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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第六章
352/374

Not of religion is to create a human.

 続いての三者面談はちゃんとセロ君でした。


 セロ君はマヌエラ院長をエスコートするように手を繋ぎ、ニコニコとした顔で教室に入ってきました。

 この光景に自分は微笑ましさよりもホッとしました。


 このまま順番が狂い続けると予定通り終わるかわからなくなってしまいます。


 いくらヨシュアンクラスの三者面談がリリーナ君、セロ君、マッフル君の三名だけだとしても、予定通りに終わるに越したことはありません。


 と言っても、どちらにしてもクリスティーナ君とエリエス君には進路相談しないとなりませんしね。使う時間は生徒諸君、先生一同、父兄各位、皆一緒です。


 ゆっくりと歩くマヌエラ院長の前で椅子を引き、座っていただくと今度はセロ君にも着席を促し、ようやく三者面談のスタートです。


「改めてご挨拶させていただきます。セロ君の担当教師であり、術学の担当教師でもあるヨシュアン・グラムです。学園まで遠路遥々、ようこそ御出でくださいました」

「ご丁寧なご挨拶いただき痛み入ります。バレン修道院の院長を務めさせていただいておりますマヌエラと申します」


 マヌエラ院長は年季の入ったヒュティパ十字を胸で切り、祈るように頭を下げました。


「ヨシュアン先生。まずは先に感謝を述べさせてください」


 感謝と言われ、さすがに自分も目を見開きそうになりました。

 思い当たる節がなかったのが理由ですが、それとはまた別に瞬時にマヌエラ院長の言葉の意味を理解できたからです。


「セロは気の弱く、しかし、我慢の強い子でした。少し前まで世の全てが貧困に喘ぎ、飢えに苦しむ中、修道院もまた同じように貧困と飢えが訪れておりました。セロもまたその中に居た子です。お恥ずかしながら私たちにはこの子をただ飢えさせることしかできませんでした」


 それは誰もがそうでした。

 特に飢えで子供を亡くした父母はそうした感情を失意の中で感じたでしょう。


 ましてや修道院はもっと大変だったでしょう。

 集団で暮らし、周囲の善意によるお布施でしか現金収入がなく、ほんのわずかな土地でしか作物を育てられない場所です。

 周囲が貧しくなれば必然、もっとも過酷な立ち位置に立たされる施設でしょう。


 そんな場所だからこそ『満足にセロ君を育ててやれなかった』ことに憂い、そして、それは今も続く悩みの一つでもあったのでしょう。


「一時はセロも飢えに負け、倒れてしまいました。その時、通りかかった革命軍の方々に施しを受け、こうしてセロは命を繋ぎ止めました。そして今、この子の背が伸び、健やかに暮らせているのはやはり現国王陛下のご配慮とご深慮の賜物なのでしょう」


 そこはどうでしょうね?

 裏事情な話をしてしまうと当時の王国からすれば革命軍は『反乱分子の塊』でしかありませんでした。

 それも武力を伴った反乱分子です。


 ついでにリスリア王国の体制や制度の変革を目的としていた面もあるのでクーデターによる国家転覆と言われてしまうと何の反論もできません。


 ましてや今のように法律や権利の一部を統一規格として定めておらず、封権制の色が濃かったので地方に権利が分散していました。

 こうした封権制でのクーデターは例えトップを獲ったとしても地方が認めないと叫ぶと他の王族を擁立、新政府に対してまたクーデターを起こそうとします。


 下手をすると国の体力が尽きるまでクーデターとカウンタークーデターの追いかけっこが始まってしまうので対策は必須でした。


 そこで革命軍が取った手段は単純でした。

 地方の有力商家や修道院会、そうした小さいながらも影響力の強い地方の勢力に恩を売ることでした。

 権利自体は領主が持っていても、領主単体でできることは限られているわけですから、まずは手足をもぎ取っていったわけですね。


 簡単に言ってしまえば『政権奪取後の人気取り』に尽きます。


「この出会いと救いはきっと、風神ヒュティパ様のお導きでしょう」


 感謝をされる謂れはありません。

 結局、義務教育計画にしても地方勢力の人気取りにしても実施したのはバカ王です。


「僭越ながら学園一同を代表して、感謝をお受けいたします」


 しかし、感謝を受けることでマヌエラ院長の心が軽くなるというのなら、謹んでお受けしましょう。


 きっとマヌエラ院長にとって義務教育計画はセロ君の将来を助ける救いの手でもあったのでしょう。


 セロ君はこのやり取りにきょとんとしていましたが、なんとなくマヌエラ院長の顔が明るくなったのを察したのでしょう。

 小さく微笑み、明るい空気を出していました。


 でも、花は出さなくていいんですよ?

