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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第六章
359/374

What will happen if you go this way.

「一番上の兄は自他共に認める『仕える者』ですの。王家の執事長をしていることからも優秀さは伝わりますわね」


 クリスティーナ君がふんむっとドリルを揺らしました。


 王家の執事長と聞いて、一つ思い出しました。


「ただ……、ものすごく影が薄くて、時々、家族でも気づかないほどですの」


 あぁ、今の今まで忘れていました。

 居ましたね、そういう人。


 ピットラット先生は物静かですが一定の存在を示しています。

 気づかなければ命令されないためにある程度はわかりやすいようにしているのでしょう。

 言ってしまえば武術的な気配遮断に近いものです。


 テーレさんの存在感の薄さは【神話級】能力保持者として否応なく気配がありません。

 これは術的な気配遮断に分類されるのでしょうか?

 まぁ、少なくとも超常の類なので術的と呼んでもいいのでしょう。

 ON/OFFはともかく強弱はつけられる以上、使いこなせていると見るべきでしょう。


 ですが、あの執事長さんは違います。


 なんか薄いんですよね。


 武術も護身程度は修めているでしょうがその程度ですし、術式師としてもまぁ普通です。

 でも、居るはずで声も出している(本人談)のに誰にも気づかれないっていうのはもう武術とか術式ではありません。


 言うなら呪いですね、アレは。


「父と兄が話し合い、忘れられる領主になるより王家との繋がりや情報を得られる立場の方が優れていると判断した結果、上兄様は継承権を放棄しましたの。執事の仕事自体は遣り甲斐があり、本人の資質にもあっているのなら、という理由もありましたわ」


 長男なのに、と思わざるを得ません。

 でも確かに仕事も早く丁寧でベルベールさんも重宝していたはずです。


 どうやらベルベールさんは執事さんとコンタクトを取れるみたいですが、それでも時々、心の声が聞こえないくらい小さいと言っていた記憶があります。

 我が薄いんですかね?


「継承管理官から何か言われなかったんですか?」

「そんな子供、居たのかと言われ、説明したら眉に苦悩を刻んで受け入れたそうですわ」


 影の薄さって書類にまで影響があるんですか?

 自分も継承管理官さんと同じ顔をしそうになってグッと自重しました。


 ちなみに継承管理官というのは貴族名鑑を作っている人たちのことですね。

 時に王に代わり領主の継承の儀を行う代官でもあり、貴族の血族を管理、監視する立場でもあります。


 と言っても強制力はほとんどなく認証の権利を持っているだけです。

 貴族の常識に囚われてしまって長男以外は認証しない頑固な人も居まして、実際に貴族社会では長男が第一継承者なのでおかしい話でもないのですが……、これも曖昧というかボーダーラインが人によって変わってしまう典型です。


 長男しか継げないように法律で定めるわけにもいきませんしね。

 子育てが家庭によって様々なのと一緒で、跡継ぎ問題もまた家庭によって様々です。


「あぁ……、そうですね。長男の事情は理解しました。では次男は」

「中兄様は……」


 クリスティーナ君はお茶の中身を眺めました。

 まるで深窓の令嬢のように見えますが中身はクリスティーナ君です。


「……残念ですの」


 そうして瞳に虚空を浮かべました。


「具体的に」


 残念と言われても正直、困ります。


「何事も一所懸命で勉学に励み、物腰も柔らかいし、話題も豊富で選びもいいですわ。私が見て一番、女性に好かれているように見えますもの。存在感だってありますし、長男扱いされるとボヤくのを除けば完璧ですわ」

