動機の在処
決議の翌日から、人々のヨルへの呼びかけが変わった。
それまで「ヨルじいさん」と呼んでいた者が「語り部殿」と呼ぶようになった。若い母親が道でヨルとすれ違うとき、小さく頭を下げるようになった。子どもたちが話しかける回数は逆に減った。敬われている、というより、遠ざけられている、という感触だった。
ヨルは居心地が悪かった。
語り部というのは、集落の外側に立つ役割だ。口伝を守り、死んだら次の者に渡す。それだけだ。決め事に関わらない。人の生死を左右しない。それがヨルの理解する語り部だった。だが昨日、広場で口伝を語ったことで、その境界を越えた。
口伝は道具になった。ナギを守るための道具に。
それが正しかったかどうか、ヨルにはまだわからなかった。
朝のうちに、ヨルは小屋の板壁に立てかけた記録の板を取り出した。口伝の全節を書き写した板だ。繰り返し読んで、一字も間違えていないことを確かめるのが、毎朝の習慣だ。だが今朝は、第三節の途中で板を置いてしまった。
昨日、広場で口伝を語ったとき、ヨルは「道具として使った」のではないかと思っていた。だが今朝になって、もっと正確な言葉が浮かんだ。——「説明のために使った」。ナギの力を集落の人々に理解させるために。パニックを鎮めるために。
口伝は元々、そういうものではなかった。
語り部の先代、そのまた先代から口伝を受け取った者は、それを「意味を知るため」に守るのではない。「ある日、意味が現れるかもしれない日」のために守る。いつ来るかわからない。来ないかもしれない。だが来たとき、骨格が歪まずに残っていれば、それが手がかりになる。それだけのためだ。
昨日、その日が来た。ヨルはそれを喜ぶことができなかった。
なぜなら口伝は、昨日の広場の後から変わってしまった。集落百二十人の記憶の中に、ヨルの声の抑揚で、ヨルが省いた部分と語った部分の形で、刻まれてしまった。それはもう「守られている口伝」ではなく、「使われた口伝」だ。
二つは違う。どう違うのかを言葉にしろと言われても、うまく説明できない。だが違う。
ヨルは板を壁に戻した。
昼過ぎ、小屋の戸を叩く音がした。
「誰だ」
「セン」
ヨルは戸を開けた。十二歳の少年が、いつもの好奇心に満ちた顔で立っていた。
「話を聞きに来た」
「どの話だ」
「虫の話。昨日語ってたやつ」
セン、とヨルは心の中で呟いた。この少年はいつからか、ヨルの口伝を聞きに来るようになった。だがセンが欲しているのは真実ではなく、話の面白さだ。それはヨルにはっきりとわかっている。
「入れ」
センが小屋に入った。床に胡座をかいて、目を輝かせた。
「目に見えない虫が空気の中にいて、人の言うことを聞いてたんだろ。それって、すごくないか」
「すごい、かもしれない」
「なんで今はいないの。なんで賢者は繋がりを切ったの」
「依存していたからだ」とヨルは言った。「虫なしには生きられなくなっていた。それを危険だと思った誰かが、切った」
「でもナギは繋がってるんだろ。また使えるってこと?」
「そうなるかもしれない」
「じゃあ教えてよ、もっと詳しく。虫は何ができるの? 飛べるの? 人を直せるの?」
ヨルは止まった。
センは身を乗り出している。目が光っている。その顔を見ていると、ヨルには一つのことが見えてきた。
この少年は口伝を聞いていない。話を聞いている。
面白い昔話として、虫の力の話を消費している。真実として受け取っていない。受け取ろうとも思っていない。
ヨルは自分が三十年間、口伝を守ってきた意味を考えた。語り部から語り部へ、歪まずに渡すため。真実の骨格を保つため。だが今、ナギが生きていて、石を持っていて、口伝が現実の問題と接触している。口伝はもう昔話ではない。あるいは、今日口伝を広場で語った時点で、昔話になってしまった。
センの前には昔話がある。集落の人々の前には説明がある。では、ヨルの前には何が残っているか。
板に書かれた文字と、骨に染み込んだ声だけだ。それで十分なのか。三十年間はそれで十分だと思っていた。だが昨日からは、もうわからない。
「ヨル、聞いてる?」
