砂漠色のサボテン
近隣の村人も近寄らない薄暗い森。その奥には土くれの魔法使いの屋敷が佇んでいる。
その屋敷の主人、土くれの魔法使いのレムゥドと、彼によって作られた土人形のアァリは屋敷の書斎の床に座り込んでいた。
二人を囲むように積み重ねられた本はすべてレムゥドが書き溜めた日記や研究資料だ。アァリが先日から取り組んでいた書斎の本の整理を『私が書いた物だから』とレムゥドも手伝ってくれることになった。タイトルも作成日も記されていない本の陳列がネックとなっていたアァリには心強い助っ人だと思っていたのだが。
『日記を書いた日付順じゃなくて書いてある内容ごとに分けるつもりですか……?』
『そう。その方が読みたい物を見つけやすいから』
『いやいやどの日記もいろんな事について書きたい放題じゃないですか! そんな研究資料みたいな分け方無理ですよ!』
『なんとなくでいいんだ。なんとなくで』
『よくないですよ! そんな曖昧な整理の仕方してるからいつまで経っても終わらないんですって! 見て下さいよこの現状を! 整理してるはずなのに雪崩が起きたみたいになってる!』
ちなみに雪崩は部屋のドアを塞いでしまっているのでこのままでは部屋から出られない。
埒が明かないので日記は大まかな時期に分けて片っ端から本棚に突っ込むことになった。細かい整理はまた今度になるが、床より棚を埋め尽くしている方がどう考えても作業の効率がいい。
アァリは本を棚に収めながら横目でちらちらとレムゥドを見ていたが、彼はアァリが日記を勝手に読んだことには何も言ってこなかった。
他人に自分の日記を無断で読まれるなど人によっては絶交ものだ。いくらレムゥドといえど何とも思っていないはずがない。
『あの、ごめんなさい。日記を勝手に読んでしまって……』
『ん? 別に構わないよ』
軽い調子でレムゥドは手を止めずに答えた。
『一度は誰かに見てもらいたいと思ってたし、もし見られたくないならこの部屋に鍵を掛けておくか、私の部屋に隠しておくさ』
本当に気にしていないとわかる軽快な声に安堵しつつ、アァリは同時に胸を刺された気分になった。
『日記を読んでも構わない』と言ったレムゥドは以前にも言った通り、本当にアァリに隠しごとをするつもりはない。
本人が腹を固めたのならあとはその言葉を受け取る側の問題だ。レムゥドにそのつもりはないだろうが、アァリは彼に試されている。
難しいことはない。
レムゥドを信じる。それだけだ。
(ただ、それだけなのに)
アァリはぼんやりと考えながら本を棚に戻した。
意外にも本はすべて本棚に収まった。すっきりとした書斎は前より広く感じ、二人は達成感に満ちていた。この達成感には労働という裏付けがあり、それは確かな疲労も裏付けていた。
というわけで午後のティータイムだ。
今日はおやつのクッキーもある。コーヒーに甘い物を合わせたかったアァリが焼いたのだが、見た目も味も素朴な物となった。
ミリアさんはこういうの詳しいだろうか、とアァリは質素なクッキーを齧った。不味くはないが満足のいく出来ではない。お菓子に関してはまだまだ勉強の必要がありそうだ。
ちなみに目の前の魔法使いは何も気にせずボリボリ食べていて、なんだか複雑な気分になる。
『アァリ、外出禁止の件だけどもう外に出ていいよ』
降って湧いたような外出解禁にアァリは思わず飛び上がった。
『ほんとですか⁉︎ まだ三日目ですよ⁉︎』
『うん。閉じ込めておいても仕方ないみたいだしアァリのことを信じることにしたよ』
『仕方なく、ですか……』
『別に呆れている訳じゃないよ。君の行動は私にとってもプラスになる。そう思っているから君の自由を尊重しているんだ』
『……ありがとうございます』
尊重という言葉の響きにアァリは顔を赤くした。子ども扱いに憤ってはいたが、いざ対等に扱われると照れてしまう。
『なんか急に外に出ていいって言われたら今すぐに出たくなっちゃいますね。散歩でも行ってこようかな』
『それは難しいかな?』
『?』
レムゥドに誘導されて窓の外を見ると、いつの間にか雨が降っていた。雨に気付くと雨粒が屋根や木の葉を叩く音が聴こえてくる。これはなかなかのどしゃ降りになりそうだ。
『あー……』
『昼頃から雲行きが怪しかったけど降ってきたか。散歩は無理みたいだね。……そんな目で見てきても無理だからね?』
外出禁止を解かれたアァリは窓にへばり付いて仔犬のように目を輝かせていた。雨の中でダンボールに入っている犬と同じ種類の目である。シチュエーションはまるで反対だが。
『アァリは雨が好きなの?』
『嫌いじゃないです。それにこの世界に来てから初めての雨なんですよ。むしろ今こそ散歩するべきでは? って思い始めてます』
『普段より滑るし暗くなるのも早いから駄目』
『傘じゃなくて合羽がいいです。水を弾く素材って作れます?』
『……さっき言い忘れてたけど、外出していいの明日からね』
『そんな⁉︎』
あからさまに後付けな期日指定はどれだけ異議を申し立てても覆らなかった。
、、、
『それで携帯電話ってのがありましてね。それを使えば遠くの人とも話すことができるんですよ』
『ほう、それはどういう原理なの?』
『ええと、音声を電波で飛ばして、基地局だっけ? それを中継して相手の携帯電話に届く、で合ってるのかな? ボクに分かるのはこれくらいです』
雨で外に出られなくなった為、二人は夕飯までおしゃべりをして過ごすことにした。話題は以前から話そうと思っていた『アァリの世界』についてだ。
魔法の研究者でもあるレムゥドはこの世界よりも発達した科学技術に関心があるらしく、事あるごとにその技術や原理の詳細を求めてきた。
しかし残念ながら学校やテレビで学んだ程度の知識しかないアァリには自分でも曖昧な答えを返すことしかできない。それでもレムゥドは一度も『意味がわからない』とばっさり切り捨てることなくアァリの話を真剣に聞いていた。
