数字で殴るのは、剣より痛い
マルスがいなくなって数日後、ダルクが前田を呼んだ。
「コウ。明日、取引先に同行してもらう」
「取引すか! いいんすか、俺なんかが」
「お前だから連れて行くんだ。カルソという商人でな……毎回、数字をごまかしてくる食えん男だ」
「ごまかすって、どうやってすか」
「大まかな数字で押してくる。細かく聞き返すと『儂を疑うのか、信頼関係はどうした』と話をすり替える。今まで誰も言い返せんかった」
あー、いたなあ、そういうおっさん。前世の下請けの営業にもいたわ。「細けえこと言うなよ、長い付き合いだろ?」ってやつ。
「わかりました! お供します!」
「頼んだぞ。……あと、頼むから向こうで物を壊すなよ」
「壊しませんよ!?」
「先週、うちの椅子を二脚壊しただろうが」
「あれは椅子が先に限界だったんす!」
◆ ◆ ◆
翌日。
カルソ商会は、ミルの中心部にある立派な建物だった。
「でっか! 倉庫三つもあるじゃないすか!」
「騒ぐな。田舎もんだと思われる」
「田舎もんなんで俺!」
応接室に通された。前田は出された椅子にそーっと座った。壊さないように。カルソが入ってきた。五十がらみ、目の細い男。にこにこしているが、目の奥が笑っていない。
「ダルク、よく来たな。……ん? その若いのは」
「うちの新入りだ。コウという」
「コウっす! よろしくお願いします!」
元気よく頭を下げた。
その拍子にテーブルの茶をひっかけそうになって、寸前で止めた。
「おっと、あぶね」
「……元気な小僧だな」
カルソが苦笑した。
「さっそくだが、本題だ。今月から、仕入れ値を二割上げさせてもらう」
「二割は高い」
ダルクが即座に言った。
「品質は去年と変わらんだろう」
「輸送コストが上がったんだ。三割もな。うちも苦しい。長い付き合いだ、わかってくれ」
出た。「長い付き合い」。
前田は横で聞きながら、頭の中でそろばんを弾いていた。輸送コストが三割増ねえ。……ん? 待てよ。
「あのー、すんません」
前田が手を挙げた。
カルソがじろりと見た。
「なんだ、小僧」
「輸送コストって、仕入れ値の中の何割くらいなんすか?」
「……二割ほどだが」
「あ、じゃあ計算合わないっすね」
「……なに?」
前田は指を折りながら、のんびり言った。「仕入れ値の二割が輸送費で、それが三割増えたんすよね。ってことは、仕入れ値全体で見ると……二割かける三割で、六分の値上がりっす。二割の値上げには全然届かないんすよ」
部屋が静まり返った。カルソの笑顔が固まっていた。
「二割上げたいなら、輸送費が今の倍以上になってないとおかしいんすよねえ。……あれ、俺なんか計算間違えました?」
「……間違えとらん」ダルクが笑いを噛み殺しながら言った。
カルソが咳払いした。
「こ、細かいことを言う小僧だな。商売は数字だけじゃない。信頼関係というものが」
「あ、それなんすけど」
前田はさらに続けた。
悪気はまったくなかった。
「信頼関係で言うと、カルソさんとこ、去年の秋からうちへの配送ルート変わってますよね? 帳簿の配送記録見てて気づいたんすけど、届く日数が二日縮んでるんすよ。ルート短くなったなら、輸送費むしろ下がってません?」
カルソの顔から、完全に表情が消えた。
ダルクが目を丸くして前田を見た。
「……コウ、お前、そんなことまで見とったのか」
「え? 帳簿整理してたら普通に書いてあったんで」
「普通は気づかん!」
カルソが長い長いため息をついた。
それから、両手を上げた。
「……降参だ。七分でどうだ」
「ん、輸送費の上がり分が六分なら、七分はちょっと乗せすぎな気もしますけど……まあ長い付き合いってことなら、いいんじゃないすか? ね、ダルクさん」
「……ふっ、ははは!」
カルソが突然笑い出した。
「小僧、お前、儂の台詞をそっくり返しおったな! 『長い付き合い』で一分乗せるか!」
「あ、いや、そういうつもりじゃ」
「いいわ、七分だ、七分で手を打つ!」
カルソが膝を叩いた。
「ダルク、こいつはどこで拾った」
「川沿いの宿でな」
「ええ小僧や。大事にせえ。……ただし小僧、次に来る時までにその計算、儂の商会には向けるなよ」
「え、なんでですか?」
「うちの帳簿にも穴があったら困るからに決まっとろうが!」
◆ ◆ ◆
帰り道、ダルクは終始上機嫌だった。
「見たか、カルソの顔。あの狸が言葉に詰まるのを初めて見たわ」
「いやあ、俺はただ計算しただけで……」
「その『ただの計算』ができる奴がおらんのだ、この世界には」
ダルクがふと、真顔になった。
「コウ。お前の計算は、剣より強い。今日ので確信した」
「剣より、っすか」
「剣は一人しか斬れん。だがお前の数字は、商売の嘘を丸ごと斬る。……大事に使え。そして、使い方を間違えるな」
前田は少し考えて、頷いた。
「……はいっす」
数字は裏切らない。でも数字で人を殴っちゃいけない。……そういや婆ちゃんも、似たようなこと言ってた気がするな。
◆ ◆ ◆
夜、川風亭。
「コロちゃん、今日はカルソさんとこ行ったんですって?」
「なんでもう知ってんすか!?」
「カルソさんとこの女中さんがうちに買い物に来て、『ダルクさんとこの若いのがすごい』って。もう川沿い中の噂ですよ」
「噂はやっ!」
「『目の細い狸を計算で黙らせた小僧がいる』って」
「言い方! 俺そんな武勇伝みたいなことしてないっすよ!」
「あと『でも茶をこぼしかけてた』とも」
「そこまで見られてた!?」
リナが腹を抱えて笑った。
「コロちゃんはほんと、すごいのかすごくないのか、わかんない人ですねえ」
「俺にもわかんないっす」
飯を食い終わって、前田は窓の外を見た。
川の向こう、街外れの広場の方向。
その機会は、思ったよりすぐにやってきた。




