じみっ子なのです
どんな時間も状況によって重さが変わります。
失敗も許されない汗ばんだ時間とのんびりと紅茶を嗜む時間。
時間を支点において考えれば両方の重さは同じですが、主観を支点におけばどちらが優先されるか判断の待ったを待ちません。
「先生! 【大図書館】の鍵貸して!」
総じて集中力の欠いた授業が終わった放課後。
職員室に現れたマッフル君とエリエス君というあまり見ない組み合わせも設計図の前だと気になりませんね。
生徒たちは最初から自主訓練へのやる気を文化祭準備に燃やしたお陰で発破をかける必要はありませんでした。燃えた火に火薬を入れるほど自分は命知らずではありません。
そのお陰か教師は皆、それぞれの仕事に集中できるので職員室は今、自分しかいません。
つまり、何かあったら自分が対処しろ、ということですね。
「それならさっきキースレイト君が持って行きましたよ」
「先を越されたし! そんならもう職員室に用はないし! というかそういうのは早く言ってよ!」
理不尽かつ非道い言い様ですが、あえて目を瞑りましょう。
正直、今日を入れて十二日で準備しろ、という無茶ぶりには思うところもあります。
調査隊の行動が急すぎるんですよね。
本来なら急な来国をする場合、事前根回しをするものです。
実際、タラスタットを浄化する一団に調査隊が乗っかかった形ですが、だとしても何らかの事前通達があり、バカ王ならその旨を学園に通達しているはずです。
まるで『わざと通達を遅らされた』か向こう側が慌てて対応したかのどちらかでしょう。
この急な来国は法国側が王国側に何かを差し出さないといけないくらい横紙破りしているということです。また何かを差し出すということで少し面倒事を匂わせています。
これはベルベールさんが心配ですね。
これから寒くなりますし安心して仕事できるように、ケープでも贈りましょうか。
そうするとレギィが怒りそうですから、こっちにも何か贈らないといけない気がします。面倒事ですね。
「廊下は走らないように」
注意をしても、マッフル君はそのままバタバタと廊下へと出て走っていきました。
聞いちゃいません。
ため息を一つして、さっそく神式具の設計図に取り掛かろうと思ったら、まだ隣に人の気配がします。
瞳の奥に『それは何?』と文字を浮かべるエリエス君の姿がありました。
「マッフル君は先に行ってしまいましたよ?」
と言っても瞳の文字に変更はありません。
しかし、少しだけマッフル君が出て行った扉を見たあたり、気にしているところが伺えます。
「これは魔獣によって穢された土地を浄化する術式具です」
「無色の源素という特殊な源素については以前、授業で聞きました」
覚えていなかったら困っているところです。
アレフレット主導で行われた魔獣講義は記憶に新しいはずでしょう。
そもそも魔獣、上級魔獣、双方ともと出会ったエリエス君にとって忘れられない相手かもしれません。
今更ですが上級魔獣に出会って精神的な障害を抱えなかったのは僥倖――いえ、ポルルン・ポッカたちの謎の力のお陰なのでしょう。
「授業の内容が正しいのでしたら、どうして私たちは無事だったのですか?」
純粋な疑問だったことが逆に答えづらくありました。
「……わかりませんね。いくつかわかることもありますが、君たちが無事だったのは僥倖以外の何物でもありません」
「……はい」
ポルルン・ポッカが生徒たちを助けた理由はモフモフが頼んだからと思っていましたが、それだと色々とおかしい部分があるんですよね。
特に時系列から違和感があります。
モフモフが遺跡の異変を察知し、【守護者】に頼みに行ったのは当日の夕方です。
その時より前に生徒たちはポルルン・ポッカと接触し、それから少ししてクリック・クラックと遭遇しています。この時点で『上級魔獣を復活させる儀式術式は成功一歩手前』でした。さらにここで自分が立てた推論『ポルルン・ポッカは人がいないと遺跡に入れない』は消えてなくなっています。
遺跡を守っていたからと考えた場合、何故、ポルルン・ポッカが生徒たちの邪魔をしなかったのか、という疑問が生まれます。
いえ、そもそもクリック・クラックの邪魔をしなかったのは何故でしょう。
