第103話 初めての喧嘩
「だって、死んでしまうんやで? ならこのままここで生きていけばええやん」
ケムシンの言い分はもっともなのかもしれない。自分という存在が消えてしまうのは死以外の何物でもない。今の生活に充実感を得ていれば、得ているからこそ、その選択は理解出来る。
「料理人にはこの世界でもなれるやろ? 転生したらその夢も無くなってまうんやで? 意味無いやん、そんなの」
「何言ってんだ。この世界じゃ俺達は食べられないんだぜ? 味を保証出来ないのに料理人は名乗れないだろ」
「他の人に聞けばええんや。調味料の量とか、温度とか、どうしたら美味しくなるか確認して、全部レシピにして同じように作ればええやん」
「料理ってそんな単純なものじゃないだろ。素材の状態とか、薪の燃える早さとか、食べる人の好みとか、毎回違ってくるはずだ」
素人の俺でもそれくらいパッと思いつくんだ。他にもまだまだあるだろうな。
「何も考えないで機械みたいに作り続けるのは違うだろ。工場製のコンビニ弁当を作りたいんじゃないんだ」
所詮は素人の思い描く理想に過ぎないのかもしれない。でも夢ってそんなもんだろ。それを思い描く前から否定してたら、夢なんて抱けない。
「俺は、夢を諦めるつもりは無いよ」
「その夢も転生したら無くなるって言っとるんや!」
「でも転生しないと叶わないって言ってるんだよ」
「何もかも忘れるのにどうやって叶うんや!」
「転生した方がまだ叶う可能性があるって言ってるんだよ!」
「そんな都合よく行く訳無いやろ!」
「夢なんだからそれで良いだろ!」
「もし夢が叶っても今のミョンチーとは別人やんか!」
「今の自分のまま転生出来るなんて考えの方が都合良すぎだろ!」
気が付けば俺達は大声で怒鳴り合っていた。
初めての喧嘩だ。今までこんな風になった事は無かったのに。
理由は分かっている。ケムシンはずっと俺に合わせてくれていたのだ。俺に判断をゆだね、俺の意思を尊重し、必要な時しか口を出さず、俺の成長を見守ってくれていたのだ。
ケムシンの許容範囲を初めて超えたのが偶然今回だったという、ただそれだけの事だ。
「マオちゃんはどうするんや。マオちゃんを置いて死ぬんか」
「マオは俺の好きにして良いって言ってくれてる」
「薄情や」
「じゃあなんで今まで俺の転生を応援してたんだよ!」
俺はケムシンを殴った。
「マオと別れる事になるのは最初から分かってただろ! 言い負かしたいからって都合よく主張変えてんじゃねーよ。マオをダシにすんじゃねえ!」
転んで地面に手をついたケムシンが、土を握りこんだ。俺は手招きした。
「来いよ、殴り合おうぜ。どうせ自分の方が年上だからって手を出すの我慢してたんだろ? 悪い見本にはなるまいってなあ」
「分かってるなら手ぇ出すなや!」
ケムシンの拳が俺の頬に突き刺さった。衝撃で体が揺れる。そこからは殴り合いだった。
「お前のはただの妥協だろ! 今の生活も悪くないもんなぁ。それを捨てて新しい世界に飛び込むのが怖いだけだろ!」
「それの何が悪いんや! 何がっ、悪いんやあああぁ!」
無茶苦茶に手を振り回すケムシン。俺はそれをノーガードで受けた。
転生者になってからずいぶんと戦ってきた。痛みはもうほとんど感じない体になっている。でも、ケムシンに殴られて心が抉られるようだった。
また拳が頬を打った。お返しにフックをお見舞い。よろけ方を見ればどちらの方がクリーンヒットかは一目瞭然だろう。
ケムシンの背中が地面についた。互いに息絶え絶え。ケムシンは転がったまま涙を流していた。
殴り合いは終わり、
「ケムシン。俺さ、自殺した時こう思ったんだよ。これで終われるってな。俺は死んで終わる事に救いを求めたんだ。
でもこの世界に来て、生まれ変わりたいって思って、考えが変わったんだ。死んでも次がある事は希望なんだって、そう思ったんだよ」
「…………」
「転生が死ぬ事と同じだってんなら、俺はこの世界で人生を全うする。マオをダンジョンから出して、困ってる人が居たら手を貸して、ギルドの仕事をきちんと次の人に引き継いで、皆との別れも済ませて、この世界でやる事は全部やって、出来なかった事は次の人生で出来たら良いなって、そう思いながら転生するよ」
なんで俺まで泣いてるんだろうな。俺は拳を握るのをやめ、地面に膝をついた。
「ケムシン、俺が今までやってこれたのはお前のおかげだよ。お前が居なかったらずっと1人でクヨクヨしてたと思う。お前が応援してくれたからやりたい事を見つけられたんだ」
俺はケムシンの手を取って起き上がらせた。ケムシンはもう抵抗しなかった。ただ、泣いていた。
気づけば、思わず抱きしめていた。
「本当にありがとう。感謝してる。こんな事になったけど、仲違いしたまま別れるなんて嫌だ。俺はお前がこの世界で夢を叶えるのを応援してる。だから、俺の夢も応援してくれないか?」
肩にケムシンの涙が伝って来るのを感じた。俺の涙もケムシンの肩に流れ落ちている。おあいこだな。
「ずるいやん。そんなん言われたら、嫌って言えへんで」
「じゃあこれからもずっと相棒でいてくれるか?」
「もちろんや……、もちろんやでぇ」
グズッ。俺は鼻水をすすりこんだ。どちらも顔中汁まみれだ。
俺達はしばらくの間、そのままそうしていたのだった。




