足元にお気をつけてお帰りくださいませ
革鞄を開けば埃が舞いました。
それらを平手で追い払い、中身を確認します。
射出武器として指輪型術式具【つらぬき】が十数個。
【獣のガントレット】を強化する六種の金属を使用したガントレット【がくつかみ】。
同じように【獣のグリーヴ】を強化する鋲付きグリーヴ【かむやまびこ】。
黒いグリップに錨状の先端がついたものはアンカーワイヤーを射出するガジェット【いみびき】です。
この四つは内紛初期から最後まで使い続けてきたものです。
【がくつかみ】に触れて、ふと気になって匂いを嗅いでしまいました。
カビの匂いがします。四年近く使わなかったためか革部分がダメになっています。
一度、分解して革部分を入れ替えないといけませんね。
幸い、金属部品に目立った錆は見当たらないので表面を磨くだけで十分でしょう。
【かむやまびこ】は特に問題ありませんでした。何故でしょう?
使われる革の種類が違うからかもしれません。そういえば【かむやまびこ】は竜革だからそのせいでしょうか。
【いみびき】はグリップを握り、黄の源素を流すと問題なく使えました。
故障しているのではないかと考えていた【いみびき】が使えて、あまり手入れしなくても使えるはずの【がくつかみ】が使えなかったのは少し予想外でした。
とはいえ、どれも一度、整備が必要です。
【つらぬき】に関しては使うと意味なく壁に穴が空く上に使い捨てなので試しません。源素を流しこんで、動いたのを確認して止めました。
「あぁ、思い出した」
ここまで見て、一番、重要なものを思い出しました。
装備を携帯できる専用ベルトを忘れていました。
これも無造作に壁に引っ掛けられているため埃まみれでした。
手で埃を落としながら手につかみ、革鞄に放りこみました。
【愚剣】を含めるとかなりの重量になるため、普通のベルトだと切れたり、きつく締めあげて体の動きを阻害します。
そのため、細く頑丈なベルトを三本使って防具に固定していました。
しかし、肝心の防具――多関節鎧の【ガレーヌの多殻鎧】ですが壊れてありません。
黒色ゴキブリに壊され、グランハザードに修理を依頼したところ『作り直した方が早い』と言われ、そのままです。
どうやら新型の多関節鎧の開発をしているようなのですが、難航しているみたいですね。
マッフル君の多関節鎧は自分が使っていたものに近いので、新型は諦めて別口の新品を発注、調整してもらいましょうか。
どちらにしても間に合わないので今回は防具は無しです。
そういえばローブの上から取り外しできる手甲はどこやりましたっけ?
適当に積んでいた木箱を開けるとようやく出てきました。
これも表面を磨くだけで使えそうです。
防具類が思った以上に劣化していましたが最悪、我慢して使えば、いえ、止めましょう。
生徒の模範にならねばならない教師がカビ臭かったら、生徒もイヤでしょう。
それにヨシュアンクラスは皆、女の子です。
匂いに敏感なんですよ、あのくらいの年頃は。
ベルトも含め革鞄に全て収め直し、それから壁にかかっている鞘を取り、再び【愚剣】の前に立ちました。
【愚剣】の鎖を鍵で開けると重力に引かれ、鎖が落ちていきます。
落ちる前に【愚剣】を手にとった瞬間、音も振動もなく、周囲に何かの波を撒き散らします。
その鳴動を観察することなく鞘に収めると、何事もなかったように地下は静まり返りました。
「……周囲に変化はありませんね」
一応、周囲を確認して、革鞄と【愚剣】を手に地下室から出ました。
はしごを登るとベルベールさんの姿がありません。
モフモフは降りた時と同じように腹ばいのままです。
『呪詛のようだった』
「何がですか?」
『隕鉄の剣だ。鳴いていたろう』
「何年も放置していたから拗ねていたんじゃありませんか?」
あるいは『空腹すぎて飢えていた』のでしょう。
「さて、ベルベールさんは……」
少し気配を探るとすぐに見つけました。
玄関先に居るようですが、もう一人分の気配があります。
気配自体はともかく、この薄らと漂う白檀の匂いに覚えがあります。
どうやって知ったのかは定かではありませんが、自分が居ることに気づいて近寄ってきたようですね。
小さくため息をついて、玄関を出るとベルベールさんの背中がありました。
そして、対面するように一人の女性がいました。
「あら。お久しぶりですわヨシュアン様。『偶然、お会いできて』スノリは嬉しく思います」
自分を見て、妖艶な笑みを浮かべ、身じろぎするように体のしなやかさを見せつける彼女。
赤い瞳に病的なまでに白い肌、蜘蛛の巣のような形をした黒いアクセサリーを白髪につけ、睫毛まで白いアルビノ体質。日の光に当たれば辛いはずなのに左肩をはだけさせた黒のイヴニングドレスはアレですか? 自分の体質と我慢比べしているつもりですか?
