Something to die for that.
「あぁ? んなモン決まってんじゃねぇか! このウサンくせぇオカマ野郎に赤のナニがわかるってーんだ? こういうのは一回ドーンぬかしてイッちまえばなんとかなんだよ! オボコはこれだから始末に負えねぇ」
「エド。通訳は受け付けていますか?」
「ヨシュアンがわからなかったらお手上げよん」
自分とエドは顔を見合わせて嘆息一つ、心持ちはお手上げでした。
生徒たちも現れたメルサラに警戒するような顔と態度を取りました。
しかし、本当に意味がわかりません。
いえ、大体の見当はついていますよ?
エドが森に風の結界を張ったのでメルサラが襲いに来ただけです。
理由は興味本位か、あるいは敵がいると思って、もしくは単純に欲求不満を解消しようとして、ぐらいが正解でしょう。
無理やり風の結界の中に入るとそこは少年少女たちが集まっていて、何かの修行をしているのでこれまた興味本位でエドに聞いたら、何故かハートに火がついてしまった模様。
マッフル君の修行を手伝ってやろうとしたのでしょう。
傍迷惑な話です。
ですがそんな話はどうでもいいんですよ。
そもそもメルサラに事の経緯を話せと言って理解できる方が少ないんですから。
「よし。じゃぁもう帰っていいですよ。素敵な犬小屋に酒でも届けておいてやりますから」
問題はこのバカに教師なんて務まるのかって話ですよ。
「あ? ざけんなクソメガネ!」
眼鏡関係ねぇよ、殺すぞ。
「コイツがやってたら百年経っても親なんざぶっ殺せねーよ!」
誰が親殺しをしろって言ったんですか。
決闘もバカげていると思っているのにそれ以上をどこの誰が望むっていうんですか。
「メルサラちゃんの言うことも一理あっちゃうのよねぇ」
「エド。親殺しに同意するつもりはないのはわかっていますが、言い回しは気を付けてくださいね」
「あらやだ、ごめんなさい。修行のことね。ある程度ならどうにかなっちゃうけれどトゥアリムはちょっと特殊でしょ? 赤属性の本質を理解しきれていないからまだ制御もできてないって思うのよん」
「え、二日目で行き詰っていたんですか? エドが?」
「本質を理解させるのはどんな授業だって難しいものよん。ましてや緑属性じゃなくて赤属性だとメルサラちゃんが適任だってわかっちゃうから何にも言えないのよねぇ」
「いやいや、メルサラですよ? 殺すか殺すしかできないバカに何を誰に教えられるっていうんですか」
「んん、でもね、ヨシュアン。【ザ・プール】に至るのに必要な階梯は知ってるよねん」
いきなり話が飛びましたね。
【ザ・プール】は術式師の第二段階、術式による環境改変・源素改変という技術です。
第二段階といえば次のステップみたいに聞こえますが、実のところ、【ザ・プール】を使えるだけで超一流の術式師と言ってもいいくらいです。
あくまで術式師としての壁として第二段階という言葉が使われています。
当然のことですがそんな大きな括りだと第二段階に至るまでいくつかの小さな壁があります。
「大体、三つです」
「細かい部分を除けばそう。マッフルちゃんはどう高く見積もっても第一の壁を越えた程度、物理と源理を双方理解し、相互に作用させて応用できるようになったくらいよん」
しかし、トゥアリムに必要な技術はそのもう一つ先。
第二の壁です。
「確かにまだ頭で考えて術式を使っている段階です。しかし、制御だけなら第一の壁の突破程度でもなんとかなるでしょう」
「それは天才とかイカレた感受性とか、アナタみたいな理解力がいるわよん」
術学の項目だけでマッフル君を見ると優れた感受性や理解力はあるように見られますが、常人の範囲と言ってしまえばその通りでしょう。
「もしも、今のままで先に進もうというのなら必ずどこかで常識を越えなきゃいけないわ」
「コムスメぇ! いつまで寝てんだボケ!」
こちらの話に飽きたメルサラがマッフル君を蹴り飛ばしたので、その攻撃後硬直を狙ってぶん殴っておきました。
ジョーに向かってショートアッパーです。
もちろん【獣のガントレット】も使っています。
意識を刈り取られたメルサラがごとりと地面に倒れました。
痛みで呻くマッフル君が地面を這い、エドは手で顔を覆ってしまいました。
生徒たちは目の前の状況に唖然とし、近くの仲間たちとひそひそし始めました。
生徒たちからすればメルサラも教師枠なのに同じ教師の自分と喧嘩して不安になってしまったのでしょうか?
