表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第五章
299/374

生は偉大であり、同時に矮小だ

「なるほど。事情はわかりました。ですが、なるべく外に駐屯している彼らに気づかれないように行きなさい」


 学園長に少し学園を留守にする旨を告げると、そう言われました。


「法国兵たちに何かあるんですか?」

「テーレに見てきてもらったところガルージンの氏族が全て、残されていました。それと忠義や礼儀に厳しいヴェーアレン種の氏族やヴェーアシャカール種の好敵手でもあるヴェーアヴォルフ氏族も残されています。戦力になるはずのヴェーアヴォルフ氏族を残しているのは間違いなく、ヴェーアシャカール氏族の抑制が目的です。ヴェーアシャカール氏族の一部が今、学園に対して嫌悪か敵意を見せているようですね」


 決闘で自らの氏族の一員をボロボロにされたのですから、当然の感情でしょう。

 ガルージンの件が例え氏族にとっての罰であっても、湧きあがる負の感情は止められません。


「ヨシュアン先生を責めているわけではありませんよ。彼らが身動きできない理由の一つにヨシュアン先生がいるのも事実です。抑止する力がいない、と知られるのは少々、よろしくありませんね。抑止力は多いに越したことはないでしょう」


 奇しくも自分は調査隊の抑止力となれたようです。

 全然、仕事した気持ちになれないのは何故でしょうね。


「ヴェーアシャカール氏族の一部はガルージンそのものを責めている者もいるようです。氏族も一枚岩でないところを見ると、やはりガルージンの独断だった部分が強いようですね。大事にはならないと思いますが、念には念を入れて行動することを忘れてはなりません」

「わかりました」


 裏は第一、第二王女と繋がっているのでしょうが、この場においては影響力はさほどない、と見るべきでしょうか?

 しかし、妙な不安だけは消えません。


 言葉にならないというか、裏側がよく見えないというか。

 見通しの悪い森を歩いているような印象があります。


「なるべくすぐに帰ります。半日、いえ、もっと短い間ですがよろしくお願いします」

「私としてはたった半日で王都に行って帰って来れる、その手段こそ驚きです。もっとも詳しく聞くつもりもありません。くれぐれも無茶をしないように。貴方が生徒を想うように、生徒もまた貴方を想っているのです」

「心に刻みます」


 学園長室から出て、自分はすぐさま帰宅しました。

 若干、シャルティア先生がジト目をしていたのは早上がりする自分に対してでしょうか?


 持っていくものはありません。

 着の身着のまま、モフモフと一緒に社宅を出ました。

 学園正面からではなく、社宅裏から森に入ります。


「で、モフモフ。森を出るのはいいとして、リーングラードの森というのはどこからどこまでを指すんですか?」


 自分たちの感覚だとリーングラードという地方、その全ての森がリーングラードの森にあたります。

 しかし、モフモフたち人外からすれば、また別の区別があるはずです。


『この地を囲む、守護山脈の内部を意味する』

「明確に区別されているんですか?」

『縄張りは曖昧だ。どこからどこまでと決められた定めはない。が、この災厄の地だけは別だ』


 ある意味、わかりやすいですね。

 以前、山から見たあの全景がリーングラードの森というのですから。


 しばらく、モフモフと森の中を歩いていましたが、ふいにモフモフがしゃがみ、腹ばいになります。

 瞬間、ぞわりとモフモフの毛が伸びて大きくなりました。あまりのことで目が点になります。


『乗るがいい。一気に飛ぶ』


 そうやって大きくなるんですね。

 前は夜だったので詳細がわからなかったのですが、見るべきではありませんでした。

 生物の常識が行方不明です。


「……では遠慮なく」


 躊躇しても始まりません。

 馬車くらいのサイズのモフモフに飛び乗ると、すぐに視界が高くなりました。

 そして、一拍の溜めの後、緑の光景が一気に後ろへと流れていきました。


 普通の騎芸ならば、枝葉に当たって転倒する可能性もあるのですが、やはり不思議な力が働いているのか葉の一枚、かすりもしません。


 しばらくすると一瞬、昼が夜になったような奇妙な空気の変化がありましたが、見上げた時にはもう狭い緑の天井しかありませんでした。

 もしかして、瞬間移動したのでしょうか?


