第77話 社畜の場合
「部長、話ええですか」
とあるオフィスにて。唐突にそう言ってきた部下に部長は眉をひそめた。途中だったマインスイーパーを隠しとりあえず怒鳴っておく。
「お前俺に話しかける暇あるのか。今作業遅れてんだろ! 樋口の分の仕事いつになったら終わるんだ!」
面倒事の匂いを感じたら先に相手の不備を追及し罪悪感を煽っておく。そうする事でそれ以上他人に迷惑をかけられないという方へ思考を誘導し自分が巻き込まれないようにする。
これがブラック企業で部長まで昇りつめたバーコードハゲの処世術であった。
「2週間後に退職させていただきます。明日から有給使いますんで今日が最終出社です」
「…………はあ?」
しょーもない処世術は切って捨てられた。思考停止してあんぐりと口を開ける部長。
数瞬の間をおいて、部長の血圧が急上昇した。
よくもそんな舐めた事を、俺が押し付けた仕事も終わってない時に言ってきやがったな。そんな怒りが部長を支配する。
「ふざけてんのか!」
机を叩く部長の顔はゆでだこの様だった。あと少し歳を取っていたら血管がぶち切れていたかもしれない。
「仕事をさせてもらっておいてよくそんな簡単に辞めるなんて言えたな! お前なんかが他の会社でやっていけるわけないだろ! 俺が若いころは――!」
矢継ぎ早に出てくる罵声。
だが部長の罵声を浴びる男、増山は毅然とした態度を崩さなかった。
言いたいだけ言わせておく。そして部長が息継ぎをしたタイミングで、他の社員が一斉に口をはさんだ。
「私も退職いたします!」
「私も!」
「自分もです」
「同じく」
「辞めさせていただきまあす!」
部長の元へと集まり退職届をデスクに積み重ねていくフロア一同。脳の処理が追い付かなくなった部長は口をパクパクとしながらフリーズした。
「部長の度重なるパワハラ、アルハラ、セクハラ、その他ハラスメントに我々うんざりです。もう付き合いきれません」
「証拠の録音は皆で別々に保存しています!」
「今まで未払いだった残業代も請求させていただきます」
「労基にも通報しました」
「部長が隠ぺいした不正の証拠は役員に提出済みです。あんたもう終わりです」
次第に状況を理解し、真っ赤だった部長の顔が今度は真っ青になっていった。空調が利いているのに彼のシャツはいつの間にか汗でベタベタだった。
部長が選んだ対応は、いつもと同じ、怒鳴る事であった。
というよりそのやり方しか知らなかった。経験してこなかったのだ。それが彼がこの会社で積み上げて来た全て。
だがもはや誰も聞く素振りすらしない。話は終わったとばかりに各自のデスクに戻り荷物を整理し始めた。
デスクが近かった増山に詰め寄り殴ろうとする部長。その時部長の社用携帯が鳴った。
恐る恐るそれを取る部長。指が震えてうまく受話ボタンをフリックできない。何度目かにようやく成功し、携帯を耳へと当てた。
「もしもし、わたくし退職代行サービス『バイビー』の山田と申します。御社の樋口様より退職の意思を承りましたので代理でお電話させていただきました」
『先輩、お疲れ様でした』
「おう、樋口君もな」
全てが終わった後、増山は後輩の樋口と通話していた。
『すいません、僕だけ代行に頼ってしまって』
「ええよええよ。樋口君が一番沢山仕事押し付けられて大変やったやん。これ位させてぇな」
電話の向こうで、鼻をすする音が聞こえた。
『……ありがとうございます。多分僕、あのままだったらいつか自殺してたかもしれません』
樋口の予見は当たっている。本来の歴史ではケムシンだけでなく彼もまた自殺するのだ。それほどまでに彼らは追いつめられていた。
「辛かったわな。今はゆっくり休み。何をするにも、まずは心が元気にならんと」
『先輩はこれからどうするんですか?』
樋口からの問いに、ケムシンはにやりと笑った。そして目の前のドームを見上げる。
「久しぶりに、球場で野球見るで!」
ケムシン、もしものダンジョン、クリア。




