見合いの先に
『レイス、大人になりなさい。ほら、泣かないの。お父さんの、力になってあげてね。どうか、幸せに』
優しい母の願いを、私は間違った受け止め方をしていることはいつだったか理解はしたが、だからと変えることは出来なかった。
大人に、大人に、大人に。あんなにも手を伸ばしてなりたかった大人に、自分がなれたとは思えない。
お母様、私は貴女の望むような大人になれません。続く懺悔はただ思考の淵に。
どうしたらお母様の望むような子になれるのだろう。どうすればお母様の望まれた大人になれるのだろう。
私はどうして、大人にも子どもにもなれないのだろう。
心は荒れ、思考は落ちる。だが、レイスの表情はただ微笑んでいた。
表情を減らしても、言葉を変えても、気持ちを消しても、大人になっているとは思えなかった。なら年齢を重ねるしかないのかと思っていた。そうして年齢は大人であるにも関わらず、子どものようなクァンツに出会った。
クァンツがレイスには眩しかった。大人なのに子どものよう。思ったことが顔に出て、直ぐに怒鳴って、気持ちを沢山持っている。それなのに、彼は「大人」だった。レイスに無いものをクァンツは持っていた。
それがただ羨ましくて、眩しくて、ただ、知りたいと。
そしてレイスが知ったのは、内側に入った人間には優しいクァンツと、その側は居心地が良い、良すぎる場所だったということ。
それは、
――手放す事が出来ぬほど。
『争事』の本で溢れるレイスの部屋を、クァンツは知らない。
手放せないことが間違えていることは解っていたはずなのに。レイスさえクァンツを手放せば、クァンツは結婚することが出来ていただろう。どうしたって侯爵家だ。あのレイスとの見合いまでは運が悪かったのだろうが、出来なかったはずがない。
少しの希望もないことは解っていたはずなのに、それでもレイスはクァンツを手放せなかった。
私が大人だから続いている? 妥協しているから? そんなわけがない。あの関係は私のわがままで成り立っていた。レイスはそう考える。
まるで玩具を取られたくない子どものように。どれだけ表面を取り繕っても、態度を正しても、心はただ子どもだった。
だから、成人する前日。レイスはクァンツと離れることを決意した。あの気持ちを持ったまま大人になどなれないと思ったから。大人になろうと、決めた。
のに――
『俺の前では、子どもでいいだろう?』
大人にならなければいけないときに、子どもでいいとあの人が言ったから!
それがどれだけ残酷なことだったか、あの人は解っていたのだろうか。……分かるはずがない。レイスは笑う。笑う。
だから、レイスは子どもの様なことを言った。最後の最後で。
妹だと、家族のように接してきた子どもに言われて、彼はかなり堪えたようだけれど。
だが、最後の勝負に勝てるような子どもにもレイスはなれなかった。レイスは結局、大人にも子どもにもなれないまま。
だが、結果としてレイスはクァンツを手放せた。いや、クァンツがレイスの手を放したのだ。
これで良かったと、クァンツに会わない長い間でレイスは思うことが出来た。
成長しなかった体は、きっと他人の幸せを奪っていた罰だったのだろう。
クァンツと比べレイスが悩み続けた体は、クァンツと離れてから驚くほどに成長した。
ただ、未だにクァンツが結婚をしたという話は聞かない。もしかすると、どこかで自分に負い目を感じてしまっているのかも知れない。申し訳ないことだったが、それももう終わる。
クァンツの気持ちを軽くすることが出来る。そう思うだけでレイスは幸せになれるだろう。
これでクァンツの幸せを祈ることが出来れば、きっとそれが大人になったということになるだろう。レイスはそう確信していた。
レイスは17の誕生日に見合いをする。相手は爵位が上の伯爵家の方で年は同じ。これ以上があるのも知っていたが、それでもかなりの良縁だ。
あの時のように非礼金が出ることもなければそれ以前に見合いが進行しない、なんてことはなく円滑に進むだろう。
初めてあった人に怒鳴るなんてことはなく、指を指して笑うなんてこともなく。
レイスは思い出して笑った。楽しそうに。
そして段階を踏んで、互いの家を行き来するのだろう。『争事』などするはずもなく、木登りなんてするはずなく。
