第79話 債務者の場合(前編)
企業とか法律とかの小難しい話は苦手という方は読み飛ばしいただいても支障はございません。
気が付くと男は捨てられた段ボールの前に立っていた。
そこは工場の隅に設けられたごみ捨て場であった。作業服と帽子の着心地になつかしさを覚えつつ状況を確認する男。
彼の名は片桐剛。もう1つの名をホスディアという。この工場、カタギリ精機の社長である。
手帳とスマホを取り出し、何がどこまで進んでいるかを確認。そして分かったのは、彼は事件が発覚する直前に戻ってきたという事だった。
目の前の段ボールを見ると、その中の1枚に中国語で何かが書かれている事が見て取れる。彼の会社は中国とは取引していないにもかかわらずだ。
「ありがたい。ここからのスタートなら対処も容易だ」
どれだけ早い段階から対策を打てるか。それが懸念だった。攻略チャートは組み立ててきたが、スタート地点が遅ければ打てる手が無くなってしまう。ある程度の猶予があると分かり喜ぶ片桐。
さながらRTAのように、彼は行動を開始した。
カタギリ精機は金属加工を行う中小企業である。主な取引先は自動車などの国内の大手製造メーカー。企業理念は、国内産業の発展に貢献する事。
何事も、発展のためには試行錯誤が不可欠である。カタギリ精機は複雑な加工品の試作を積極的に請け負っていた。依頼主から設計図を受け取り、製造方法を模索するのである。
始まりはガレージに収まるような小さな会社だった。そこから徐々に実績を積み重ね、現在は従業員40名を抱えるようになった。
そしてついにその技術力が認められ、国立の宇宙開発機関であるNAXAから新型のロケットエンジンバルブの試作を受注するほどにまで成長したのである。
ジェットの噴出口内部の圧力を意図的に偏らせる事で推進方向の自由度を大幅に高める新技術。完成すれば天候不良による打ち上げ延期を半減させられると期待されていた。経済効果は年間数億円にもなる。
経営は順調なはずだった。
事の発端は今この時、彼が中国語の書かれた段ボールを発見した時だった。企業理念の通り、取引先は国内のみ。なぜ中国語が書かれている段ボールがあるのか。
それは、社員の1人が秘密裏に中国の業者に加工を外注していたからであった。犯人の名は岡沢。会社設立当初からの古株である。
依頼主からの無茶ぶりといえるような要求に頭を抱えた末の犯行であった。
元の歴史ではメールのチェックによって岡沢が犯人だと特定された。片桐が問いただすと岡沢は素直に犯行を認めた。が、わずかに目を離した隙にメールサーバーと自身のパソコンのデータを消去して姿をくらましてしまった。
その結果、元の歴史では被害範囲の調査に難航し、ついには全貌を明らかに出来無かった。
「だから犯行がばれたと気づかれる前にデータのコピーを取っておく」
暗記してきた攻略チャートを口に出しながら頭を整理する片桐。
国の威信をかけた宇宙開発の技術を他国に流出させたとして、この事件はこれから大々的に報道される。全国からバッシングを受け、信用は失墜し、受注は途絶える。
今度こそそうはさせるかと、彼は心の中で誓った。
目標は会社を存続させる事。
そして、全てを失い自殺するという結末の回避である。
彼はデータのバックアップを取り次のステップへと進んだ。
「岡沢の身柄も確保したい。そのためには警察の力が必要だ」
元の歴史では岡沢は逃亡した。後で警察から、中国に渡ったと聞かされたのみである。以降の足取りは不明。これもまた事件の全貌を明らかに出来なかった理由の1つである。
ホスディアは集めた証拠を持って最寄りの交番を訪れていた。被害の届け出である。罪状はとりあえず背任罪を主張しておく。
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刑法第二百四十七条(背任)
他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
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被害届を出しても逮捕までは数か月かかる場合もある。事実関係の調査が必要だからだ。だが片桐には策があった。
逃亡や証拠隠滅の恐れがある場合、身柄拘束の必要性が認められ速やかに逮捕に至る事もあるのである。
策とはそう、岡沢に証拠隠滅を実行させる事。すでにデータのバックアップは取ってあるため証拠隠滅は不可能である。必要なのはやろうとした事実だけ。
「被害届けの提出は終わった。後は工場に戻って岡沢を問い詰め、データを消去した所を現行犯で捕まえて警察を呼ぶ」
策は功を奏し、岡沢は即日で警察に逮捕された。
既に被害届を出していた事、駆け付けたのが被害届を受け取った警官であり事情を知っていた事、それらによりスムーズに事が進んだ。
これで最長48時間、検察官の勾留請求が認められれば更に20日までの身柄拘束が可能となる。どこまで自白を引き出せるかは警察に期待だ。
「次は関係者への事情説明だ」
今後の対外発表に向けた事前通達。すなわち根回しである。
取引先への説明は片桐が直接赴いた。岡沢のメールから、被害があった取引先はNAXAを含めた7社に絞り込めている。
まずは被害が確定している取引先へ。そして応対に出てきた役員の一人と面会。
「誠にっ! 申し訳ございません!!!」
ガンッ!
