でも、けじめって大事だし!
参礼日の昼下がりに自分は北の湖まで足を運んでいました。
こうして落ち着いた気分で見ると森の色も小麦色が目立ち始めてきましたね。
生徒会の依頼にもキノコの採取がチラチラと見られるようになりました。
空も心なしか遠く、天上大陸もよく見えるような気がします。
季節もようやく秋に変わろうとしているのでしょう。
まだ日中は暖かいですが朝晩と肌寒く感じることが多くなりましたね。
そろそろ毛布を買って、暖炉のための薪を貯めておく等の冬備えの季節です。
リーングラードは秋が少し長く、その分、様々な秋の味覚を楽しめるそうなのですがどうでしょうね。
自走するキノコとか刃より鋭い紅葉が落ちてきたら、一帯全てを焼き払う自信があります。
ありそうであるのがリーングラードです。ないと信じさせてください。
そして、学園に来てもう五ヶ月が過ぎました。
今月を超えたら半年――そう考えると感慨深く、道のりはまだ折り返し手前に辿りついただけです。
とはいえ第二試練も三ヶ月先、気持ち的にまだ余裕があります。
羽ペンを立てながら、つらつらと考えていると頭上の枝の影がかすかに揺れました。
どうやら大きな猫がやってきたようです。
「先生、何をしてるでありますか?」
猫の名前はリリーナ君です。
最近、無音走行まで覚えて気配が掴みづらくなってきましたね。
それでも、まだ影まで気が回らないのか未熟な部分を残しています。
「見ての通りですよ」
「目が悪くなったのならメガネを変えたらいいと思うであります」
「絵を描いてるようにしか見えないでしょうに」
「絵を描いてどうするでありますか?」
「少し難しい質問ですね。ですが、その前に」
だらーん、と逆さまで顔を覗いてくるリリーナ君を掴み、引きずり落としました。我が学園に怪奇・逆さ女はいりません。
ちゃんと術式のエアクッションで怪我しないように配慮しておくのもポイントです。しかし、簡単に身体をひねって足で着地しましたね。
さすがは最近、体育で他の追随を許さない子です。
「話す時はちゃんと地面にいましょう」
「先生は息をするように鬼畜であります」
そう思うなら、気配を消して驚かそうとしないことです。枝に乗っているのもそうです。
そういえばリリーナ君は高いところを好みますね。猫みたいにだらりと脱力して、ナマケモノのごとくぶら下がっていることがあります。
どうしてでしょうね。
エルフに高いところが好き、なんて吃驚な癖はなかったはずです。
煮ても焼いても謎だらけな子です。
「先の質問ですが、正確には絵を描いているわけではなく、忘れないように記録しているだけです」
「若いのにおじいちゃんみたいなことを言うのであります」
「ははは、グーでぶちますよ?」
というか、ぶちました。
もっとも拳骨の先でノックするような気安さと緩さで、です。
教養的にはアウトでしたが休日まで強く言うつもりはありません。
何事もバランスです。
どちらかに傾きすぎれば痛い目を見ます。
特にクリスティーナ君とマッフル君とリリーナ君は悪ノリがすぎるので毎日、痛い目を見ていますね。
今、自分は北の湖の絵を描いている途中です。
木の根元に座り、木の板に羊皮紙を伸ばし張りつけ、顔料を入れた浅い乳鉢をいくつも並べています。
リリーナ君はどうやら広げている顔料に興味があるのか、しげしげと見ています。
「先生がおじいちゃんになったら、ガミガミうるさそうであります」
「目の前で言いたい放題ですね。残念ながら長生きする予定はありません」
「どうしてでありますか?」
「逆に質問しましょう。先生が長生きできると思いますか」
「ん~、街中を歩いてたら昔の女にばったり出会って刺されそうであります」
的確ではありませんが、違いありません。
別に女癖が悪いからではありません。怨みつらみ関係ですね。
あと顔料を舐めようとしたので頭を叩きました。
「顔料の材料は毒が多いから気をつけてくださいね」
「匂いは変だけど、おいしそうな色でありますよ?」
青の顔料を手に持って何故、そんな感想を抱けるのでしょうね。