『ついた』


 というので、モフモフから降りるとモフモフは小さくなりました。

 この森がどこの森なのか知りませんが、モフモフの後をついていけば外に出られるでしょう。


 しかし、妙に暑いですね。

 ときおり吹く風が熱を持っているというか、水気が足りていないというべきか。

 少なくともリーングラードの空気と違うことだけわかります。


 王都はまだ残暑の厳しい時期ですからね。

 そうでなくとも急激な移動をしたせいで体が気温に慣れていません。なので余計に暑く感じられるのでしょう。


 やがて木々の向こう側から眩しく、強い日差しが現れます。

 西日が眩しいので迂回したいところですがモフモフは気にしていないようですし、自分も少し我慢しましょう。


 薄い赤金色に染まる木々を抜け、一歩森を抜け出した先は――


「モフモフ?」


 ――砂漠でした。

 肺を焼くような熱い風はここから吹いていたようです。夕日に染まる砂漠はどこか感動的な景色でしたが、圧倒的な『ここじゃない感』に頭すら痛くなります。王都周辺に砂漠はありません。


 残暑どころの話ではありませんよ?

 初冬でも夏真っ盛りの地域じゃないですか。


 ふんふんと土の匂いを嗅ぐモフモフ。


『少し間違えた』

「勘弁してください」


 完全に行き過ぎています。


 砂漠地帯と言えば南部ですから、間違いなくここは南部です。


 見てください。陸竜の群れが砂漠を横断しています。なんというか長閑な光景ですね。

 しかし、その少し離れたところで元気に泳ぐ茶褐色の巨体が見えます。

 砂虫ザントトレーガーですね。雄大ですね。距離から体躯を推測すると【室内運動場】くらいありますよ。近寄りたくありません。


 あ、陸竜の群れが襲われました。


 その直後、砂虫を覆い尽くす巨大な砂の塊。砂虫を優に越える巨大な魚類。あれは中級竜種ですか?

 まるで釣り餌にかかる魚のように砂虫の尻尾に噛みつく魚型竜種。

 暴れまわる砂虫と魚型竜種が上げる土煙が風に乗ってこっちまでやってきました。


 呆然とした気持ちで煙る砂漠を眺めていましたが、いつまでもそうして居られません。


「すぐに帰りましょう。この大自然は生命に厳しすぎます」


 砂虫の破片らしきものが足元を汚しました。


 ダメですね、この土地。厳しすぎて生活できる自信がありません。

 生活するつもりもありません。尻尾巻いて逃げたい気持ちで一杯です。


『距離感が難しい』


 そう言って、またトコトコと森の中に入ってくモフモフについていきました。

 頼みますよ? モフモフだけが頼りなんですから。


「南部に生きる人間を尊敬しそうになりましたよ」

『生は偉大であり、同時に矮小だ。生の性に区別はない』


 蹴散らされた陸竜に同じことは言えそうにありませんね、それ。


 同じようにモフモフに乗って進み、降りては森を抜けます。それを三度くらい繰り返して、ようやく見慣れた王城が眺められる丘に出ました。


「モフモフ……。一つだけ言っておきます」

『何か?』


 その土を嗅ぐ行為は土地の匂いを覚えているんですか?

 次はちゃんと一度で王都に出れそうですね。


「途中、帝国の城らしきものが見えた時は心底、焦りました」

『敵か?』

「敵国です。二度と近寄りたくない国です」


 あそこは鬼のような女騎士が生命をろうと迫ってくる国です。ちょー怖ぇです。


 金縁で黒い鎧を着た集団がぶつかり合っている場面を見た時はダッシュで逃げたくなりました。

 【キルヒア・ライン】の集団訓練なんか眺めていると捕まりますからね?


 丘を降りていくと、すぐに農地に出ました。

 皆、夕飯の準備に取りかかろうとしているのか、のんびりと家を目指して歩いていく姿を横目に現在位置を思い出します。


 王都の南東部にたしか実験農区がありましたね。

 寒害に強い作物を作ろうとしたバカ王の発案でしたが、これが意外とうまくいきました。マグル族の協力を得て、実際にいくつか成功例が収穫されたこともある農区です。


 自分の家は北西区の郊外なので正反対ですね。

 ぐるりと大回りしないといけませんし、一度、城壁を抜ける必要があります。


 のんびり歩いていたいのですが、そろそろ城門が締まる時間です。

 強化術式を使いながら走り、もう閉まろうとしている城門に滑りこみで入都しました。


「……リーングラードに比べると、やっぱり王都は騒がしいですね」


 石造りの建物が並ぶ大通りを行き交う人々。

 竜車がガラガラと音を立てて横切り、最終売り尽くしのかけ声がどこかから聞こえてきます。

 まだ昼の熱が残っているのか、少し汗ばむくらいなのはいいとして、若干、外に比べて気温が高いように感じられるのは気のせいではありません。

 人の数がそれなりにいますからね。


 土と森の匂いが強かったリーングラードと違い、ヒトの匂いや石の匂い、ところどころにある焚き所から香る油の薄い匂いが混じり、今の時期だと夕飯の匂いも漂う、この独特の空気が懐かしく感じられます。


