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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第五章
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苦労性のじーさんや

 社宅に帰ってきてシャルティア先生とモフモフはお互い、湖面のような目で見つめ合い、しかし、自分がモフモフに帰宅の挨拶をすると突然、


「よろしく頼む」

『さもありなん』


 なんか会話し始めましたよ?


 まさかシャルティア先生はモフモフが喋れると知っているんでしょうか?


「シャルティア先生。さっきのは一体……」


 確かに【タクティクス・ブロンド】くらいの強さなら会話できますが、邪神って【タクティクス・ブロンド】級なんですか。

 内心、戦慄しながら聞くとシャルティア先生は片眉だけを上げて微妙な顔をしました。


「お前も挨拶しただろう。お前はどうしてかあの狼に一定以上の敬意を払っているように見えたからな。相当、賢いとも聞いていた。現に私の言葉を理解したような振る舞いをしたようにも見えた。面白い狼だ」


 どうやら推測しただけのようですね。

 それだけでも驚異の推理力です。

 ですが、シャルティア先生がやると本当にモフモフが【神話級】原生生物だとバレたのかと思います。


「そういえば狼は家畜を殺す悪神の手先とも言われるが、逆に悪質な獣を狩る守護の動物ともされていると聞いたことがあったな。旅神の連れ合いも狼だったはずだ」


 荷物を置きながらで良かったですよ。

 旅神と聞いて一瞬、手を止めてしまいましたから。


 それも自分の背中に隠れてシャルティア先生側から見えなかったのは幸いですね。


「悪神としての側面と守護動物としての両面を持ち、叡智や多産の象徴でもある。両面と言えばルーカンの神話では悪神だがヒュティパの神話では善神だ。面白い符号だな。案外、ちゃんと躾ければ赤子や子供を育てるのに向いている動物なのかもな」

