光の渦へ
決議から五日後の朝、ナギはヨルの小屋を訪ねた。
「ノードに行く」
ヨルは何も言わずナギを見た。
「光の渦。森の奥にある」
「見えるのか」
「ずっと前から見えてた。靄みたいに青く光って、引っ張られる感じがある。あそこに何かある。それが何なのかわかれば、森を止める方法もわかるかもしれない」
ヨルは黙っていた。否定しない。反論もしない。ただ考えている顔だ。
「ミノリも連れて行く。一人は嫌だ」
「わかった」とヨルは言った。「わたしも行く」
「足は持つか」
「持つ。杖があれば」
ミノリに話すと、ミノリは一秒だけ止まってから「行く」と言った。理由は聞かなかった。それがミノリという人間だった。
長老への申請はカヤが代わりにやってくれた。「調査のため森の縁を歩く」と伝えた。縁より奥に入るとは言わなかった。厳密には規則違反だが、カヤは「緊急性を鑑みて判断した」と後で言うつもりらしかった。
出発は昼前だ。食糧と水を持った。ヨルは普段より厚い上着を着ていた。
森の縁に来ると、ナギは空気の変化を感じた。青い粒子が濃くなる。目を細めると見える小さな光の点が、内側に向かって流れている。まるで透明な川が、森の奥へと流れているようだ。
「こっちだ」
ナギが先に立った。ヨルが杖を突いてついてくる。ミノリがヨルの少し後ろを歩く。
最初の十分間は、外から見る森と大差なかった。青い蔓が木の幹に巻き付いている。地面に青い苔が広がっている。だが樹冠が厚く、光が少なく、足元が見にくい。
「足元に蔓がある。気をつけて」
「わかった」とミノリが答えた。
三十分も歩くと、空気の色が変わった気がした。ナギの目だけが感じる変化だ。青い粒子が増えている。もう流れているというより、漂っている。密度が上がっている。光の点と点の間隔が狭くなり、空気そのものが薄く染まって見える。一歩踏み込むたびに、その染まりが濃くなっていく。十歩先の景色が、わずかに霞んで見えるほどだ。
「ナギ」とミノリが言った。「なんか頭がぼんやりする」
「森が深くなったからだと思う。出る?」
「いや、続ける」
ヨルが「わたしも同じだ」と言った。「だが歩けなくなったら言う」
ミノリの足取りはまだしっかりしているが、声に張りがない。ヨルは杖を突く間隔が少し広くなっている。それだけ一歩ずつを慎重に選んでいる。二人とも前に進む意志を保っているが、体が遅れている。ミノリは口を結んで正面だけを見ている。ヨルは杖で地面を確かめながら、視線を周囲に配っている。痛みに慣れようとしているのではなく、状況を観察しながら進んでいる。二人のやり方が違う。
ナギには不思議だった。自分は頭が痛くない。むしろ体が軽い。石を持っていなくても、この森の中では体の感覚が鋭くなる。粒子が体に流れ込んでくる感じがある。拒否感がない。自分はこの場所に、合っている。
粒子の流れが皮膚の表面をなでていく感触がある。温かくはない。熱くもない。ただ、何かと触れている感じがする。ナギは石を握っていない。それでも感じる。石は媒介に過ぎなかったのかもしれない、とふと思った。さらに奥へ踏み込むたびに、その感触が増す。体の芯に届いている気がする。
「この森は」とヨルが歩きながら言った。「昔、人が作ったものだ」
ナギは振り返らずに答えた。「口伝に出てくるか」
「細部は出てこないが、骨格はわかる。虫を使って、人が環境を管理していた。その管理の仕組みが、断絶の後に制御を失って暴走した。それがこの森だ」
「自然の森じゃないのか」
「少なくとも、最初は違う。虫が動かしている。虫の働きで植物が育ち、土が変わり、気候も変わる。百四十八年間、人の管理なしに動き続けた結果がこれだ」