「領主向きに聞こえますね」

「……先生なら絹が何から作られるかご存知ですわね?」


 絹は動物繊維の代表格です。

 かいこまゆから作られた糸が絹と呼ばれ、その歴史は古く、ユーグニスタニアでは海向こうから伝わった技術の一つです。


 まぁ、特に深く掘り下げる必要なんてない、ありふれた情報ですね。


「では蚕の天敵は?」

「虫を食べる動物全部ですね」


 生物として間違ったレベルで弱いですからね、蚕という生き物は。

 幼虫は木にしがみつくことすら困難で、成虫は蛾のくせにそもそも飛べません。

 ストレスで簡単に死に、ダニにも殺されるほどです。


「リーングラードだと夜光蝶の幼虫もそうですね」


 あの衛生害虫は幼虫の時も一筋縄ではありません。

 食べられる虫ならなんでも食べようとするだけでなく、蚕のような無力な幼虫などを好んで捕食する傾向にあります。

 つまり、芋虫なのに芋虫を食べるんですよね。


「そう、その夜光蝶ですわ」


 あぁ、大体、話が読めました。

 この次男、ハイルハイツ領で夜光蝶を育てたんでしょうね。


 蚕の生息する地域で天敵になりうる虫を領主の息子が育てていたとなったら暴動ものですよ。

 

「夜光蝶そのものは綺麗ですもの。育てたくなる気持ちはわからなくもありませんわ。でもダメですわ。アレはどんなところにも潜み、あっという間に蚕を襲いますもの。それ以上に夜光蝶が蚕小屋に入ると黒い斑点が出る病気になったりしますの。養蚕屋たちからすれば成虫共々天敵ですわ」

「しかし、それだけでは領主になれないとは言い切れませんね」

「中兄様は鳥も好きですの。あとは赤属性に適性がありまして、刃物は特にハサミが大好きですわ。使っている武器は片手剣を二つ、相手を挟むような斬撃が得意ですの」


 なんというか絹やら蚕を絶対に殺しきる意思すら感じる次男ですね。

 そのうえでまだ領主になれないほどではありません。


「そんな中兄様は下兄様が死んだと聞いて、『そんなバカなことがあるか、ヴァイツクルトが死ぬはずがない。俺が探しに行く』っていって出て行ったままですわ。そうして今、四年目になりますわね。前に来た手紙には南部で畑を耕していて、彼女ができたとか」

「……もう次男の話はいいでしょう」


 それ以上、聞くとモフモフ移動でぶん殴りに行きたくなります。


「下の兄はたしか内紛で亡くなったという」

「下兄様こそがもっとも領主に相応しくありませんでしたわ。乱暴で意地悪で、だらしなくて、いつも私をバカにして……、『兄様たちは私と同じ教育をされていた』のに下兄様は好き勝手ばかりでしたわ!」