『電波か。そういう風に使えば確かに便利だね』
『はい。やっぱり有線から無線に変わったのが大きいと思うんですよね。ボクの世界じゃもうすっかり当たり前のことなんですけど』
『それだけ遠くの者と会話ができるのなら移動手段だってすごいんじゃないかな』
『すごいですよー飛行機に新幹線。どれも乗ったらレムゥドひっくり返っちゃうんじゃないんですかね』
『そんなに? 飛行機は何となく分かるけど、』
ほらまた来た、とアァリは構えた。
『新幹線って?』
『新幹線はこう、細長い乗り物で……地面の線路を走るんですよ』
『走るって脚で?』
『ボクの世界ではそんな魔物は使役しません。車輪ですよ。車輪が線路——レールの上を回って前に進むんです。あと、ちょっとだけ浮いてるんでしたっけ?』
『浮く?』
レムゥドがこれまでで一番強く食いついた。
『磁力の吸引と反発で浮いてるはずです。リニアモーターカーって言うんです』
『浮いてるのに車輪で進むの?』
『……さあ? 実際に進んでるのでそうとしか』
言われてみれば不思議だが、この世界に新幹線もネットもない以上はその答えを知ることはできない。実際に再現してみれば解決するかもしれないがそれは結局、机上の空論の域を出ない。そもそもこの世界で新幹線を再現した所で、それが本当に『アァリの世界』の新幹線と同一なのかという疑問が生まれるからだ。
この世界には『大地のエネルギー』という未知のエネルギー資源があり、科学では説明できない『魔法』もある。逆に『アァリの世界』にはあってこの世界には無い物だってあるかもしれない。
根底にある世界の法則が違うのならば、その上に成り立っている物に差異が出ないはずがない。
この理屈が正しいのなら料理の味はちゃんと再現してるボクってすごい? と自画自賛しながらアァリはクッキーを頬張る。
空想と比較しても仕方がないのだが、レムゥドもアァリの知っている魔法使いとはまるで違う。
魔法使いといえば、三角の帽子を被ってほうきにまたがって——
『それは魔女か。あっ、すみません独り言です。そういえばレムゥドは空は飛べるんですか?』
『飛んでみたいと思ってるんだけどね。良い方法が思いつかないんだ。それに私は大地から離れない方が力が出しやすいのも悩みどころでね』
浮力について強い興味を示したのは昔年の目標だったかららしい。アァリはレムゥドが飛んでいる姿を想像してみたが、彼は飛ぶより気球にでも乗って浮いている方が似合っている。ほうきにまたがったり、真っ白な翼で飛ぶのは彼らしくない。
『アァリ、何がそんなに面白いの?』
『……すみません、笑ってるわけじゃないんですよ? ただかわいいなーと思っただけで、ふふっ。ボクはそろそろ晩御飯の、ふふっ準備をしますね』
『笑いすぎじゃないかな?』
レムゥド(天使Ver.)はその日、眠りにつくまでアァリの頭の中を飛び回っていた。
、、、
翌日になっても雨は降り続いていた。
一つ一つの雨粒は小さく、出歩くのは問題ないと判断したアァリはレムゥドに作ってもらった上着を羽織って外に出ていた。
目指すのはミリアのいる村だが、その前に墓の様子を確認する。雨が土に染みても問題なさそうだった。
どんよりとした空を見上げながらアァリはゆっくりと歩いた。晴れた日とは違うしっとりとした空気が心地良い。
森は赤や黄色に染まり始めていた。もう夏も終わりらしい。この世界に来たのはほんの少し前で夏らしいことは何もできなかったが、その分秋を楽しもうとアァリは頭の中で妄想を膨らませた。
秋は美味しい物いっぱいあるんだよねっ、と胸を弾ませるアァリの視線がある物に留まった。
『あれは……サボテン?』
森の中にぽつんと。見方によっては厚かましくそびえる一本のサボテンらしき植物がいた。
ただ、その色はアァリの知っているサボテンとは違い、渇いた砂のような、まるで砂漠そのものの色をしていた。
逆じゃないかな? とアァリは首を傾げた。
『太陽を反射し、景色を歪ませる熱気を放つ砂漠に佇む緑色のサボテン』ではなく、『曇天の下、湿気を孕む深緑の中に居座る砂漠色のサボテン』。
あべこべな光景に呆れてアァリは苦笑した。
この世界のサボテンはきっとこれが当たり前なのだろうと、それ以上は特に気に留めずアァリはまた村へと歩き始めた。
サボテンは黙って雨に打たれていた。
、、、
雨も少し強くなってきたせいか、村に入っても人の姿はなかった。アァリは悩んだが一旦その場を離れることにした。一見人目が無さそうに見えるが、建物の中には誰かがいるはずで、人気の無い所を動き回っているアァリの姿はどうしても目についてしまう。
村には入れないためミリアに会うのは諦め、アァリは今も使われているはずの牛舎へと向かった。
思った通り、牛舎では牛たちが雨宿りをしていた。
一歩足を踏み入れると、どの牛もじっとアァリのことを見つめてきた。アァリのことを警戒しているわけではなさそうだが、こうも大勢の視線を浴びていると何もしていないのになんだか後ろめたい気分になってくる。
『……あっ!』
草食動物特有の視線に耐えながらアァリは牛の群れからペコを見つけると、目を合わせて手を振った。ペコからは何のリアクションも無かったが、すっかり調子が良くなったことは見ていて伝わってきた。
「ミリアさんによろしくね!」
今日はペコの処置後の経過がわかっただけでも良しとしたアァリは、ミリアへの伝言を残して牛舎を後にした。
『あれ?』
帰路についたアァリの視界に再びあの景色から浮いたサボテンが飛び込んできた。行きに見たサボテンとは別のサボテンで今度は二本と小さいのが一つだ。
『……ん?』
別の物かと思ったが、一本のサボテンには見覚えがあるような気がした。そういえば最初に見た場所も確かこの辺りだった。
しかしあの時のサボテンは一本だけで、三本も生えてはいなかった。
……三本?