そして相手を結婚する相手として見るのだろう。妹としてでなく、家族としてでなく。
比べる相手は、当たり前だがクァンツだった。クァンツ以外を知らなかった。胸に込み上げて来るものを感じ、掌を見る。
傷一つ残っていない手。自分とクァンツの間には何も残っていないのだとレイスは今更ながらに感じる。そして女々しいとも思う。忘れなければ。
ドレスに汚れが付く事も、手に刺さる木の破片も気にせずレイスは木の枝を握る。このまま登って記憶を書き換えれば、きっと忘れられる。そんな気がした。あの時と同じのように一人でただ静かに、クァンツ様との別れを決意して。
そうして、違う人を想おう。一生を添い遂げる人に想いを捧げよう。クァンツ様の幸せを願い続けながら。そうして、幸せになろう。
木の枝を握る手は、レイスの体を支える為に力をいれた。
「ルール違反だな」
そう聞こえたのは、幻聴だとレイスは即座に考えた。居るわけがないのだ。聞こえるわけがないのだ。
じゃあ何故、彼はここに居る? 幻聴ではあり得ないクァンツの姿をレイスはとらえる。
「く、あんつ様?」
「何故疑問系なんだ。俺の顔を忘れたのか、この馬鹿」
木に登ろうとした腕を捕まれ、レイスは目の前の人間を認めない訳にはいかなかった。最後に出会った二年前とあまり変わらぬ姿でいるクァンツを。
「……老けました?」
「二言目がそれか! 久しぶりに会っても相変わらずか!」
思わず口から適当なことが出たレイスに、クァンツが昔のように叫ぶ。怒ったように見せて、ちっとも怒っているわけでないつり上がった目が懐かしかった。
「何をしにいらっしゃったのですか? 常識的にどうかと思いますが。いえ、クァンツ様の常識力になにも期待はしておりませんが」
「久しぶりに会ったとは思えんほど辛辣だな! もう少し可愛いことを言えないのか……」
ため息を吐き、項垂れるクァンツ。その姿が懐かしいとばかりにレイスは目を細めた。
「お変わりないようで」
レイスは微笑んだ。思ったよりもレイスは冷静になれた。胸は鼓動を強く繰り返して痛いほどであったが。
「お前は……驚くほど変わったな」
クァンツは年月を感じるようにレイスをしげしげと眺めた。レイスは微笑みを続ける。
「驚くほどの美少女から更に驚くほど美しく成長したでしょう?」
「性格は変わっていないようでいっそ安心するぞ!」
二人の関係は月日を越えてそのままだった。違和感が無いことがただ違和感だった。まるで意識して昔を取り繕っているようで。
一つの話が終わって、急に二人は黙りこんだ。何を話していいのか、探すような空気がそこにはあった。
レイスは唇を結ぶ。言うべきか、言わぬべきか。ただそれを悩んでいた。
口を開いたのはクァンツだった。
「見合いを、するんだな」
言うかどうかを考えていた事柄を違わず目の前のクァンツに言われ、レイスは一瞬言葉を失った。
「……お祝いしにきて下さったのですか?」
随分律儀になったものだとレイスは思う。妹同然のレイスのためにわざわざ来てくれたのかと、喜ぶ気持ちと確かに刺さるような痛みがレイスには感じ取れた。
「クァンツ様と初めてお会いしたのも、一応お見合いでしたね」
「……一応か」
あれが一応と言わずなんというのだろう。レイスは思う。お見合いしていないあの見合いを。
「覚えて下さっているのですね」
あの見合いを一応と認めないあたり内容を忘れてしまっているのかもしれないが。
「あれを忘れることができれば記憶喪失か何かだろう」
そうクァンツは苦笑する。
それに思わずレイスは満足してしまった。クァンツの言葉の意味は、レイスのことをずっと覚えてくれているということだ。
レイスが一方的に覚えているのではなく、クァンツの記憶の片隅に自分がいるというだけで、もういいと思えた。
それだけで、諦めることが出来る。
「クァンツ様。幸せになって下さいね」
「なんだ、急に」
手放せなかったことは謝れない。それだけは出来ない。こんなところで私は大人になりきれない。
レイスは微笑んだ。
「……何故お前は、泣きそうな顔をするんだ」
「え?」
つもりだった。
鏡もない場所だった。本来なら自分の顔なんて分かるはずもない。ただ、思ったよりもレイスの近くにいるクァンツがあまりにレイスを真っ直ぐと見るせいで。
