暇だったから、強くなった
ミルに来て、ひと月半が過ぎた。前田の一日は、きれいに固まっていた。
夜明け前に起きて、川岸で斧の素振り。五百回。最初は二百回で腕が上がらなくなっていたのが、今では五百回振っても息が乱れない。
若い体ってすげえなあ。貯金と一緒で、鍛えた分だけちゃんと貯まる。
朝飯を食って、商会で帳簿仕事。午後は週に二、三回、ギルドで依頼をこなす。そして夜は、宿の部屋で魔法の練習だった。火を灯す。消す。灯す。消す。風を起こす。石を浮かす。魔力が空っぽになるまでやって、倒れるように寝る。
これも理由は単純だった。婆ちゃんの教えだ。『魔力はな、使い切って寝ると、器が少し広がる。筋肉と同じだ』
筋肉と同じなら、話は早えんだよなあ。
前田は筋肉の育て方なら知っていた。港の男だ。毎日コツコツ、限界までやって、飯食って寝る。だから毎晩、空になるまで使った。ひと月半、一日も欠かさず。
◆ ◆ ◆
ある日の午後、討伐依頼でのことだ。森に、狼型の魔物が三匹出た。
「お、来た来た」一匹目が飛びかかってくる。体が勝手に横にずれる。すれ違いざまに斧の腹で叩く。一匹目、沈黙。二匹目と三匹目が同時に来た。「っと」前田は無意識に左手を出した。風が、爆ぜた。二匹まとめて吹っ飛んだ。木に叩きつけられて、動かなくなった。
前田は自分の左手を見た。「え、今の俺?」誰もいない森で聞いても、誰も答えなかった。「……魔法って、こんな威力出るもんだっけ」
ギルドに戻って報告すると、受付の男が眉をひそめた。
「三匹、一人でか。……あんた、ランクいくつだっけ」
「Eっす」
「……昇格試験、受けたほうがいいぞ」
「え、めんどくさ……あ、いや、そのうち受けます」
ランク上がると難しい依頼来ちゃうからなあ。俺は荷物運びがしたいんだけどなあ。
冒険者としては、たぶん間違った方向のやる気だった。
◆ ◆ ◆
ある朝、素振りをしていると、リナが川岸に来た。
「コロちゃん、ほんとに毎朝やってるんですね」
「お、リナさん。おはようございます」
「近所のおばちゃんたちの間で有名ですよ。『川岸の素振り兄ちゃん』って」
「何すかその不審者みたいな呼び名!」
「不審者だと思われてましたよ、最初」
「マジすか!?」
「今は『変だけど悪い子じゃない』に格上げされてます」
「格上げの幅が小さい!」
リナがけらけら笑った。
「ねえ、コロちゃんってなんで剣じゃなくて斧なんですか?」
「初めて魔物倒したのが斧だったんすよ。薪割り用の。それからなんか、縁起もんで」
「ふうん……強いんですか? コロちゃんって」
「どうなんすかねえ」
前田は首をひねった。
「魔物は倒せるんすけど、強いのかどうかは、自分じゃよくわかんないんすよね」
「昨日、ギルドの前で聞きましたよ。狼型を三匹、一人で倒したって」
「あー、あれはほら、体が勝手に」
「勝手に倒せるのが強いんですよ」
リナが呆れた顔をした。
「コロちゃんって、計算はあんなにすごいのに、自分のことになると急にポンコツになりますよね」
「ポンコツ言うな!」
「じゃあ、財布は今どこにありますか」
「腰の袋に……あれ」
「ほら!」
「……あ、あった。今日は右側に付けてたんだった」
「ポンコツじゃないですか」
リナが笑って、それから、ふと真面目な顔になった。「ねえ、コロちゃん。コロちゃんって、いつまでミルにいるんですか」
前田は素振りの手を止めた。
朝の川面が、きらきら光っていた。
上流から荷舟が一艘、ゆっくり下ってくる。
「……わかんないっす。でも、まだ見てないものがあるんで、当分いますよ」
「見てないもの?」
「飛空挺の荷降ろし」
「……それ見たら、どっか行っちゃうんですか」
前田は少し考えた。
「いや、見たら多分……もっと居座ることになる気がするっす」
「なんですかそれ」
リナが笑った。
「変なの」
「よく言われます」
リナが宿に戻っていった。その背中を見送って、前田はまた斧を振り始めた。
いつまで、かあ。前世では、考えたこともなかった。65歳の非正規に「この先」なんてなかったからだ。でも今は、違う。この先、何しような。
素振りの音だけが、朝の川岸に響いていた。