『慣れぬ匂いだ』


 まだ人通りの多い通りの中央を歩いているとモフモフがポツリと呟きます。

 モフモフはあまりヒトの住む場所にいませんしね。こんなに人が密集している場所は初めてでしょう。


 人々をくぐるように先に進んでは赤レンガの屋根を眺め、やがて北西部の境になる朽葉色のアーチが見えてきます。

 特に誰か居るというわけもなく、素通りすれば一気に家と人の数が減ります。


 ここから先はベッドタウンですからね。

 通る人も多いのですが、すぐに横合いに入って数が減っていきます。

 この横道に入れば個人商店や露天をやっている通りに出ますが、今は別に行く必要はないので無視して道なりに進みます。


『……ご飯』

「もう少し我慢してください。というよりリーングラードから出たんですから、ご飯、いらないんじゃないですか?」

『……それはそれ、これはこれだ』


 ちゃっかり味をしめちゃって、まぁ。

 【神話級】原生生物を餌づけするつもりはなかったんですが。


 モフモフと喋っていると、通りがかった人がぎょっとした顔で自分を見てきました。

 変な人だと思われたら困りますね。半年後には帰ってきますし、その頃には忘れてくれることを祈りましょう。


 陽の色が柿色に変わり、影の色が濃くなった頃。

 懐かしい一軒家にたどり着きました。


 他の家より明らかに大きい、しかし、土台になる一階が妙に二階に比べて出っ張っている形を見ると『帰ってきた』という感じがします。

 店のために広間を開放し、奥を住居スペースにしたため、歪な造りなんですよね。


 もともと、ただの木造の一軒家だったのを無理やり石造りに改造してもらいましたしね。


『ヒトがいる』


 モフモフが鼻を空に向けて嗅いでいました。

 誰もいない我が家に来客? ありそうな話に足音を消して自宅に近づきました。


 しかし、近寄れば近寄るほど足音を消す意味を失いました。


 玄関に立つ、銀の髪がなびく背中。

 メイド服に身を包んだ彼女を見て、自分は警戒心を解きほぐしました。


 自分の足音に気づいたのか、それとも心を読む範囲に足を踏み入れたからか判断つきませんでしたが、彼女はゆっくりと振り返り、静かに微笑みました。


「おかえりなさい。ヨシュアン様」

「ただいま。ベルベールさん」


 ベルベールさんにとってはいきなりの帰宅だったにも関わらず、当たり前のように迎え入れてくれました。


「当然です。侍従であるのなら常にお帰りをお待ちするものです。それが何時、どんな場所であれ、慎んで腰を折るのが侍従の定めにあります」


 冷静なベルベールさんでしたが、自分の隣に居るモフモフを見て、珍しく目を見開きました。

 そして、最上級のカーテシーを披露し、膝をつきました。


「これは失礼を。私はベルベールという、リスリア王国が国王ランスバール陛下に仕える侍従の身にございます。森の賢狼様」

『モフモフだ。神の欠片を持つ乙女よ』


 お互い、一発で正体を悟りましたね。


 まさかベルベールさんの力がモフモフにも通用するとは思いませんでした。


『同胞の、道連れにしてともがらである』

「聞き及んでおります。かつてヨシュアン様とフィヨ様が訪れた森の奥にて出会いし神狼様のお姿は、この矮小な目でも拝見させていただきました。心の光景という間接的なご拝見でもありましたがお赦しくださいませ」