 マヌエラ院長がびっくりしていますから。


「さて、セロ君の成績や性格、周囲との関係なども話していきたいのですがまずは成績の話からでよろしいですか?」

「はい。しかし、成績というのは……」

「貴族院の試練と呼ばれる三回に一度の試練。それと普段の学業で定期的に行われる小試験での『現時点でどれだけ勉学を修めたか』という、なんというか線引きのようなものですね」


 一応、マヌエラ院長も教養がある方でしょうが、あまり難しい言葉を使うつもりはありません。


 生徒に授業をするようにわかりやすく、伝わりやすさが優先です。


「セロ君の成績は全体の真ん中くらいかやや良いくらいでしょうか。これは年上に混じってのものですから、同い年と比べるととても優秀と言えます」

「まぁ……。そうなの?」


 マヌエラ院長の優しい驚き顔にセロ君は『なんと言っていいかわからない』顔をしました。


 これはセロ君の一つの問題が原因だとわかっていました。

 なので、ちょっとだけ自信をつけてもらいましょうか。


「ヨシュアンクラスは全分野、優秀な子や分野に特化した子もいますのでセロ君自身の自覚はとても薄いとは思われます。しかし、他クラスの同年代と比べればすぐにわかります。それにただ優秀な子というくくりには当てはめたくありません」


 セロ君の問題は初めからずっと続いている一面――つまり、己への過小評価です。


 自分に甘えるようになり、仲間と肩を並べられるようになってきてもまだ『己は弱い』と思いこんでいます。


 自己評価を完全に拭いきれなくとも少しでも自信をつけさせてやりたいんですよね。


「セロ君がここまでの成績を修めたのは何をすべきか、己に何が足りていないか、どんな才能があるのかをよく考え、よく聞き、そして、努力してきたからです。優れた勤勉の子と言えるでしょう」


 実際、攻性能力はともかく防性能力に関しては生徒の中でも一番です。


 ただ守るだけでは勝てないのも事実ですし、さらに『うまく攻撃ができない』という思いこみがより過小評価に輪をかけていました。

 というよりもセロ君の才能と性格はどう考えても防御系統に偏っているので、上手くできなくて当たり前なんですが。


 努力した結果、より防御性能が上がったのは何故なのか、たぶんレギィのせいです。許すまじ。


「この子は昔から聞き分けの良い子でした。少し聞き分けの良すぎるくらいで……、それが勤勉な子と呼ばれるのなら、きっとたくさんの努力を積み重ねてきたのでしょう」


 密かなセロ君プロデュースにマヌエラ院長は小さく首肯し、心持ち嬉しそうに目を細めました。


 そして、そんなマヌエラ院長の優しい瞳にセロ君は顔を真っ赤にして、もじもじし始めました。


 このままセロ君プロデュースを続けてやりたいのは山々ですが、三者面談なので良いことばかり言うわけにもいきません。


 父兄には子供の良いところだけではなく悪いところも知ってもらわなければなりません。


「反して気の弱すぎるところがあり、時には塞ぎこんでしまうこともありました。そこには甘えたい本心もあったのでしょう。時には授業中、『お父さん』と呼ばれたこともありまして……、まぁ、余談なんですが。ともあれ、それ以上に周囲の気持ちや状況を察し、我慢できてしまう子のようにも見受けられます」


 セロ君の顔が真っ赤すぎてベーレよりも赤くなってしまいました。

 心なしか呼吸が浅い……、あ、呼吸困難ですか!


「セロ君、しっかりしましょう。大丈夫です、まだ三者面談は始まったばかりですから?」


 慌ててセロ君を抱きとめて、背中から整調の波形を打ちこみました。

 それに合わせて背中をトントンすると次第に大きく呼吸をし始めました。


 まさか恥ずかしすぎて呼吸困難になる子がいるとは思いませんでした。


「セロ、体調が悪いのならお休みしても良いのですよ? 無理をしてはいけません」

「ぁぅぁぅ……、ちが、ちがうので、す……、は、はずかしぃ」


 なんとか呼吸も安定した後、セロ君を椅子に座りなおさせ、自分も席につきました。

 あやうく二回連続、三者面談で気絶者を出すところでした。


「お騒がせしました。ともあれ気は小さくとも勤勉であると言いたかったのです」

「はい。確かにその通りです。しかし、私はそこが心配で……」

「大丈夫です。友人関係を見れば我慢するだけの子ではなくなります――あぁ、いえ、我儘になるとか強情になるとか、そういうのではないので安心してください」


 一瞬、悲痛そうな顔をされたので慌ててフォローに入りました。

 いきなりセロ君が友人関係だと暴虐になる、と第三者から言われたらショックすぎますし、そんな事実はありません。


 セロ君は天然で先生を地獄に突き落とすことはあっても、極めて優しい子です。


「自分の意見をちゃんと言い、仲間のために全力を尽くし、時には先生を驚かせるくらいの集中力を見せます。第一試練の時はセロ君の集中力によって活路を開いたほどですから」