もう陽は沈んでいますが、ここまで来るまではまだ陽が照っていたでしょうに。
もっとも、片手に日傘も持っていたので余計な心配なのでしょう。
スノリの均整の取れた肢体に豊満な胸は今まで会ってきた誰よりも女というものを強く意識させます。
手に持った術式ランプが陰影を強くし、逆に彼女の女らしさを強調しているように照らしていました。
「いけませんヨシュアン様。アレの術中にはまります」
ベルベールさんの厳しい声に自分は肩をすくめました。
この程度の色気でリィティカ先生への信仰は微塵も揺らぎません。
だから自分を守るように目の前に立たなくても大丈夫ですよ。
しかし、まるで興味を持つようにじっと自分だけ見てくる様は少し気が引けます。
相手をしなければならない、そんな強迫観念に似た気持ちにさせます。
もっとも、そう思うことがすでに術中にハマるという意味なのでしょう。
「さて。これでご満足いただけましたね。お帰りはあちらです。足元にお気をつけてお帰りくださいませ」
ベルベールさんの冷徹な声も久しぶりに聞きましたね。
明らかに言葉の裏で剣を抜いています。
しかし、この匂い、本当にどうにかなりませんかね。
香水の匂いは嫌いではありませんが、ここまでむせ返るように漂ってくると流石に落ち着きません。
自分が匂いに辟易していると気づくとスノリは微笑を深めました。
その途端、白檀の匂いが薄らとした花の匂いに変わりました。
「まぁ、ヨシュアン様。せっかくお会いできたのにこのまま女性を帰すだなんてつれないことはおっしゃいませんわ。それにヨシュアン様もお知りになりたいことがあるのではと思い、足早に訪ねさせていただきましたの」
一歩、自分に近づいてきたスノリをベルベールさんが再び、前に立って寄せつけないようにします。完璧なタイミングによる鉄壁のガードですね。
【導歩】も舌を巻く歩法でした。
スノリはベルベールさんを越えられずに渋々と言った感じで、一歩、後ろに下がりました。
とはいえ、このままスノリさんの相手をしているとベルベールさんに心配をかけてしまいます。
「残念ですがスノリさん。自分は予定が詰まっていまして、これから出かけるところなんですよ。あまり時間もありませんしご不安でしたら誰かに送らせますが?」
「……そうでしたの。残念ですわ」
はふ、と物憂げにため息をつく、その一つ一つの仕草が非常に罪悪感をくすぐってきます。
「せっかくヨシュアン様がお心を砕いていらっしゃる『魔獣を信じる愚か者』たちのことなど、お話したかったのですが……」
内心、ぎょっとしたのですが表面には出しませんでした。
「他にも『法国に蠢く者』たちや『貴族院の狙い』なんてものもお話の種にとご用意したのに、残念ですわ」
一番、欲しい情報を並べてきましたね。
正直、聞きたいのですがベルベールさんが顔だけ振り向いて自分を見ています。
わかっています。
完全に罠ですね。
確かに情報は手に入るのでしょうが、下手な動きをすると絡め取ってきます。
それが魔性の女スノリ・アトラクナのやり方です。
何故、彼女が学園での出来事を知っているのかなんて考えてはいけません。
彼女は情報通というか、何故か他国の情報まで持っているというのがまた無視できない理由です。学園長と同じで情報お化けですね。
「ヨシュアン様はお忙しい身ですので、【白病の蜘蛛】は巣にお帰りください」
「まぁ! 聞きましたヨシュアン様。白病だなんて酷い言い方! この侍従がスノリをいじめますの」
スノリさんは徹底的にベルベールさんとは直接対決を避けますね。
一方、ベルベールさんもわかっていて壁役をしています。
