くない。サンドイッチは当然レムゥドの分しかなかったが、それでもアァリ三人分ほどはあるので大丈夫だろう。
『アァリはどれにする?』
『タマゴとBLTを一つずつください。あっ、BLTはその赤と緑の——そう、それです』
一口かじって、まあまあの出来だと自画自賛した。
ベーコン、レタス、トマト。食感と味はそれぞれ三者三様なのにどれも主張し過ぎずにまとまっている。三つの食材の内、主役はどれだろう? と考えている間に飲み込んでしまう。シンプルながらそれだけこの料理の完成度は高い。
『この辺りの修復は終わったんですか?』
『ああ。八割方くらいね。あとは森自身に任せるよ』
『レムゥドはそういうの好きですよね。わからなくもないですが』
『なにが?』
いえ別に、とアァリは笑いながら話題を断ち切った。
日和見主義、それと放任主義も入ってるだろうか。彼には一から十までを管理せず、わざと放置した余地の様子を眺める趣味があった。不測の事態すらも享受するその振舞いはとてもアァリ程度の経験では到達しえない。
『そんなレムゥドに聞いてもらいたい話があります』
『お手柔らかに』
互いに長所を褒め合いはするが、相思相愛と呼べる関係ではない。二人と話し、感じた印象をアァリは説明した。
レムゥドからの回答は意外にもすぐにきた。
『それは前にアァリが言っていた『好きが違う』ということじゃないかな』
『……ちょっと整理してもいいですか?』
もちろん、と言ってレムゥドは食事を再開した。サンドイッチは食パン半分ほどのサイズだが一口でいけるらしい。
レムゥドから視線を切ってアァリは考え込む。
ロミルからミリアへの『好き』はloveの『好き』で間違いない。逆にミリアからロミルの『好き』はloveではないのだからlikeになるのだろうか?
『しっくりこないかい?』
アァリの心を見透かしたようにレムゥドは尋ねてきた。
『私はアァリのように人間の心はわからない。だけどアドバイスだ。わからなくなったら自分の立場で考えるといい。簡単に簡単に考えるんだ。おそらく難しい事ではないはずだよ』
『はい。ありがとうございます』
言われた通りアァリは自身の人間関係を思い浮かべた。
likeの関係なら……ミリアだろうか。良好な関係だと思っているのはお互いのはずだ。ロミルとだってその内に仲良くなるつもりだが、今はまだミリアとの関係ほどではない。
どうやって今の関係になったのかを思い出し、アァリはやっと腑に落ちる答えに辿り着いた。
(そっか、二人ともいい人だもんな……)
二人に共通するのは人の善意を素直に受け止められる人柄だ。そして彼らは誰かを『好き』になる要因を相手から与えられるだけではなく自ら形成できる。
レムゥドの言う通り簡単な話だった。
二人の関係が良好に見えたのはどちらも穏やかな空気を纏っていたせい。自分よりも相手を尊重するいい人達だったから。
『——本音でぶつかり合うのは良いことなんでしょうか』
アァリはぽつりと呟いた。
『雨降って地固まるって言いますけど、それは雨が止んだ後の話で、必ず雨が止むとは限らないじゃないですか。それでも良い事が起こるのを信じて雨を待った方がいいんですか』
『そりゃあ良い事は起こった方がいいさ』
決して隣のレムゥドに言ったわけではない垂れ流すような愚痴に彼はあっけらかんと反応した。
『でも満足のいく結果じゃないかもしれない。もしそうなら私が今やっているように後始末をすればいい。まぁ、アァリは事前に準備をしておく方が得意なんだと思うけど』
『……愚問でした』
正直に言うと聞きたかったのはそういうことではなかったがアァリは礼を述べた。
馬鹿げた迷いだった。そもそも本音しか話さない彼の隣にアァリは座っていた。
『レムゥド。ボクはボクのやり方でやります。なので前に頼んでいたもの、急ぎでお願いします』
、、、
状況は芳しくない。というアァリの芳しくない報告を聞いたロミルの表情もまた芳しいものではなくなった。
「そんなにまずいのアメリア?」
「アァリです。でも嫌われているわけじゃないので安心してください。相手にされていないだけなので」
「どっちみち嬉しくないよ……」
うすうす気付いてたけどさ、と言いながらもロミルはしっかり肩を落として落ち込んだ。大きなため息をついた後、彼はその体制のまま、ぼそっとアァリに問いかけた。
「……ミリアは正面から言って欲しいんだよね?」
「そうですけど」
「よし、じゃあ正面から——」
「待って下さい!」
玉砕覚悟で突っ込もうと顔を上げたロミルの前にアァリは立ち塞がった。
