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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第六章
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The sun is shining behind the snow.

 放課後にもなれば、また自分たち教師は慌ただしくなりました。


「よし! 防衛策を提出してくるぞ!」

「自分もいきますか?」

「待て、ヨシュアンには父兄の様子を見てもらう。意識調査も忘れるな。コレとグランハザードが旧知なのは確認済みだ。私たちが行くより適任だろう」

「弱みを握りにいくとも言っていたな! ならばこちらは任せるといい!」

「わかりました。すぐに出ますが見に行くだけなのもアレなので備品で足りないもの、あるいは何か必要なものがありましたら帰りに買ってきます」

「それならぁ、水の蜂巣の乾物がありましたらお願いしますぅ。もうこの辺りで採れない時期になっているみたいでぇ」

「こっちもだ。ボロでもいいから布を大量に集めてきてくれ」

「水の蜂巣は疲労回復薬だとわかりますがボロ布なんて何に必要なんですか?」

「家内に言われた。もちろん予算からは出さない。私物だと思ってくれていい。領収書と交換する……今回、僕は商隊に行く暇がないからな」

「でしたら私も布でよろしいですかな? 後は蝋を。この地方はこれから少し先、冬の前に短い雨期を迎えるそうです。それからすぐに寒くなるとのことですので防寒対策をしておかなければなりませんな」

「わかりました。確かに防寒対策は必要ですね。では行ってきます」


 自分は慣れ親しんだ外套掛けからローブを手に取って、立ち上がりました。


 職員室の喧騒は自分がいなくとも止むことはありません。

 それも当然でしょう。


 ヘグマントは体育の授業の赤字を取り戻すための授業の短縮案に学園防衛案を平行してやっています。

 アレフレットもヘグマントと同じですが、その上で義務教育を父兄たちに詳しく説明するための文章を制作しています。


 リィティカ先生は学園長に提出する進路相談のまとめ表、それと冬場に備えて薬品を蓄えようとし、ピットラット先生は一番、厄介な冬支度の準備を始めています。


 そして、シャルティア先生は全体の把握に、今回の父兄たちの来訪後の対策に動いています。

 何せ義務教育計画の内情を知った父兄たちは各貴族からすれば情報の宝庫です。


 下手をすれば拉致監禁なんて当たり前に行われます。

 貴族の暴走が起こらないように考えたのがシャルティア先生の作業です。


 義務教育計画の現段階を『意図して情報漏洩』させる案です。

 しかも学園三ヶ月目でスポンサーについた貴族たちに優先して教え、しかも周囲には王都への定期報告を通して『スポンサーには教えた』と報告します。


 これをすると貴族たちはスポンサー貴族の腹を探るために手を動かし始めます。


 例え父兄を拉致するにしても情報の価値が下がれば手荒く扱われることはないでしょう。

 せいぜい腹を探って得た情報が正しいかどうかの判断基準になる程度です。


 正直、生徒たちの教育よりも事務が多い気もしますが、そうした手間を省くと足元を掬われるのが世の常です。


 それもこれも父兄なんて来るからですよ。

 つまり、グランハザードは殴っておくべきでした。よし、今から殴りに行きましょうか。


「備品調達なら私も行く」


 シェスタさんが職員室からひょこひょこと歩いてきました。

 ご丁寧にケープを羽織りながらですよ。


「いえ、急いでいるので」

「足なら強化術式を使えば歩ける」


 そりゃ強化術式を弄れば、骨が折れようが粉砕してようが、なんなら千切れていても短期間なら動けますがそれは自分たち【タクティクス・ブロンド】レベルの常識です。


 元冒険者とはいえ一般レベルがやるには結構な重労働ですよ?