ベルベールさん曰く、スノリは『男性を勾引す類の化生』だそうです。
権力者やその類縁にとり憑いては財や情報を引き出す傾国の女とも言い換えられます。
なんらかの手段でベルベールさんの読心能力から逃れているのがまた厄介でして。こうして面と向かっていても感情の表層しか読み取れないそうです。
そして、このアプローチを見てもわかりますが現在、自分が狙いです。
何の因果か内紛くらいからターゲットにされて困っていました。
明らかに自分がバカ王への影響が強いと知っての所業です。
なら関わらなければいい、と思うのですが、これがまた厄介で関わらざるをえないような状況を作り出すんですよね。
言質や欲しいもの、そして色気を駆使していつの間にか二人っきりで会う、なんて流れもしばしばです。
彼女から得た情報で解決できた事件もいくつかあり、実績もあるために無視もできません。
あまりにも厄介すぎる女性ですが、それもベルベールさんの働きにより一度は王都から追い出したのにも関わらず、またこうして当たり前のように現れます。
ともあれ、現在は関わっていられる状況でもありません。
今日中にはリーングラードに帰りたいんですよ。
さて、どうやってスノリさんに帰ってもらいましょうか。
見えない剣で戦っているベルベールさんとスノリさんをぼんやり眺めていると足元をするりとくぐり、モフモフが現れました。
「わん!」
モフモフが吠えた瞬間、匂いが消し飛びました。
これに驚いた顔をしたのはスノリさんでした。
「……どうやら今日は日が悪い、いえ、月が悪いようですので失礼しますわ。またお会いしましょうヨシュアン様。次は侍従のいない、二人っきりの時に、たくさん、たくさんお話しましょう」
名残惜しそうに瞳を震わせ、今生の別れみたいな仕草で去っていきました。
その背中を油断なく睨みつけているベルベールさん。
今回もベルベールさんの勝ち、なんでしょうか。
いえ、明らかに今回はモフモフの仕業です。
「何したんですか?」
『蹴散らした』
これまた単純かつわかりやすい解答ですね。
『新しい神の欠片の匂いがし、出てみれば、さきほどから同胞へと蜘蛛のように絡みついていた』
「その神の欠片というのは【神話級】のことですよね。スノリは【神話級】保持者だったのですか」
『そうだ。この匂い――花と大地の神か』
花と大地の神テノートは一番最初に死んだ神です。
誘惑や香りを司り、マグルやフェーリアーとも関わり深い神でしたが【嵐のファーブニール】に踏み潰され、無色に侵され、そのまま滅んだと聞きます。
その時、彼女の眷属は皆、哀しみに胸を潰されたというのですから愛されていたのでしょう。
スィ・ムーランとテノートは仲が良かったはずですが?
『あれもまた【語り部】と同類だ。惑わせ、拐かし、気に入ったものの道を外す』
匂いを媒介に相手の好悪感情を操作する能力、でしょうか。
ベルベールさんに効いていないところを見ると男性限定か、あるいはベルベールさんの能力が効かなかったのと同じように、【神話級】保持者同士だと能力が通用しづらいのか判断が難しいですね。
彼女が必死になって匂いを操作しても、自分の感情が一定から動かないのはやはり『作られた人格』だったからでしょうか?
あるいは根幹術式が異物として排除したかのどちらかですね。
「まだレギンヒルト様は『努力して収めよう』としております。若干、うまく行っていませんが周囲による修正が可能な範囲です。しかし、アレは全てを知って己の欲望のために誰かを利用する性悪にございます」
本気で嫌いなんですね。
振り返ったベルベールさんの顔はいつもと同じでしたが、内心までは落ち着かないようです。大丈夫ですか?