しかし、毒と知るとそれ以上は触らなくなりました。
錬成の授業で毒物の取り扱いを教わっている成果ですね。
つまり、自信がないなら触るな、です。
「先生は~、えろすけべ~な絵描きさん~、三日に一回女の裸を描いてる~、であります」
「黄、緑、青、白、どのオシオキがいいですか?」
言ったらすぐに歌を止めました。
オシオキが怖いのなら名誉毀損も青ざめるような歌を歌わないでください。
そういえばリリーナ君は時々、姿を隠しますが何をやってるんでしょうね。
あまり深く突っこんでこなかったのですがちょうどいい機会です。
「リリーナ君は時々、森に入っているようですが何をしているんですか?」
「ん~、今日は鬼ごっこであります」
意味不明な解答が帰ってきました。
これは答えるつもりがない、と取るべきでしょうか。
リリーナ君にも言いづらいこともあるのでしょう。ここは生徒の気持ちを汲んで深く聞かないでおきましょう。
当の本人はキャンパスを覗きこんだり、絵筆の刷毛を触って楽しんだりした後は飽きたのか自分の膝に頭を乗せて寝転んでしまいました。
自由なのは結構ですが、人が動けないのを良いことにやりたい放題ですね。
「絵なんて描いて楽しいでありますか?」
「楽しいからやるわけではありません。落ち着くからやっているだけです。それにリリーナ君も術式ランプの意匠をしているでしょう?」
「うぃ~、マフマフがお金を数えてニヤニヤしてたであります」
「是非、部屋でやるように勧めてあげなさい。ところで意匠というのはどこから生まれてくるか知っていますか?」
「気分であります」
「先生が意匠するものは全て自然から着想を得ています」
リリーナ君が身動きしなくなったので羽ペンで下書きしていきます。
インクが乾いたら、顔料の粉と水と混ぜて、これまた適当に塗っていきます。
「君は気分で意匠を考えているかもしれませんが、それは君の心の中に何かを見た気持ちが残っていて、無意識の内に形を汲みとっているに過ぎません」
「ん~、リリーナも先生みたいにしたほうがいいでありますか?」
「いいえ。君がしたいと思ったこと、感じたことを優先しなさい」
「むぅ? であります」
曖昧なことを言われて、ちょっと混乱してしまったようです。
もっと分かりやすく教えてやれたらいいんですが、自分も美術は専門外です。
こうして趣味程度の技術はありますが人に教えられるほどではありません。
この絵も実際に見た物と比べれば、木の本数や湖の大きさも適当だとわかるでしょう。
しかし、それでいいんです。
元より絵は正確に書く必要はありませんし、どうせ人に売る物でもないので問題ありません。
「職人の立場から言わせてもらうと意匠を凝ることはあまりありませんね。大抵、客から注文がつくんですよ。術式ランプなら持ちやすいようにして欲しい、もっと明るくして欲しいなどとね。一番、近しい依頼と言えば動物や家の紋章を彫って欲しい、くらいでしょうか。刻術武器なら切れ味が増す『斬撃強化』、硬度を高める『剛性強化』の術陣を刻む程度、意匠が気に入っているからなるべく目立たないようにしてくれ、なんていうのもありました。注文通り作れたら創作性や独創性はあまり気にならない人も多いですね。女性客は少し凝った部分を作ってあげると喜んでくれますが」
「ん~? どうして強くなるでありますか?」
リリーナ君は気分で言葉を使いますから、ときどき主語が抜けますね。
この場合、刻術技術について聞いているのは間違いありません。
「……原理的には刀身を源素で覆うんですよ。『斬撃強化』一つ取ってみても、赤の源素なら熱して斬る。緑の源素なら剣速を鋭くする、ですね。切断力そのものを強化する場合は黒の源素を使います。付与の術式は教えましたね。原理はアレと同じです」
「リリーナの双剣みたいであります」
リリーナ君が忘れてきた宿題の術式ですね。
アレは発想の勝利です。近接術式に付与術式を組みこむことで切断力しかない風圧の刃に反発力が加わり、剣のように受けたり弾いたりできます。