 どれくらい重労働かと言えば日常生活しながら右手で絵を描きつつ、左で料理をやりつつウォーキングを楽しむような難易度です。


「結構、歩き回りますよ」


 否定しても時間を取られるだけです。

 それにグランハザードはともかく、キャラバンの連中は自分相手にふっかけてくる可能性もあります。

 いちいち拳で値段交渉していてはキリがありません。


 ここはシェスタさんに備品調達をお願いして、自分は情報集めに専念したほうがいいでしょう。

 幸い極貧生活をしていたシェスタさんは売買契約の交渉術に長けています。

 別名、主婦の知恵。主婦ではないですが。


「引きずり回しても……、まわして?」


 ド突き回したくなりました。

 シェスタさんはまるで年頃の乙女が憧れの騎士に告白したみたいな顔をしながら腰を捻らせていましたが、時間の無駄なのでスルーしました。


 ローブと備品を入れるための大型トートバッグを手に職員室から玄関へ向かいました。

 早足で歩くわけにもいかず、心持ち遅い速度で自分の後ろについてくるシェスタさんの気配を感じていました。


 しかし、少し気になってシェスタさんの足を見ました。


「傷が痛むのは歩いた時の衝撃が直に響くからですね?」

「ん」


 短く、小さな声で返してきました。


「そして筋肉の痛みより深刻なのは骨ですか?」

「骨が筋に引き攣られるような感覚。でも歩いた時にじわりと痛いのはやっぱり骨」


 大剣が太ももの骨を貫いて、筋もぶち切っていますからね。

 骨を固定する技術でもないかぎり、自然治癒に任せっきりです。


「そうなると強化術式を使うのは逆効果です」


 赤属性の強化術式は筋肉を強化しますが、強化したところで傷に障るだけです。

 黄属性も神経系統と同時に筋肉も強化するから同じです。


 一方で青属性なら熱を下げ、緑属性は風による身体補佐です。

 しかし、この二つは肉体の強化率が低く、使っても意味がありません。


「黒か白の術式は使えますか?」


 これにはシェスタさんは答えませんでした。


「黒と白の術式なら負担もなく肉体を外から補佐できますから、傷に障らなくて済みますが……」


 まぁ、無理もありません。

 黒と白の術式はまず術陣が秘匿されがちです。

 次に源素操作が難しく、燃料となる源素を見つけるのも一苦労です。


 自由に使うためにはレギィみたいに自家発電できるか源素結晶の中でもさらに高額の白と黒の源素結晶が必要です。


 冒険者が手を出せる術式ではありません。


「良ければ荷重干渉の術式を――」

「……ぃたぃ、あつぃ、いい、すごくいいっ」


 ヤバい人がおりました。

 なんと仕事場の同僚です。


 今すぐ転職したいですが無理そうです。


「……きゅん、きゅん」


 その上、顔を真っ赤にして鳴き始めましたよ。


 歩く度に自らを高めるその姿勢、まごうことない弩Mでした。

 というか今から人間密度の高い場所に向かおうっていうのに、今にも天国にいきそうな顔で歩かれるとまた無駄に悪評が広まるので止めてください。


 いや、言っても聞かないでしょうから無理やり荷重干渉して体を軽くしてやりました。


「面倒なので仕事を増やさないでください」

「……いけず。でも、そこが愛」


 結局、身をくねらせるので何をしても無駄ですね。


 レギィは自分によく荷重干渉で加重させてきましたが、術式構成を少し変えてやれば軽重干渉に変えられます。

 軽くなればその分、身体にかかる力や負担は少なくなります。


「こんなに軽いと遠くまで飛べそう」

「実際の重さは変わっていませんよ。飛んで着地でもすれば当然、元になった重さとかかった作用の分だけ負担がかかります。重力制御なら負担をゼロにできなくもないですが慣れていないと意識と体の差から動けなくなったり、こけたりしますね」