守護するよりも妨害の方が早かったでしょうに。
クリック・クラックを素通りさせ、生徒たちには同行する形でついてきています。
しかも生徒たちを守るためにです。
これではまるで『生徒たちをクリック・クラックと出会わせるためにポルルン・ポッカが居た』ような、何のためかわからない推測が立ちます。
その他にも考えられるのは『ポルルン・ポッカは自らの意思で生徒たちを助けた』ことです。
【守護者】の眷属のポルルン・ポッカがそうした行動を取ったのなら『【守護者】も生徒たちを助けたかった』ことになります。
妙に自分に干渉してくることも考えると、学園関係者に対する一定のスタンスが見えてくるような気がします。
少なくとも友好的な意思は感じます。
それは以前、学園襲撃自演事件で『ポルルン・ポッカが召喚に応じた』ところからもわかります。
あくまで友好的なだけであって行動は謎でしかないところが頭の痛い問題です。
「エリエス! 何してんの!」
扉にしがみついてマッフル君が叫んでいました。
若干、息が荒いところからエリエス君がいないことに気づいて、慌てて帰ってきたことが伺えます。
「エリエス君。今は学園祭に集中しなさい。マッフル君だけだと調べ物は難しいですよ」
「わかりました」
『仕方ない』みたいな瞳で頭を下げ、それからマッフル君と一緒に職員室から出て行きました。もちろんダッシュで。
もう注意するのも虚しくなります。
「おじゃましますのです……」
さて、再び設計図に取り掛かろうと羽ペンを手に取ったら、今度は職員室の扉を開ける囁き声が聞こえました。
やっぱりというか、声で丸分かりというかセロ君でした。
「おじゃまするのでありますー」
「失礼しますわ」
クリスティーナ君とリリーナ君まで一緒です。
取った羽ペンを置いて、再び生徒たちと向き合います。
「文化祭の催事がうまく決まりませんの。皆さん、デタラメばかりおっしゃって大変でしたわ」
「ん~、クリクリの案は舞踊から始まって、芸術展示、名勝地展覧、天体観測に続いて、とうとう散髪屋さんになったであります」
「天体観測まではわかりますが、どうしてそこで急降下して散髪屋になったのか不思議ですねクリスティーナ君」
「美容や衣装だって文化ですわ! それに散髪ではなく理容。何もおかしいところなんてありませんわ!」
ムキになっているところを見ると本人もおかしいと気づいているのでしょう。ただ引っ込みがつかないだけで。
「リリーナさんの案だっておかしいですわ! 木を植える、弾弓、狩り! どこでやりますの狩りだなんて! 狩りの様子をどうやって王女殿下にお見せするおつもりですの!」
「連れ回すであります」
「戦争が起きますわよ! そんなことしたら!」
色んな意味で戦争ですね。
下手すると姫は嬉々として参加し始めて、それを見た側近が命懸けで止めるハメになるかもしれません。
そして、自国と他国から怒られる自分たち。割に合いません。確実に胃を痛める自殺行為です。
「セロは絵本から、絵の展覧会、お人形制作、刺繍展なのです」
セロ君は身近で出来そうなものを選んだように見えます。
若干、趣味が入っていますね。下手したら『バナビー・ペイター』百選なんかやりそうで怖いです。
となるとマッフル君とエリエス君は資料を見てから考える、と言ったんでしょうか?
冷静な判断ですが、あの急ぎっぷりを考えるとやはり今日中に決めてしまいたいのでしょう。
「まず天体観測はダメです。似た理由でリリーナ君の意見は全却下です。セロ君の発案はすぐ出来そうなものばかりで少し地味ですね」
「じ、じみ……っ」
セロ君が目を見開いて、崩れ落ちました。
慌てて抱き上げると暗い顔をしています。
「じみ、しってたのです……、セロはじみだって、じみっ子なのです」
思った以上にダメージを受けていました。
違うんです。そんな、セロ君を追い詰めるつもりはなかったんですよ。
「セロ君が地味とは一言も言ってません。この前、着ていた綺麗な服に負けてませんでしたよ? 天使みたいでした。ほら、はい、先生に笑顔を見せてくださいね」
「あの服がないとセロはじみじみなのです……っ」
本当に面倒くせぇですね年頃の娘は!