その反発力を利用して、刀身を伸ばし鞭のようにする発想は中々出てきません。
「アレは問題点も多いですよ。まず術韻のリュー厶・ブレドでは無駄があります。リュー厶・レイブレドが一番、安定します。ザルムの術韻のために付与のレイを無詠唱に組みこんだのでしょうが、形状変化は別の陣を使うか付与の術陣に変化の術陣を加えてみるといいでしょう。でないと敵の攻撃を弾く直前に付与の術陣を発動させないと逆に斬られますからね。常に反発力を加えて、とっさの時に備えにしておくこと。他にも鉄器しか弾けないので木や石で作られた武器には通用しません。硬度を考えると足を引っ掛ける程度ですかね。最後に多節機構剣の扱いを知っていますか?」
きょとん、としないの。
この表情を見ると知らずに使ったことがありますね。
「正直に言いましょう。多節機構剣――蛇腹剣や鞭剣と呼ばれるものですが、アレは対処が簡単です」
あんなものを持って自分の前にノコノコと現れたら殺してくれと言っているようなものです。
単純に相性的な問題で、例えそれが多節機構剣の達人であっても自分にとっては同じことです。
警戒すべきは『剣の変化をどう隠して使ってくるか』だけですね。
何かの武器と併用すれば危険度は跳ね上がるでしょうが、それなら別に多節機構剣にこだわる必要もありません。
そういえば稀に多節機構剣を作ってくれと言われます。
多節機構剣の構造は刻術技術で補佐してようやく使える武器ですから、鍛冶屋より先に術式具元師を訪ねるのですがこれがまた面倒です。
刀剣としての切断力はともかく、ワイヤーによる巻き取り機構が重たく、相手に巻きつかせようと思うなら可動域を大きく取る必要に迫られ、弱点になるワイヤー部分を大きく露出するハメになります。
一応、おすすめしないとだけ言ってから作りますが、多節機構剣を売った彼は一体、その後、どうなったんでしょうね。
その日以降、彼の姿を見ていないのでわかりません。
「術式で作った多節機構剣という部分を一番、評価しました。何せ多節機構剣の弱点をほとんど補完してしまったのですから」
重さが無く、切れ味があり、術式師のタイミングで何時でも刀身を自由に変化できて、なおかつ元に戻すのに技術がいらない。
弱点と言えば術式としての弱点しかありません。
「先生が言った弱点をうまく補強できれば、リリーナ君の双剣術式はもっと使えるようになれます。保証しましょう。ですが今の術式のままであまり使わない方がいいですね」
「ん~、あれでも十分だと思うであります」
おや? 妙ですね。
リリーナ君は面倒くさがりで自由奔放ですが、向学意欲もあって言えばちゃんと素直に対処する部分がありました。
それがまるで『これ以上、強くなりたくない』というようにも取れる反応を返してくるとは予想外でした。
「体験してもらうのが一番ですね。リリーナ君、双剣を出してみなさい」
「うに~、であります」
寝転びながら空に手をかざすリリーナ君。
その手からリュー厶・ブレドの刃が飛び出してきます。
しかし、リリーナ君の顔には面倒くさいという表情が張りついていました。
「まぁ、見てなさい。ウル・プリム」
電撃を風の刃にぶつけると、お互いの術式が絡み合って壊れ、波動を撒き散らしました。
「およ?」
あまりにもあっさりと術式が壊れてしまったのでリリーナ君も驚いていました。
「このように初級術式で簡単に壊してしまえます。君たちに教えた範囲で使った術式です。一番最初にやったと思いますが、反発する属性同士は打ち消し合います」
「黄属性も使ったでありますよ?」
「だからですよ。同じ属性同士の衝突は?」
「源素の量と威力が高い方が勝つ、であります」
よし。基本をちゃんと覚えていますね。
半年も頑張って基礎中の基礎ができてなかったら泣けてきます。
自由奔放なリリーナ君の中にもちゃんと教育が積み重なっているのを感じます。
これが五ヶ月の成果だと思うと、そうですね。
「悪くない解答です」
何故かブスッとしているリリーナ君の額を撫でてやりました。