それとも『あのメルサラ・ヴァリルフーガがこんな簡単に?』とか思っているのでしょうか?
同じように地を這っているクリスティーナ君が若干、複雑な目で見ていたのは無視しておきました。
生徒たちの『この先生、やっぱり無茶苦茶だ』とか思ってそうな目つきに関しても、気づかなければどうってことはありません。
「今日の授業はここまでみたいねぇ」
授業を強制終了させてしまいましたが、後悔なんてありません。
生徒たちを帰らせた後もエドと長い口論が続きました。
メルサラ反対派の自分はメルサラの暴力癖とイカレ具合、手加減のなさが教師に向かないと豪語しました。しまくりました。
「本当にメルサラちゃん抜きで残り四日、トゥアリムを制御しきれると思うのん?」
結局、メルサラ賛成派のエドによるこの理屈を覆すことはできませんでした。
時間がない、というのは自分とエドの共通認識です。
それは新型術式具を使った敵戦力を鑑みても正しい意見です。
やはりトゥアリムに必要な技能、術式剣の構築ができていなかったことも理由の一つに挙げられるのでしょう。
段階を一つ、飛ばしているのでうまくいかないのでしょうか?
今更、段階を踏ませるわけにもいかず、勝つためには更なる特訓が必要でした。
教師としては落第なメルサラですが猛特訓させるという意味なら間違っていないのも曲者でした。
お互い、引けない以上、妥協は必然でしょうし、すでに線引きは考えついていました。
「いいでしょう。ただしメルサラに必ず殺させない、犯させない、欠損させない、大きく容姿を変えさせないと言った四ヶ条を強制的に守ってもらいますし、そのためにエドも協力してください」
「仕方ないわねぇ」
「命を賭けて現場監督してください。例えばメルサラがマッフル君を殺しそうになった場合、盾になってでも守ってくださいね」
「協力の域が途方もなく大きいわねぇ」
この四ヶ条を守るためなら命すら賭けてもらうと念も押しました。
エドの口元が引き攣っていたのは全力で無視しました。
「ちょうど良かったじゃない。運が良ければ第二の壁に到達するかもしれないわよん」
なんて呑気にしていたのは最初だけでした。
決闘まで残り三日のことです。
「あぁん? なんだそのクソなまっちょれぇ火はよぉ? 萎えんだろーがボケ!」
この日もまたマッフル君は地面と熱烈な抱擁をしていました。
様子を見に来た自分の顔は無表情だったと思います、きっと。
「ふざけてんのかガキ! マジで赤ってのをまったくわかってねぇな! おい、恋人、こいつマジで赤属性の適性持ちかよ? わかってねぇにも程があんぞ!」
「それを教え始めたのはメルサラでしょう」
「うっせぇ! そもそもテメェがクソくだらねぇ精神抑制なんざ叩きこんだからだろーが!」
「あのねぇ、メルサラちゃん。一応、術式を教える時は抑制法から教えるものなのよん」
「知るかクソの役にも立たねー戯言どーも! 他の属性がどうか知らねぇが赤ってのは修道女のネンネじゃ立つもん立たねーんだよ!」
ここまで息巻いているメルサラの姿は常人が見れば『なにこれ?』と首を傾げるものだったでしょう。
何せ特訓開始直後に生徒たち全員がメルサラを見て、ポカンとしていましたからね。
「つーかこんなモンでイケると思ってんのオラぁ!! ふざけんなヴォケ!!」
ジャギンッと鋼が擦れる音が響きました。
メルサラが寝ている間につけた鍛鉄製の枷によって両手両足は封じられ、術式もモフモフの毛によって初級のみを使わせるようにし、なおかつやりすぎた場合、いつでも息の根を止められるように【戦術級】の電流が流れる首輪付きです。
鍛鉄製の手枷などは生徒たちに使う用に用意してあったものですし、モフモフにも夕食前に三時間くらい懇願し、最終的には『……わかった。おなか減った』とまで言わせました。間違いなく快諾の返事ですね。
