災いと盾のあいだ
春に獣が増える。
冬のあいだ森の深くにいたものが、暖かくなると移動する。食料を求めて、あるいは縄張りを広げるために。台地の縁に近づいてくる。それは毎年のことで、澄ヶ淵の猟団はその時期に備えて罠を仕掛け、石壁を強化し、交代で見張りを立てた。
今年の春は数が多かった。
東側の見張りが最初の報告をしたのは朝だった。五頭、いや七頭。マガリウシよりも大きい。遠目に見ただけで、全員が後ろに下がった。見張りの顔は白かった。集落に戻ってくる足音が速かった。
空気の圧が変わっていた。集落の人間たちは言葉より先に動いていた。子供たちを中心部に誘導し、食料と水を確保し、怪我人のための場所を作り始めた。毎年の訓練が体に入っていた。
カヤが猟団を集めた。
「大型が複数いる。矢では止まらん。石投げと槍で陣を張れ。東側の石壁を固めろ」
猟団の男女十二人が動いた。ナギは集落の内側にいた。タマキがナギの腕を掴んでいた。
「ナギ、出るんじゃない」
「わかってる」
でも、出なければならないと思っていた。腹の底の蟲が動いていた。掌が熱を持っていた。魔石がわずかに振動していた——これは感情の波が来ているサインだ。ナギはそれを知っていた。だから深く息を吸った。蟲に落ち着くよう言い聞かせた。
東壁の方向から、音が来た。
重い足音。複数。地面が微かに揺れる。
足の裏に伝わる振動で、一頭ではないとわかった。地面を通じて来る重さを、ナギは蟲で感じることができた。三頭、四頭、それ以上——波が重なり合っていた。
それから石壁に何かが当たる音。
石と骨を組んだ壁は澄ヶ淵で最も堅固な構造物だったが、今の音は壁が軋む音だった。猟団の声が上がった。「三頭来た」「後ろからも」「矢が効かない」。
カヤが戻ってきた。
ナギを見た。
一瞬だった。
「頼む」とカヤが言った。
「カヤさん」タマキが言った。「この子に——」
「他に方法がない」
カヤの目はナギだけを見ていた。タマキの声を聞きながら、視線を外さなかった。
ナギはタマキの手をほどいた。
「戻る」とナギは言った。タマキには言わず、カヤに言った。「全部終わったら、戻る」
東壁に向かって走った。
壁の外に出た。
大きかった。
マガリウシは見たことがあった。訓練中に一頭を相手にしたことがある。あれは肩の高さが大人の腰くらいだった。今日のものは違う。四足で立って、肩が人間の頭を超える。体の表面が青い苔に覆われていた。皮膚なのか、植物が付いているのかわからない。目が赤い。
七頭いた。
三頭が壁に向かっていた。四頭が後方に散っていた。
猟団の射手が壁の上から矢を放っていたが、皮膚に刺さって止まるだけで動じなかった。
ナギは壁の外側の平地に出た。
足を止めた。
鼻の奥に臭いが来た。土と青苔と、何か動物の体液の臭い。獣たちが体から出している臭気だった。目の前の七頭は、怒っているか、あるいは腹を空かせているか——ナギにはわからなかった。ただ、向かってくることはわかった。
蟲に言い聞かせた。落ち着け。ゆっくりやる。一頭ずつ。
魔石を握った右手のひらが、熱を持ち始めた。視界の端に青い粒子が見えた——蟲視覚が自然に開いていた。七頭の体のまわりに粒子が薄く動いていた。獣たちも、蟲の中にいる。
最初の一頭に掌を向けた。
風の圧波を出した。
一頭が三メートルほど吹き飛んだ。転がったが、すぐに立ち上がった。止まらない。
二頭目。同じ。
三頭目が壁に肩から体当たりした。壁が揺れた。
ナギは腹の底から圧を上げた。
大きくやらなければ、と思った。
七頭を全部、一度に。
その瞬間に、ヨルの声が頭の中で鳴った。「一度に全部動かすな。制御できる量だけ動かせ」。
止める時間はなかった。
腹の底から、何かが溢れた。
衝撃波が全方位に広がった。
七頭の獣が吹き飛んだ。前に、横に、斜めに。転がって、転がって——立ち上がれないものが三頭。残りは方向を変えて、森の方向へ走った。
よかった、と思った次の瞬間——
音がした。