 その時よりも随分、小さくなっていますが問題ありませんね。


「ベルベールさん。色々と話をしたいこともありますが、予定が詰まっています」

「承知しております。【愚剣】を取りに戻られたのですね。ランスバール様にはお伝えしておきますのでどうぞご随意に」


 預けておいた鍵で自宅の扉を大きく開くベルベールさん。

 勧められたまま中に入ると見事に何もありませんでした。

 テーブルや椅子、家具類はそのままだったのは腐らないからでしょう。逆に錆びる可能性がある商品の術式具、食料の類がなく、こうして見るとほとんど生活感がありません。


「商品はグランハザードに。食料は腐る前に全て処理済みです。衣服は天日干しにして収めております」


 衣服は防虫菊を乾燥させて麻袋に詰めておけば、一年くらい保つと思いますが。


「そちらは香草を粉末にしたものを瓶詰めし、タンスの隅に」


 より適切な手段で衣類を守ってくださっていたようです。

 布団はたしか、買い替えるはずでしたね。


「買い替える予定だったと聞き、処分しております。ヨシュアン様が帰られる頃には買い替えておきます」

「布団で思い出しました。レギィに枕を売ったとのことですが」


 レギィから聞いたときはベルベールさんの所業とは思えませんでした。

 何らかの理由があるのなら聞いておきたいですね。


「高値で売れました」


 自分の布団を競売にでも賭けたんですか?

 どんなフェチズムが参加するオークションですか。


「ランスバール様主催です。他の出品はノノの下着などが挙げられます。ちなみにもっとも高値で競り落とされたのはレギンヒルト様の手袋でした」

「わかりました。諸悪の根源ですね」


 すべての謎が解けました。


 その裏オークションは後で叩きのめしておきましょう。

 本当は今すぐ拳を固めて殴りに行きたいところですが、我慢しておきます。


 店内を抜けて居間に入り、暖炉の向かい側にある本棚の前に立ちました。

 強化術式で横に移動させると地下に続く入口があります。


「庭地の畑は双子が何度か手入れに来て、収穫しております」

「あぁ、収穫物はどうなりました?」

「もちろん、双子にお渡ししました。一部は私がいただき、ランスバール様に振る舞いました。喜んでおいででしたよ」


 うまくできていたと思いますが、味はどうだったんでしょうね。


「美味しゅうございました」

「それは良かった。ベルベールさんの腕ならもっと美味しくなっていると考えると、手料理を食べれなかったのは少し残念です」

「お帰りになれば、いつでもお作りいたします」

「ありがとうございます。是非にいただきます」


 畑ももう一度、やり直しかと考えていましたがこの分だと双子に任せておけば来年も実が成りそうですね。


 地下の入口は鍵がかかっているのですが、手のひらを出すと最適のタイミングでベルベールさんが鍵を手渡してくれました。


「ベルベールさんはどうします?」

「ここでお待ちしております」


 しゃがみこんでベルベールさんを見上げると、ベルベールさんは小さく頷きました。

 そして、モフモフはすでにベルベールさんの足元で腹ばいの姿勢でした。あぁ、ついてくる気はないんですね。


 はしごを降りて、人一人分の幅しかない岩壁の通路を通っていけばすぐに鋼鉄製の扉にたどり着きました。

 頑丈な錠前を鍵で外し、倉庫の中に入ります。


 フロウ・プリムの灯りを部屋の中央に飛ばすと、お目当てのものが姿を現しました。


「……もう一度、使うことになるとは思いませんでしたよ」


 【愚剣】。


 その形状はこの世のどの武器よりも奇っ怪な形に見えるでしょうね。


 曲刀のように歪曲したグリップ。鍔のない、木目から直接伸びる、幅広の片刃。

 鍔の代わりに備えつけているのはシリンダーです。

 ブリット・ユニットを装填するために直線上のシリンダーは刀身半ばまで伸び、複雑な術陣が装飾のように彩っています。


 粒子状の刀身とシリンダー、緩やかに曲がった持ち手。

 その全てを組み合わせるとこの世の武器では、何に分類されるかわからないでしょう。

 辛うじて『奇っ怪な剣』と呼べると思います。

 その形全てに自分なりの殺戮の理を組みこんだ呪物です。


 そして、自分がこの世において異質である証明でもあります。


 さて、いつまでも見ていても始まりません。


 部屋の四方から伸びた鎖が【愚剣】を雁字搦めに縛り、中空に戒めています。

 この鎖は特殊な封印用の術式具で【愚剣】の性能を封じる役目があります。

 

 あ、いえ、まず鞘ですね。

 鞘も同じ術式を刻んだ術式具です。


 封印機構もなく【愚剣】をもって帰ったらリーングラード中が大騒ぎになります。

 我が事ながら厄介な武器を作ったものです。


 鞘もこの倉庫に置いてあったはずです。

 ついでなので内紛に使っていた道具も回収しておきましょうか。


 倉庫の隅にある埃をかぶった革鞄に目を向け、まずはそちらを回収することにしました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