ついでに最後の電流首輪はびりびりハリセンの応用で作られたもので、夜駆けでグランハザードを叩き起こし、無理くり差し出させた素材を使用した一級品です。
娘の命を言い訳にしたのでグランハザードも肩を落とすだけで済みました。まぁ、これから決闘する娘の命を心配しなければならないとはグランハザードも複雑ですね。
素材は希少鉱石もあって、本気で刻印武器を作ったなら村が半壊する威力があります。というかありました。
ちなみにこれらは全て自分が一晩で用意しました。
見事な仕事っぷりにエドすら顔面神経痛を起こしたみたいに痙攣をしていたくらいです。
「コイツをハズさねぇとぶちコロ……あ?」
ほとんど八つ当たり気味にマッフル君の相手をしていたメルサラが初めて自分を見て、唖然としました。
珍しい表情かもしれませんが何の感慨も湧きません。
「どうかしましたか?」
「……が、がぐぐ」
謎の奇声をあげ、メルサラは後ずさりました。
「人語を喋ってもらわないとわかりませんよ?」
「――な! テメェ! やめろぉ!」
戦いでは決して見せない、どうしたらいいかわからず、怯えにも見える表情で足をズリズリと擦っていくメルサラは無様だったかもしれません。
でもって自分は極めて笑顔でメルサラに近寄りました。
「それ以上、オレに近寄るんじゃねぇええ!!!」
「あぶー」
自分の腕に抱かれた赤ん坊を指差し、大声で怒鳴るメルサラに自分はそれ以上、近寄りませんでした。
対する赤ん坊は無邪気なもので涎まみれの手で自分の胸元を掴んでいました。ばっちぃですね。
「大丈夫ですよ、メルサラ。ちゃんとマッフル君の特訓に付き合ってくれたら何もしません。えぇ、何もしませんよ。何なら近寄らないと約束だってしてあげますよ?」
「……て、テメェ」
語彙すらなくし限界化したメルサラを見た自分は満足し、エドの元へと戻りました。
四ヶ条を守らせるための数々の拘束具。
これを破るのは自分でも簡単ではありません。
しかし、メルサラの大火力ならいずれ破ってしまうでしょう。
そこで最後の拘束として用意したのが精神の拘束。
つまり最終兵器赤ん坊です。
「ねぇ、ヨシュアン。どうしてメルサラちゃんはあんなにおとなしくなったの? かわいいもの好きじゃなかったのん? アレじゃぁまるで……」
「簡単な話です」
戻ってきた自分にエドは微笑みながら不思議そうな声を出しました。
微笑んでいるのは赤ん坊を刺激しないようにするエドなりの気遣いです。
赤ん坊の目はまだ発達が遅く、もやかかった視界であってもどうしてか人の表情は認識できるらしいですね。
この子の発育なら視力は0.1~0.2程度、父親や母親の顔がぼんやりでもわかってくるくらいでしょうか。
単純に赤ん坊がかわいいからかもしれませんが、まぁ大したことはありません。
「逆の発想ですよ」
メルサラは戦闘狂で常時、【ザ・プール】状態という特殊な精神性を持ち、その反面、あるいは反動のように『かわいいと思うものに対して忌避に近い感情』を持っています。
しかし、メルサラはあの男勝りな性格ゆえに怖いと思っていられません。思いたくもないでしょうし、認めることもできません。
だからこその逆理、逆説、あるいは逆威でしょうか。
忌避しているから好くという歪みです。
一体化すること、あるいは信仰することは忌避の感情の裏返しとしてはそこそこ有名な話ですよ。
好意はその顕れの一つです。
しかし、かわいいものへの対処はメルサラもお手の物です。
己の情動と向き合うのは術式師の性ですからね。ある程度、自制や対処がわかっているので行動も余裕があります。
ですが女性にとって可愛すぎるものへの対処はどうでしょうか?