クァンツの目に映るレイスは、ほとんど泣く一歩手前だった。いつのまに目に涙がたまっていたのか、レイス自身が気がつけなかった。
だが、その涙は落ちることがない。
「久しくクァンツ様にお会いできた嬉しさで泣きそうなんでしょうね」
「……せめて言葉に心をこめろ心を」
嘘ではないが、クァンツは嘘だと思ったらしい。全く言葉にする甲斐ががない。レイスはため息をつく。
「想像していたが、やはり堪える」
言葉数の少なかったクァンツが、そう洩らした。
それは妹同然だと思っていた人間から、気持ちで裏切られたからだろうか。クァンツの言葉をレイスはそう理解した。
「だが、もういい」
まるでレイスがしたような諦めの色を含んだクァンツの声音に、レイスはこの方が何を諦めることがあるのだろうと不思議に思った。
「『受け入れること、そして求めないこと。そうすれば幸せになれる』、……この言葉の意味が分かるか?」
クァンツにそう言われ、問われた通りにレイスは考える。だが、問われた意味が分からない。首を傾げ考えるレイスにクァンツが笑う。
何故かクァンツの雰囲気が少し丸くなったように感じたレイスは、クァンツと会っていない月日を思い、胸が痛くなる。
「母が俺に言った言葉だ」
そう言われ、レイスはクァンツの父親に聞いた話を思い出す。
「クァンツ様によく似てらっしゃったという?」
「誰から聞いた。俺は父親似だぞ」
その父親から聞いたのだが。
「クァンツ様のように子どもの様な人だったとお聴きしました」
「誰に聞いた!! というかお前はそんなことを思っていたのか!」
ええ、今更ですか? ほぼ最初から変わらない印象に今更気が付いたように言うクァンツに、レイスは変わらず面白い人だと思った。
「……まあいい。で、さっきの言葉の意味は解ったか?」
ちっとも良くなさそうにクァンツが言う。思わず笑いそうになったレイスだが、ここはぐっと我慢する。
『受け入れること、そして求めないこと』……どう聞いても別の意味に取ることは出来ない。
だがクァンツの母親が本当に子どものような性格をしていたとして、こんな言葉を残すだろうか。まるで、レイスの心情のような言葉を。
「言葉通りの意味ではないのですよね、お話を聞く限り」
「恐らくな。俺は、ずっと言葉通りだと思っていた」
そう言われてレイスは驚いた。
「え、じゃあ残して頂いたお言葉を全く顧みなかったのですか」
どう振り返ろうとクァンツが『受け入れること、求めないこと』を信条としていたとは思えない。
「お前が俺をどう思っているのか話し合う必要があるようだ」
怒鳴らなかったのが不思議なほど青筋を立てたクァンツが言う。だが残念ながらレイスの本音だ。クァンツはため息を吐いて話を続けた。
「……まあ、俺が12の時の話だからな。ある程度性格の形成が出来ていたのもあるだろう」
そしてその時から成長しなかったんですね、と言うのをレイスは耐えた。が、睨み付けられた。ばれている。
「後な、これは恋愛面で母親が俺に言った言葉だ。受け入れろ、求めるなと」
「独身男性の言い訳ですかそれは。お母様がお泣きになられますよ」
「ようしそこに跪け!」
口では言ったものの、レイスは納得した。確かにプライドの高いクァンツの性格で、周りが次々と婚姻を結ぶ中でも結婚をしていなかったのは不自然であった。
「どう違ったのですか? お話を聞く限りでは、そんなことを仰るようなお母様には思えないとは思いますが」
一つ疑問は減ったが、どうしてこんな話を今するのか。それがレイスには疑問であった。もしかするとこれから見合いをする自分に教訓でも教えてくれるのだろうか。と冷めた自分を感じる。
「俺は、母がこの言葉を言った年になった」
それは、クァンツ様のお母様が33歳の若さで亡くなったということか。レイスは言葉を挟まない。
「この年になってわかった気がする。母がどんな顔でそう言っていたのか、どんな気持ちでこの言葉を残したのか。俺の母が子どものようだと言っていたな。その通りだ」
誇らしい顔すらして、クァンツは笑った。
「子どものように、わがままだったんだ。あの人は、どんなときも子どものような顔をする人だった」