 頭が痛くなってきましたね。

 そうして最後のクリスティーナ君が領主候補の筆頭になったわけですか。

 通常の領ならこんな領主選定はありえないと切って捨てても良い話です。


 悪く転がれば領主家の取り潰しに発展してもおかしくありません。

 何故なら領主選定にごたつくということはそのまま『領主の判断力不足』に繋がり、判断の連続である領主の仕事に判断力のない領主は必要ないと思われてしまうからです。


 国がそう認識したのなら代官だって送ってくるでしょうし、補佐のための人員……、と見せかけた監視員くらい送ってきますよ。

 それが貴族社会、複数の領主を抱えてまとめる国の仕事です。


 ですがハイルハイツ家で幸いだったのでしょう。

 ハイルハイツ家は誰が領主になっても大きな問題はなかったのです。

 地方領主や木っ端領主とも違い、『血筋さえ残せたら役目を果たせていた家系』でした。


 何せ四年前までハイルハイツ家はアンデルの分家だったのですから。


 それが四大貴族の一つ、アンデルの本筋となったことで話が大きく変わりました。


「事情はわかりました。ではクリスティーナ君の進路は領主ですね」


 国の立て直しのために無茶を通した手前もあって、今すぐに次代の領主を立てろとは言えませんよね。

 言えたとしても領主側の条件はどう足掻いても出てきます。


 おそらくですが、いくつかの条件の中にクリスティーナ君を領主に認めさせる、あるいは了承させることも含まれていたのでしょう。


 そうなってくると最初の頃のクリスティーナ君の言動もよくわかってきます。


 クリスティーナ君が領主と決まっていたとしても交換条件で得た領主の座にクリスティーナ君本人は納得しなかったはずです。


 何故ならハイルハイツ家の領主は『誰がどうなっても大丈夫なように』子供たち全員に領主の可能性があるかどうか探り、なくとも鍛えられるように計っていました。


 これはクリスティーナ君の言葉が証明しています。

 大体の他領では長男と次男辺りが領主になるための教育を受け、他は次代の領主の補佐に回るための教育をされ、立場を教えこまれます。

 それとは逆に『兄様たちは私と同じ教育をされていた』、このセリフはそのまま子供全員に同じ領主候補として教育を施していた証言です。


 面白い領主ですね。

 極めて慎重で、どんな状況でも血統を残そうとする執念すら感じさせられます。

 効率化、あるいは徹底さも見え隠れしています。


 なんにせよクリスティーナ君は面白くなかったでしょうね。

 なんだか『仕方ないからクリスティーナを跡継ぎにするか』とため息交じりで言われている気だってしてきますよ、そんな流れだとね。


「さて、クリスティーナ君のことです。ただの領主になるつもりはありませんね」

「当然ですわね。今の家の存続はもちろんのこと、ゆくゆくは大領地をも上回る、リスリアにハイルハイツありと謳われるほどの領地にして見せますわ!」


 クリスティーナ君にとっての義務教育計画は領主になるための階段でした。

 【タクティクス・ブロンド】から師事を仰ぐことは卒業後のステップアップを容易にしてくれることでしょう。


 だからこそ躍起になりました。

 そして、いないことに落胆し、意地を張って、それでもなお領主になるのだからとプライドを張り続けました。

 それが最初のクリスティーナ君の態度の底にあったものですか。


 悪くはないのですが教育を受ける姿勢は最低でしたからね。

 先生、真実を知っても全然、後悔なんかしませんよ?


「では領主にもっとも必要なものはなんですか?」

「もちろん、権威ですわ」

「ハズレです。この期に及んでそんな答えが出るようだと領主としてはキースレイト君の方が先に進んでいるようですね」

「な! ……学園ならいざ知らず見も知らず、素性もわからない者を使おうというのなら権威は必要でしょうに」


 怒りを飲みこみ、そのうえで学ぼうとしましたね。

 最初に精神抑制法をみっちりやっておいて正解でした。


「そうですね。クリスティーナ君の言う通り、より多くの人を動かそうとすれば目に見える権威はどうしたって必要になってきます。しかし、必ずしもそうではないことも知っているはずでしょう。そうでなくとも出題者の意図くらい読みましょうね」

「……ッ! 答えは人ですわね! そういう引っ掛けですわね!」


 引っ掛けではありません。

 何に焦点を当てているか、という話です。


「及第点ですね。ですが簡単に答えが出てきたところから頭の中でいくつかの答えを導きだしていたようですね。そこは良かったですよ」


 いくつもの正解が頭の中にあると迷うこともありますが、概ね複数の正解にも対応しようとしますからね。

 柔軟な対応の第一歩です。


「何をするにしても人が要ります。クリスティーナ君がもし、何かしらの事業を行おうとすれば君の方針を知った腹心が様々なことを調べ、実現段階まで下ろし、実務の人間が予算をもって更に実動員を集め、実際に作業を始めます。このときに必ず君の思い描いている想像とは違う出来事が起こるでしょう。それは何故か?」

「伝達不足ですわ。私の考えを受け止められてもその者が誰かに伝えきれなければ無意味ですわ」


 これは即答でした。

 つまりクリスティーナ君は日常的に伝達の不足について、経験し理解していることを意味します。


 マッフル君との喧嘩や戦闘中の意思疎通手段、アイコンタクトや仲間との話し合いはその全て、伝達という項目で括られます。

 体育での連携の項目では伝達の大切さをヘグマント先生から教わっているでしょうし、演劇では特に伝え合いは重要だったと身に染みているでしょう。


 時々、クリスティーナ君がクラスメイト以外に言葉が柔らかいのはよりわかりやすくを意識していたのかもしれませんね。


「ならどのような人間を見つけるべきか、わかりますね」

「機に鋭く、弁舌に長け、私のすばらしさに心酔できる人間ですわね」

「少し修正しましょうか。必ずしも弁舌に長けている必要はありません。要点だけでも都度都度、言える人間であれば言葉はほとんどいりません。ただ人の話を間違って覚えられるとその後の指示も間違った方向へと進んでしまいます。要は理解力と指示力の高い人ですね。そして、最後の部分ですが――」

「な、なんですの! 忠誠心があった方がいいではありませんの!」


 ちょっと声が荒いですね。

 恥ずかしいことを言った自覚があるのなら言い方を変えましょうね?


