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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第六章
336/374

hello baby!

 秋の足音も聞こえてきて、いよいよ朝夜にも寒さを感じ始めました。

 制服も厚手の生地になり、今日のように少し寒い夜は暖炉に火を入れて身体を冷やさないようにしないといけません。

 もっともそんな季節にも関わらず自分は上半身裸でした。


 手を拳の形を作り、腕立てを終えたら腹筋、背筋、次は梁にぶら下がり懸垂を始めます。

 全て規定回数で留めます。


 二週間前、昏睡状態から戻った自分は当然のように衰弱していました。

 何せ三日三晩、何一つ食べずに寝ていただけですしね。筋肉くらいすぐに落ちます。

 普段の生活で問題はなくとも【戦術級】に囲まれたら死ぬでしょうね。早急に元のパフォーマンスに戻す、いえ、それ以上が必要です。


 そのため始めたのがリハビリを兼ねたトレーニングでした。

 訓練密度を上げるために断続的に強化術式をかけ、【虚空衣からからぎぬ】の肉体再構築とリィティカ先生謹製『愛の疲労回復剤』の効果で効率よくシェイプアップです。


 おかげで身体能力は元の調子に戻りました。

 体調も悪くありません。


 ただ筋トレを始めてから妙にヘグマントから熱い視線を感じます。

 ついでにエドの取り巻きからもです。

 違いますよ、自分は同類じゃないですよ?

 筋肉に目覚めたわけではありません。開けてはいけない扉を開いたわけでもありません。そんなものは断固として認めません。


 たぶんヘグマントは模擬戦がしたいのでしょう。

 実際に何度か模擬戦をしましたしね、最近。

 演舞の型の出し合いみたいな軽い模擬戦でしたが生徒たちに見せるとかなり喜ばれました。


 これで先月、勤務時間にあけた大きな穴を少しでも埋められるのなら大した労力でもありません。


 ちなみにエドの取り巻きが求めているものに一切、応じるつもりはありません。素振りでも見せた場合、エドには謝る必要がありそうですね。


『復調したな』


 いつものようにソファーの傍で寝転んでいたモフモフが顔を上げて語りかけてきました。

 以前に比べると毛艶が戻っていますね。ふさふさ度も元通りです。


「モフモフはどうですか?」

『見た目はともかく源素はずいぶん減った』


 この神話級の狼は貯蓄型ですからね。

 聞くところによると、ここに訪れた時に比べ、半分以下の源素しかないそうです。

 それでもたぶん自分よりはるかに強いと思われます。


「完全に元に戻るのにどれくらいかかりますか」

『このまま自然に任せて二十ほど冬を越えるだろう』


 二十年とは、また規格が違いますね。

 長い時を生きるという感覚に少しくらい興味はありますが聞いても意味がないので聞いていません。

 所詮、人間は六十まで生きたら御の字ですよ。


 ましてや自分は死とか危険とかと濃い御近所付き合いを繰り広げていますからね。六十まで生きられるかどうか危ういところです。

 それにこの半年の戦歴を振り返って見てください。


 メルサラをしばき倒して、暗殺者を殺し、帝国に殴りこんで鬼のような女騎士に追いかけられ、頭がおかしい侍女を相手にして、上級魔獣を倒し、法国兵を拷問して、果てには神話級魔獣の討伐です。