鋭い目はなにかを吹っ切ったように真っ直ぐで、レイスはその目から逃げ出したい気持ちだった。
「なあレイス。相手を受け入れる、相手に求めない。じゃあこちらの気持ちはどこにあるのだろうな」
強い瞳に見据えられる。逃げることはできないし、逃げようとも思えない汚い部分が自分にはあった。レイスの思考はからめとられる。
「……どういう、ことか、よく」
わからない、と続く言葉はクァンツによって遮られる。
「相手の気持ちなんて関係ないんだ。相手の気持ちは認めるし、受け入れる。こちらへの気持ちを持てと無理強いしないし求めない。けどな」
何で私にそんなことを言うのだろう。期待なんてしてはいけない。希望なんてなくて、夢なんて見てはいけないのに。
「こちらからは容赦なく行っていいんだ。受け入れるし、求めない。だが、俺は俺の好きにしていいんだ。俺だけがお前を求め続けてしまえばいい」
曲解でないのかというほど無理矢理な理屈にレイスは頭がついていかない。
これは夢なのだろうか。望み続けて願い続けた夢。あまりに都合のよい夢は、まるで悪夢のようだ。
「だから――」
告げられようとする言葉に、心臓が破れそうだった。クァンツはただ、言葉を告げる。
「金を返せ」
夢は無惨にも打ち砕けた。
手頃な枝を思わず折って、レイスはクァンツに降り下ろした。
「いっっ!! 何をするんだお前は!」
「何をするんだじゃないですよ! 言うことに欠いて金返せなんて! もう本当に意味が分からないです!! 借金取りか何かですか貴方は! もう帰って!」
本当に意味が解らない。レイスは自分に関係なく、この人は結婚出来なかったのではないのかと本気で思った。
「何なんだ急に!! 帰れとはなんだ!」
「もう良いですから! 喋らないで! お願い、ですから、帰って、くだ、さ」
もう限界だった。このままだと本当に涙が落ちてしまう。それだけは駄目だ。だが、喉の奥から嗚咽が上がってくる。
「何でお前は、泣かないんだ。それほど俺が駄目なのか」
「貴方が『泣きわめく子どもは大嫌いだ』と言ったんでしょう!!」
こんな時までクァンツに嫌われたくないと思っている自分があまりにも浅ましく感じる。だがそう言ったらもう限界だった。
意味が分からない。なんなんだこの人は。レイスの瞳から涙が粒になって落ちる。意地でも声はあげない。嗚咽なんてあげてやるものか。
背に回った腕に気がつけなかったのは、その力があまりにも弱々しかったからだろうか。あやすような力に気がついた時、レイスは暴れた。
どうしたって、この人の妹以上になれないのかと、一度気持ちが舞い上がった分叩き落とされた。諦めるなんて形式だけの事で、本当に諦めきれるわけが無かったと知る。
腕のなかで暴れるレイスに、弱々しかった腕の力は気が付けば苦しいほどに力強くなっていた。
「俺はどうすれば、お前の兄以上になれるのか、わからない。でももう、待てない」
もう騙されるものか。レイスは意固地になっていた。正直言われた言葉の意味も理解できていない。
「なんでクァンツ様はそんなに勝手なんですか! 私がどれだけ貴方に好かれたかったか、貴方に見合う大人になりたかったか、解ってないでしょう!」
伝えるはずのなかった言葉が溢れた。レイスにとってこれほど叫んだのも怒ったのも初めてで、制御しきれない感情に振り回される。
本当の本音なんて言えなかったレイスだ。ここまで気持ちが上がらない限りこんなことを言うことは一生なかっただろう。
「お前が最後の『争事』のときにあんなことを言うから! 冗談だとわかっていたのに、自覚してしまったんだぞ!」
「冗談? 私がどれだけ本気で言っていたかも知らないでよくそんなことが言えますね!」
「そう言うお前は、あの後からどれだけ俺が自分が幼女趣味なのかもしれないと悩んでいたか知らないだろう!」
「私はあれから全く音沙汰ない貴方に、嫌われたと思ってどれだけ傷付いていたか!」
「お前と俺がどれだけ歳が離れているか分からないわけがない! そんなやつ相手に自分が保てる自信がなかったなんて言えるか! お前の未来を俺が勝手に決めてしまうのではないかと」
「年齢を気にしていたのは私の方です! あんな幼い姿で貴方に愛されるわけがないと」