「とう……、ぐちゃ……、みたいな?」

「あまり感覚でわかられると困りますが、使うことはないのでいいでしょう」


 これが生徒なら理屈で覚えていないと試練で点数になりませんから。

 リリーナ君のような超感覚型は……、正直、『見極め』が難しいですね。


 そうこう話をしている内にすぐに校門を抜けて、繁殖力旺盛な森に入りました。

 ここからグランハザード商会の、今は会議で正式に『居留地』と呼ばれることになった区画に入りました。


「強化術式の感覚のズレはわかる。私はあのズレが苦手」

「動体視力や体感、体幹部などはそのままの術式が多いですしね」


 そういえばここまでの距離を生徒たちが行き来するというのも危ない話ですね。

 いちいち教師が付き添うのも考え物ですし、面倒なのでグランハザードの武装隊に警邏させますか。


「初級はまだ使う機会があるから慣れられる。けれど」

「あぁ、上級の強化術式ですか」


 なんでしょうね。

 上級以上の強化術式は術者によってはズレが酷すぎて吐く、強化しすぎて自爆する、そもそも肉体に合わない術式を使って己の体を傷つける等、自爆要素が強くなります。


 使いこなせない上級よりも使い慣れた初級の方が役に立つ典型です。


 大体、吐くとか三半規管がイカレるとか動脈が激しくなりすぎて血が薄肌を突き破るとか、はは、そんなの当たり前ですよ。

 伊達や酔狂で自壊前提の強化術式【獣の鎧】なんて開発していませんからね。


「無理やり上級に合わせる根性があれば誰でもできますけどね」

「それは愛がないと誰でもできない」


 気持ちの問題ですよ。

 とはいえ実際、自分も体を弄り倒さなければ上級の強化術式に慣れるのに時間がかかったかもしれませんね。


 シェスタさんとの話を半分くらい精神論で締めくくればちょうどグランハザード商会に入りました。


 相変わらずの哨戒役を見送り、騒がしいキャラバンを眺め歩き、シェスタさんをベルナットの下に届けたら自分は一人、竜車の間をすり抜けていきました。


 迷路のように入り組んだ竜車の村。

 グランハザードの作ったキャラバンの一夜城。

 有事の際には一つの城塞にもなります。


 さて、キャラバン等の商隊が大きくなればなるほど当然、設営の問題も大きくなります。


 竜車という場所を取る移動屋台。

 人や家畜という労働力。

 居留しているとはいえ効率的な配置は必然です。


 必然だからこそおかしくも思ったんですよ。


 効率的な設営をされた竜車の村でセロ君がマヌエラ院長に会いに行って、出会えなかったという事実が。


 父兄たちはグランハザードにとって新しい商売のための商品です。

 商売相手は間違いなくクレティアスです。

 裏向きはこちらの味方であってもクレティアス相手には学園を警戒している態度を見せている必要があります。


 そこで考えられるのは一つ。


 クレティアスの信頼を得るために、グランハザードは学園の敵対者であると見せなければなりません。

クレティアスの見ていないところで学園関係者と父兄の情報交換、あるいは癒着などをさせないと態度で見せる必要があります。


 そのため、父兄たちの住居を隠したのでしょう。

 表向きの住居に生徒が訪ねても『出かけている』と返しているのでしょう。

 本当に父兄に会いたいのなら直接、居場所に突撃しなければなりません。


 そして、あえりそうな場所はもっとも警備のしやすい中心部と見ました。


 なので中心部に向かって竜車の合間を縫っていけば、たどり着けます。

 いくつかの竜車を抜けた先で何もせずにボーッとしている商人に出会いました。

 見た目こそ普通、行動もサボっているか休憩しているように見せて目線だけはあちこちに彷徨わせている辺り、警戒レベルが段違いです。


 どうやら当たりのようです。


「というわけでちょっと失礼」

「――は?」


 目の前でポカンとしている商人の胸ポケットに『わざと鳴らせた銀貨』を滑りこませました。


「通らせてもらいますよ」

「なんのことだかわからないなぁ。こっちには何もないんだぜ」

「何もないなら通っても問題ありませんね。あぁ、それと『少しばかり身の分だけ遅くなってしまう』かもしれませんが、大丈夫ですか?」

「あぁ、あぁ、それなら教会の門をくぐったほうがいい。何しろ神様は敬虔な信徒の財布を軽くする術に長けている。我々も神の宿の下で眠りの鐘を聞く頃には軽くなった財布を抱いて寝ているしな」

「検討しておきます」


 いつもの商人言葉ですね。


 自分が彼に頼んだことは一つだけです。

 『グランハザードに報告するなら少しだけ待っていてほしい』、あるいは『遅れて報告してほしい』です。

 時間を少しだけもらっただけです。


 彼は了承し、教会の例えを出してきました。

 これは教会が鐘を鳴らすことと自分が父兄たちの居住区に滞在すること、両方に共通しているものは何かと問いかけ、答えに時間と出すのが正解です。


 そして、眠る時刻まではまだ猶予があります。

 このことから今日の終わりまで時間を作ってくれるようです。


 銀貨の効果は偉大ですね。

 金貨にしたら何日待ってくれるんでしょうか?