「いいえ、正解です」


 まさか正解するとは思わなかったのかクリスティーナ君が目をまん丸にしていました。


「君が必要とするべきは君と運命を共にし、君を想って働いてくれる忠誠心のある優秀な人ですかね。しかし、そんな人はそう簡単に見つかるわけがありません。その人の気持ちを慮る心やそうした素質がある人を見抜く目も必要ですし、素質がある人が居たら仕事を通して育むのも必要です」


 義務教育計画が始まったのだって元をただせば優秀な人材を輩出させるための事業です。

 人を育む仕事なんですよ。


 クリスティーナ君が独り立ちした時に、義務教育計画と同じように人を育てなければならなくなります。

 しかも己自身を成長させながら、ですよ。


 当然、親から続く忠臣もいるでしょうし、しがらみの結果、無能を育てることもあるでしょう。


 しかも直接的に領民の被害が出るかもしれない仕事の中でです。

 クリスティーナ君の未来は多くの心労が肩にのしかかってくるでしょう。


「君が卒業までにしなければならないことはわかりましたね。そして、それは卒業後も続きます。もしかしたらクリスティーナ君が死ぬまでずっと続くことかもしれません」

「未来の忠臣を探すことと人を見る目を養えということですわね。ふふん、そんなもの、簡単ですわ。特に忠臣! ヨシュアンクラスの全員、私のためなら――」

「却下します」

「言い切る前に!? わかっていますわよ、それくらい! 貴女たち全員、やりたいことがあることくらい知っていますわよ!」


 半分くらい願望が入っていましたね、それ。

 そして、エリエス君も一瞬の躊躇いも持ちませんでしたね。


 見ようによったらクリスティーナ君もクラスメイトの夢を応援している、という風に取れますし、エリエス君も簡単に断っているようでクリスティーナ君を窘めていますね。


 この二人の関係は少しズレているまま固まっているというか、とにかくヨシュアンクラスでも独特の距離感と感触で絆を深めている、と思っていいんでしょうか。


「……ちなみに顧問術式師の、いえ、なんでもありませんわ」


 ほっぺを膨らませて何かしら言っていたような気がしますが聞こえませんね。

 先生、教え子でも貴族の飼い犬になるつもりはありません。


 手伝ってほしいなら真正面から言いなさい。

 こっそり程度なら助けられますよ。具体的には敵勢力の殲滅くらいがちょうどいいでしょうか。


「クリスティーナ君の進路相談は以上です。ちょうどいいので今の内にベルナットから採寸を受けてください。エリエス君も終わり次第、採寸です」

「わかりましたわ」


 クリスティーナ君は普通に返事し、エリエス君は頷きました。


 二人共、制服がきついようには見えませんが、これからのことを考えたら少し大きくした方がいいかもしれません。


「言い忘れていましたがベルナット。後日、学園側から正式に制服の直しを依頼されると思います。本当は職人を探すつもりで来たのですがベルナットがいるのなら問題ありません。自分が責任を持って金庫の番人を説得しますので依頼を受けてもらえると助かります。もちろん採寸込みで金額も提示します」


 自分たちの様子を隅で耳を立てていたベルナットは話しかけるや否や、椅子からぴょんと飛び上がり、小さな親指を立てました。


「もちろんさ! それに心配しなくてもダイジョブ! 君はいつだって約束に誠実で潔癖だったからね! 君が責任を持つというのならそれはもう大きな船で旅するようなものさ! 君との約束なら神々だってしたがるだろうしね! 先にも言ったようにヒトの子の採寸はボクにとっても貴重だからね! ボクとしても願ったり叶ったりさ! 喜んで引き受けさせてもらうよ!」