とりあえず落ち着くまで膝の上に乗せてあげました。
「セロ君は可愛いから大丈夫ですよ。さて、歓待は昼に行います。そして各クラスは持ち時間が定められているので、時間がかかるものは軒並みダメですね。まぁ内容如何では少しくらい時間を伸ばせると思いますが」
植林は論外。
弾弓はそもそも広大な設置場を作らないといけません。歩き回るだけで半日かかります。
狩りも同じで獲物が手に入るまでじっと我慢してないといけませんので却下です。
「うに~、リリーナだけ全部、ダメって言われたであります」
「エルフの文化を考えてのことでしょうが、もっとあると思いますよ。例えばエルフが持つ特殊な木々はどうです?」
「アレはマグルのものであります。リリーナたちは共存してるだけであります」
「それも文化なんですが……、入手はできそうですか」
「無理であります」
「展示すらできませんね」
そもそもマグル族がいないと何を植えていいのかわかりません。
更に言えば、どうやって育つのかもわかっていないと難しいでしょう。
むしろマグル族そのものが謎です。
「その流れで行くとリスリア王国の古今の武器防具の展覧なんてイイ感じだと思ったんですがね。エルフ文化と組み合わせれば興味深いですよ?」
「悪趣味ですわね」
「それはないであります」
ごくごく普通に却下されました。
あれ? 武器防具とか実物を置いて変遷を描いていけばそれなりに向こうも満足度が高いと思いますよ?
何故なら法国からすればリスリア王国の武器事情を知ることができ、しかしリスリア王国からすれば昔の武具なんてサープラス品以下ですから知られても困りませんし。
個人的に内紛以前の武器防具関係は気になります。
正確には【戦術級】術式師発足後からの変化、変遷ですね。
クソジジイに纏わる情報も入ってきそうで興味があります。
「セロ君はどう思います?」
「……かわいくないのです」
どこかで聞いたことがあるような拒否のされ方でした。
「先生はダメでありました。肝心なところでダメダメであります。使えねぇであります」
「そうですわね。繊細で高貴な文化を拳で語る先生に頼ったのが間違いでしたわね。役に立ちませんわね」
そこで異国人だから、という発想や言葉が出てこない分、リリーナ君がクラスに居る意味があるのかもしれませんね。
あとさりげなく言葉使いが悪い二人は頭から氷を落として、と、思ったら回避されました。
まるでオシオキの瞬間がわかっていたような動きでしたね。
「そう何度もオシオキされ――ぎゃん!?」
回避した直後、弱くしたリュー厶・フラムセンでクリスティーナ君の額を撃ってあげると吸い込まれるように当たりました。
一方、リリーナ君は額を手のひらで防ぎ、同時に防御結界を張っていました。
「やった……! やったであります! 先生のオシオキを全部、防いだでありま――」
そう言って両手をあげて喜んだ瞬間、リリーナ君は足をツルリと滑らせてお尻を打ちました。
「うにゃー!?」と悲鳴をあげてお尻をさする様子を見ると痛そうですね。
「教えておきましょうリリーナ君」
白属性の干渉を利用してリリーナ君の足元の摩擦力をゼロにしておきました。
「先生は初級なら十二発まで同時に発動できます」
初級に必要な最低術陣数は三つです。そして術韻を六つまで繋げられると考えると陣数を展開できる最大値は十八個までです。つまり、初級は同時六つまでしかできない計算ですが、それぞれの術陣で似た部分を連結すると構成次第では六つ以上、術式を同時発動できます。
順次発動と連結式の違いですね。
ようするに単発でちまちま術式を使う方法が順次発動。
全部ひっくるめて同時に使う手段を連結式です。
そして連結式に発動時間をズラす術陣を組みこんでおけば連射も可能です。
今回は【支配域】を広げ、氷の塊を落として避けるであろう動きを予測、その位置にリュー厶・フラムセンを撃ち、それでも防がれた場合は白の術式で足元の摩擦をゼロにしました。
今明かされる無駄に技術力を行使したオシオキ手段です。
もっともサートール方式だとこれ以上に組立の範囲が広がり、結果、保有最大数が増えます。
「……十二発も防げるわけありませんわ」
「しかし、着々と防げるようになっていますし卒業までには全部、防いで見せて欲しいですね」
「どれだけドSですの!」
額を押さえながら涙目のクリスティーナ君。
しかしですね、さっきのリュー厶・フラムセンも指先くらいの厚さの木板に撃てば貫通する威力ですよ?