「ノノに始末を命じようかと何度か思案しました。その度に影響力を鑑みて諦めております」
遠くで動く術式ランプの光が誘蛾灯のように見えてしまうのは、どこまでが計算でどこまでが偶然か。
まるで判断基準の芯を抜いたような女性でした。
「お気をつけてくださいませ。アレはまだ諦めておりません。タチの悪い亡霊ですので塩をお忘れなきよう」
「流石に女性に塩を撒くわけにもいきませんから、いつものように丁重にお帰りいただいています」
「わかりました。胡椒と唐辛子の粉末を用意しておきます」
それは塩よりも人体に酷い影響を及ぼします。
あと割高すぎます。
スノリさんも味方にできれば一番なんですが、味方にしても獅子身中の虫になるのは目に見えています。
生徒たちですら手を焼いているというのに、自分では扱いきれそうにありませんね。
なので手をつけるつもりもありませんが、向こうはノリ気ですからね。
自分を狙うくらいならバカ王を直接、狙えばいいものを。
「ランスバール様はあぁ見えて心得ております。お妃様以外は遊びでとどめていなければ次代が混乱するとよくご存知ですので」
「むしろ何故、あの女を后に選んだのかですが」
自分はアレに妙に嫌われていますからね。
自分を見る時のアレの目つきは虫を見るような目つきです。
「ヨシュアン様に苦言を示せる者として自らに定めておいでなのでしょう」
単純に嫌っているという可能性はどうでしょう?
「この季節はまだ温かいとはいえ、風に当たりすぎると毒にございます。中に入りましょう」
ものすごい勢いで話を逸らされました。
自分もあの女は好きじゃないので別にいいんですが一応、バカ王繋がりですし、表面に出したいと思いません。
扉を開いて待っているベルベールさんがピクリとモフモフを見ました。
「よろしいのですか?」
『そうしなければなるまい。アレの眷属は少々、厄介だ』
いつの間にかベルベールさんとモフモフの間で会話が成り立っていました。
何事かと部屋に戻ってみるとベルベールさんがモフモフの毛の一部をハサミで切り始めました。
そして、慣れた手つきで針と糸で作り上げたのは小さなアクセサリーでした。
「モフモフ様より頂いた神毛より悪女避けを作りました」
まるで丸い箒みたいなアクセサリーを差し出してくるのはいいんですが、どこにつけましょうか。
あまりアクセサリーをつけないとこういう時に困りますね。
「ヨシュアン様の動きを阻害しないように耳元が一番なのですが」
「穴は空いていません」
ピアス用の金属部品もありません。
動くたびに毛が当たると邪魔です。
『隕鉄の剣につけるといい』
珍しくモフモフが積極的に意見してきました。
『剣の効果を少し同胞の意思で留めていられるようになる』
「もう少し早い段階で欲しかったですね、それ」
「過ぎたことだと割り切りましょうヨシュアン様」
ベルベールさんなら理解を示してくれるでしょうが、【愚剣】の効果範囲や強弱を決められたら良かったと思う瞬間が何度かありました。
主に作戦行動中ですね。
「さて、ベルベールさん」
意味のない後悔はともかく、そろそろ社宅に戻らなければなりません。
帰ったら防具の調整もありますし、何より明日も仕事です。
「出都手続きはこちらにお任せ下さい。今の時分ですと北がやや手薄なのでそちらから城壁を乗り越えていただきますと問題も少のうございます」
次に帰ってきた時は手料理が食べたいですね。
「もちろん、次はちゃんとご用意させていただきます」
立ち上がり、革鞄を持って家を出ると玄関先へ振り返り、ベルベールさんに鍵を手渡しました。
両手でしっかりと受け止める様を見届けると、すでにモフモフが大きくなっていました。
モフモフが巨大化しても、もう動じもしない自分が少しイヤですね。
「ヨシュアン様」
モフモフに乗ろうとした瞬間、ベルベールさんがゆっくりと顔をあげました。
「ご武運を」
ベルベールさんはきっと自分以上に自分を知っているのでしょう。
「もちろんです。いつも通り、待っていてください」
いつかのように夜の闇を置き去りに、モフモフは走り出しました。
後ろを振り返ってもきっとベルベールさんは見えないでしょう。
だから、今は帰ることだけを考えて、流れる景色を眺めました。