「止めないでアァリ、俺は決めてたんだ。今までの自分を変えてミリアの望む男になるって。それにやっぱり自分の想いを伝えないと——」
「ダメです! はっきり言いますけど今告白しても断られます!」
アァリの歯に衣着せぬ指摘にロミルはむっとする。
「そんなの……やってみなければわからないじゃないか」
「わかります。今のミリアさんが自分を最優先にすると思ってるんですか?」
「それは……」
「ミリアさんのことだから受け流したりはしません。きっとロミルさんを気遣いながら断ると思います。それでロミルさんは満足なんですか? 自己満足するとしても妥協したら後悔しますよ」
「……ごめん。君の言う通りだ。頭を冷やすよ」
「いいんです。ただタイミングの問題で、ロミルさんは間違ったことは言ってません」
ロミルの特攻をなんとか踏み留まらせたアァリはそのまま間を開けずに提案した。
「今は少しでもミリアさんの気を引くことに専念しましょう。向こうにも意識させないと空回りして終わりです」
「わかった。じゃあ、プレゼントとかがいいかな。ミリアの好きな物調べないと……。でも直接渡したら好きだってのバレちゃうか……? えっ、でもミリアの気を引かなきゃいけないならミリアに直接いかないと……えっ?」
ジレンマにはまり、その場でぐるぐる回り出したロミルにアァリはこっそり頭を抱えた。これでは『頼りがいがある』という項目もだいぶ怪しいが、これはこれでどこかの女性には需要があるような気がする。
「ロミルさん、とりあえず一度ボクの作戦でやってみませんか? いいアイデアがあるんです」
「ほんと⁉︎ 任せるよアァリ!」
目を覚ましたロミルはアァリの立案に二つ返事で賛同した。
先導しがいのある彼はリーダー気質のミリアにぴったりなような気がするが、恋愛対象としてはまた別なんだろうか、とアァリは渋い顔で頭を捻った。
、、、
「いないわね……」
ミリアはアァリを探して村の中を歩き回りつつ、手掛かりはないかと先程のアァリとの会話を思い出していた。
(私の好みのタイプを聞いて……、あとロミルの話の時も様子がおかしかったわね……)
無駄な事をするような余裕がある子ではない。あの会話にも意味があるはずだが。
「わからん」
単純に繋げると、『ロミルに頼まれて私の好みのタイプを確かめにきた』、という感じだがそんな事になる動機がまったくわからない。妄想を膨らませれば、『ロミルに何故か触発されたアァリが私の気を引こうとしている』とかか?
あの子がそんなかわいい嫉妬するかな、と自前のバカな妄想をこき下ろしてミリアは腕を組み直した。
そういえばロミルの姿も見えない。もしや二人は一緒か。
ミリアにはまったく理解できないが、謙遜して本音を飲み込む同士だと気が合うのかもしれない。
ロミルの家へと向かっていたミリアは徐々に聞こえてくる騒がしさに怪訝な顔をした。声は子ども達のもので喧嘩などの類ではない。むしろ真逆のものなのだが普段遊んでいる彼らからは聞かない歓声だった。
事態の原因を探ろうとするまでもなく、ミリアの姿を発見した子達が彼女の下へと駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん見て見て!」
「ほら、走ると転ぶわよ。うん? あんた達何食べてんの?」
子ども達はこんがりとした焼き色の付いた薄いパンのようなものを握りしめていた。
「これね、ロミルが焼いてくれたの! すっごい美味しいんだよ!」
突き出すように薄いパンを差し出してきたので、ミリアは『ありがと』とその先っぽを少しだけちぎった。
断面は卵のように黄色く、沢山の空洞がある。パンのようだがパンではないこの食べ物をもう少し観察していたかったが、パンを分けてくれた子が急かすように熱い眼差しを向けてくるので、仕方なくミリアは口へと放り込んだ。
あっ、と思わず声が出る。
「美味しい」
『でしょー!』と近距離での大合唱に耐えて、ミリアは小さな群れをかき分けてロミルの家へと入った。
家の中は胸がいっぱいになるような豊かな香りに満たされていて、その発生源のキッチンに彼はいた。
「どうしたのよこれ?」
「あっ! マリア!」
「ミリアよ」
ミリアは彼が和やかな顔とは裏腹に握りしめているフライパンとヘラを一瞥した。
「あんた料理なんてできたの? 初めて見るんだけど」
「練習してたんだよ。まあ見てて。すぐミリアの分も焼くからさ」
ロミルはフライパンの上でさっとバターを溶かすとそこにどろっとしたクリーム色の生地を流し込んだ。言うだけあってそれなりに手慣れている。
「フライパンで焼くの?」