「俺はなあ! 自覚こそなかったが――お前をずっと愛していた!」
お互いの言葉を理解したのは、もう誤解のしようもないほどの熱烈な想いを伝え、息も絶え絶えになってからだった。
クァンツの告白に、言い合いが止まった。
クァンツは、腕の中で暴れていたレイスは長い事気がつけなかったが、クァンツは泣いていた。怒鳴りながら、感情を現しながら。
想いが通じ合っているというのに、ロマンティックなムードなど流れない。
「クァンツ様……私老けましたが大丈夫ですか? まだストライクゾーンに私は居ますか?」
レイスの心配事は変わった。確かに美少女ではあったがそのときの姿はまさしく子供であったため、かなり不信感が出た。
「幼女趣味にしようとするな! だから嫌だったんだ……」
クァンツ本人も長い間悩んでいただけあり、レイスの今の姿をみて、昔より胸が動く自分に安心していたなどとは口が裂けても言えない。
「金を返せって、なんなんですか?」
「理解していなかったのか? 昔の見合いの時の非礼金だ。そうすればお前の所は婚姻を断れないだろう?」
そういうことか! レイスは思った。もしかしたらと思っていたことだが、確信に変わる。この人は、馬鹿だったんだ。もしくは死ぬほどデリカシーがない。
涙が止まって間もないクァンツとレイスはまだ抱きしめあったままだ。
「レイス。俺はもう待ったぞ。2年しか待てなかったし、お前が見合いをすると聞いて結局動いてしまったが、俺はもう待った」
「かなり勝手なこと仰ってないですか」
クァンツのあんまりな言い分にレイスは少しだけ笑う。上がってきた嗚咽も混ざり、声が震えた。
「先程も言った通り、もう俺はお前の意思なんて知らないからな! 子どもとか大人とか、考えるだけ時間の無駄だ!」
クァンツは言い切った。レイスの心残りを。
「俺はお前がどんな姿でも好きだ。子どもであろうが大人であろうが、どうでもいい。『争事』に付き合ってくれる、仕方ないという風に笑う、母親の気持ちに答えようと努力する、お前が好きだ」
せっかく止まっていたのに、また流れてきてしまったじゃないか。レイスはクァンツのせいにした。
「途中からお母様の気持ちに、ではなく貴方に見合いたいがためになってしまいましたがね」
それを聞いてクァンツはもう一度抱きしめる力を入れ直した。
「なら尚更だ」
これから忙しくなる。でも最初に非礼金をクァンツ様に返さなければ。形式としてそれが正しいのかは分からないが、あの見合い自体形式なんてあったものではないし。レイスは嬉しそうだった。
「私はクァンツ様に何も言わなくて良いのですか」
「求めないと言ったからな。お前がそういう本音を言うのが苦手なことは知っているし、お前の気持ちが違おうとも離す気は更々ない」
もう聞いてしまったようなものだしな。クァンツはそう言った。わがままで変に人の気持ちに敏感な所まで子どものよう。そんなところが好きだと、レイスは思う。
「そうですか」
かなりの時間をクァンツとレイスは抱きしめ合っていたが、離すことは惜しいとどちらも感じていた。だから、もう少しこのまま。
「また『争事』しましょうね」
「当たり前だ。あんな負けた方が勝ちの勝負をしたのが最後なんて思いたくもない」
クァンツはひどく苦い顔をした。最後の勝負は見事な接戦だった。
「今度は俺が勝つ」
「まだ勝ったこともないのにそんなことを」
「もう負けんぞ」
「今度私が勝てば、クーン様と呼ばせて下さいね」
「その条件だと俺はまたお前に負けるしかなくなるだろう」
「わざとお負けになる必要も、もうないでしょう?」
お互いがお互いを手放したがらなかった事実は、当の本人たちしか知らない。
「……相変わらず、可愛くないなお前は!」
「クァンツ様」
レイスは笑う。幸せそうに。
子どものようでもなく。
大人のようでもなく。
ただレイスの、心からの一等の笑顔で。
「お慕いしております」
「……くそ、撤回する。可愛いんだよ、お前は!」
クァンツは悔しそうに目もとを赤くし、その顔を隠すようにレイスをもう一度力一杯抱きしめた。
―――
『じゃあ私が勝てば』
『私を、クーン様のお嫁さんにしてくださいね』
大人になりたい少女は、幸せそうに夢を見た。