「聞いている」
「虫の話、続きは?」
「今日はここまでだ」
センは不満そうな顔をした。「なんで。面白いのに」
「また来い」
追い出した後、ヨルは一人で小屋に座っていた。
板壁に立てかけた記録の板を見た。口伝を書き残した板だ。それ自体、本来の語り部のやり方ではない。記録は体の中に入れるものだ。声に出して繰り返して、骨に染み込ませるものだ。ヨルはそれをした。三十年。だが今日、それを広場で開いた。
口伝は広まった。もう誰かの体の中にだけ閉じ込めておけるものではなくなった。集落全員が知っている。
カヤが小屋を訪ねてきたのは、夕方だった。
「ヨル、話がある」
「入れ」
カヤは背が高く、小屋の中に入ると天井に頭が近い。腰を折って座った。
「森の調査の結果だ」とカヤは言った。「先月から蔓の進行速度を測っている。一日あたり平均で四十センチ。今のペースで行けば、四ヶ月で畑が終わる」
「四ヶ月」
「正確には百十七日だ。切りよく言えば四ヶ月。その前に手を打たなければ、来年の食糧はない」
ヨルは黙った。カヤは続けた。
「畑の残りは今、全体の六割強だ。北の区画はすでに蔓が根を張っていて、掘り起こしても芋が育たない土になっている。先月から今月で、一割近く消えた。蔓は等速で進んでいるのではない——加速している。一日四十センチという数字は、先週の測定だ。今週もう一度測ったら、四十三センチになっていた」
ヨルはカヤの顔を見た。狩人の顔だ。感情を出さずに状況を語る顔。だがその目の奥に、疲弊が滲んでいる。
「移住先の調査もした。台地の南側、川沿いの平地。だが森はあちらにも伸びている。逃げる場所がない。ナギが力で止められるなら、止めてもらうしかない。長老承認の条件はあるが、わたしは出す。シズも出すはずだ」
「ナギの力は、どこまで届くかわからない」
「だからこそ早いうちに試してほしい。四ヶ月あれば、失敗しても考え直せる。ギリギリになってからでは遅い」
ヨルはカヤの言っていることを理解した。理解したくなかったが、正論だ。
「ナギには話したか」
「まだだ。ヨルに先に話す方がいいと思った。あんたが一番、あの娘のことをわかっていると思うから」
「わかっていない」とヨルは言った。「あの娘が何をできるか、わたしにもわからない」
「でも、一番近くで見ている」
カヤが帰った後、ヨルは床に座って天井を見た。
四ヶ月。
ナギの力を大規模に使えば、森が押し返せるかもしれない。だが大規模な行使は、空の目を刺激する。口伝の第五節——「空の目は虫と再び繋がった者を止める」。昨日の広場で、ヨルはその部分を語らなかった。パニックを避けるためだという言い訳はある。だが本当のところは、自分でも確信が持てなかったからだ。
口伝は百四十八年間に何度も歪んだ。第五節が正確に伝わっているかどうかわからない。
だが——先日のことを考えた。ナギは獣迎撃の際に暴発した。衝撃波が石壁を崩し、集落に被害を出した。それがどれほどの規模だったか。一人の体の内側で起きた現象が、石壁を砕くほどの力に膨れ上がった。あれがまだ「監視閾値の内側」であるならば、もっと大きな行使をしたとき、閾値の外に出るのはどれほどの時間がかかるか。
ヨルには計算する手段がない。口伝には数字がない。「止める」という言葉だけがある。
その言葉が、今まで抽象的だったものが、急に重さを持ち始めた気がした。
わからない、で四ヶ月を過ごすことはできない。
ヨルは目を閉じた。
畑が消える。食糧がなくなる。百二十人が飢える。それに比べれば、確信のない口伝の禁忌を恐れることは、どれほどの意味があるか。
だが空の目は——口伝によれば本物だ。百四十八年前の賢者がそれを恐れた。
本物の目が何かを見ている。見ているなら、いつか動く。
口伝の第五節は、ヨルが生きている間には起動しないと、どこかで思っていた。百四十八年、誰も虫と繋がらなかった。だから、もう何年かは大丈夫だろうと。その油断が恥ずかしかった。ナギは今ここにいる。閾値は今、上がっている。
ヨルはまだ答えを出せなかった。沈黙の中に、四ヶ月という数字だけが残った。