「そうだよ。ひっくり返すタイミングが難しいんだ」
そう言ってロミルはヘラを握る手に力を込めながらフライパンに鎮座している生地を凝視し始めた。この余裕の無さはどう見ても普段から料理をしている人間の佇まいではない。昨日今日教わった付け焼き刃だ。
ミリアは訝しりながら姿の見えない少女について尋ねた。
「ねえアァリは?」
「……」
(聞こえてないわね)
慣れない料理に集中してしまうのはわかるがそこまで肩に力が入るのか。ここまで集中していると邪魔するのも悪いので、焼き終わるまでミリアは横から見守ることにした。
しばらくしてロミルは恐る恐るヘラを生地の下へと滑り込ませた。そして何故かちらっとこちらを確認してきた。どうやら見せ場のようなので余計な茶々は飲み込んだ。
「せーのっ」
危なっかしい手つきでなんとか生地はひっくり返され、子ども達が持っていた物と同じ見た目に変わった。
「あとはもう片面を焼けば完成だから」
「うん。ありがと」
出来上がったパンにロミルはバターとジャムを載せてミリアへ差し出した。
「あら、あの子達のより豪華ね?」
「いや、みんな手に持って食べるっていうから手が汚れないようにしただけで」
「ふーん、そっか。ところでこれ何ていうの?」
「パンケーキだよ」
「初めて聞くわね」
ミリアは少し溶けたバターとジャムと一緒にパンケーキを口へと運んだ。パンケーキだけでも美味しかったがこれは破格の美味さだ。特に子どもはやみつきになる、そんな優しい味だ。
「どうやって作るのこれ?」
「えっと、卵と牛乳、小麦粉に砂糖——」
その材料だけではこんなふわふわとした食感にはならない。オムレツだって半熟にすればふわふわにはなるが、このふわふわは別物だ。
「あと……不思議な粉?」
「なんで疑問系なのよ」
「きぎょうひみつ? とかなんとかで俺もよく知らないんだ。パンケーキが膨らむのもその粉のせいらしいんだけど」
「そう」
あやふやな答えだが一番気になっていた疑問は解決した。予想通りといった所だ。
「ミリア、美味しくなかった?」
「え?」
曇った顔でロミルはそんな事を訊いてきた。考え事をしていたせいで仏頂面になっていたのが気になったらしい。
「ううん。美味しい。ちび達も喜んでたわ、やるじゃない」
次の瞬間、みるみるロミルの顔が晴れていった。
それを見てミリアもくすりと笑う。
そうそう。あんたにはその顔が一番似合うんだから。
作り笑いなんて小賢しい真似が出来ないのにいつもそうやって笑っている、これが長所でないのなら一体なんなのか。
「ロミル、私も焼いてみていい?」
「えっ? いいけど……」
ミリアは慣れた手つきで生地を焼き始めた。横からひっくり返すタイミングを教えようとそわそわしているロミルをちらりと見て、『落ち着きなさいよ』と逆に助言をした。
「そろそろいいかな」
「ま、まだ早くない?」
「大丈夫よ。ほらくっついてない。それにこれなら——」
ミリアは腕を前後に動かしフライパンの上で生地を滑らして感覚を確認する。
「よっと」
勢いをつけて生地を滑らせ、慣性を活かしながら手首を返す。フライパンから飛び出した生地は宙を舞い、見事に翻ってフライパンへと着地した。
唖然としているロミルにミリアは勝ち誇ったような笑みを見せつける。
「経験が違うのよ経験が」
「……ははっ、敵わないなミリアには」
自虐的に笑っていたロミルの口元が急にぴたっと閉じた。
「ごめん、本当はこの料理アァリに教えてもらったんだ。小さい子達が喜ぶ物を作ればきっとミリアも喜んでくれるって」
「うん。そうじゃないかって思ってた」
ミリアのあっさりとした返事にロミルは目を丸くした。
「怒ってないの?」
「何で怒るのよ。実際私も喜んでるわよ。美味しかったし。それにあんたのその正直な所、好きよ」
次の瞬間、パンケーキが焼けそうなほどにロミルの顔が紅潮した。
「ミリア⁉︎ いっ今、なん」
「ねぇ、アァリの事どう?」
「アァリ? いやそれよりも、」
「仲良くなったみたいだから聞きたくてね。それとあんた顔赤いけど大丈夫?」
「……大丈夫だよ、うん」
そうだ、焦ってはいけない。
告白はまだまだ先の事だと改めて自覚してロミルは肩をすぼめた。
「アァリか。アァリは……ほんとに子ども?」
「なにそれ」
「だってなんか強かっていうか、弱味を握られた時はどうしようかと思ったし」
「あんたそんな事されたの?」
耐えきれなくなったミリアは高らかに笑い出した。
「子どもよ。まぁただの子どもじゃないけどね。私も全部知ってるわけじゃないけど」