アァリは目を凝らしてサボテンの数を数えた。何度数え直しても三本ある。ついさっきまでは二本しかなかったはずなのに。
『まさか、今の間に増えた……?』
気味が悪くなってきたアァリは急いでその場から離れた。振り向いたら四本に増えていそうで、アァリは屋敷に戻るまで一度も後ろを見ようとしなかった。
、、、
食後のコーヒーを出すと、『クッキーはもう無いの?』とレムゥドから注文があった。彼は甘い物が好きらしい。物を食べ始めたのがつい最近だ。まだ味覚が子どもに近いのかもしれない。
『レムゥド、ベーキングパウダーって作れませんか? お菓子作りに使いたいんですけど』
お菓子という単語に反応したようなタイミングでレムゥドはこちらを向いた。
『どういうものなの?』
『膨らまし粉とも言ってガスを発生させるものなんです。ガスは化学変化で発生するのでレムゥドの得意分野かなって思いまして』
『ガスか、なるほど。それがあるとアァリは助かるんだね?』
『助かります。クッキーももっと美味しくなりますし、ふわふわしたパンケーキと作れます』
『ふわふわ?』とレムゥドが聞き返してきたのでアァリも復唱しながら頷いた。
『善処しよう』
『ありがとうございます! あっそうだ。外に出た時にサボテンを見たんですよ。この世界にもサボテンっているんですね。ボクの知ってるサボテンとはだいぶ違いましたけど』
『サボテン? 聞いたことないな』
『知らないんですか? 緑のトゲトゲした植物ですよ?』
ヒントを出してみたがどうやら本当に知らないらしい。この辺りの動植物に詳しいレムゥドからあのサボテンに酷似した謎の生物についての意見が聞きたかったのだが。
仕方がないのでまずはアァリの方からサボテンの説明をすることにした。
サボテンとはナデシコ目サボテン科の植物の総称で、内部に水を貯めることで乾燥地域に適応した多肉植物である。一口にサボテンと言ってもその種類は二千を超え、アァリが想像している物は『柱サボテン』と呼ばれる形状の物だ。
肥大化した茎に針状の葉を持ち、特に短枝に当たる刺座という器官はサボテンと他の多肉植物を見分ける重要な器官である。
『——という感じです』
『説明ありがとう。サボテンは食べられるの?』
『どうでしょう? 緊急事の水分補給くらいでしか食べた話は聞かないです』
アァリは知らないがサボテンには食用の物もある。有名な物だとドラゴンフルーツがそれに当たる。
『それでアァリが見たサボテンはアァリの知っている物と何が違ったの?』
サボテンが何かを理解したレムゥドは本題へと触れた。
アァリはあの時の奇妙な光景を頭に浮かべた。
『まず色が緑色ではなくて、砂のような色をしていました。乾いてる——そんな色です。あと見間違いかもしれないんですけど、いつの間にか増えてたんです。二本だったのが三本になってて……』
アァリは怪談でも語るかのように平坦な調子で説明をした。
異世界の植物がアァリの常識から外れた現象を見せるのは不思議なことではない。ただ、表情の読み取れない植物が何の予兆も無しに変化したというのが気味が悪かった。
『なるほど。それは興味深いね。ぜひ実物を拝みたいものだ』
『えぇ……』
アァリとは裏腹にレムゥドはサボテンに好意的のようだった。
好奇心をそそる対象なのはわかるが、既にあのサボテンを腫れ物と認定している側としては少し面白くない。
『あれはなんというか、……やばそうでしたよ?』
『説明になってないよ』
『と、とにかく! レムゥドも一度見ればわかりますよあのサボテンの不気味さは!』
『それなら明日一緒に見に行こうか』
『え? そう、ですね……?』
その日はそれでお開きとなり、アァリは『これでいいのかな?』ともやもやしたまま床に就いた。
外では雨はまだ降り続いていた。
、、、
静かに屋根をノックする音でアァリは目を覚ました。
小雨と呼べるくらいには雨は弱まっていたが、空に浮かぶ灰色の塊はまだ吐き出し足りなさそうだった。
まるでアァリの気分を表したようだ。あのサボテンを見に行くのがただただ億劫で仕方ない。
アァリはため息をつきながらリビングへと向かった。
不気味な物にわざわざ近寄りたくない。お化け屋敷だって小さい頃に一回入ったきりだし、それ以降アァリの選択肢に出てきたことはない。
なによりレムゥドがあれを気に入ってしまうのが面倒だった。あれと並べて愛でられても困る。
雨がもっと強くならないかなー、と外出を取りやめる理由を考えていたアァリは窓の外を見て目を疑った。
『レムゥドー! 大変ですー!』
レムゥドの部屋に飛び込んだアァリは、ちょうどローブを纏った所のレムゥドに詰め寄った。
『おはようアァリ』
『おはようございます! 緊急事態なんです! やばいんですよレムゥド!』
あたふたしているアァリの頭にぽんっとレムゥドの大きな手が乗せられた。特別力が入ってるわけではないが一瞬、アァリは大人しくなる。
『アァリは朝から元気だね』
『入れたくて入れたスイッチじゃないですけどね! 起きた時はむしろテンション低かったですよ! それより来てください!』
アァリはレムゥドを連れて屋敷の外に出た。こんな時でも彼は急ぐ素振りすら見せない。
『これはこれは……』
一目見ただけで状況を理解したレムゥドは感嘆の声をあげた。
二人の視線の先、屋敷の庭とも呼べる場所に例の砂漠色のサボテンが立っていた。
アァリの背丈を超える程に成熟したサボテン。今まで気づかなかったなどあり得ない。一晩で発芽し、この大きさまで成長したのだ。