相手が口を開く間も与えずに土下座し頭を床へと叩き付けた音である。頭を上げると、血管が切れたらしく血がピューっと放物線を描いた。
元の歴史では開口一番怒鳴りつけられた。だが今回は相手は面食らって口をあんぐりと開けていた。
一拍の間をおいて再起動したお偉いさんは遺憾の言葉とともに詳細な説明を要求したが、元の歴史ほど感情的ではなかった。自分以上に感情的な人間が居るとかえって冷静になるものである。
片桐は同様に被害があった取引先へ謝罪して回ったのだった。
次は被害が無かった取引先へ。
「信用を裏切る行いをしてしまい、誠に申し訳ございません。調査の結果、御社との取引情報は流出していない事が判明しておりますので、どうか今後も取引を継続いただければ幸いにございます」
証拠が残っており被害範囲が明確である事が功を奏した。
元の歴史では被害範囲の確認すら十分に出来無かったのである。被害があるかもしれないが確認出来無いなどという有様では建設的な話し合いは出来るはずも無かった。
証拠が残っており被害範囲が明確であったからこそ、今後の関係修復についても話をする事が出来たのである。
とはいえ今後取引を停止する会社も出てくるだろう。どれだけ繋ぎ留められるかはこれからの努力次第である。
「次は対外発表だ」
元の歴史では証拠が残っておらず、記者からの質問に対して「調査中」という回答ばかりとなってしまった。記者会見は荒れに荒れ、会社には非難の電話が殺到した。その対応に追われ、事件の調査はおろか通常業務すらまともにできない有様であった。
今回は記者へはまともな回答が出来るだろう。残すは会社への非難であるが、
「電話線は抜いておく」
代わりに用意したのはクラウドPBX。簡単に言えばパソコンを電話として使用できるサービスである。それにより新しい電話番号を取得した。対外発表後、業務にはこちらの電話番号を使用する。
従業員と取引先にその旨を伝えて準備完了である。
そして翌日。
片桐は控室でネクタイを締め直していた。キュッと首元を締め、ついでに気も引き締める。
記者会見で話す内容は固まっている。表情、立ち振る舞い、声の抑揚なども含めて練習してきた。記者からの質問への備えも万全。
ここからが本番である。
ホームページでの報告と会見の開催通知により既にメディアからの注目が集まっていた。
取引先を公表していないにもかかわらず、NAXAの技術を漏洩させた事がすでにメディアに突き止められていた。元の歴史同様である。NAXA側の職員が漏らしたのかもしれない。
近頃大きな事件が無かった事もあり、ニュースではこぞって今回の事件が取り上げられていた。そして今後数か月は他に大きな事件が起こらず、この事件ばかりが世間に注目される事になる。
これだけ準備してもなお、厳しい目を向けられる事は避けられないだろう。
それでも、やらねばならない事だった。
「さて、行くか」
片桐はフラッシュの瞬きに出迎えられながら、会見の場に姿を現したのだった。
隠しダンジョンをクリアし魔法陣から帰還した俺。周囲を見渡すと、そこは洞窟だった。近くにはシリルさんとケムシン。
だが様子がおかしい。ケムシンが両手を地に付いてがっくりとうなだれていた。
「あ、お帰りっス」
「シリルさん、ただいまです。あのそれ、ケムシンはどうしちゃったんですか?」
「なんか野球見れずに戻ってきちゃったらしいっス」
あー、久しぶりの日本を楽しもうとしたのか。実は俺もゲームしようとしたんだけど、画面が真っ暗になって全然遊べなかったんだよな。食事も味がしなかったし。
たぶん飲み食いや娯楽といった禁止事項はこのダンジョンの中でも変則的に有効なのだろう。さすがに飯食わないとあっちの世界の人から心配されるしな。
「っていうか俺が帰ってくるまでどれくらいかかってました?」
俺の体感では日本で2週間は過ごした。まさかこっちでも同じだけの時間が経っているのだろうか。
「さあ? 自分もさっき戻ってきた所っス」
分からないか。そう思ったらマオが教えてくれた。
『5分ほどです。それまではミョンチー様との念話は途絶えていました』
お、そうなのか。浦島太郎になってないようで安心した。なら残り2人もそんなに待たずに帰ってくるだろう。
「じゃあホスディアとバーバラさんが戻ってくるまで待つか」
「了解っス」
俺達は2人が無事戻ってくることを信じてその場で待つ事にしたのだった。
「あの2人なら無事クリアするに決まってるっス」