「……マッフル君ともこういうやりとりをするようになるんでしょうね」


 それはそれでメンドくさそうです。

 いつか来る未来にげんなりしつつ、少し暗い竜車の隙間を抜けると竜車を利用したテントがいくつも作られていました。

 これらがグランハザードの『簡易宿(キャラバン・サライ)』です。


 そのテント周辺でウロチョロしている父兄の様子は様々です。


 父兄の数名が小さな籠を地面に置いて植物の仕分けをしていました。

 おそらく山菜を取りに行ったのでしょう。

 仕分けは単純に調理の仕方がそれぞれで違うからでしょう。


 服を調整している婦人も居れば、果実籠の中身を鍋に入れて茹でている人。

 談笑に興じる人も居れば、使用人らしき男に何事かを指示している者もいます。


 総じていえば忙しそうです。

 お客さんなのに己から仕事をしに行っているのでしょうか?


 そういえば父兄がそれぞれの故郷に帰る頃にはリスリアは晩秋から初冬です。

 今のうちに冬支度をするのは間違っていないでしょうし、道中に冷えると大変ですからね。


 それとも居留中、世話になりっぱなしは不安だから仕事をしていると見るべきでしょうか。

 少なくとも退屈とは無縁そうで何よりです。


「おい、ありゃぁ教師の人じゃぁないか?」

「あぁ、本当だ。何かあったのかね?」


 父兄たちの中から自分に気づいた者がいて、少し動揺していました。

 闖入者が教師だったので不思議に思ったのでしょう。


「ちょっとした意識調査です。義務教育についてどう思ったのか聞きに来ただけですよ」


 目的を話すとあっさり納得して、今度は難しい顔をし始めました。

 突然、言われても答えられないようですね。

 なら少し時間を置きましょうか。


「本当に感想程度で十分です。それと疑問や不安がありましたらお答えできますよ」

「んー、そうだねぇ」

「では所見で良ければ話をしようか」


 そこにやってきたのは上等な服を着た男性でした。

 コレは確かピットラットクラスの男の子の父兄でしたね。


「ありがとうございます。では実際に教育の現場を見てどう思われましたか?」


 内心、吐き気を催しながら真面目な顔を維持しました。

 誠実そうに見えたらOKです。なるべく殴らないようにしましょう。


「陛下の計画は我々の及びつかない遥か彼方を見据えているようだ。三者面談の折にも触れたが教育としての本分をただ純粋に抽出し、能力だけを上げようとする試みは興味深いものが、これが一体、我々の使命と権威にどう影響するのか夜会の噂ですら声を潜めるものが多い」


 ……商人言葉と言い、貴族言葉と言い、忙しい時に面倒なやりとりをさせないでください。


 ようするに学園の教育と貴族が子供に施すもの、そう大差がないと感じているようです。

 その上で無作為に教育を施すことへの懸念が貴族の界隈では噂されていて、それは良くないものだと言いたいわけですね。


「個人として問うのは施された者は施しをせねばならんことについてだ。彼らは王国の礎となるのだろうか」

「王国への施し方は人によって様々でしょう。もちろん、王国の長い手となりたいという生徒がいるのなら道を示しましょう。しかし、そうでなくとも我々教師一同は風神ヒュティパの導きの如く、生徒たちに道を示します。これは王国の全てが発展するための礎です」