 出た感想は一つです。


 明らかにおかしいですね。


 自分は今、教職についているはずなのにこの半年で撃破数が増えています。

 何がトチ狂ったらこんなことになるのでしょう。運命とか人災とかで片付けられない何かを感じてしまいます。


 もう半ば諦めていますがこんな半年を過ごしておいて、これから先が無事であるとは口が裂けてもいえません。

 絶対、必ず、間違いなく何かが起こります。きっと戦闘を前提にした荒事の類です。


 いつ訪れるかわからない荒事のためにパフォーマンスを向上させておくに越したことはありません。

 そのためにもリハビリは必須でした。


 それだけではありません。

 加速度的に生傷も増えています。特に先月はゲル状になるよりも酷い生死の境を彷徨ったらしいので対処しなければなりません。


 自分が傷をこさえて休むことで教師陣の負担も増えますし、生徒たちの現能力把握も時間がかかってしまいます。

 良いことなんて一つもありません。

 そう易々と休めるようなホワイトな業界でもありませんしね。


 なので昔、使っていた鎧を注文しました。

 壊れてしまったものの修理品か、それとも新しいものなのか定かではありませんがベルベールさんのことです。今の自分に即したものを用意してくれるでしょう。


 届くのは一ヶ月後。

 あるいは制作時間を含めて二ヶ月後。


 この程度の手間で傷の心配を減らせるのなら安いものです。

 もっとも突発的な戦闘はその限りではありませんが、それでも気分が違います。


「さて、モフモフ。ようやく落ち着いてきましたので話をしましょうか」


 布で汗を拭き、人心地ついたところでモフモフと向き合いました。


 モフモフは床にべたんと座った形から四本足で立ち直り、再び体を入れ替えて座り直しました。

 後ろ足を床に横たえて、前足で上半身を起こした状態は以前、見たことがあります。


 忘れもしません。

 フィヨと共に神狼の森で出会った時と同じ格好です。

 でも受ける印象は全然違います。以前のモフモフは大自然の化身のような威圧感と存在感がありましたが今は『ご飯、できた?』みたいな親しみを感じます、困りますね。


『何を聞く』

「モフモフはリーングラードに『無色の獣』がいると知っていました。そのうえで霧の森で会った時に自分がいることに驚いていましたよね。災厄の地がどうのこうのと」


 漆黒の瞳は何も言わず、ただ話を聞いていました。

 生徒たちにも見習わせたい傾聴っぷりですね。


「そして、今の姿で現れた。理由は自分を見定めるためだったと聞きました。まぁ、ここまではいいんですよ。次に何度かこの土地やそれにまつわることについて聞いたことがありましたよね。それに答えなかった理由は『この土地の守護者』に止められている、という話です」


 守護者については敵ではなさそうなので放置です。


「一番、最初に出会った時は『この土地の守護者』の制限はなかったはずです。ある程度、予測がついていたはずなのにどうしてこの土地の秘密を教えなかったのですか? 見定めるから言うつもりだったと言えばその通りなんでしょうが少し腑に落ちません」


 もっとも、前もって教えてくれていたとしてもどうしようもありませんでした。

 先月、あの瞬間、あの状況に『無色の獣』のことを聞いていなければ倒そうという気にならなかったでしょう。


 結果、討伐できたというのは僥倖だと信じています。


「勘違いしてもらいたくないのですが、これはただの疑問です。答えられないのならそれで構いませんよ」

『答えられない理由はない』


 なので疑問解消以外の意味はありませんでしたがモフモフの返答は意外と前向きでした。


『だが説明できない』


 上げて落とすなんて誰から教わったんですか?


「それは例の守護者絡みとはまた別の理由ですね」

『ヒトの言葉で説明するには概念が足りない』


 概念が足りないとはずいぶんアバンギャルドな言い訳ですね。


『ヒトが時の流れの秘密を知らぬように、知らぬ者に言葉を重ねても何一つ意味を持たない』


 今度は詩的に畳み掛けてきましたね。

 この狼は説明一つにどこまでハードルをあげるのでしょうか。


『それでも言葉を重ねるのならば、モフモフにも信じがたい現象であった』

「それはどう解釈していいものか迷いますね」

『モフモフと同胞、出会いは必然であった。モフモフがこの場で制約に縛られることもまた必然。その必然の中でも未来は見通せない』

「……ようするにそこそこ未来が分かっていても、あの時点では説明してよかったかどうかわからなかった、ということですか。自分が『無色の獣』を倒さないという選択肢もあったと?」

『それが一番、近しい』


 驚きですね。何が驚きかというとモフモフには星詠みさんに似た力――未来予知を持っていたことです。


『モフモフは未来を予知しない』

「では予測ですか。どちらにしろ見通しが悪かったという話なら無理に聞きませんよ。そもそも今更な話ですしね」


 すでに『無色の獣』を倒したのですから何の心配もありません。

 『無色の獣』を使って何かを企んでいたであろうクリック・クラック。そしてその背後にいるだろう魔獣信仰組織。そして、その組織との関わりはわかりませんが必ず関わっているだろう貴族院。むしろ貴族院が全部の黒幕であったらこれほど楽な話は――いえ、楽ではありませんね。