『手間が省けた。これがアァリの言っていたサボテンだね?』
『ええ、そうです……』
同種、という意味でアァリは肯定した。
レムゥドは『アァリが昨日見た個体なのか』と尋ねているのかもしれなかったが、その可能性には気づかないフリをした。
ふふっ、とレムゥドは笑みをこぼした。
『アァリが戸惑うのもわかるよ。枯れ木と見間違えるような、植物としては死んでいる見た目なのに、実際は絶好調と言わんばかりに生命力に溢れている。本能的な部分が錯覚に陥ってる。そんな感覚がする』
不気味な植物を見ながら不気味に笑うレムゥドを一歩引いた所からアァリは見ていた。
思わずこちらも口元が引き攣りそうになる饒舌っぷりだ。たぶん今言った内容がそのまま今日の日記になるのだろう。
彼の趣味はさておき、この余裕は頼もしい。『今回はもうレムゥドの陰に隠れていようか』とアァリが本気で思い始めていると、レムゥドがサボテンへと近寄った。
『駆除するんですか?』
『まさか。少しサンプルを採るだけさ。この森の新たな住人だ。丁重に扱わないと』
招かざる客なんだけどなー、と不満が止まらないアァリはあとでこっそり除去しようと決めた。
百歩譲って移住を認めたとしても、屋敷から見える位置には居てほしくない。郷に入っては郷に従え、新参者が古株の敷地を侵すなど以ての外だ。
レムゥドはサボテンの一部を野球のボールほどの大きさだけ切り取った。もっと根本からいけばいいのに。
『というか家の中に持ち込むんですかそれ』
『うん、調べるからね。このサボテンとやらが敵かそうではないのか判断するにはまず調べないと』
専門家のもっともな意見にアァリは食い下がるのを諦めた。『敵』という言い回しが少し気になったが、サボテンについて考えることに疲れてきたので、この件はもうレムゥドの管轄ということにした。
広い森での二人きりの生活だと思っていたが、意外とご近所付き合いが大変らしい。
、、、
朝食を済ませるとレムゥドはすぐに研究室に篭り始めた。研究室にコーヒーを運んだアァリもそのまま部屋の隅に座った。ここにいても特にすることもないのだが、今は一人で静かな場所にはいたくなかった。
研究室は魔法に関する実験を行う部屋だ。しかし老婆の魔女が奇怪な笑い声を出しながらかき混ぜている大きな鍋のような物は無い。代わりにフラスコなどが見かけられ、むしろ学校の理科室に近かった。
部屋の隅でじっとしているのは退屈だが、サボテンの調査に没頭しているレムゥドには声をかけられない。アァリの心の弱さ故というのもあるが、今は彼を邪魔してはいけないと思った。
アァリは目を閉じた。瞼の裏に映る、好きな事に熱中している後ろ姿が羨ましかった。
自分の名前が呼ばれてアァリは目を開けた。
目の前にはこちらを覗き込むレムゥドがいた。
『——一段落ってところですか?』
『ああ、興味深いよ。おいで』
差し伸べられた手を掴んでアァリは立ち上がった。
『で、敵なんですか?』
『そう結論を急がない。まずわかったのはあの植物は大地のエネルギーに適応した、ということだ』
レムゥドにエスコートされて着いた机の上には見事に解剖されたサボテンがあった。あられもない姿だがアァリが見ても何の情報も得られない。
『適応って、生き物は大体みんな大地のエネルギーを持ってるんじゃないんですか?』
『ああ持っている。でも持っているだけだ。自覚の無いまま摂取して次へと託す。でもこの植物は大地のエネルギーの為に自らの体を変え、利用しているんだ』
『それって、』
『私みたいかい?』
考えを読まれたアァリは反射的に撤回しようとしたが、上機嫌な彼にはその必要はなさそうだった。
『この場合は魔法使いではなく『魔物』というんだ。大地のエネルギーに適応したものは少ないけどね』
『異世界っぽい響きですね。魔物なら敵ですよね?』
『アァリはどうしてそこまで敵視してるの?』
ストレートな質問をされてアァリは言葉に詰まった。『気味が悪いから』なんてわがままな理由を言えるわけがない。そんな心ない言葉を吐ける人間だと彼に思われるのが嫌だった。
『だ、だって今までこの森では見なかったんですよね? じゃあ外来種じゃないですか、放置するのはまずいんじゃないですか?』
捲し立てるようにアァリは答えた。
外来種の到来がこの森の生態系に影響を及ぼすことをレムゥドは看過できないと踏んでの回答だった。我ながらとっさにしては機転の利いた返答だと思ったのだが、
『そんな事はないよ。それも自然の摂理だ』
彼の超然的な思想の前では無意味だった。
『摂理って……』
外来種による被害がメジャーな社会問題の一つとして認知されている世界の出身としては、現実の見えていない能天気な意見としか思えない。この世界ではまだ目に見えるような被害が出ていないのかもしれないが、決して後手に回っていい問題ではない。
『そんなのダメです! 早めに手を打たないと手遅れになっちゃうんですよ! 他の生き物にどういう影響を与えるかわからないじゃないですか!』
『ああ、わからないね。悪影響なのか、それともその逆なのかはね』
レムゥドはサボテンと向き合っていた時と同じ表情をした。
『私はアァリがこの世界に、私の下に来てくれて本当に良かったと思ってる。君が私に与えた影響は想像以上だ。でもね、もし君がまったくの別人だったとしても私は君を同様に愛していたよ』
『……何が言いたいのかよくわからないんですけど』
『焦ることはない。なに、責任は私が持つよ。アァリはこの植物が苦手みたいだしね』