「ほう……、つまり、それは我らの子がどのような道に進むのか貴様らでもわからないと?」


 学園生徒たちが卒業しても、必ずしも現王政府に仕えろとは言いません。

 これは最初から決められたことです。


「学園事業はこれから先に続く大きな実験の第一歩です。その成果もまた誰もが知らないことばかりなのです。我々、教師一同、生徒一同は暗闇に火を灯しながら歩かねばなりません。ゆえに全ての可能性について考えなければなりません」

「ふむ。それが陛下の御意思か」

「そうなります」


 なんて会話していますが内容は薄味です。

 この一連の流れにしても『ここまで金かけてる生徒なら現王政府に取り込まれんじゃね?』『いいえ、その限りではありません』『無責任すぎやしないか?』『いいえ、生徒たちがどうなるか調査しなければ何とも言えないからです』『それって王命?』『はい、その通りです』で済む話ですからね?


 あとは忖度(そんたく)しろってことなんでしょうが、意識調査に乗じて情報収集まがいをする父兄にそこまで言ってやる義理はありません。

 ピットラットクラスの子はしっかりしているので己の道くらい見定めているでしょうし、現王政府の要職、その傘下に組み込まれる予想も立てているでしょう。


「では次にファルマウト領、レザナード領がこの計画に多額の財を寄付したと聞いたが」

「残念ですが他領地についてはお答を控えさせてもらいます。計画に関係ありませんので」

「む? しかし、計画に寄付している以上は」

「あくまで善意の寄付である以上、こちら側からは何も。こちら側から発する情報も最終的には同じです」

「ほう……、そういうことか。では私が誰であるか説いても意味はなさそうだな」


 もしも『私は○○領の○○だと知ってのことか?』などと宣ったら、父兄の見えない角度から術式で吹き飛ばすところでした。


 何を勝手に想像したかは知りませんが納得いったのか、貴族の父兄は頷き、去っていきました。

 自分も再び誰かしらに指示を与えている姿を遠目に眺める程度に切り上げ、周囲を見回しました。


「他にも何かありませんか?」


 父兄を見ながら尋ねるとおずおずとしながら手を挙げてきました。


 さて、さて。消極的ではありましたが様々な話が聞けました。

 例えば木くずを顔につけた男性からはこんな質問です。


「こんなにすごい屋敷で弟子にしてもらって、帰ってこないなんてことはないだろうか?」


 という義務教育を根本から理解していない意識もありました。

 これはちゃんと一度は故郷に返し、お子さんとちゃんと話し合うようにと言っておきました。


 もしかしたら父兄側と生徒側で将来について認識の違いなんてあるかもしれませんしね。


「本当にお金を払わなくていいんだろうか?」


 という妙にガタイのいい、畑仕事の似合う男性より質問もありました。

 これは将来的には税金の形で支払うことになる、と伝え、今計画に父兄の金額負担はないこともちゃんと伝え直しました。


「ウチの息子が術式まで使うようになって……、実家を継がせるより領主様にお仕えさせたほうが……」


 将来の不安を漏らす、小動物のようなおばさんからですね。

 これも生徒とよく話し合うように、と伝え、さらに生徒には現王政府での働き口まで紹介していると言って失神されたりもしました。

 驚きすぎです。


 あ、いや、驚きすぎということもないのでしょうか?

 政府で働くということは出世街道に乗ったも同じです。

 どうみてもボンクラにしか見えなかった子供が一流企業のエリートになるかもしれないと言われて、驚かない親はいませんよね。


「セロは元気ですか?」


 これはマヌエラ院長でした。

 胸で手を組み、静かに問うマヌエラ院長に自分はゆっくり頷き返しました。


「セロ君はまだ心が決まっていないようでした」

「いいえ、心が決まっていないのは私も同じなのです」


 まるで告解する信徒のように目を瞑り、ヒュティパ十字を切りました。


「先生。私はセロが『修道院に戻る』と言ってくれた時に不覚にも嬉しくなってしまいました」


 それは本心なのでしょう。

 多くの親はきっとそう願っていたのでしょう。

 同じように頷く父兄もいました。


「私には子供がおりません。修道院の皆は家族でしょうがもしも娘がいるとすればそれはセロ以外に思いつきません」


 セロ君も同じように思っているでしょう。


「だから、あの子を苦しめるつもりはありません。あの時、三者面談の時に先生は私とあの子の間を取り持とうとしました。その結果に否やはありませんがそのために苦しむこととなったら……」


