↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/13

数字で殴るのは、剣より痛い

マルスがいなくなって数日後、ダルクが前田を呼んだ。


「コウ。明日、取引先に同行してもらう」


「取引すか! いいんすか、俺なんかが」


「お前だから連れて行くんだ。カルソという商人でな……毎回、数字をごまかしてくる食えん男だ」


「ごまかすって、どうやってすか」


「大まかな数字で押してくる。細かく聞き返すと『儂を疑うのか、信頼関係はどうした』と話をすり替える。今まで誰も言い返せんかった」


あー、いたなあ、そういうおっさん。前世の下請けの営業にもいたわ。「細けえこと言うなよ、長い付き合いだろ?」ってやつ。


「わかりました! お供します!」


「頼んだぞ。……あと、頼むから向こうで物を壊すなよ」


「壊しませんよ!?」


「先週、うちの椅子を二脚壊しただろうが」


「あれは椅子が先に限界だったんす!」


◆ ◆ ◆


翌日。


カルソ商会は、ミルの中心部にある立派な建物だった。


「でっか! 倉庫三つもあるじゃないすか!」


「騒ぐな。田舎もんだと思われる」


「田舎もんなんで俺!」


応接室に通された。前田は出された椅子にそーっと座った。壊さないように。カルソが入ってきた。五十がらみ、目の細い男。にこにこしているが、目の奥が笑っていない。


「ダルク、よく来たな。……ん? その若いのは」


「うちの新入りだ。コウという」


「コウっす! よろしくお願いします!」


元気よく頭を下げた。


その拍子にテーブルの茶をひっかけそうになって、寸前で止めた。


「おっと、あぶね」


「……元気な小僧だな」


カルソが苦笑した。


「さっそくだが、本題だ。今月から、仕入れ値を二割上げさせてもらう」


「二割は高い」


ダルクが即座に言った。


「品質は去年と変わらんだろう」


「輸送コストが上がったんだ。三割もな。うちも苦しい。長い付き合いだ、わかってくれ」


出た。「長い付き合い」。


前田は横で聞きながら、頭の中でそろばんを弾いていた。輸送コストが三割増ねえ。……ん? 待てよ。


「あのー、すんません」


前田が手を挙げた。


カルソがじろりと見た。


「なんだ、小僧」


「輸送コストって、仕入れ値の中の何割くらいなんすか?」


「……二割ほどだが」


「あ、じゃあ計算合わないっすね」


「……なに?」


前田は指を折りながら、のんびり言った。「仕入れ値の二割が輸送費で、それが三割増えたんすよね。ってことは、仕入れ値全体で見ると……二割かける三割で、六分の値上がりっす。二割の値上げには全然届かないんすよ」


部屋が静まり返った。カルソの笑顔が固まっていた。


「二割上げたいなら、輸送費が今の倍以上になってないとおかしいんすよねえ。……あれ、俺なんか計算間違えました?」


「……間違えとらん」ダルクが笑いを噛み殺しながら言った。


カルソが咳払いした。


「こ、細かいことを言う小僧だな。商売は数字だけじゃない。信頼関係というものが」


「あ、それなんすけど」


前田はさらに続けた。


悪気はまったくなかった。


「信頼関係で言うと、カルソさんとこ、去年の秋からうちへの配送ルート変わってますよね? 帳簿の配送記録見てて気づいたんすけど、届く日数が二日縮んでるんすよ。ルート短くなったなら、輸送費むしろ下がってません?」


カルソの顔から、完全に表情が消えた。


ダルクが目を丸くして前田を見た。


「……コウ、お前、そんなことまで見とったのか」


「え? 帳簿整理してたら普通に書いてあったんで」


「普通は気づかん!」


カルソが長い長いため息をついた。


それから、両手を上げた。


「……降参だ。七分でどうだ」


「ん、輸送費の上がり分が六分なら、七分はちょっと乗せすぎな気もしますけど……まあ長い付き合いってことなら、いいんじゃないすか? ね、ダルクさん」


「……ふっ、ははは!」


カルソが突然笑い出した。


「小僧、お前、儂の台詞をそっくり返しおったな! 『長い付き合い』で一分乗せるか!」


「あ、いや、そういうつもりじゃ」


「いいわ、七分だ、七分で手を打つ!」


カルソが膝を叩いた。


「ダルク、こいつはどこで拾った」


「川沿いの宿でな」


「ええ小僧や。大事にせえ。……ただし小僧、次に来る時までにその計算、儂の商会には向けるなよ」


「え、なんでですか?」


「うちの帳簿にも穴があったら困るからに決まっとろうが!」


◆ ◆ ◆


帰り道、ダルクは終始上機嫌だった。


「見たか、カルソの顔。あの狸が言葉に詰まるのを初めて見たわ」


「いやあ、俺はただ計算しただけで……」


「その『ただの計算』ができる奴がおらんのだ、この世界には」


ダルクがふと、真顔になった。


「コウ。お前の計算は、剣より強い。今日ので確信した」


「剣より、っすか」


「剣は一人しか斬れん。だがお前の数字は、商売の嘘を丸ごと斬る。……大事に使え。そして、使い方を間違えるな」


前田は少し考えて、頷いた。


「……はいっす」


数字は裏切らない。でも数字で人を殴っちゃいけない。……そういや婆ちゃんも、似たようなこと言ってた気がするな。


◆ ◆ ◆


夜、川風亭。


「コロちゃん、今日はカルソさんとこ行ったんですって?」


「なんでもう知ってんすか!?」


「カルソさんとこの女中さんがうちに買い物に来て、『ダルクさんとこの若いのがすごい』って。もう川沿い中の噂ですよ」


「噂はやっ!」


「『目の細い狸を計算で黙らせた小僧がいる』って」


「言い方! 俺そんな武勇伝みたいなことしてないっすよ!」


「あと『でも茶をこぼしかけてた』とも」


「そこまで見られてた!?」


リナが腹を抱えて笑った。


「コロちゃんはほんと、すごいのかすごくないのか、わかんない人ですねえ」


「俺にもわかんないっす」


飯を食い終わって、前田は窓の外を見た。


川の向こう、街外れの広場の方向。


その機会は、思ったよりすぐにやってきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。