女性本能として庇護や愛着の対象となる赤ん坊となれば話は別です。
どうしたらいいかわからない、わからないから好きになるのはいいが好きすぎて精神を限界化してしまい、頭が回らなくなり、語彙も少なくなり、余裕がなくなれば残されたのは丸出しになった忌避の感情です。
ようするにメルサラにとって赤ん坊は『可愛すぎて怖い』んですよね。
あるいはこれらは理のサートール方式、その代償として失った心がそうさせるのかもしれませんね。
「そういうことね。それにしてもヨシュアンはメルサラちゃんに詳しいわよねん。何? 好きなのん?」
気持ち悪いことを言わないでください。
コレと何かの間違いを犯すことがあるのならそれは死んだ時か意識がない時くらいです。
「アレでも性能だけは大陸指折りの戦士です。身体能力が非常に高く、各種神経系は人類を越えているんじゃないかと思っています。頭が残念でも戦闘勘は最高の一言です。自分とメルサラが何も考えずに真正面から戦えば十中八九、メルサラが勝ちます」
単純なスペック負けをしてしまうんですよね。
それぐらい圧倒的なんです。
あるいは圧倒的に自分が弱いというのもあります。
「でもヨシュアンはメルサラちゃんに勝ち続けてるわよねん? やっぱり戦略、戦術かしらん」
「それもありますが戦いという項目で自分が勝つためにどうしたらいいか考えればおのずと答えは出ますよ」
とにかく赤ん坊に近寄れないメルサラはしかめっ面のままマッフル君の襟首を掴んで、ズリズリと森の中へと入っていきました。
こうしてみると前に比べて木が少なくなってきましたね。
そのうち拓けすぎて庭になりそうです。
「メルサラの思考、存在理由、ありとあらゆる全てを『理解した』だけです」
いつの間にか周囲は静かになっていました。
修行のためにあれやこれや議論をしていた生徒たちはいつの間にか自分とエドの会話を聞こうと耳を傾けていました。
「メルサラが何を言われたらどう返すか、何を言われたら激高し、何をしたら黙り、何を差し出せば騒ぎ、何を食えば満足し、何を与えたら苦しみ、怒ればこう返し、黙ればこう返し、騒げばこう返し、喰えばこう返し、苦しめばこう返し、後悔したらこう返す。メルサラの行動原理そのものを理解すれば当然、自分が望む落としどころへと持っていけます。誘導するのも罠にはめるのも自分からすれば当然の結果です」
だから『攻略した』と言ったんですよ。
例え新技を繰り出してきても返してやれる自信があります。
「……おのずと出る答えじゃなくってビックリしたわぁ。でも、そこまでしないと勝てない相手なのねぇ」
「相手を狩り取るつもりなら当たり前の考え方ですよ」
「いや、ヨシュアンくらいよん? 圧勝するためにとはいえ普通はそこまで情熱を注げないわよん」
流石にそこまでした相手はメルサラを含め三人しかいませんよ。
もっともそこまでやっても一人では勝てない相手というのはやっぱり存在します。
「そのうえでアレの突飛な行動にはついていけませんがね。今回の件だってそうです」
自分の知らない情報があった場合、読み切れないこともありますし、完全な制御とは言い切れません。
まさかメルサラがマッフル君を育てようとするなんて思いつきもしませんでしたよ。
何かしらあったのは確かですが情報がない以上、推測もできませんし、ただの気まぐれの可能性だって少なくないんですよ。
「……うまくいってくれるといいんですけどね」
ドカンドカンと再び燃え上がる森
この時はなんとかメルサラを制御して、期待と不安が入り混じっている状態でした。
次の日、決闘まで残り二日となったところで自分も焦り始めました。
「テメェ、マジわかってんのか? オレがわざわざ教えてやってんのはな。テメェが『テメェのためなら親でもぶっ殺す』ってー話を聞いたからだ」
今日も今日とてマッフル君はボロボロでした。
メルサラも無駄に胸を張って、ストレスを発散するように叫んでいました。
「………」
マッフル君は何か言いたげに口を動かそうとして、うまく声をあげられませんでした。
わかりますよ、その気持ち。
誰が親を殺すって言ったんだ、でしょう?