石と骨が崩れる音だった。
振り返った。
東側の石壁の一角が、崩れていた。壁の上部が外側に倒れ、その先の骨組みが崩落していた。衝撃波が壁にも当たっていた。
その奥——壁に隣接した家の一角が、傾いていた。骨の柱が二本折れて、屋根が下がっていた。
中に誰かいるか、とナギは思った瞬間に走っていた。
「中から出ろ」と叫んだ。声が出た。「今すぐ」
家の中から老人が二人出てきた。怪我はないようだった。だが顔が青かった。
ナギは壁と家の被害を見渡した。
衝撃波が出た方向に砂埃が漂っていた。壁の石が散乱していた。家の柱が二本、根元から折れて地面に転がっていた。骨の柱だった。誰かが何年もかけて獣骨を集めて組んだ家の、柱だった。
三頭は退いた。四頭は逃げた。人に怪我はない。だが——石壁の一角が崩れて、家が一軒傾いた。
静かになった広場に、人が集まってきた。
全員が壁を見た。それからナギを見た。
ナギは動かなかった。
また壊した、と思った。獣を止めることに集中しすぎて、後ろを見ていなかった。訓練でヨルが何度も言ったことだった——「力を出す前に、後ろにあるものを確かめろ」。言われていた。できなかった。
鼻から血が出た。
片手で押さえた。温かかった。視界が白くなりかけていた。膝に力が入らなかった。
シズが群衆の中から前に出た。
「見たか」
声は大きくなかった。むしろ静かだった。だからこそ、全員に届いた。
「獣を追い払った。だが壁を壊した。家を壊した。これが何度か続けば、集落が壊れる。獣よりも早く」
誰も反論しなかった。
反論できなかった、とナギは感じた。事実だから。
シズの言葉は正しかった。ナギにはそれがわかった。制御しきれなかった。力が溢れた。また溢れた。何度でも溢れるかもしれない。
「投票だ」とシズは続けた。「明朝の広場で。あの子を集落に置くか、出すか。全員で決める」
静かな声だった。怒鳴っていなかった。
カヤが進み出た。
「待て。今日、獣が来た。ナギがいなければ、壁そのものが突き破られていた。死者が出ていた」
「だからこそだ」シズが言った。「力のある者が制御できなければ、結果は同じことだ」
「力を制御するために時間が必要なんだ」
「その時間のあいだに、次の事故が起きる」
声が重なりだした。
カヤの周りに集まる声と、シズの周りに集まる声。タマキがナギのそばに来た。ミノリが来た。若い猟団の数人が来た。
シズ側には長老の何人かと、東側の家の住人たちがいた。
「投票だ」とシズが最後に言った。「明朝。澄ヶ淵の決め方で。それでいい」
広場が静かになった。
ナギは動かなかった。
走ることは考えなかった。ここで逃げれば、集落は答えを出せないまま終わる。自分がここにいて、結果を受け取る。それだけだと思った。
タマキがすぐそばにいた。何も言わなかった。ナギの横に立って、黙っていた。ミノリも来た。肩が触れた。若い狩人たちが後ろに集まっていた。誰も何も言わなかった。
言葉は要らなかった。体がそこにある、ということが言葉だった。
シズの側にも人が集まっていた。東側の家の住人の老婆が腕を組んでいた。長老の一人が目を伏せていた。あの表情は「賛成」の顔だった。集落の中にナギへの恐怖が確実にある。その恐怖は否定できない。事実として、今日、家が傾いた。
それでも、ここにいる。
集落の半分が恐れていても、残りの半分はまだここにいる。それがナギには——今夜の一番の発見だった。発見と呼ぶには大げさかもしれない。でも、体がそう言っていた。怖いのと同じくらい、ここに残りたかった。
崩れた石壁の一角が、夕日の中でまだそのままだった。石と骨が地面に散らばったままだった。誰も片付けに来なかった。まだ片付ける時間ではなかった。
鼻血を拭いた手が赤かった。力を使った後の疲労が、じわじわと足元から来ていた。立っているのがやっとだったが、座ることは考えなかった。
シズの声が広場に残っていた。
「投票する。あの子が残るか、去るか」
ナギは消えなかった。