言われてみればアァリだってこの世界からすれば『外来種』だ。そして例に漏れずレムゥドの日常を掻き乱そうとしている。
それでも彼がアァリを邪険に扱ったことは一度もない。彼の日和見主義がその事実に少しでも関係しているのなら、アァリはこれ以上彼を責めることはできなかった。
『後悔しても知りませんよ——と言いたい所ですが、その時は一緒に考えましょ。そういうことも共有させてください』
『わかった。ありがとうアァリ』
サボテンについてはレムゥドに託したのだから、もうこの件には余計な口は挟まずに見守ることにした。
しかし、余所者に対する現地人の対応についてはこれからも頭を悩ませることになるだろう。
『話を戻すけど、次に適応した結果起こった変化だ。元々は水を貯め込んでいた性質が大地のエネルギーを貯め込む性質へと変わっている。もはや貯槽容器だ』
アァリは相槌を打ちながら怪訝な顔をした。変化というから何かと思えば、大地のエネルギーを体内に宿すなど普遍的な特徴としか思えない。
そんなアァリの疑問はすぐにレムゥドによって解かれた。
『大地のエネルギーを貯め込めるようになった結果、生命力が大幅に上がっているんだ。実際、ここまで解剖しなければ生命活動が止まらなかった』
大きく目を見開いたアァリはバラバラになったサボテンへと視線を向けた。
ここまでやって、やっと止まった。
考えたくもないが、この状態は人間で表せばどのような状態なのか。つい最近分解された人形は見たが、あれより上なのか下なのか。
『捕食という目的でもなければ生物はここまで他の生物を執拗に痛めつけたりはしない。そう考えると自然界においては不死身だろうね』
あっさり不死身と言い放ったことも驚きだが、そんな自然界のバランスを崩しかねない事実を把握しておきながら傍観すると決めたレムゥドの図太さにアァリは言葉を失った。
ボクも傍観してていいんだろうか、と不安になってきたアァリは何か不穏な空気を感知した。
その気配はレムゥドからだ。
『レムゥド?』
『どうやら、私はアァリに謝らなくちゃいけないみたいだ』
、、、
絶望とはこの事だろう。そうでなければ体も心もこんなに震えはしない。
屋敷はいつの間にかサボテンに囲まれていた。
森に紛れているつもりなのだろうか。窓の外からこちらを観察するように、渇いた色のそれらは黙って鎮座していた。
研究室からリビングへと移動したレムゥドとアァリは緊急の作戦会議を開いていた。
『コ、コーヒーです……』
慄いているアァリの震えが伝わり、コーヒーに波が立つ。レムゥドはそれを普段通り受け取って、アァリに礼を言った。
『結果が出るのがこんなに早いとはね。君の言う通りにすべきだったよ』
『いえ、ここまで早いと対策も何もないですよ……、というか何でそんなに落ち着いてられるんですか……』
『いやいや、ちゃんと慌ててるよ。アァリっぽく言うとやばいね』
そう言いつつもコーヒーをしっかり味わうレムゥドに、アァリの手がわなわな震える。
『どこがですか! 囲まれちゃってるんですよ⁉︎ っていうか何で囲まれてるんですか⁉︎ 絶対意思がありますよねあのサボテン⁉︎』
『本能だろうね』
アァリが急かしてもレムゥドの態度が変わることはない。
『大地のエネルギーに味を占めたんだ。なら私達を狙うのも不思議じゃない』
私、『達』……? アァリはあざとく首を傾げた。
『そういえばボクって大地のエネルギーで動いてますよね』
『そうそう。原動力が大地のエネルギーだけだからアァリは他より多く蓄えてるんだよ』
『やばいじゃないですかそれ』
アァリの生気のない顔が一段と青白くなる。あのサボテンはこの体を苗床にしようとしているらしい。どういった方法と過程を辿るのかはわからないが、この体に根を張り、皮膚を破って生えるサボテンを想像するとひたすらに怖かった。
『大丈夫』
コーヒーを飲み終えたレムゥドは立ち上がって、アァリの顔に手を添えた。
『私がなんとかするからアァリはご飯でも作って待ってて』
『……いえ、ボクも行きます。一緒に戦いましょう』
『ありがとう、心強いよ』
アァリは様々な感情が混ざった複雑な顔をした。
その台詞を言わなければならないのはこちらの方だ。不安定な気持ちをさっきからずっと彼に支えてもらっている。
奉仕されるだけではなく少しでも返したいが、強がらずに言うと何もできないお荷物になっている悔しさよりも恐怖が勝っている。
だからといって、事が済むまで待っていろと言われて待っているほど面の皮は厚くない。
雨は止んでいた。しかし空は依然として厚い雲に覆われており、日没まで時間があるというのに辺りは薄暗かった。そんな曇天の下でレムゥドとアァリは砂漠色のサボテンと対峙した。
『なにこれ……』
外に出て自分達の置かれた状況を再確認する。
視界の右も左も、奥の奥まで森はサボテンで埋まっていた。屋敷を囲まれているのではなく、屋敷以外がすでに占拠されていた。
追い詰めらている。詰み手前の必然的な背水の陣。これでは防衛戦だ。
『いきなり家を取り囲むから無粋だとは思っていたけど、私の森をこれだけ踏み荒らすとはね』
まるで砂漠に埋もれたような森を見てレムゥドは忌々しそうにこぼした。不愉快さを露わにしているがそれでも彼には余裕があった。
レムゥドに促されアァリは彼の後ろへと下がる。
土くれの魔法使いが動き出す。
突如、地面から突き出した大量の土の針がサボテンを貫いた。