「ですって。どう思います? モフモフ」


 あまり深刻な空気を出すとそこから真実を割り出されそうなので、逆におどけてみました。


 リリーナ君に弄ばれているモフモフは興味なさそうにスピッと鼻を鳴らすと『……ごはん』とだけ呟きました。

 興味ないんですね、そうですか。

 ちなみに施設長との話し合い中、ずっと不機嫌だったリリーナ君でしたが、モフモフの相手をすると徐々にいつもの緩い顔に戻っていました。


「そんなことより飯はまだか? 苦労性のじーさんや」

「今から支度するところですよ。尊大なばーさん」


 誰が苦労性ですか。

 いつの間にか椅子に座って足を組んでいるシャルティア先生は間違いなく尊大ですが。


「その前にリリーナ君。渡したいものがあります」

「うにー?」


 革鞄を渡すとモフモフから手を離して、両手で受け取りました。


「えろいものでありますか? あ、もしかしてリリーナの秘本でありますか!」

「違います。アレはちゃんと燃やしました」

「本当に燃やされたでありますか!? 人の物を勝手に燃やしてはダメだって先生も言ってたであります!」

「事情と状況によります。特に授業と関係ない物を持ってきた子には通用しません」


 実際、没収しただけで燃やしてはいません。見たいとも思いませんし、扱いに困っています。


 それでも嘘をついた理由は時々、リリーナ君が家探しするからですね。

 まだ諦めていないようでリリーナ君がいる時に自分が二階に上がったりすると下の階でゴソゴソする気配がします。


 モフモフも見ているので言い逃れできませんね。

 問題はモフモフの言葉は【タクティクス・ブロンド】くらい強くないと聞こえないことです。


 ともあれ、いちいち家探しされても困ります。

 燃やされたことにして卒業の時にでも返してあげようと考えています。


 そんな先生の親切心も知らず、リリーナ君の耳がピンと張って毛が逆立っていました。


「代わりと言ってはなんですが、それをあげます」

「……むぅ。そうやって物で釣ろうとするであります」


 ちょっと怒りながらも手渡された鞄には興味があるのか色々と触り始め、やがて、きょとんとした顔をしました。


「これは先生が湖でえろい絵を描いていた時のヤツであります」


 捏造してんじゃありません。

 シャルティア先生もいるのですから発言には気をつけなさい。


「澄ました顔をしていてもやはり男だな」

「違います。ただの風景画ですよ」

「気にしていないさ。健全で良いことだぞ」


 喉元で引き吊ったような笑いからからかわれていることくらいわかっていますが、問題は誤解か嘘か判断つきづらいところですね。

 シャルティア先生は放っておいて小さなキャンバスもあげました。


 木枠ですね。中身が空洞で四方の枠しかないものです。


「木なんかもらっても困るであります」

「リリーナ君は絵の作り方を知っていますか?」


 描き方ではなく、作り方です。

 思ったとおりリリーナ君は自分の言葉に目をパチパチさせています。


 簡単な絵なら適当な机に紙でも広げて、そこに描けばいいでしょう。

 劣化や保存を考えなければ、ですが。

 もっぱら自分はそうしたことを考えていないので適当に描いていますが、これは授業です。


 ちゃんとしたことを教えましょう。


「絵を描くという工程は全体の一部でしかありません。もっとも重要なことでもありますが、それ以外にも知らねばならないことがあります。それが素材を選ぶということです」


 絵は個人的な技術でありながら学問のように体系化されています。

 それだけ工程や表現手法が複雑化しているんですね。


 ただ紙を広げて描くだけと美術、芸術としての絵画は一線を画す、というべきでしょうか。


「まず紙について説明しないといけませんね。君たちが術学の課題や暦学で触れている本などに使われている羊皮紙。扱いは知っていますね」

「凸凹している面を表にして使うでありますよね」

「正解です。しかし絵画を作ろうとするのならソレだけでは不十分です」


 羊皮紙はパルプ紙に比べると両面で性質がかなり違います。

 元は羊の皮ですので皮膚側と肉側の両面があるわけです。

 皮膚側はツルツルしていますが手触りは硬く、綺麗に見えます。

 逆に肉側は若干、凸凹していて手に引っかかるような柔らかさがあります。


 保存などを目的とした資料や本は肉側ですね。

 インクを馴染ませやすいのが肉側なので、自分たち教師はおろか生徒たちも肉側を表にして使います。


「では反対の皮膚側を使った時ですが、何度か誤って皮膚側を使ったことがありますね?」


 リリーナ君はだんだんと興味を持ち始めたのかちゃんと床に座り、木枠を弄っています。


「インクがよく伸びるであります。手が真っ黒になったり、袖についたりするとクリクリが微妙な顔で見てるであります」


 『また間違えていますわね』と微妙な顔で見ているクリスティーナ君の顔が目に浮かびます。


「皮膚側はインクも絵の具も染みづらいですからね。描くというよりも乗せる、という感覚が近いと思います。ただ染みこまない分だけ顔料やインク、そのものの色が出る、と言うとわかりますか」

「なんとなくであります」


 ようするに彩色が良くなります。

 こちら側でもインクは使えるので、ちゃんとインクを乾かすための砂や温風を使えば問題なく使えます。


「では、この二つの特性をどのように使い分けるかですが、鮮やかなものを描きたい場合は皮膚側。素早く乾かし、長持ちさせたい場合は肉側を使います。まぁ、面倒な場合は値段は高いですが錬成師が作る紙を用いてください。こちらも取り扱いが違いますが、これは後にしましょう」


 高圧で高温を可能にした術式型蒸解釜を持つ工房は少ないですが、大きな街のちゃんとした工房なら扱っていますからね。

 手に入りづらいのもありますが流通もしています。


 学園では一部、パルプ紙を使用しているものもあります。


「このあと、表面を研磨剤で磨き、描き方を工夫したり、わざと荒くして毛羽立ったような絵にするなどの手段もありますが、表現のために使われる手法です。詳しく聞きたくなったら教えましょう。次は木枠に貼りつける方法ですが……」


 自分も授業の時のように仕事意識が顔を出してきましたが、シャルティア先生とモフモフがじっと見ていたので一度、意識を奥に沈めました。

 えぇ、その目の意味は理解していますよ。


 早くご飯を作ればいいんでしょう?