「そうでしたか。この子は私が思うより、ずっと大きくなったのですね。授業でこの子が術式を操り、そして錬成を行っているのを見て想ったよりもずっと……」


 マヌエラ院長が目を細めているのは昔を懐かしんでいるからでしょう。


「さて、あと半年で学園生活も終わりますがセロ君は将来、何になりたいか考えていますか?」

「はふ、セロは修道院にもどって、みんなといっしょにまたがんばりたいのです」


 恥ずかしさでモゾモゾしていたセロ君は一転して、両手に小さな拳を作って意気込んでいました。


 これは自分も度々、聞いてきたことです。


 ヨシュアンクラスの中ではマッフル君と同じくらい『先のための今』という気持ちで学園生活を過ごしてきましたね。


「院長さま、セロはたくさん色々と勉強してきたのです。きっとみんな、お腹がへらない毎日にしてあげられるのですっ。それから、それからっ」


 セロ君は若干、前傾姿勢でマヌエラ院長に話しかけていました。

 興奮しすぎて言いきれていないので自分も少しフォローに入りましょうか。


「そのために農学の勉強もしていましたね。あぁ、一時期、体育で農学を行ったことがあったのですが、その時も熱心に……」


 このとき、マヌエラ院長の表情を見て言葉を止めました。

 親孝行を打ち明ける娘に向けるには『あまりにも悲痛そうな表情かお』だったからです。


「いいえ、セロ。貴女は修道院に戻ってきてはいけません」


 その一言は興奮気味のセロ君の時間を止めてしまいました。


「ぃ、いんちょう……さま?」

「これは何も貴女を憎しと言ったことではありません。貴女のためを想ってのことです」


 いけません。マヌエラ院長のフォローすらも今のセロ君には突き放すための刃にしか見えないでしょう。

 現にセロ君の顔色は気を失いかねない色合いをしていました。


「少しお待ちくださいマヌエラ院長。セロ君が白く混乱しています」

「何も言うべきではないと考えていましたが……、それでは違うのでしょうね」


 涙目のセロ君には可哀想ですが、まずはマヌエラ院長の説得からです。

 思いつめすぎて自己完結しがちです。


「何かしらの理由があるのは確かなのでしょう。それらをこちらは理解していない上でなお自分の意見を申し上げてもよろしいでしょうか」

「えぇ」

「自分は理由を説明すべきだと思います。突き放すことも大事なのでしょうが、それでもお互いに納得できるのなら、言葉を尽くせるのならそれに越したことはありません。何より、言ってわからない子ではないとマヌエラ院長がよくご存じなはずです」

「……そうですね」


 小さなため息は年相応の疲れが見えました。


「セロ。貴女はとても大きくなりました。もうひ弱なだけではなく、誰かを守れるだけの大きさを私は授業の時に見ました」


 しかし、その疲れの中にある目はただ優し気でした。

 まるで小さな花を眺めるような、今まさに飛び立とうとしている小鳥を見上げるような、とても慈愛に満ちたものでした。


「よく頑張りました。そんなセロをとても誇らしく、そして、愛おしく想います」

「……でも、でも」


 セロ君は先ほどの否定の言葉を思い出して、素直に喜べないでいるようです。

 まったく正反対の言葉を並べられているのですから混乱の一つや二つ、するでしょう。


 ですがセロ君。

 セロ君は戸惑って気づいていないようですが、その二つは矛盾もなければ正反対の言葉でもないんですよ。


 マヌエラ院長は一貫して同じ言葉を紡いでいるだけです。


「バレン修道院はヒュティパ様を奉じ、教えを身に受けられる方なら如何なる方もお迎えしてきました。それは貴女のように否応なしの方もいらっしゃったでしょう。しかし、今の貴女に修道院はきっと小さく見えるでしょう。今、貴女にはたくさんの道があり、そして、その道を小さな修道院だけで終わらせて欲しくないと考えたのです。それがセロを悲しませることになっても」