針を選んだのは意趣返しのつもりか。よく見ると、土の針の表面にはおろし金のような凹凸が装飾されていた。生半可なダメージではサボテンを駆除しきれないと判断したのだろうが、あのレムゥドがこれほど攻撃的な魔法を使用したことにアァリは驚いた。
うわぁ……、と不快感が口から漏れた。
グニョグニョと。薙ぎ払われて細切れになったサボテンの破片一つ一つが植物らしからぬ動きを見せた。その動きに見とれている間にサボテンの体積は増していき、最終的には元の形へと再生した。
再生完了まで約五秒。植物の成長速度からすると一瞬と言ってもいい早さだった。
『さっきより増えちゃったか。あれだけの数になったのもあの速度での成長があってこそというわけだ』
レムゥドの見解にアァリは黙って頷いた。アァリも目を離した隙に増えられていた経験がある。
だが腑に落ちない。あのサボテンはどうやって森全体へと生息範囲を広げたのか。
植物の種子の移動は基本的に他者に依存する。その方法は大きく分けると、風または動物や虫によるものの二つになる。
風は吹いていないわけではないが、雨の降っていた状況ではここまでの効率を生むとは思えない。
となると、残るのは動物や虫に運ばせる方法だ。
アァリがその旨をレムゥドに相談しようとすると、彼はサボテンを見つめたまま神妙な顔をしていた。
レムゥドの視線を追うと、ちょうど再生したサボテンに一羽の小鳥がとまろうとしていた。針が見えてないのか、と上げそうになった声が寸前で止まった。
小鳥がとまった瞬間、その部分のサボテンが崩れた。
不意に足場を失った小鳥は慌てて翼をはためかせて体を支える。落下を防いだ小鳥は足に崩れたサボテンの残骸が残しながら別のとまり木を求めて移動を始めた。
次の瞬間、小鳥のシルエットが突如歪んだ。
足の残骸が膨張し、小鳥を飲み込むように再生が始まる。
ぼとり、と地面に落ちたのは、ただの砂漠色のサボテンだった。
アァリは絶句した。
こんな、こんな自分勝手な方法でこいつは自分の領土を広げていた。他を利用するのは生物としては間違ってはいないのかもしれないが、さすがにこれはあんまりだ。
気になった箇所がもう一つあったが、そちらは先にレムゥドが言及した。
『……さっきの魔法の時、手応えがまるで無かったんだ。もしかすると始めから砕け散るつもりだったのかもしれない』
『そんな無茶な……、』
生態があるのか。
ハイリターンを前提にハイリスクを選ぶなど進化論を真っ向から否定するようなものではないのか。
生物に造詣の深いレムゥドの口から発せられなければ真っ先に排除されていた可能性だ。ありえない。しかしそれをあのサボテンは淡々と実行している。その理解し難いギャップがアァリの恐怖心を煽った。
戦況は膠着状態だ。アァリはサボテンに呑まれ、レムゥドは先方の生命力に攻めあぐねている。場の流れはサボテン側にあるが、向こうは自ら攻め込もうとはしない。
一旦、引いた方がいいのかもしれないとアァリは思い始めていた。
無策のまま力押しでどうにかなる相手ではない。なら一度、屋敷に戻ってじっくり作戦を練った方がいい。その選択の結果が籠城となるかもしれないが、本来食事を必要としないこちらに餓死は無い。生存するのが勝利条件だと言うのならばこの状況はまだ絶望とは程遠く思えた。
都合よくまた雨も降り始めた。粒も大きく、アァリはこれを口実に一時撤退をレムゥドに提案しようとした。
その時だった。
一斉に、屋敷を取り囲んでいたサボテンが崩れ出した。
サボテンに刻まれた蜂の巣のような傷を見て、何が起きたのかアァリはすぐに理解した。こいつらにプライドはないのか。
『……ただの雨なのに、ただ雨が降ってるだけなのに!』
何の種も仕掛けもない雨粒がサボテンを穿つ。
しとしとと情緒を醸し出しながら、天から降り注いだ無数の弾丸がサボテンの身を拡散させた。
細切れになって地面を転がったサボテンはすぐに再生に動き、また透明な銃弾をその身に受ける。まさに砂漠にとっての恵みの雨だ。
粉骨砕身にも程がある。じわりじわりと恥も外聞もない手段でサボテンの侵攻は始まった。
『レムゥド! 屋敷を守って!』
アァリが声をかけるのと同時にレムゥドが両手を振るった。競り上がった地面がドーム状に形成され、屋敷を丸ごと包み込む。屋敷の壁に枝を這わせていた木が悲鳴を辺りに響かせた。
これで屋敷に侵入されることはない。しかしそれはアァリ達も同じで、この外来種をなんとかしなければあの我が家に帰ることができない。
レムゥドは真正面の地面を捲り上げ、砂漠の中に泥の一本道を作った。
『行くよアァリ』
『……はい』
相変わらず走ったりはしないレムゥドを追いかけながらアァリは何度も後ろを振り返った。そこに住み慣れた我が家は無く、あるのは半球状の土の塊のみだ。
もう無傷ではない。これからは最悪の中から最高の結果を求める戦いになる。笑って終われる為の折り合いをつけなければならない。
希望はある。前を向くと視界に映るこの魔法使いがいる限り。
アァリは挫けそうになった心に鞭を打った。そしてほんの少しだけ芽生えた後ろめたさに気づいた。
こんな時に。
彼さえいればそれで、なんて思うのは不謹慎だろうか。
、、、
どれだけ時間が経ったのか。完全に日が沈んだのはどれほど前だったか。そんな事すら気に留めていられないほど必死に二人は森の中を逃げ回っていた。
サボテンを魔法で退け、それでも距離を詰められたらその場を移動する。その繰り返しだ。
レムゥドは追い込まれてもすぐには離脱せずに粘れるだけ粘っていた。森の荒れる範囲を出来るだけ増やしたくないのが側にいて伝わってきた。