諦めてください。その誤解は解けません。
何故ならメルサラだからです。
「珍しく面白れーヤツだと思ったからだ。むしろそんぐらいの強欲じゃねぇーとやってらんねーんだよ!」
あまり変わりない成果とは反対に他の生徒たちは発動を成功させ、中には制御しきった子もいました。
その落差が微妙な不安を掻き立てます。
これ以上の負担は決闘に支障を来すのではないかと頭がよぎりました。
というかこの日、シャルティア先生から言われました。
「最近、マッフルが授業中に舟を漕ぐようになった。あのままだと海にでも出航しそうな勢いだ。あいつに何をした」
「求められたので答えただけですよ。それが教師のお仕事でしょう」
「違うな。教師の仕事は求められると想定して問題を出す仕事だ。お前が常日頃、量産していることだな」
自分が問題を起こしているわけではないのですが、生徒たちの問題は自分の問題でもあります。
この遣る方ない詰問に自分は苦い笑みと共に頭を下げました。
気持ちは床まで頭につけたいところですが、いい大人がみっともないのでできかねます。
このマッフル君の授業態度は教師陣の間でも問題になりつつあり、リィティカ先生は本気で心配し、アレフレットはイラつき、ヘグマントは唸り、ピットラット先生は冷静でした。
自分はマッフル君の頑張りを知っている以上、強くは言えません。
お為ごかしのように『決闘のために猛特訓しているのでしょう、すぐにいつも変わらないようになりますよ』と言って、場を濁し続けていました。
「おい、起きろ。さっさと術式を構築しろ。五秒以内だ」
自分が雪国のブリザードも青ざめる視線を思い出していると、目の前ではクライマックスみたいな空気が流れていました。
物の五秒程度の回想だったはずなんですがね?
「できなきゃ死ね。テメェの強欲諸共、ここで燃え尽きちまえ!」
これにマッフル君は身を炎色に纏わせながら、ボロボロと立ち上がりました。
「……殺さない、っつーかなんで殺すって話になってるわけ!?」
トゥアリムの効果で喋れるくらい肉体強化されたのでしょう。
中腰のままマッフル君は吠えました。
「喚けんならさっさとブッ立てよ! あぁ?」
マッフル君に応えるようにメルサラも吠えました。
そして、再び始まる一方的な蹂躙。
無差別に降り注ぐ炎弾、肺を焼く熱気、そして、積み上がっていく後処理への心配。
ここまで荒れたらもう学園長への報告案件ですからね。
「ある意味では正解なのが難しいところですね」
「メルサラ・ヴァリルフーガの理屈には正当性がある、ということですか?」
興味があったのかキースレイト君が隣に立ち、尋ねてきました。
そのキースレイト君の拳が赤く染まり、突っ伏したフリド君は見ないフリしておくべきなんでしょうか、そうなんでしょうね。
「えぇ。実のところ、君たちが自由操作の次に覚える技術がメルサラの言った通りなんですよ」
教育要綱の中ではもっとも最後に行われる内容です。
つまり、生徒たちが無事に授業を修め、要綱通りの知識と経験を身に着けた場合、生徒たちは中級術式師の入り口を叩くことになります。
学園を卒業しただけで中級術式師の実力があると学園ひいては国が保証する、と聞こえはいいですが実情はどうでしょうね。
その辺りの意識差は実際に生徒たちが社会に出ないと体験できません。
「アナタたちは抑制法を覚えたじゃない? でも術式師が弟子に抑制法を最初に教える理由を知ってる?」
「術式の暴発や不発を防ぐために精神によって感情を操作しなければならないからです」
エドが教師役を引き継いだので自分は果実のジュースでも作っておきましょうか。
爛々と瞳を輝かせるマウリィ君と瞳にキラキラ星のセロ君、二人の視線を感じられて微妙にやりづらいです。
「その通りよん。でもね、それだけじゃないの。抑制……、抑圧というべきかしらん。抑圧だけだと術式は初級、よくて第一種上級までしか覚えられないの」
はい、セロ君。第一種と聞いて今、首を傾げていましたね。
「第一種というのは一つの属性で作られた術式の種類のことですよ。上級術式以降は第一種、第二種と二つの項目に分かれます。それぞれ第一種を単一属性、第二種を混合属性と覚えているといいですよ」
言われてセロ君がびくんと肩を震わせました。
ジュースを期待していたのがちょっと申し訳なく感じているのでしょうね。
気にしませんよ。