 その証拠に今も『辛さを憂い顔で隠しながら』話を続けていました。


「きっとセロは世のため、人のためとたくさんの人を幸せにできるでしょう。その力と心が貴女にはあります。だからどうか――どうか修道院だけが全てだと想わないで」

「でも、みんなのいない場所なんて……」


 マヌエラ院長の予想は当たっています。


 しかし、それはセロ君だけではありません。

 義務教育計画を受けた生徒たち全員が様々な分野で活躍する可能性を秘めています。


 その中でも経験不足さえ補えば一線級に働ける逸材を選ぶのなら、自分は一人目にセロ君を押すくらいには才能を感じています。


 だからマヌエラ院長が授業参観で観た『才能あふれるセロ君の将来』に期待と不安を抱くのは無理もない話です。


 修道院での生活は基本、終わりがありません。

 ただひたすら教えに従い、質素倹約に励み、教義を守り続け、しかし、何かを修め終わるという概念だけはありません。

 そんな中に将来、有望な少女を閉じ込めることが許されるのか、と考えてしまえばどうでしょう。


 マヌエラ院長の性格なら躊躇するでしょう。

 本来、歩くべき輝かしい道を仲間のためと身を犠牲にする少女にマヌエラ院長はただ見過ごすことができるでしょうか?


 マヌエラ院長にもできることが一つだけあります。


 セロ君を輝かしい道に押してやることです。

 それで例えセロ君に嫌われたとしても、マヌエラ院長は寂しがりはしても後悔はしないでしょう。


「これを渡しておきます」


 マヌエラ院長は腰の革袋から一つの指輪を取り出しました。

 装飾品としては無骨すぎて、とてもじゃないですが価値があるようには見えませんがそれに印面がついているのなら話は別です。


「……これは指輪印章ですね」


 指輪印章。

 あるいは簡単に指輪印と言われている印鑑、手紙の封に蝋を垂らして指輪を押しつけるアレのことですね。


 ですがこの指輪印章の異常性は印面の構図を見れば瞬時にわかります。


「それも個人印、珍しいものがでましたね」

「こじんいん、なのですか?」


 『何かおかしいところでもあるのか?』とでも言いたげに、なお白い顔でセロが首を小さく傾げていました。


 混乱していても育ての親が出してきた物には興味があるのでしょうね、きっと。


「えぇ。通常、印璽は貴族が使う紋章印か商会などが契約の時に使う社印がほとんどです。社印というのは集まりや血族を示す印鑑でして、個人を示す印璽や指輪印章は……、中々見ませんね。せいぜい芸術家が作品などに使う落款印くらいでしょうね」


