第81話 病人の場合
高宮ヒサ江の人生は変化の連続だった。
昭和初期に生まれ、平成、令和と目まぐるしく移り変わる時代を生きた彼女はしかし、同世代の中では珍しく時代に取り残されずに生きて来た人間だった。
当時始まったばかりだった男女共学の中学校に通い、
女性の社会進出によって人気の職となったデパートガールや電話交換手を務め、
結婚・子育ての後は普及し始めたばかりのインターネットを使い始め、
平成でオタク文化にはまり、
令和になる頃にはSNSやサブスクを使いこなすデジタルつよつよお婆ちゃんと化していた。
しかし、充実した日々を過ごしていた彼女の人生は終わりを迎えようとしていた。
「残念ながら、余命3か月です。長くとも」
そこは診察室だった。ヒサ江がよく知るかかりつけの病院である。
魔法陣に乗ってどこかへ転移したと思った直後の出来事である。彼女は椅子に座っており、目の前の医師からそう診断された所だった。
「かなり進行が速いタイプで、半年前の検査ではなんとも無かったのにもう末期状態まで進んでいます。あと1か月もすれば歩く事も出来無くなるでしょう」
その医師の言葉を聞くのが初めてであれば動揺は必須だろう。だが彼女にとっては2回目。懐かしいと感想を抱くくらいには彼女は落ち着いていた。
「終末期医療を提案いたします。これは治療や延命ではなく苦痛を和らげる事を目的とした――」
ヒサ江は医師の提案に即答せず、考えさせて欲しいと答えて病院を後にした。
「これからどうしましょうか」
自宅へ向かいながら今後について考えを巡らせる。
本来の歴史では彼女は終末期医療を受けなかった。病院のベッドで苦しみながら死を待つ位なら、と思った彼女は2週間後に海外に渡航し、現地の医療機関で安楽死する事を選んだ。その事に後悔は無い。
だがこのダンジョンのクリア条件は自殺の回避である。おそらく安楽死が自殺と判定されている以上、同じ選択肢を選ぶべきでは無い。
果たして終末期医療を受ける事が正解なのか、そんな事を考えつつ1人暮らしの自宅に帰宅。
「ひとまず先に身辺整理を終わらせてしまいましょうか」
彼女は判断を保留して終活を進める事にしたのだった。
老人会、華道教室、武術連盟、シルバープロゲーミングチーム等々、自身が所属している団体へ事情を説明し必要な手続きを済ませていく。
そうして目の前のタスクを1つ1つ消化して残ったのは、ある懸念点であった。
「ホス坊、大丈夫でしょうか」
ヒサ江はテレビをつけニュース番組にチャンネルを変えた。報道されているのはカタギリ精機の不祥事について。
彼女の記憶が正しければ、メディアは数か月に渡りこの話題で持ちきりだったはずだ。ホスディアが自身の置かれた状況をなんとか出来るのか、それが心配であった。
なぜカタギリ精機の社長、片桐剛がホスディアである事を知っているのか。それにはあるきっかけがあった。
春のボス祭りでの出来事である。転生者達は4チームに分かれてボスダンジョンを偵察した。当然彼女もそれに参加していた。その偵察で、ホスディアのボスダンジョンを訪れたのでである。
~片桐剛のダンジョン~
区分 :ボス
タイプ:アリーナ
人数 :7名以下
対象者:ホスディア
彼女はダンジョン名を一目見てカタギリ精機の社長もこの世界に来ているのだと察した。だがその後ホスディアと出会い、彼の印象は大きく変わっていった。
神父に言われるがままダンジョンを攻略するのではなく、情報を集め、戦略を立て、計画的に転生を目指すホスディアの姿は、ニュースで言われているようないい加減で無能な人物像とは大きくかけ離れていた。
ホスディアと接する内、彼は彼女の“推し”となった。
果たしてホスディアは今どうしているのか。
「今から行ったら会えるでしょうか?」
思い立ったが吉日、彼女は着物に着替えてデパートに向かった。和菓子屋で土産のようかんを購入し、新幹線とタクシーを乗り継いでカタギリ精機へ。
関係者以外立ち入り禁止と書かれた門を素通りし会社の正面玄関へ行くと、人気のないロビーがガラス越しに見えた。インターホンがあったので迷わずプッシュ。
果たして誰か居るのか。そう思いながら待つこと十数秒、マイクから返事があった。
『……どちら様でしょうか』
良かった、人が居た。そう安堵しつつ、彼女は用件を伝えた。
「突然押しかけてしまい申し訳ございません。片桐社長にお会いしたいのですが、本日おられますでしょうか?」
『片桐は私ですが……』