たくさんお飲みなさい、むしろ太る勢いで飲みなさい。この小食小動物。
「どうして抑圧すると上級以上の術式に制限がかかるのか……、少し論文を書いてみたこともあるけれど決定的な理由には至っていないのよねぇ。たぶん心の出力の問題かしらねぇ。その辺りの今、理屈と関係ないから飛ばしちゃうけれど、そうねぇ……」
果実の皮部分を適当に切り、物理結界を球体状に維持し、果肉を放り込んでいきます。残った皮部分は後で乾燥させて香茶のフレーバーにしてしまいます。
物理結界内で竜巻を発生させ、バラバラに切り裂き、内圧を高め押しつぶしたら物理結界の一部を解き、グラスサーバーに流し込みます。
この時、術式で氷を作り、くぐらせてやることで即席果実ジュースの出来上がりです。
ついでに赤ん坊への食事も兼ねています。
それぞれにジュースを振舞いながら、自分も考えます。
精神的リミッター説、あると思うんですよね。
「大きな桶にたくさんの水が入ってるって想像してみて? 初級の術式はその桶が壊れないように目張りして、水漏れがないかどうか調べて、それから桶に穴を空けて水を出すようなものなの。そしたら決まった量の水しか出ないじゃない? この状態で桶に蓋をして圧をかけて水を勢いよく出すこともできるし、穴を大きくすることもできるわねぇ。でも、もっと簡単に水を出す方法がなぁい?」
「桶をひっくり返します」
「う~ん、不正解。正解は桶を壊すことよん」
本職のエドが言うのなら間違いなのでしょう。
ひっくり返す、という表現は間違いありませんが実際にやると自爆と変わらないのが不正解の理由でしょうか。
術式師にとってイメージの違いは大きな暴発に繋がりますから、言葉のイメージは重要なところです。
「正確には桶を壊し、流し込みやすい新しい桶を用意します。抑圧による制御。これが今まで君たちが習ってきたことです。そして次に至る段階が『解放による爆発』。心の枷を外して術式を制御する手段です」
「それだと今まで習ったこととは真逆ですわ。大体、心を暴走させたら術式なんて制御できませんわ」
しれっとした顔でジュースをもらいに来たクリスティーナ君が唇を尖らせて言いました。
この子への疑問対処は自分がやっておきましょうか。
「だからこそ段階を分けているんですよ。最初に制御や抑圧を教えることで暴走を心の手綱で戒めるんです。暴走の完全制御は術式だけでなく武術においても同じです」
この理屈は技術である以上、どうしても他の技術とも共通性がありますね。
優れた理屈が他の分野でも通用するように、武術の基礎からの発展は術式にも通じるところがあります。
いえ、拳禅一如や心身一体という言葉がありましたね。
肉体と心はお互いに影響を及ぼし合う一対のものという考え方がある以上、心を操り、括り、歪曲り、汲み、組み上げる術式は鍛え方も似てくる道理です。
「なんだか矛盾しているような話ですわね」
「その矛盾を貫けないようなら術式師としては大成しない、ということです」
どんな理屈をこねようとも弱点となる理屈は生まれます。
そして、どんな完璧な理屈であろうとも組み合わせた瞬間、崩れる理屈もあります。
理屈が産まれた瞬間、そこには矛盾となる反理屈が産まれ続けるわけです。
正しい、間違いの話ではありません。
「どんな理屈、どんな技術、どんな術式であろうとも支えとなるのは強い意思です。覚悟を伴う意思を得られるかどうか、メルサラの『親でも殺す』云々はトゥアリムを使いこなすにはそこまでの強い意思が必要だと言いたいんじゃないでしょうか」
なんてことでしょう。
メルサラをフォローしてしまう自分に酷い自己嫌悪を感じざるをえません。
いや、いいんです。
重要なのは生徒たちの成長であって、吐き気を催している場合ではありません。
鳥肌が立っていたとしてもメルサラを利用してでも自分は生徒たちを教育してみせます。
「制御できている子もいましてよ?」
この中だとセロ君、キースレイト君、ティッド君の三名が制御に成功しています。
生まれ、性別、性格、そのどれもが共通点のない三人ですが、もっとも早くから制御の兆しが見え、あと一歩のところまで来ている子たちです。
当の三人はジュースを飲んで、それぞれのリアクションを取っていましたが。
「ではこの三人に共通することはなんでしょう?」
「……むむ。難しいですわね」
セロ君は先日の件でまだ迷っているでしょうが生来の意思の力は健在です。