『森から離れる』という選択肢は二人共持っていなかった。理由はそれぞれ違い、レムゥドは森を守る為。アァリはサボテンをこの森から出さない為だ。
こんな規格外の生物——いや、魔物をミリアのいる村に近づけるわけにはいかなかった。
悪足掻きとしか言えないような時間稼ぎの中でレムゥドはしっかりと敵を観察しており、新たに得た情報を逐一アァリにも伝えていた。
『このサボテンが全部同じ?』
『ああ、人間で例えると成長の差はあるけどすべて同じ顔をした同一人物だ』
違ってたとしても見分けはつかないがね、と珍しく皮肉が挟まる。
『あの増え方は分裂による無性生殖と見なしていい。これだけの数がいるけど未だに一世代。他の遺伝子は混ざっていない』
『クローン、ってことですか』
アァリは自分にとってわかりやすい言葉で話を纏めた。
今の話をとても都合の良い解釈をすれば、この『大地のエネルギーへの適応』という変化はこの砂漠色のサボテンにもたらされた突然変異で、世界中でこの個体のみが持つ唯一無二の性質、という可能性が生まれる。
我々がそんな奇跡と出会ってしまったのは幸運なのかそれとも運が悪いのか。どちらなのか迷えるだけアァリには余裕があった。
レムゥドの背中に隠れていたアァリは自分の手に力を込める。
ずっと考えていた。サボテンの再生力は大地のエネルギーがあってこその力だ。ならその源を取り除いてしまえばいいのではないか。
ペコの有害な大地のエネルギーを請け負ったあの時のように。
あの後、アァリが変調をきたしたのはあくまで有害な大地のエネルギーを吸い取ったせいであり、サボテンが有しているのは正常な大地のエネルギーだから問題はないはずだ。
アァリは砂漠色のサボテンを睨みつけた。先程よりその針が鋭く見える。サボテンに手の平で触れるには無視出来ない。この手の中に、必要ならば外まで食い込ませなくてはいけないだろう。
もっとも、この事態の前では些細な事だ。
それよりも、とアァリは小さくため息をついた。
こんなに大量のサボテンから根こそぎ吸い取っていたらまたぶっ倒れるかもしれない。せっかく外出禁止が解かれたのにこれでは元の木阿弥だ。
思い出して苦笑した。そういえばあの時のレムゥドは今よりもよっぽど焦っていた。改めて思い返してみるとあの反応はとても愛おしい。
緩んだ口元を引き締め、アァリは手を伸ばす。自分が守るべきものの為に。
『アァリ』
サボテンに近づこうとしたアァリをレムゥドが背中越しに制止した。
『君が無茶をしてどうする。君を守れなければ意味がない』
『でも……』
『この件は私に任せてくれ。頼む。もう君が傷ついていくことを許せそうにない』
レムゥドの何らかの感情を押し殺しているような声を聞いて、アァリはやっと自覚出来たような気がした。
アァリがレムゥドを守りたいように、レムゥドもアァリを守りたい。そこまではわかっていた。だけどその先がわかっていなかった。
自分を大切に想ってくれる誰かが現れた時。それが自己犠牲の限界なのかもしれない。
『——サボテンから大地のエネルギーを引き剥がすのがいいと思います。レムゥド、サボテンを地面から隔離することは出来ますか?』
『出来るけど、この数をすべて捕らえるのは工夫しなきゃ無理だよ?』
『試しにやってみるだけなのでとりあえず一部だけで大丈夫です』
『わかった』
レムゥドが魔法を発動させた。周囲の木の根が地面から飛び出し、円を作るように絡み合う。サボテンが木の根のサークルの内と外の二種類に分けられ、内側のサボテンが魔法によって鋭い針ごと泥の球の中に飲み込まれた。直径四メートルはある巨大な泥団子の存在はサボテン側にもプレッシャーを与えたのか、しばしの間、夜は元の静寂を取り戻した。
アァリはサボテンを内包した泥団子を見上げる。
『この状態なら安全に大地のエネルギーを取り出せますよね。上手くいけばいいんですが……』
効果があったとしても、所詮は焼け石に水という結果になるかもしれないのは覚悟している。だが少しでも屋敷へ帰還する道筋になる可能性があるのなら、それでも構わない。
泥団子の外側は硬い粘土質の土でコーティングが施され、だいぶ分厚くなっている。果たして外から触れて中のサボテンから大地のエネルギーを吸収できるだろうか。
そんな懸念は最悪の形で霧散した。
泥団子の表面に亀裂が走ったかと思うと、次の瞬間にはボコボコと脈動を始めた。その光景は孵化間際の卵を連想させる。
アァリは下校中に見かけたアスファルトのヒビから生えた雑草を思い出していた。
家に帰ってから調べたのを覚えている。あれはアスファルトの隙間を縫って這い出たのではなく、植物の成長時の膨圧でアスファルトを押し退けたのだ。
アァリの世界の植物ですらそれだけのパワーを持っている。この魔物に粘土質ごときでは話にならなかった。
産まれたのは泥団子を上回るサイズの巨大なサボテン。膨らんだ気球のようなシルエットだが、決してキレイな曲線ではない。
泥団子の中のサボテンが一つになったのは見ればわかる。ただしそれは融合でも統合でもなく、ただ己以外を取り込むように成長しただけだ。
己以外と言っても隣にいたのは血どころか身を分けた自分自身だ。アレも自己犠牲に含まれるのだろうか。流石に曲解だがあれと同類の事に身を投じていたと思うとアァリは背筋が凍った。
盤面の変化を感じとり、アァリは身構えた。
今度はどうなる? 何をしてくる? どうボク達を絶望の淵に落としてくれる?