 弱くも深く淀む瞳は瞼の裏に隠されてしまいました。


 意識調査なので話し合うつもりはありませんでしたが、マヌエラ院長の言葉に何故か胸に小さな痛みを感じました。

 感傷、あるいは同情でしょうか? いずれにしても術式師にとっては無視できる感情です。


「自分は苦しむべきだと思います」


 ですが、無視できるはずの痛みを自分は見過ごせませんでした。


「最良は迷うことなく一直線に進むことなのでしょう。ですが人生でそんな瞬間がどれだけありますか?」


 自分でも言っていたことです。

 父兄と生徒の間で教師の役割は適切なアドバイザーであるべきだと。


「多くは不安になって、迷って、わからずに時間切れのように第一歩を踏み出します。考えて、考えて、考えて、がむしゃらに訳のわからないことをやって、それで何が変わるかわからなくとも、その全てが大変だったとしても」


 自分は進路について悩む心配なんてありませんでした。

 教師をするつもりだってありませんでしたし、そもそもが術式具現士になるつもりすらありませんでした。


 もっと言えば生きている予定すらなかったんですから。


 これを選ぶなら死んだほうがマシな選択と酷くどうしようもない選択。

 どちらを選んでも血反吐を吐くような選択肢。

 実質、選択肢のない道しか歩めませんでした。


「正しいかどうかまでは答えられません。ずっと間違っていたんじゃないかと後悔することもあるでしょう。しかし、真剣だから苦しみ、真剣だから出した答えを納得できないなんてことはありません」


 そんな中でも自分は選ぶしかなかった選択を握りしめてきました。

 悪態と血反吐、皮肉と怒り、憎悪しか浮かばない道を『選んだ』ことだけがまだマシでもありました。


 少なくとも自分がこの道を選べば救われる者や掬われる何かがあったのですから。

 例え目に見えた全てを壊したとしても、自分の見えない位置で救う誰かがいましたから。


 それだけが納得できる、唯一でした。


「セロ君は今、答えを出そうとしています。己が本当にやりたいこと、したいこと、愛すべき者のために何ができるかを見定めて、迷っています。こんなことを親でもない自分が言うのもなんですが我が子と仰った娘が迷うことを否定しないでやってください」


 こんな道を歩いてきた自分が、でもだからこそ教えてやれる道はやはり唯一つでした。


「真剣に迷うことを苦しむことだというのなら、苦しむことを諦めさせてはいけません」

「先生は黒い雨に打たれたことがあったのですね」

「困ったことに傘がない時に限ってじゃじゃ降りでして」


 少し肩をすくめて、自分は祈るように拳を握り、ゆっくりと開きました。


「しかし、あの子たちには傘があります。ないなら持たせますし、注意します。なんなら迎えにだって行きますよ。土砂降りの中でも当然、平気です。それが教師ですから」


 ただ次の言葉だけは静かに言わせてください。


「でも、雨の中を歩くのはあの子たちです」


 これが限界なんですよ。

 ここまでが教師の限界で、どうしようもない限界で、しかし、絶対に踏みこんではならない線です。


 何故なら教師という導く者が居続けては、いつまで経っても生徒たちは大人になれません。


「ありがとうございます。そこまでセロのことを考えていただけて」

「至らぬ点も多いのですが考えうる最大をさせていただいております」

「では、子を人質に取られたと思った親が苦しめられている様を見させられた場合、同じことを言うのかね」


 おっと、どうやらグランハザードの本命が来たようです。

 ぐつぐつと煮えたぎる親心を背景に、クレティアスは優雅に歩いてきました。


 あえて貴族言葉を使っていないのはまだ理性が残っているからでしょうか?