「むぅ、納得できないであります。ちゃんと考えて、ちゃんと作ったのに簡単にやられすぎであります」
「術式師にとって陣構成を知られるということは、対処法を知られると同じだと言ったことがありますね。さっきのがその答えです。先生はリリーナ君の術式の陣構成を知っていたので簡単に打ち破れたのです」
「ずーるーいーでありますー!」
膝に頭を乗せたままで暴れないでください。
絵筆についた絵の具がこぼれます。
「君はまだ未熟だということです。たった五ヶ月、されど五ヶ月です。学ぶことはまだまだあり、強くなる余地はたくさんあります」
「……むぅ、であります」
やはり、眉を潜めて乗り気を見せないですね。
先月までこの手の会話に何の反応も示さなかったのに何故でしょうか。
先月と今月の間に一体……、と考えて、ふと思い当たりました。
遺跡事件ですね。
あの時の内容はある程度、聞いていますがその時に聞いていない話があったのでしょうか。
しかし、すでに片付いた話を再び切り出すのも難しいですね。
調査の名目でもう一度、生徒たちから話を聞きましょうか。
幸い、壊れた遺跡は何度か調査しなければなりません。原因が分かりきっていても周囲が黙っていませんからね。
学園側が提示する証拠が正しいという説得力のために、調査で確たる証拠を示さなければなりません。
それ以上の思考は飛び起きたリリーナ君のせいで妨げられてしまいました。
「先生、あげるであります!」
ポイっと投げられた白い布の塊。
二枚の布をくちゃくちゃに丸めたせいでこんがらがっています。
「先生なんか女に刺されてればいいであります」
それを受け取ったと見るとリリーナ君は木へと飛び上がって去っていきました。
去り際に舌を出して、あっかんべーしていましたが困りましたね。
「他の子とは違う次元で難しい子ですね……」
クリスティーナ君は矜持や生まれの重さから壁を作っていました。
マッフル君は信じたことが他人からは信じられないことを知りました。
セロ君はその気弱さや優しさから己の弱さを知り、エリエス君は心を知らないが故に過ちを犯しました。
リリーナ君は他の生徒に比べ、己が出来上がっています。
アイデンティティをちゃんと認識し、わかっていて奔放に振舞っています。
無自覚ではない、ということは『悩みを自覚して隠す』ことができるということです。
心を計る天秤なんてあれば、教職もずいぶん楽になると思うんですけどね。
残念ながら、そんな術式具は作れそうにありません。
ドタドタとした荒れた気配に顔をあげると、遠くから息を乱したクリスティーナ君とマッフル君が走ってきていました。
あの二人、何故か剣を持っています。
まったく、授業と生徒会以外に真剣を持ち出すなと言ったのに。
「先生! こっちにリリーナ来なかった!?」
「あのおバカ! 私たちのした――」
妙に殺気立ったクリスティーナ君とマッフル君は自分を見て、ピタリと固まりました。
「クリスティーナ君。マッフル君。最近、頑張っているのは知っていますが、真剣で訓練をするなとあれほど言っておいたと思いますよ。それとも今回は決闘ですか? どちらにしても――」
手遊びにリリーナ君からもらった布を弄んでいると、二人の視線が自分の手元にあることに気づきました。
「あ、あわわ、あわわ!? わた! し、した!!」
「あー……、先生ってやっぱり、そういう趣味だったわけ」
クリスティーナ君は真っ赤な顔でワナワナと震え、マッフル君は何かを悟ったようにうんうんと頷いていました。
しかし、妙にきめ細かい肌触りの布ですね。
上質の絹を使えば――ん?
「わわわ私の下着を! 返してくださいまし!!」
「でも、けじめって大事だし! ぶっ殺す!!」
この手にある布が二人の下着だと気づいたと同時に、クリスティーナ君とマッフル君が飛びかかってきました。
なるほど、全てを理解しましたあの謎生命体め。
二人には悪いですが、誤解を解くついでにオシオキしておきましょう。
自分は早とちりな生徒二人を迎撃するために拳を握りました。