不安じゃないと言えば嘘になるが、気持ちは落ち着いていた。側には守りたくて、そして守ってくれる彼がいる。独りよがりのサボテンなどもう怖くなどない。
『——そういう事か』
『え?』
唐突かつ限りなく自然体で出てきた呟きにアァリはつい聞き返してしまった。
『……すみませんレムゥド。士気が下がるので急にいつもの調子に戻るのやめてもらっていいですか?』
『あぁ、ごめん。やっとわかったから素のままで言っちゃったよ』
レムゥドの言葉にどきりとした。心音が跳ね上がる。アァリは何故かそれを隠すように冷静を装って尋ねた。
『わ、わかったって何がですか?』
『もちろん、あのサボテンの対処法さ』
『ほんとですか⁉︎』
アァリは巨大サボテンを一瞥してレムゥドに視線を戻した。
『どうするんですか⁉︎ ボクなんでもやります!』
『まあまあ、順を追って説明するよ。私達は色々と勘違いをしていたんだ』
はしゃぐアァリを宥め、そのまま雨で濡れた前髪を整えてからレムゥドはゆっくりと巨大サボテンを指差した。
『まず、あの大きさになったのは拘束を破る為だと思っていたんだけど違ったんだ。少し前からサボテンが再生も自壊も止めているよね?』
アァリは短く返事をした。確かに辺りはレムゥドのペースに合わせるかのように穏やかだった。
『向こうの方針が変わったんだ。ずっと気になってたんだろうね。大地のエネルギーを操る私のことが』
『あっ! わかった! 向こうが持ってる大地のエネルギーを使って魔法を発動させるんですね!』
『惜しい。あの大きいサボテンならそれが出来るけど他のサボテンだと魔法を使うには足りないんだ。でも着眼点はいいよ。向こうは最初から『生息地域の拡大』じゃなくて『大地のエネルギーの確保』が目的だからね』
『そう、ですね……?』
アァリは眉をひそめた。『大地のエネルギーを確保』する為にこの森へ侵略、つまり『生息地域の拡大』をしたのではないのか。
『あの植物はもう生物の概念を超越している。大地のエネルギーさえあれば水も日光も空気すら必要ないんだ。再生もできるから外敵の存在を無視したっていい。分裂で繁殖も出来る。極論を言えばどこでも生きていけるから無理に生息地域を広げてもメリットが薄い』
『なるほど』
『ただ生存する』という目的を果たすだけなら、あのサボテンの生命力を持ってすれば環境に求める要素は大地のエネルギーの有無以外に何もない。
まだレムゥドの意図がわからないが、とりあえずあのサボテンは『大地のエネルギーの確保』が最優先事項らしい。
『大地のエネルギーを求めていたから大量の大地のエネルギーを持っている私達が狙われた、それは話したね? でも私達を追い詰めている間に私が魔法を使う為にどこからか大地のエネルギーを引き出していることに気付いたんだ』
『なるほど!』
レムゥドが魔法に使用している膨大な大地のエネルギーは地中にある。それを理解したサボテンはターゲットを地上から地中へと変えた。
あの巨大な姿は大地のエネルギーを独占したいという自己中心的な欲望が肥大化したものだ。容量を増やし、地中の恵みを渇いた砂を体現したような体に収めようという魂胆だ。
『もうボク達は狙われてないんですね!』
危機はまだ去っていないが、サボテンの狙いが自分から外れたことが嬉しいアァリは顔を綻ばせた。
『そう。そしてあの膨張はある事を証明している』
レムゥドの言葉に感情が乗り出した。サンプルにと回収したサボテンを解剖していたあの時の感情だ。
『容量を増やしたということは許容量に限界がある。当たり前のことだけど失念していたよ。不死に近い性質に惑わされた。私達はあのサボテンにするべきことは大地のエネルギーを取り除くのではなく、その逆だったんだ』
レムゥドの手が空中で何かを掬い上げるように動く。
ズシン、と地面の下から踏み締めるような地響きが伝わってきた。地響きは地の奥底から地上へ向かって近づいていくる。目標はあの巨大サボテンだ。
今、あのサボテンは何を考えているのだろう。念願の相手が向こうからやってきて狂喜しているのか。
それとも己の欲望故に身を滅ぼした後悔か。
ドクンッとサボテンが確かに身震いした。それに呼応して他のサボテンも風も無いのにざわめきだす。
考えるまでもない。過剰摂取だ。
水を大量に蓄えることのできる多肉植物といっても水を与え過ぎると根を腐らせ枯らしてしまう。限りなく不死に近い生命力を持っていても所詮、真の不死ではない奴にも限界はあった。
空気を送り込まれる風船のように更なる膨張を見せるサボテンをアァリはじっと見つめていた。
破裂する所は正直言うと見たくない。大きな音だってするかもしれない。しかし勝者の余裕なのか、看取ってやるのが正解な気がした。
『もうそろそろだ』
レムゥドの目測を聞き、耳に手を当てて目を眇める。
そして、ついにその時がきた。
『——? ……なにこれ』
自らの許容量を超えたサボテンは再び姿を変えた。
いつの間にか薄くなった雲の隙間から漏れ出した光がその詳細を露わにする。
綺麗だと素直に思った。
そこには今までの所業とは結び付かない純白で、優雅な大輪の花が咲いていた。
真っ白な花弁はうっすらと月の光を透過させていて、その華奢な姿は儚さを感じさせる。
アァリは月下美人という言葉が思い浮かべた。詳しい意味はわからないがこの情景を例えるのにこれほどぴったりな言葉はない。
軽く肩を叩かれたアァリはレムゥドの方を振り向いた。彼が何かを指差して視線を誘導してきたので、それに沿って顔を動かす。
『わぁ……』
見ると、巨大サボテン以外の小さなサボテンも同様の花を咲かせ、一時は砂漠と化していた森が淡い白い光を放つ幻想的な花園に変わっていた。
『なんで他のサボテンも……?』
『同一個体だから危機と変化が伝わったんだ。同調と言ってもいいかもしれない』
『分裂しても繋がってるものなんですね。それはそうと何でこのタイミングで咲いたんですか?』
『次の世代に繋げる為さ。命の終わりを悟って本来の繁殖方法にすがったんだ。彼に適応できる仲間がいるとは思えないけど』
不死身という力を失い、孤高は孤独に変わった。
外来種である彼に頼れるものはない。
今なら分かる。自分勝手に、傲慢に振る舞うのは一種の自己証明だ。
『——レムゥド、何でボクがあのサボテンを嫌ってるのか訊きましたよね。あれ、気持ち悪いからって理由で嫌ってたんです。なのに今は綺麗だって思ってます。ほんと勝手ですよね。——ごめんなさい』
『何で謝るの? 今は好きなんでしょ。じゃあいいじゃないか』
レムゥドはしれっと言い切った。
『好きになるまでに紆余曲折あった。それだけさ。私もあの花のことは気に入ったよ。アァリに似ている』
『えー、似てますか? 綺麗ですけど元はあのサボテンですよ?』
『似てる似てる。さあ帰ろうかアァリ』
『はい。もうくたくたです。帰りましょう我が家へ』
白い光の道標を眺めながら二人は帰路についた。
大地のエネルギーに適応したというこの植物は幻想的かつ幻惑的で、確かに魔力を感じさせる。
なら、とアァリは推測した。
レムゥドは——大地のエネルギーに適応した人間?