 いくら断罪権によってくびり殺せても証拠がいります。

 証拠がないのに殺したら流石に犯罪者です。

 過去、【タクティクス・ブロンド】が犯罪で捕まったこともありますからね。


 もう、早く尻尾を出して殺させてくれるのがもっともてっとり早い平和的解決でしょうね。

 こっそり滅ぼしてもバレないような気がしますが、実のところ悪手です。


 というのも弱体したとはいえ曲がりなりにも貴族院は立法機関です。

 ようするに法を作る組織なんですよ。

 法を作る組織を崩壊させたらどうなるか、厄介事しか見えてきません。


 例えば学園の予算を悪用する輩がいたとしましょうか。

 当然、そんな輩は簀巻きにして袋叩きなのですがコレを戒める法がなかったらどうでしょうか。

 騎士はその相手を捕まえられません。


 罰する法律がなければ私刑にするしかありませんが私刑を許せば治安は悪化します。


 予想される『国にとってのデメリットな行為』を防ぎ、想定していない法の台頭を妨げ、混乱を防ぐために必要な罰を制定する、法にはそうした意味合いもあります。


 勝手に貴族院を滅ぼすと法を作る機関が一つ、減ってしまいます。

 つまり、良し悪し問わず『秩序を保つ機構』がなくなってしまうわけですね。

 いくらいくつかの権限を奪っても設立目的までは奪えません。


 貴族院を滅ぼすのなら代替となる立法機関を設立しなければなりません。

 そして、内紛から今まで復興に忙しかった新政府に貴族院に代わる立法機関を作る暇はありませんでした。


 今のところ、バカ王とその側近が話し合いで対策を立てて、王命で無理やりなんとかしてきましたがそろそろちゃんと立法機関を立てて対処するべきでしょうね。


 王命も無限ではありません。

 それぞれの領主とのバランス調整上、出せる案件も限られてくるでしょう。

 限界が訪れる前にどうにかして貴族院打倒と新立法機関を設立しなければなりません。


「未来に禍根を残すような真似だけはしたくないですからね。そして託せるだけのものは託してから死にたいものです」

『そうか』


 話は一段落したと思ったモフモフは上半身を床につけて尻尾をくるりと丸めました。

 丸くなって寝るつもりのようです。


 自分も服を着て寝ましょうか。

 どうせ一番、頭の痛い問題が残っています。

 せめて体調管理だけはしっかりしておきたいのが本音です。


 そうして服を手にとったそのとき、カタリとドアが鳴りました。


 その『ありえなさ』に気づいた自分は、即座にすぐさま窓から見えない位置の壁まで移動し背につけました。もちろんドアの死角です。

 モフモフは丸まったままでしたが耳を立て、周囲を警戒しています。


「モフモフ。気配はしましたか?」

『いや』


 短く返事するモフモフ。


 あの、何かを置いたような音はその直前まで自分とモフモフに気配を感じさせませんでした。

 自分ならまだしもモフモフが気配を感じなかったというのは異常事態です。

 これで風の音なら気のせいで済むのでしょう。

 しかし、用心に用心は重ねておいたほうがいいでしょう、この半年を振り返って見ても。


『甘い匂いがする』


 これで確定ですね。

 相手は『自分とモフモフに気づかれずに何かをドアの前に置いた』という超難易度な技を平気で行う化物のようです。


 敵戦力は想定でも【戦略級】、あるいはそれ相当の愉快な生き物でしょう。

 具体的にはポルルン・ポッカのような生き物ですね。あるいは【囁くラタトスク】のような妖しい生物です。


 そうでない場合、隠形に特化した他国のスパイでしょうか。


 ともあれドアに何かを置かれたまま寝るような図太い根性はありません。

 警戒したままドアノブに手を触れ、開け放ちました。

 開いたドアの向こうからは何も飛んできません。

 奇襲の類ではないようです。


 そっと覗いた向こう側は満月に照らされ、ほのかに明るい社宅前広場でした。

 何一つ、異変や違和感は見当たりません。


 ただ、足元にあった緑色の物体を除いては。


 ソレは人の胴体くらいある大きさの、巨大な葉っぱの塊でした。

 まるでホイル焼きのような楕円形のソレに触れると、するすると包みが解け始めました。


 その隙間から覗く肌色。

 ぷにぷにとした質感をした手と指。ぷっくりとしたお腹。


 ソレが何かを理解した時、自分は前後の一切の繋がりが消失したような奇妙な混乱に見舞われました。


「……あ」


 この世の全てに祝福されたかのように安らかに眠る顔。

 触れてもいないのに感じる温かみに対して、自分は手を差し伸べることもできず、ソレを凝視してしまいました。


「赤ん坊、ですか?」


 右を見ても左を見ても誰かの姿はありません。


 こんな夜中に気配を断ち、こっそりと社宅前に赤ん坊を置いていくなんて怪談でも出てきませんよ、そんな奇人。

 怪しいとしか言い様がありません。

 この赤ん坊に何らかの術式具が組みこまれていて爆発したとしても不思議では――


「―――っ」


 ――赤ん坊は小さなクシャミをし、その衝動でゆっくり目を覚ましました。

 何度も何度もクシャミをし、だんだんとクリクリとした瞳をくしゃくしゃにして泣き始めました。


 あぁ、そうでした。

 いつかずっと昔。忙しい母の代わりに妹の面倒を見たときに何度となく言われたことがあります。


「赤ちゃんは鼻が敏感だからすぐにクシャミをする、でしたか」


 それこそ、少し冷たい空気を吸いこむだけでクシャミをします。


 見た感じ、生後三、四ヶ月かそこらの赤ん坊。

 今の季節、外に出していいはずがなく、また選択肢は一つしかありませんでした。


「どんな罠か知りませんが保護すればいいんでしょう」


 すぐさま葉っぱごと赤ん坊をかき抱き、すぐに室内に戻りました。

 その時、葉っぱがこぼれ、赤ん坊の耳を露出させました。


 人よりもツンととんがった耳の形を見て、またもや自分は動きを止めてしまいました。


「……エルフの捨て子とか勘弁してくださいよ」


 暖炉の前で固まった自分と泣き叫ぶ赤ん坊。

 そして、赤ん坊の声を聞いて今にも吠えたそうなモフモフ。


 たった一瞬でどうして津波のように疑問と難題が生まれるのでしょうね。


 荒事以上の荒事をこの手に抱いたような気がして、ため息をつきました。


引越し&転職のため、少し更新遅れます。一週間は三日に一回は守ってみせます;;

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