ヨルの声は静かだった。断言するでも嘆くでもなく、ただ知っていることを話している、という声だ。長い年月をかけて口伝を読み込んできた人間の声だ。ミノリが何も言わないのは、言葉を選ぶ余裕がないからだろうとナギは思った。目が細い。額に汗がある。それでも立ち止まらない。
ナギはその言葉を聞きながら、足元を見た。青い苔が厚く積み重なっている。苔の中にも粒子が見える。生きている。全部、繋がっている。木の根も、苔も、空気も、同じ流れの中にある。虫が動かし、植物が応え、土が変わる。百四十八年のあいだ、誰にも止められずに続いてきた動きだ。
「人が作ったとしたら、止められる」
「それが今日来た理由か」
「そう。仕組みがわかれば、触れる方法もわかる」
ヨルは何も言わなかった。否定ではない。
一時間後、木々の密度が変わった。太い木が少なくなり、代わりに低い植生が広がっている。そしてその先に、石が見えた。
石壁だ。
青い蔓に全体を覆われているが、形は明らかに人工物だ。直線がある。角がある。自然の岩にはない形状だ。高さは三メートルほどあるだろうか。長さは左右に続いていて、端が見えない。
ミノリが「なんだここ」と呟いた。足が止まっている。声に驚きと、それ以上の何か——怖気に近いものが混じっている。片手を軽く持ち上げてから、降ろした。触れていいかどうか、一瞬迷ったようだった。
「ノードだ」とナギは言った。
ヨルは壁全体を視線でなぞった。上から下まで、左から右まで。感情が見えない顔だ。だが口伝と照らし合わせているのだとナギにはわかった。頭の中で何かを確認している。杖を持つ手が一度だけ強く握られた。長く探していたものを、ようやく目の前にした人間の動きだ。
粒子の流れが、この壁の内側に向かっている。まるで水が排水口に向かうように、全部の粒子がここに集まっている。壁の隙間から、光が漏れている。青白い光だ。外からでも見える。
ナギのナノ視では、光の渦が壁の向こうに見えた。巨大だ。今まで見たどの光よりも大きく、構造が複雑だ。渦の中心に、何かがある。
ヨルが壁の表面に手を触れた。「古い。石の積み方が、今の集落の技術とは違う」
「壁の裏に入れるか」
「入り口を探そう」
左に沿って歩いた。五十歩ほどで、壁の一部が崩れている場所があった。蔓が巻き付いているが、人が通れる隙間がある。光が強く漏れている。
「ここだ」
ナギは隙間を覗いた。中は明るかった。森の木々よりも明るい。光源は地面だ。床全体が淡く光っている。
「入る」
ナギが最初に通った。次にミノリ。最後にヨルが杖を持って身を屈めて通った。
内側に立つと、ナギは息が詰まった。
渦が、目の前にある。
巨大な石の構造物——かつて天井があったはずの建物の残骸——の中心で、青い光が螺旋を描いて回っている。直径は五メートルはある。高さは残った壁と同じくらい。その渦の中心から、光の柱が天に向かって伸びている。霧のような、煙のような。だが確かに、空へ向かっている。
「見えるか」とミノリが聞いた。「なんか光ってるのはわかるけど、ぼんやりしてる」
ミノリの目が細くなっている。光量に対して目が慣れていないのではなく、輪郭が掴めないのだ。ナギには鮮明に見えるものが、ミノリには靄のようにしか映っていない。
「ぼんやりじゃない」とナギは言った。「巨大な渦だ。光が回ってる」
ヨルが石の床を見た。文字のような刻印が残っている。腐食しているが、形はわかる。「この刻印は——口伝に出てくる形と、似ている」
「読めるか」
「読めない。字ではない。記号だ」
ナギは渦を見た。近い。あと数歩で届く。
粒子がナギの体に流れ込んでくる。体が熱い。石を握っている手が震えている。怖いのではなく、圧倒されているのだ。
渦の中心——何かが待っている感じがした。