「そうなんだ。アァリが何者なのかわからないけど、こんなに俺の為に頑張ってくれる子を信用しないわけにはいかないな」
「なに? アァリのこと疑ってたの?」
ロミルは首を振った。そして憑き物が落ちたかのような笑顔を浮かべる。
「さあ、まだまだ生地は残ってるからいっぱい焼こう! みんな待ってるよ!」
、、、
『レムゥド、ベーキングパウダーありがとうございました。催促しといてなんですがよくあんなに早く作れましたね』
『話を聞いた段階で大体の作り方は思いついていたからね。悩んだのは人間が食べられる材料で、って所くらいだよ』
『そうだったんですか。さすがですね。あんな業者の仕入れみたいな量が用意されるとは思ってなかったですけど……』
アァリはベーキングパウダーを受け取りに行った時の光景を思い出して再び言葉を失った。
テーブルの上にはパンケーキの山どころか山脈が出来上がっているが、これだけ使っても減った気がしないほどの量のベーキングパウダーが現在、空き部屋に詰め込まれている。完全に発注ミスだった。
五枚ほど重なったパンケーキを一度に食べながらレムゥドは尋ねた。
『それでアァリの作戦は上手くいったの?』
『どうでしょう? ミリアさんに怪しまれないように早めに帰ってきましたから結果は知らないんですよね。ロミルさん、ちゃんと作れてるといいんですけど。まあ、子どもでも作れますから大丈夫でしょう』
『アァリも子どもだよね』
『そう……ですね?』
その通りなのだが何か釈然とせず小首を傾げる。
『パンケーキはオーソドックスというか、誰でも好きな味ですからたぶん失敗はないと思います』
『ああ、なんとなくわかるよ。敵を作らない味だ』
食べてくれない人もいたけど、とアァリは心の中で付け加えた。
ロミルの恋路はまだまだこれからだが、とりあえず今日の所は甘い終え方をしたことだろう。
逆にアァリがこの数日で出くわしたのは苦々しい出来事だった。
(差別か)
人と土くれの魔法使いの間に隔たりがあって、自分はそれぞれの陣営に寄り添えると思っていたがそう単純な話ではなかった。
『人ではないのに人に似ている何か』というのはさぞかし不気味なのだろう。
(レムゥドには……相談できないな)
無邪気にパンケーキにがっつくレムゥドをアァリは見つめる。
もう彼には人の負の一面には触れてほしくはない。
アァリが差別されている事実を知ってしまった彼が人との溝を絶対的なものにしてしまったら、それまでだ。
『アァリ、私になにか?』
『いえ、まだ食べられますよね? 次はもっとふわふわした奴作りますよ!』
『ほんと? アァリ作れるの?』
『もちろん。ボクは子どもですけど素人とは違うんです』
、、、
生地も底をつき、パンケーキ試食会もお開きとなった。主催のロミルとミリアは後片付けの最中だった。
料理はしないが皿洗いなどの家事は手伝っているロミルは手際良く食器の汚れを落としていく。
「あんなに楽しかったの久々だよ」
「ほんとね。それにしても結構お腹いっぱいになるのねパンケーキって」
「食べさせ過ぎたかもね」
この後片付けも今日の反省すらも楽しくて仕方ない。だからこそ後片付けを進めれば進めるほどこの時間の終わりが近づいている事実がいじましい。
この楽しさも苦しさもアァリが与えてくれたものだ。最初は邪険に扱ってしまったが結果を見ればあの子との出会いはロミルにとって幸運なものだ。
ロミルは食器を洗う手を止めてミリアに声をかけた。
「ありがとう。アァリを紹介してくれて」
「うん。どういたしまして」
出会ってよかった。実に都合の良い感想だが今では胸を張ってそう思える。
「それで、訊いて……いいかな? なんで俺とアァリを会わせたの?」
「どうなるのか気になって」
ミリアは即答した。
「あんた達は似てるから似た者同士で仲良くするのかそれともいがみ合うのか見てみたかったの」
「……嘘でしょ?」
「嘘よ」
なーんだ、とロミルは笑いながら止まっていた手をまた動かし始めた。
ミリアはそんなロミルの様子を横目で見ながら食器に付いた水滴を拭き取っていく。
(冗談じゃないんだけどね)
普段から穏やかな表情を浮かべている二人。一見同じように見えるがその性質は正反対だ。
あるがままに笑っているロミルとそうではないアァリ。この二人を交えればいい影響を与えてくれるかと期待していたのだが、どうやら目ぼしい結果は出なかったようだ。
ミリアは焦りそうになる気持ちを抑える。
こういう問題こそ根気よく取り組まねばならない。辛抱強く邁進していくしかない。
いずれ、アァリとも村のみんなとも分かり合えると信じて。