「まあ、あなたが。わたくし、高宮ヒサ江と申します。大切なお話がございまして、少しお時間をいただく事は出来ますでしょうか」
『……どこかでお会いしましたでしょうか? 話というのは一体……』
怪訝そうなその声には疲れが滲んでいた。ホスディアの現状を察したヒサ江は会いに来て正解だったと確信した。
「うふふ、こう言えば分かっていただけるでしょうか」
『……?』
彼女はほんの少しのいたずら心と親愛を込めて、こう言ったのだった。
「ホス坊、会いに来ちゃったのじゃ」
応接室で向かい合う2人。味を感じる事は出来無くとも、形式としてお茶とようかんがテーブルに置かれていた。
「おお! ホス坊、味は感じなくとも温かさは感じるのじゃ。飲んでみい。心が落ち着くのじゃ」
物静かな片桐とは対照的に、老婆はいつもの口調で話しかけた。言われるがまま片桐もお茶を飲む。
そういえばダンジョンに入ってから全く飲み食いしていなかったなと気づく片桐。
「会えて嬉しいのじゃ。ワシは今日この世界に来たばかりなのじゃが、ホス坊は見た所そうではなさそうじゃの?」
「ああ、もうすぐ半年になる」
「……思ってたよりずっと長かったのじゃ。手こずっておるのかの?」
「会社がつぶれるのを阻止出来なかった。会社への支払い請求が俺個人に届き始めている。もうどうしようも無いと思っていた所だ」
「これからどうするつもりじゃ?」
「一旦死んでもう一度このダンジョンに挑むつもりだ。次はもっと上手くやる」
やりなおすと言った彼を見て、ヒサ江は顔をしかめた。自殺を回避するのがクリア条件なのに性懲りもなく自殺するつもりだと分かり、彼女は口調を強めた。
「ホス坊、そんなに会社が大事かの?」
「……? ああ、俺の人生の全てを注いで来た会社だからな」
「じゃがな、ホス坊よ、この世界はダンジョンじゃ。お主がこの世界で会社を立て直しても、過去が変わる訳では無いんじゃよ?」
「…………諦められないんだ。諦めたら、終わってしまう」
「この世界にこだわっても何にもならんのじゃ」
その言葉は、彼にはこれまでの努力の否定に感じられた。思わず声を荒げてしまう片桐。
「ならどうしろというんだ! 俺の人生は、今までの努力は全部無駄だったとでも言いたいのか! 過去は変わらなくともダンジョンをクリアするためにここに来たんだ。ここからどうやってダンジョンをクリアしろというんだ!」
バシンッ!
ビンタされ、片桐は宙を舞った。そのまま床に落下しゴロゴロと転がる。
「ぐふっ、強すぎだろ……。本当に老婆かお前は……」
「その老婆にすら勝てぬ程弱ってしまったんじゃな。かわいそうに」
「絶対違う……」
達人は起き上がろうとする片桐をそっと介抱した。
「ホス坊、無駄になどなっとらんよ。お主が培ってきた能力はワシらを導いてくれておる。ワシらのパーティーにはお主のリーダーシップと計画力が必要じゃ。
お主が居らんかったらワシは今でもあの神父の言葉を鵜吞みにしてダンジョンに突撃しとったよ」
「だが……」
「ホス坊、お主は過去に執着してしまっておる。考えてみい。会社を立て直さないとクリア出来無いなんて誰が言ったのじゃ?」
「それは、……しかし」
ヒサ江は片桐を抱きしめた。背に回した手に感じる感触は、重圧を背負ってきた者の背中の感触だった。
凝り固まったものを解きほぐすように、彼女は背中を優しくトントンと叩く。まるで子供をあやすように。片桐はそんな彼女の行動に、ようやく自分は否定されていた訳では無いのだと理解した。
「大丈夫、大丈夫じゃよ。ホス坊がこれまで頑張ってきた事はよう伝わっとる。
努力してきたんじゃもんな。悔しかったんじゃもんな。だから自殺なんて愚かな事をしてしまう程に自分を追いつめてしもうたんじゃな」
努力は報われなければ意味はない、彼はそう思っていた。だがそうでは無かったのだと気づかされた。努力を認めてもらえるだけで、彼の心はすでに満たされていた。
「ホス坊が頑張り屋さんな事は、ホス坊を知っとる人なら皆分かっとるよ。少し回り道しただけじゃ。なにも無駄になっとらんよ」
「うっ……ううっ……」
気が付けば彼の目には涙が流れていた。今までどんなに辛くとも浮かばなかった涙が、今はとめどなくあふれて零れ落ちていく。
「よしよし。今はいっぱい泣いて良いんじゃよ」
彼はもう取り繕う事すら出来なかった。しなくて良いのだとも思った。自分を受け入れてもらえる事への安心感が、彼を縛っていたものから解放した。
それからしばらくの間、応接間に彼の泣き声が響き続けたのだった。