 つまり、他の印璽と違い、個人を意味する印璽ですね。


 指輪印章は素材が金属なので長持ちします。

 代々、使うことを前提にしている以上、印面も個人名や個人を示す印ではなく紋章や家紋など作り替えを想定していないデザインにします。

 一個あたりの金額も彫金師を通し、なおかつ複雑なデザインを掘ってもらうわけですから良い値がします。


「お詳しいのですね。ヨシュアン先生」

「えぇ。自分は教職に就くまでは術式具現師でした。なので時には彫金紛いの仕事も請け負うこともあり、それで知っていました」

「ではヨシュアン先生はその指輪印について、何かご存じですか?」

「残念ながら。家紋や領紋ならば知り合いに紋章官がいますので調べることは可能でしたが、個人印は秘密の間柄によく使われるものでして……」

「やはり、そうでしたか……」


 セロ君の実家についてはベルベールさんの資料である程度、調べがついています。

 ただ、そのことを自分はセロ君に尋ねられても言うつもりはありません。


 セロ君が本当に生みの親を探し、会ってみたいと強く願わない限り自分はセロ君に知っていることすら伝えないでしょう。


「これはセロ君の出生に関係していますね?」

「そうです。セロが修道院に預けられた時、おくるみの中に入っていたものです」


 拾ったでも見つけたでもなく、預けられた、ですか。

 マヌエラ院長はセロ君を親として愛しているからこそ、生みの親にも一定の配慮をしているのでしょう。


 あるいはいつでもセロ君を手放せるように無意識に引いた一線、なのかどうかはわかりません。


「セロが成人を迎えたらと、ずっと考えていたのですが……」

「いえ、マヌエラ院長。貴女がとてもセロ君のことを想っていたことはわかりました」


 マヌエラ院長の気持ちはよくわかりました。


 セロ君は修道院に戻りたい。

 マヌエラ院長はセロ君に幸せになってほしい。


 ただそれだけの気持ちの違いで、セロ君はマヌエラ院長と机の間を視線がきょろきょろしていました。

 セロ君は今、道を見失いかけているのでしょう。


 ならここで手を貸すのが教師の役割です。

 セロ君にとっても、マヌエラ院長にとっても。


「マヌエラ院長。必ず修道院に戻ってきてはいけない、そういうワケではありませんね」

「それは……、必ずというほどのものではありません」

「ただセロ君には修道院だけを見るのではなく、たくさんの選択肢を見つけ、選んで欲しいと思っても?」


 マヌエラ院長は小さく頷きました。


 極論ですがセロ君とマヌエラ院長が納得できるのなら修道院を選んでも問題はない、ということです。


 納得させるためにはセロ君がたくさんの選択肢を見つけ、それぞれを真剣に考え、そして、その考えすべてをマヌエラ院長に伝えなければなりません。


 ならば自分にできることは一つだけでしょうし、そもそも三者面談の目的の一つでもあります。


「セロ君。セロ君の修道院に戻りたい気持ちはよく知っています。なので先生は諦めろとは言えません」

「ぁぅ……、せんせい」


 涙目で見上げるセロ君は正しく路地裏で雨に濡れる子犬そのものでした。

 無駄に保護欲を刺激するんですよね、アレ。


「ですが、もっと視野を広げてやれるとは思います。まずはセロ君。祭位を取るつもりはありませんか?」

「……ぅえ?」


 平たく言えば司祭位は司教の下、それぞれの小さなエリアで教会の儀式を執り行う権利を持っています。

 一般的なイメージだと村落の牧師さんなどがコレに当たります。


 ただ司祭にはもう一つ、別の種類の司祭がいます。


「マヌエラ院長のように修道司祭位を取得するために王都の教会や修道会に就職……、いえ修行にいくのも一つの道ですよ」


 マヌエラ院長も院長である以上、ヒュティパ教会の正式な修道司祭です。


「例えばですがただの修道士としてバレン修道院に戻るだけではなく、マヌエラ院長の跡を継ぐために他の教会で修行してから、修道院に戻るという道もあります。ただ単純に修道院に戻るのではなく、回り道することは考えましたか?」


 資格を取るために勉学の道を勧めるのも一つの道ですよね。


 町商人になるために行商人をやるのと大した違いはありませんしね。


「他にもレギィのように司祭位を取って、司祭になるのも一つですね。レギィの場合は領主の仕事が主ですが、国の大きな祭事などにはレギィが出ることもありますし、これも同じですがもっと上を目指してもいいかもしれません」


 司教ですね。

 司教を目指すに当たって王都の教会を紹介する手段もあります。


 そのためには自分がレギィに王都の教会を紹介してもらうように伝え、了承してもらわないとならないため……、いや、セロ君のためなら使用済みワイシャツの一つや二つ、提供するのもやぶさかではありませんちくしょう!


「ぇ……、ヨシュアンせんせぃ、遠い目をしてるのですか?」

「教師とは時に身を切らねばならないものと深く痛感しているところなんですよ」


 小首を傾げるセロ君はともかく、他に示せる道はないでしょうか?


「これ以上となると実際に祭位を取ったことがある人に聞くのが一番ですね。学園ならアレフレット先生。文通相手にレギィ。そして、マヌエラ院長もまたその一人です。何をどうすべきか、また今の状況も含めて相談してみるといいでしょう」


 別名、丸投げ。

 しかし、これ以上、良い道先を考えてやれないのも事実です。


 ならやっぱり経験者に話を聞くのも一つの手段です。

 そのためにどう行動するのか、も含めて将来を考えることに繋がります。


「マヌエラ院長もセロ君が迷った末に考えたことを聞いてあげてやってください。その結果がどうなるかはわかりませんが今はそれでよろしいでしょうか?」

「はい。懸命に考えてくださったようで……、ありがとうございます」


 先延ばしのような終わり方になってしまいましたが、望んでいた就職先が難しくなったら迷いますし、時間がかかって当然です。

 何ができるか、で選んだ就職先ではなく、こうなりたいと願った就職先ならこういうこともあるのでしょう。


 しょんぼりと肩を落としたセロ君と少し気落ちしているように見えるマヌエラ院長の背中を眺めながら、二人の退室を見送りました。


「しかし、個人印ですか……」


 あの個人印を知っているものがセロ君を見つけたら、きっと大きな騒ぎとなるでしょう。

 下手をしたら貴族が学園に干渉する材料にもなりえますし、かといって隠しておけとも言えません。


 あえて言いませんでしたが貴族になるのもセロ君の道の一つです。


 そのどれをセロ君が選ぶのか、また選ばせると言いながら貴族に関して道を示してやらなかったことが妙に心に残りました。


 もしもセロ君が貴族になり、今のセロ君ではなくなった時。


 自分は果たして教師として、接してやれるのか。


 それだけはわかりませんでした。

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