 ベルナットはクリスティーナ君の手をとって、あれやこれやとリンネル布の仕切りの向こうへと連れ去っていきました。

 クリスティーナ君が抵抗しなかったのが幸いです。


 それにしても正直、どこまで金額を充ててくれるかはシャルティア先生次第なんですよね。

 金に関してはシビアさで城が作れるような相手にどこまで言い切れるか、自信がないとは言えませんね。


 無断かつ独断でしたが制服の製作者が来ているから、という理由で押し通しましょうか。

 今の内に渡りをつけておかないと終わらない可能性もくっつけて説得したほうが良さそうですね。


「さて、次はエリエス君です。エリエス君の進路は自分の店への就職ですが、本当にいいんですか?」

「はい。問題ありません」

「あぁ、いえ、そういう話ではなくてですね。正直、エリエス君なら宮廷術式師でもなれますよ? 言い方は少し大きかったかもしれませんがどこも優秀な人材を欲しがっていますからね。宮仕えから職人、冒険者、何なら独自に資金を得て研究者にだってなれます」


 色々と見てきましたが生徒たちでもっとも深い潜在能力を秘めているのはエリエス君です。

 今はそこまででなくとも将来、自分以上の師につけば、一気に才能が開花すると思うんですよね。


「何なら自分の伝手で……、いえ、止めておきましょうか」


 言いかけて止めました。


 エリエス君の目がこれ以上ないほど真剣だったからです。

 真剣な想いがあるのなら自分も逃げるわけにもいきません。


「一つ、聞きましょう。この答えによってエリエス君を雇うかどうか決めます」

「はい」


 進路相談なのに一気に面接会場の空気に早変わりしました。

 若干、隅のリンネル布の向こうからギャーギャーと騒ぐ声も聞こえるのが残念ですが。


「何を目指して術式具元師になりたいのですか?」

「……何を?」


 エリエス君の根本には知りたい、得たい、聞きたいなどの欲求があることくらい、わかっています。

 根源的な理由でそこを否定すれば、きっとエリエス君も否定してしまうのでしょう。


 だから受け入れた上で問いかけたかったのです。


 人の求めを知ろうとしているエリエス君が何を目指しているのか。


「術式具は道具です。例えるなら編み機は服を作るためにあります。しかし、その服は誰かに着てもらうためにあります。着てもらわなければ買ってもらえませんし、買ってもらえなければ職人は生活ができません」


 生活は大事ですからね。

 特に自分のような一人親方兼店主なんて金がないと後ろ盾がないのと同じことです。


「しかしですね。時に職人は道具を売らないことがあるんですよ」


 金がなくとも、不利になろうとも。

 決して売れない理由が、いえ、売ると売らない間の一線があります。


「生活のためだけにどんな物でも作る者もいます。一概に言えません。しかし、先生が求めている人材は違います」

「それは……」


 口を開こうとしたエリエス君は頭を振って唇を閉じました。


 えぇ、そうです。聞いてはいけません。

 正確には聞いても意味がありません。


 生きるため、生活のため、伴侶のため、恋人のため、子供のため、スキルアップのため、独立するため、色々と共感できる理由はありますよ。

 どんな理由であっても働かない理由の方が少ないと思います。


 でも、色んな言葉よりも自分が聞きたいのは一つしかありません。


「就職する理由はエリエス君の中にしかありません。今、その答えは言えますか?」

「………」


 しばらくエリエス君は身動きしませんでした。

 真剣に、深く、様々な理由を考え、その度に疑問を浮かべ、却下しているのでしょう。

 その気持ちは見てわかります。


 自分はただ待ちました。

 部屋の隅が静かになるくらい待ちました。


「……わかりません」


 そうして、出てきた言葉は蚊の鳴くような声でした。


 苦しんで考えた結果がわからない、ですか。


「では卒業まで待ちましょう。君がこの半年で勉学以外に学ぶべきものは『志望動機』です」


 クリスティーナ君は貴族としての責務もありますが、望んで領主を目指しています。

 マッフル君は親を越えるためと命の恩人を探すことも含め商人になろうとしています。

 セロ君はマヌエラ院長と修道院への恩返しのために修道院に戻ろうとしました。

 リリーナ君はアルファスリン君のために、あるいは『望めば姫にだって会える』という可能性を仲間に示すために有名になろうとしています。


 どれも十分な志望動機です。


 エリエス君の欲望のためというのも志望動機ですよ?