「話はご飯の後にしましょう」

「わかったであります」


 そう言いながらもリリーナ君は木枠や鞄の中身を眺めたりして、落ち着きがなさそうです。


 おそらく自分なりに画材や顔料の特性を把握するでしょうが、それまでは触れ合い、馴染ませる時間も必要でしょう。


 食材籠を覗きこむと今日は色々と入っていますね。

 食材は鶏肉としわくちゃの紙のようなキノコ――これはなんでしょう? マイタケみたいに使えばいいのでしょうか。妙に色が白いんですが。


「シャルティア先生。このキノコがどんなものか知っていますか?」

「アジシロタケだな。香りこそ少ないが弾力があって、味をよく含む。この時期は森の奥で見られるそうだ」


 だとすると白マイタケと同じ扱いでいいですね。

 あとはリンゴに数種類の山菜と野菜、血抜きされた鮎、いつものパンです。

 こう並べていくとなんとなく揚げ物のイメージがあります。

 そうですね。揚げ物をメインにして鶏肉はパスタのソースに使い、鮎は単純に焼きましょうか。


 心配なのは鶏油の量と質ですが、ムニエルのように使えば大丈夫でしょう。

 できればちゃんとした油を使いたいのですが、一般家庭で使う油といえば鶏油なので仕方ありません。


 居酒屋みたいなメニューですし、パンよりパスタの方が並びはいいでしょう。


 そうと決まればパンの表面を砕き、砂のように目を細かくしてから玉子の卵黄を取り出し、醤油を混ぜて衣の準備にします。

 山菜は洗うだけでいいでしょう。灰汁の強いものは見られませんし。

 山菜と白マイタケを卵黄と絡めてパン粉を塗し、熱した鶏油に浸すとジュッと音がした後、ジワジワと弾ける音が続きます。


 フライパンでやっているのでひっくり返さないと熱の通りが悪そうですね。


 パスタは同時に湯通ししてます。

 鮎も同じように網に置いて焼いていますし、次はパスタのソースですね。

 ですが鶏肉を茹でたいのに竈が足りません。


 仕方ないので木桶の水を使いましょう。

 木桶の底に小さな木板を置いてから鶏肉を適当に刻み、放りこんだら――リリーナ君が一番、近いですね。


「リリーナ君。そこの棚に鉄球が入っていると思います。取ってもらってもいいですか」

「いま、リリーナは忙しいであります」

「リリーナ君にはリンゴを切ってあげましょう」

「取ってくるであります」


 リリーナ君は這いながら棚を開いて、紋様の入った鉄球を見つけ出し、立ち上がって自分の隣までやってきました。


「術式具でありますか?」

「えぇ。わざわざ焼石を作るのも面倒ですし、いっそのこと作りました」


 鉄を熱するためだけの簡単な術式具ですが、用途は主にお風呂と今みたいに竈が足りない時くらいですね。


 調理を続けているとリリーナ君が摘もうとしたので手を叩き、阻止します。

 ですが、あっさりと引いても調理台前から去らないところを見ると何か話があるようですね。


「何ですか? リリーナ君」

「先生はリリーナに絵を描かせたいでありますか?」

「いいえ。実はあんまりその気はありません」

「なら、どうして絵の具をくれたでありますか」

「画材道具は高い上に消耗品なんですよね。お金がかかるんですよ。だから授業をすることがあっても学園側から負担するわけにもいかず、絵の具がなくなれば基本、君が負担することになります。学園は絵を描かせるにしても不便な場所ですしね」


 こればかりは強要しても意味がありません。

 自主訓練と同じように己の意思で何かを見つけないといけません。


 クリスティーナ君やマッフル君が持った目的意識。

 エリエス君もまた同じように目的意識が芽生えてきています。

 もしかしたらセロ君もあるのかもしれませんね。話は聞いていませんが自主訓練に参加している様子と術式の使い方を見ると、何か目的みたいなものが垣間見えます。


 他の子よりも遅くてもいいんです。

 異質であろうともリリーナ君も目的意識を持てば、少なくとも疎外感を気にする必要はなくなります。

 そうこうしている内に他の子たちがリリーナ君に追いついてくるでしょう。


 そうなれば浮きこぼれもなくなります。

 根本的な解決にならなくとも、今のリリーナ君を寂しい気持ちから守ってやれるのなら十分な解決策でしょう。


「使いさしですが全色揃っています。しばらくはなくなりません。その画材が使い物にならなくなるまで君は絵を描く環境に居られます。自主訓練を眺めているだけなら、いっそ自分のことに時間を使ってみたらどうです? 術式ランプの装飾や意匠を考える設計図にもなるでしょうし、手遊びでやってみても良いでしょう。できたらリリーナ君の絵を見てみたいという気持ちもあります」

「……ふぅん、であります」


 気のない返事のまま、さっさとモフモフの隣まで歩いていきました。

 それでもなんとなく革鞄や木枠を見ているところを見ると、興味自体はあるのでしょう。

 ただ目的意識が薄いので、取り掛かる糸口が見つけられずにいる。そんな様子に見えます。


 妹の時は構ってやるくらいしかできませんでした。

 結局、どんな形であれ当人で気持ちを片付けないと『落ちこぼれ』も『浮きこぼれ』も前に進めません。


 リーングラードにいる間は付き合ってられるのですから。


 食事を出し、リリーナ君が食べ終わったらモフモフの付き添いで帰っていきました。

 ちゃんと革鞄の木枠を持って帰ったところを見ると、やっぱりどうしようか迷っているのでしょうね。

 一方、シャルティア先生はワイン片手にテーブルを陣取り、つまみ代わりに出したチーズを食べていました。


 リリーナ君と一緒に帰っていかないところを見ると、どうやら話があるようです。


「この揚げ物は中々斬新な味だったが、油がきついな。ワインに合わせようと思ったら、もう少し後味のいい油にすべきだな」

「同感ですね。とはいえ鶏油しかありません。リューミンたちなら変わった油を持ってそうですが」


 自分は食器を洗いながら、シャルティア先生と会話を続けていました。

 片付け終われば常備の紅茶を淹れて、シャルティア先生の対面に座りました。


「そろそろコーヒーが飲みたくなる時期です」

「む? また妙な名前が出てきたな」

「南部の豆を焙煎して淹れる飲み物です。王都だとそろそろ出回る時期なんですが、こっちだともう少しかかりそうですね」

「南部の豆……、フミントウか。苦いだけだが料理上手な者が時々、使うという」


 焙煎は時間こそかかりますが簡単ですし、参礼日にやれば十分、冬の間は保つでしょう。


「さて。あまり夜遅くまで付き合わせるわけにもいきません。シャルティア先生から見て今のリリーナ君はどう映りましたか?」

「あまりよろしくないな」


 なんとなく、その言葉が返ってくると思っていました。


タイトルを少し変えました

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