「当然です。何故ならばその苦しみが生徒の成長に必要ならば恨まれてでも成す心構えが我々にはあるからです」

「では我々からはどうかね」

「同じことです。ただ現実は共同歩調を取ることになります。先も言いましたが最良は迷うことなく在るのが一番ですので。クレティアス卿におかれましては、御息女が不幸せそうに映りましたか?」

「……アレの幸せは私が考えることで貴様らには関係ない話だ」


 ちょっと挑発してしまいました。

 敵に回すつもりはないんですが、こうも凝り固まっている様子を見るとつい頭をぶん殴りたくなります。


 たぶん、これは自分が何を言っても無駄です。


 今も目が血走り、『娘を返せ』と言いそうな顔です。

 シャルティア先生の『全世界私のもの計画』のせいで親心が完全に暴走しています。


 なら、こうしましょう。


「クレティアス卿は五日後に何が行われるかご存知ですか?」

「グランハザード商人が娘と決闘するらしいな。それも学園が許可を出したと」

「グランハザードに請われて学園長が許可を出した、の間違いですよ」

「おっと、そうだったか」


 何気なく学園が決闘を行わせたように印象操作しないでください。

 真面目に蹴り倒したくなります。


「その決闘、御観覧されてはどうです」

「何を企んでいる、術学教師」

「何も。ただ見てください。一例かもしれません。暴走気味かもしれません。それでも一人の生徒が出した結論で、学園が行った結果を示す場にもなります」

「……いいだろう。この私への安い挑発、計画の頓挫で支払うハメにならぬようにな」


 えぇ、盛大にやりましょう。

 若干、予定外も含まれていますが自分の中で徐々にピースが揃い、組み立てられてきました。


 これでこの場は終わり、そう考え、去っていくクレティアスを見送ろうした瞬間、背中に怖気が走りました。


「ぬお!?」


 ――まずいと思った時にはとっさ足が出ていました。


 クレティアスを背中から蹴り倒し、近くで驚くマヌエラ院長の前に立ち、とりあえず物理結界を盾状に地面へと突き刺しまくりました。


 直後、居住区に突き刺さる爆発。

 火炎を伴わない突風が巻き上げる大地をめくり、小さな土砂の雨を降らせました。


 なんかメルサラを思い出しますが、アレは熱波も吹き荒れますから別物ですね。


「……お邪魔するぜ」


 土煙から姿を現したのは見た顔でした。

 顔の半分を隠したマフラーのようなものはボロボロに崩れ、何よりも新しい特徴として左腕を失った状態で、それでも目だけはギラギラと輝かせた男――盗賊の頭でした。


 ……ちっ、まさかまさかの登場ですよ。


 あの状況から逃げられたっていうのが気に入りませんね。


 即座に『我地』の態勢から放たれた疾打に自分は物理結界を動かしました。

 ガンッと派手になる音、そこから走り出すまで三拍。十分な時間です。

 物理結界を維持したまま術陣を構築、同時に近距離術式を叩き込もうと肉薄しようとしました。


 結論から言うと、自分は足を止めてしまいました。


 何も倒れたクレティアスが邪魔だから、とか、父兄が見ているからとかそんな理由ではありません。


 秋の夕方、冬の前とは思えない光景が自分の足を止めたからです。


 それは雪でした。


 パラパラと降る『桃色の雪』、広がる純白の雪原。

 まるで世界そのものが変質したような、アレは謎の異空間ナカテーに訪れた時のような突然さでした。


 まさかこの盗賊の頭が?


 しかし、その可能性はありえませんでした。


「なんだ、こりゃぁ……」


 盗賊の頭もまた警戒するように周囲を見渡しているからです。


 気にせずぶん殴るべきなんでしょうが、問題は父兄たちです。

 父兄たちの身の安全を考える前に動き出すのはさすがにマズすぎます。


 少しでも状況を理解しようと自分もまた周囲に気を配ると、


「……桜一刀【冬景式】」


 犯人らしき姿を捉えました。


「来るなら来ると先触れを出してもらえないもんかね」


 グランハザードは片刃の直剣を大地に突き刺し、ニヤニヤと余裕気な顔をしていました。


 よし、敵は二人ですね。

 父兄たち全員を物理結界に囲んで、自分は拳を握りました。

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