 間違いはありません。


 ただそれだと誰にでも求められるがままに道具を作り、エリエス君の知らない間に大きな惨事を心に刻むでしょう。

 もちろん購入した剣で人を殺しても鍛冶師の責任にはなりません。

 道具は使う者次第なのですから職人がいちいち責任を感じていたら武器なんて作れませんよ。


 彼らは一線があるから責任を感じないのです。

 仮に責任を感じたとしても納得できるんです。


 その一線を己で見つけて欲しい。

 その一線を人に言って貫き通せるだけの強さが欲しい。


 そして、できるならエリエス君が作った物で何かが起きても納得できるようになってほしい。


 ただそれだけの話です。

 それだけがエリエス君に求める職人への第一歩です。


「もしも煮詰まったら色んな職人さんに聞いてみなさい。皆、それぞれの理由を持っています。聞いたところでエリエス君の理由とは違うかもしれませんが共通する部分はありますし、共感できるところもあるかもしれません」

「はい」


 これでようやく五人の進路相談が終わりました。

 なんだか肩の荷が下りたような気すらしますよ。まだ始まってもないのに。


「さて。先生はマッフル君たちを探してきます。ここに滞在できる時間は限られていますからね。それにまだ君たちへの授業が終わっていません」


 授業と聞いてエリエス君は首を傾げましたが、小さく頷いて手帳を開きました。

 おそらく今、聞いたことをまとめ、考えるきっかけにするつもりなんでしょうね。


 リンネル布越しにベルナットにも一声かけ、自分は店から出ました。


 自分を見た幾人かは一瞬、嫌悪を浮かべ、しかし、仕事が忙しいのか無視を決め込みました。

 何も顔に出していない者は新しく商会で就職した人たちでしょうか。


 おそらく自分の話を聞いていたのでしょう。

 関係ないような顔をして、幾人からは好奇の視線を感じます。


「身から出た錆なんていつものことですしね」


 これらは自分が昔、やらかした結果です。

 強くなるためだけにグランハザード商会には無茶を言いましたからね。

 時には非人道的な行為もしました。


 その結果、勝ったとしても間違っているかどうかの判断はつきません。

 後悔するなんて、それは彼らへの侮辱でしょう。


「もしかしてヨシュアンさんですか?」


 そう声をかけられ、自分は声の主へと顔を向けました。

 どこにでもいる、特徴のない顔の男です。歳は四十そこらでしょうか。

 嫌悪も好奇心もない、しかし、どことなく気安さを感じます。


 はて、知り合いでしょうか?

 とんと記憶にないのですが。


「商会で武具部門を担当しているレイハムと申す者です。お会いできて光栄です」

「学園教師のヨシュアン・グラムです。武具部門というと新しい多関節鎧の?」

「えぇ、会頭からヨシュアンさんの話はたくさん聞かされています。出会いを風神ヒュティパに祈りたいところですが、見ればお探しものがある様子」

「お察しの通り、不肖の弟子三名を探しているところです。多関節鎧についても少し話し合いたいところですが、今日は予定が詰まっていまして、後日でもよろしいですか?」

「もちろん、構いません。それと会頭の娘さんなら今し方、服飾部門方面……、あぁ、先ほど歩いてきた方角になります」


 どうやらすれ違いになったようです。

 丁寧に礼を言って、歩いてきた道を引き返しました。


 レイハムさんのような好意的な態度の商会員は、自分が利益を与えた相手になります。

 これも自分がやった行為の結果ですね。


 何が悪いというわけでもないのですが、ほんの少しため息をつきたくなりました。

 こうした感情の淀みも切り替えていかないといけませんね。


 精神抑制法を試みながら歩いているとドンッと大きな音がしました。

 聞きなれた、適度な重さが地面に叩きつけられる音です。


 嫌な予感と共に音の方へと竜車や店を抜けていくと――


「……何をしているんですか」


 ――見知らぬ青年の肩の関節を固めたまま地面に押しつけているマッフル君がいました。


「え、えーっと……、正当防衛?」


 と言われてもわかりません。

 ざわざわと騒ぎだした周囲と目の前の光景に、アンニュイさが新しい進化を始めたんじゃないかと錯覚すらします。


 もう何事もなかったように関係者全員、オシオキするわけにはいかないんでしょうね。


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