性教育のときのように極端な苦手意識を持つものでさえなければ集中力と相まって制御に向いています。
というか完全に制御向きの子です。
なおかつ時々見せる謎の感情爆発や先日のうっ憤も相まって、いの一番にトゥアリムを成功させたようです。
キースレイト君は自制が効きすぎてしまうタイプですね。
フリド君相手にはちょっと自制が効かないようになってきましたが、元々が己を律することを己に課している面がありました。
そうした制御心と解放心のバランスが整ってきたのでトゥアリムの制御に繋がったのでしょう。
そして、これまた意外なティッド君。
好きな子のために頑張れる子なので自制の塊ですが一方で抑圧された感情を吐き出すのに不向きです。
ですがどうやら抑圧されたものを目的に向かって努力するという方向に変えられる模様です。
ヤバいですね、この子。下手したらものすごい成長をするかもしれません。
この三人の共通点は意思の強さと感情の発露、二つのバランスが整っていることです。
「マッフル君やクリスティーナ君は欲望に素直ですからね」
「何か言いまして?」
「クリスティーナ君はしたいと思うことをどんな手段でもやろうとしますからね」
「どうして名指しになっていますの! あの愚民との共通点を話していらっしゃったのではありませんの!」
前科者が吠えよりますね。
「胸に手を当てじっくり考えてみるといいですよ? ちなみにマッフル君の制御がうまくいかない理由の一つに欲望への素直さのわりに自制を効かせる癖がつきすぎてしまっているところにありますよ。赤の源素はもともと苛烈な激情に反応しますので、出力を上げようと思ったのなら本当はもっと心の底から欲望を解き放たなければなりません。ところが理知的な側面がある分、激情に駆られづらい、わかりやすく言うなら『全力を出し切ってしまった後を考えて力を抜いてしまう』と言うべきでしょうか」
「それは、当然ではなくて? 私はそうすべきだと言われましたわ」
試練の時の話ですね。
クリスティーナ君は戦闘の役割上、余力を残す位置にいますからね。
しかし、マッフル君は違います。
余力以上に切り込まれ、崩れた相手を捌き、止めを刺す『追撃』を主眼に置かなければなりません。
その運動量は切り込み以上で余力を考えられる位置ではありません。
それぐらいクリスティーナ君もわかっているはずです。
しかし、当の本人はマッフル君のフォローをしているのが気に入らないのか、そっぽを向き始めましたよ。
まったく誰の真似ですか、それ。
「その当然を自分の意思で捻じ曲げなければなりません。意識の変容、まぁ、演じると言い換えてもいいですよ? 心の底から『激情に駆られる演技』をしなければなりません。しかし、演技の経験があるクリスティーナ君ならわかりますね」
「難しいですわね。氷の女王を演じた時、私は氷の女王ではなくて『氷の女王になった私』でしたもの」
細かすぎてわかりづらいのですが己の言葉で理解できるのなら及第点です。
何せとっかかりは違えど理解をしているのですからね。
次の言葉をかけようとして森の向こうから一際激しい炎の柱が立ちました。
アレはメルサラの術式ですね。
「初級に限定してアレですか。相変わらずのバ火力ですね」
「アレで初級ですの!?」
「壁を越えた術式師の出力も違いますがメルサラの術式はサートール方式ですからね。段違いですよ」
「サートール方式を学べば、私たちも出来ますの?」
ん? クリスティーナ君の様子が変ですね。
元々粘着質なところがありましたが妙に粘っこい熱を瞳に湛えています。
何か変な勘違いでもしているのかもしれませんね。
「全てを捨てる覚悟がなければ不可能な領域ですよ。アレは憧れたり目指すものでもありません。目を伏せ、頭を低くし、通り過ぎるのを待つ類です」
無言のまま、何かを食むように言いよどむクリスティーナ君。
もうちょっと注意すべきか、踏み込むべきか、少し考えてしまい、結局、何も言いませんでした。
もしも間違えたのなら何時でも正してやれます。
ドロドロと纏わりつく不安は森の向こう側も同じで、自分もまた教師としての先行きに不安を抱かずにいられませんでした。
この日、やはりというかマッフル君はトゥアリムを制御しきれませんでした。
決闘まで残すところ後一日。
明日、制御できなければマッフル君の勝ち目はありません。




