忘れた頃に、記憶は動いた
その日は、朝から商会が騒がしかった。
「コウ! 今日は帳簿はいい、体を空けとけ!」
「え、なんかあるんすか」
「飛空挺が来る。うちの荷物が届く日だ」
前田は、持っていた帳簿を落とした。
「飛空挺!? 来るんすか!? 今日!?」
「お、おう。昼過ぎに」
「うおおおおお! ついに! ついに来た!」
「な、なんだお前、そんなに好きか飛空挺が」
「好きとかじゃないんす! 俺はあれの荷降ろしを見にこの街に来たんす!」
「荷降ろしを見に……?」
ダルクが首をかしげた。
「変な奴だとは思っとったが、筋金入りだな」
昼過ぎ、前田はダルクと一緒に街外れの広場へ向かった。歩きながら、ダルクが説明した。「飛空挺はグレイ船長の運行会社のもんだ。うちは金を払って荷を運んでもらっとる。ミルでこれを使える商会は、うちくらいのもんだ」
広場に近づくにつれ、影が大きくなった。そして、視界が開けた瞬間。前田は、足が止まった。
「……で」
「で?」
「でっっっけえ!!」
浮いていた。帆船より一回り大きい船体が、地上から十数メートルの高さに、静かに浮いていた。船腹の魔導石が青白く光って、低い唸りを上げている。太い係留索が何本も地上の杭に繋がれて、巨体を繋ぎ止めていた。
「はっはっは、驚いたか」
「驚くっすよ! なんすかあれ! 浮いてるんすよ!? あんなでかいのが! 音もなく!」
「魔導石だからな」
「魔導石すげえ!!」
前田は口を開けたまま、しばらく見上げていた。
すげえ。ほんとにすげえ。こんな技術があるのか、この世界。こんなもんが飛ぶなら、なんだって——
そこで。前田の視線が、船体から降りている物に移った。縄梯子だった。甲板から地上まで、縄梯子が数本垂れている。そこを、人夫たちが荷物を背負って、一段ずつ降りていた。
一人が背負えるのは、麻袋一つか、小さめの木箱一つ。
大きな荷物は縄で吊って、上と下で怒鳴り合いながら、少しずつ降ろしている。
「せーの! ゆっくりだぞ! ゆっくり!」
「右に振れてる! 右!」
「バカ、そっちの右か!」
ガツン、と荷が船腹にぶつかった。
「あーあー! 中身確認しろ!」
前田は、その光景を見ていた。さっきまでの興奮が、すうっと冷めていった。代わりに、別のものが頭の中に流れ込んできた。
——待ち時間。桟橋で、荷降ろしを待つトラックの列。一個ずつ、人の背中で運ばれる貨物。汗。怒号。落下事故。積み間違い。何日も港に縛られる船。
それは前田の記憶であり、前田の記憶ではなかった。1950年代のアメリカ。ニュージャージーの埠頭。トラック運転手の男が、荷降ろしの順番を待ちながら、苛立って煙草を揉み消す。
——何時間待たせる気だ。——荷物なんて、箱ごと積めばいいだろうが。
マクリーンの記憶が、堰を切ったように流れ込んできた。トレーラーの荷台を切り離す発想。規格化された鉄の箱。改造されたタンカー。笑う港湾業者。「あんなもん流行らん」。そして——世界中の港から、人夫の背中が消えた日。
前田は、目の前の光景をもう一度見た。縄梯子。人の背中。一個ずつの荷物。怒号。
これ、全部知ってる。これは「コンテナ以前」の港だ。1955年の、あの景色だ。
心臓が、ばくばく鳴っていた。計算が勝手に始まる。人夫十二人。一人往復で麻袋一つ。甲板の荷は目測で百個以上。単純計算で——半日仕事。その間、この飛空挺はここに縛られたまま。魔導石は浮くだけで魔力を食い続ける。
もったいない。もったいない、もったいない、もったいない!
「おい、コウ? どうした、震えてるぞ」
ダルクの声で我に返った。
「……ダルクさん」
「な、なんだ」
「あの荷降ろし、半日かかりますよね」
「ん? ああ、丸一日かかることもあるな。それがどうした」
「もし、あれが」前田は、喉が渇くのを感じながら言った。「もし、あれが一刻で終わったら、何が変わりますか」
「一刻?」ダルクが笑った。「ありえん話だが……まあ、もしできたら革命だな。飛空挺の借り賃は日割りだ。滞在が短くなりゃ、輸送費がごっそり下がる。浮いた日数で次の荷を運べば、儲けは倍々よ。……って、おい、なんだその顔」
前田は、自分がどんな顔をしているのか、わからなかった。ただ、頭の中では、もう出来上がっていた。規格化された箱。専用の飛空挺。積み降ろし用の魔導アーマー。箱のまま載せ替えられる馬車と魔導列車。全部が繋がった、一本の流れ。
できる。この世界でも、できる。いや——魔法がある分、あの世界より速くできるかもしれない。
「コウ?」
「……あ、いや」
前田は、口から出かかった言葉を、飲み込んだ。
——待て。落ち着け、俺。今それを言って、どうなる。
金はない。信用は、街の帳簿係レベル。人脈は商会一つ。この状態で「箱を規格化して飛空挺を改造しましょう」なんて言ったら、どうなるか。マクリーンの記憶が、答えを知っていた。
笑われる。それだけだ。
マクリーンだって、思いついてから実現まで二十年かかった。トラック会社を育てて、金を作って、船会社を買って、それでやっと最初の一隻だった。
順番だ。何事も、順番。
「……ダルクさん、なんでもないっす。それより手伝いましょう、荷降ろし」
「お、おう」
前田は袖をまくって、人夫たちの列に加わった。麻袋を背負いながら、縄梯子を降りながら、前田は考え続けていた。
まず、金。まず、信用。この現場を、隅から隅まで見て、覚える。焦らなくていい。俺はもう二十歳だ。時間は、たっぷりある。
背中の麻袋が、ずしりと重かった。その重さが、なぜだか少しだけ、嬉しかった。