一般兵に撃てば青痣になる程度ですが、クリスティーナ君の額は赤くなっているだけで済んでいます。
一般兵以上の抗術式力を身につけているんですよ。
内源素操作を身につければ、この程度なら弾き返せますね。
こうなると本気で内源素操作を教えたくなります。
問題は学習要綱に内源素操作は含まれていない、ということですが今更ですね。
しかし、三人は良いとしてセロ君とエリエス君の抗術式力の差をどう埋めましょうか?
着々と差が生まれています。
流石にこれ以上の差は後に響きますしセロ君とエリエス君は正規の手段で鍛えてみましょうか。
「さて、オシオキも済んだところで先生から案があります」
「……これ以上、何をオシオキするつもりですの」
警戒するように身体を抱いて後ろを見せないでください。
「学園祭の催し物ですよ。初期案を聞いた時からずっと思っていたことがありましてね」
「なら最初から言えばいいではありませんの!」
「君たちがその答えに辿りつくまで待っていたのですが、あまり時間もありません」
しかし、答えだけを言っても生徒たちのためになりません。
「問題です。舞踊であり、術式と術式具を使い、絵本のような物語であり、木を植えるだけではなく世界すらも作り、それら全てを観せて売る仕事とはなんでしょう?」
それは一種の文化の総集みたいなものです。
歴史があり、古くは宗教儀式、民間の神事、秘された祭事から発展し、より高度に洗練された文化的手段でもあります。
ある種、人の営み、その根幹の一部でもありますね。
「……もしかしてそれは」
一番、その手に詳しいクリスティーナ君はすぐにピンと来たようです。
「舞踏劇ですの?」
「演劇なのですっ」
驚いたことに膝の上のセロ君まで答えを当ててきました。
そういえばセロ君は絵本を好んでいましたね。
アレも一種の演劇と絵画技術の組み合わせから生まれた文化芸術とも言えます。
ようするに根幹が同じなんですよね。
セロ君も独自の思考から答えを出せるようになってきましたね。
「そんなの出来るはずがありませんわ! 練習時間も舞台の組立も! 音楽は誰がやるのですの!」
「出来るか出来ないかを簡単に決めてはいけません」
クリスティーナ君はそろそろ気づいてもいいと思いますよ。
君は徐々に周囲をまとめる力がついてきていることに。
クラス会議の音頭やリリーナ君への私刑の時、誰よりも先に前に出て、全員の意見をまとめた時のようにリーダーとしての資質が培われてきています。
もっとも同じように違う形でリーダーとしての資質が培われている子もいますがね。
「本当にやれるかどうかを話し合いなさい。君は一人ではないはずです」
これはクリスティーナ君だけに言った言葉ではなく、リリーナ君にも伝えたい言葉です。
セロ君を下ろして、三人を並ばせました。
「知っていると思いますがマッフル君とエリエス君は【大図書館】にいます。行って、皆で考えてきなさい」
クリスティーナ君は難しい顔をして、そのまま職員室から出て行きました。
その後に続くセロ君。
「リリーナ君」
リリーナ君も行こうとして、少し呼び止めました。
「演劇の中にはエルフの話もあります。それは君の種族の特性や根幹にも繋がるものでしょう。調べておいて損はありません」
「ん~、そのへんはあまり興味がないでありますよ?」
「機会があったらで良いですよ。もしかしたら面白い題材も見つかるかもしれません」
首を傾げ、鷹揚に頷いてリリーナ君も去っていきました。
ようやく設計図に取り掛かれますね。
「あの~、ヨシュアン先生はいますか?」
入れ替わりでヒョッコリと顔を出したのはティッド君でした。
少し扉の向こうを見て――あぁセロ君が通ったからつい見てしまったんですね――向き直ってトコトコとやってきました。
「どうかしましたか?」
「あの、相談なんですが……」
仕事が全然、進みません。
生徒たちにとっては一秒も無駄にしたくないのでしょうが自分にとっても同じです。
ただ自分の時間と生徒たちの時間の重さが同じでも優先されるのは生徒なんですよね。
身振り手振りでアレフレットクラスの催しを話すティッド君。
自分は理解し、的確に返事をしてやり、そして『後ろに並び始める生徒たち』の姿を見て、顔が引きつりそうになるのを自重しました。
ところで、今、ひっそりと思っていることがあります。
なんで自分はシャルティア先生に文化祭について話してしまったんでしょうね。
仕事が異常に増えただけに感じます。
こうして学園祭の準備は慌ただしく進み、水面下も水面上も授業すら巻きこんで当日まで続くのでした。




