虎と鳶とまだ何者にもなれない卵
少年――ユリウドがソレを見つけた時、照りつける太陽の暑さすら忘れて思わず舌打ちしそうになった。
「どうしてこんな時に……!」
何かが悪いわけではない。
時々、巡り合わせというものがあり、それは時と場合を選ばない。
ただ、それだけのことだ。
例えば場所。
ここは南東部の領地の片隅にある小さな村の近くだ。
少し大きな町に行くためには必ず通らなければならない山林の通商路で、ましてや、明らかに十歳くらいの少年が山中を往くために布を鞄やナイフを持っていれば、大人でなくとも訝るだろう。
子供一人が通商路を往くにはあまりに長旅すぎる。
良識のある大人なら、まず保護も視野に考えて話しかけてしまうだろう。
しかし、残念ながらその大人――褐色の肌をした男は木を背に、力なく手足を放り出していた。
その男は座っていてもわかるくらいに長身で筋肉質な身体をしていて、どう見ても堅気の人間ではない。荒れた髪を乱暴に後ろでくくり、精悍な顔立ちからおそらく冒険者か何かだろう。三十代くらいなら、そう珍しいものではない。
冒険者にしては軽装だが、そういう者もいるのだろうと経験のないユリウドは思う。
ぴったりと手先から腕の根元、そこから背中、腹へと蛇のように巻きつく衣装を身にまとい、腰には一枚布をくくりつけている。
陽の光にあたって薄く光沢のある不思議な材質の衣装も、何度も何度も着続けているせいかやけにくたびれていて、お世辞にも良いもののように見えない。
全体的にエキゾチックすぎてリスリア人とは思えない。
異国人の冒険者の、行き倒れ。
ユリウドでなくとも少し躊躇いそうな風体だ。
「……行き倒れ、か」
ユリウドは少しだけ思案し、キョロキョロと周囲を見渡した。
罪悪感はなかったが『ヤツら』に見つかってもまずい。警戒は必要だ。
何よりもこれからのことを考えて、少しは金があった方がいい。
「恨むなら、こんなところで死んでる自分を恨んでくれよ」
時間がないので衣装までは剥げないだろうが、財布くらいなら盗れる。
そう考え、ユリウドはそっと男の懐に忍び寄っていく。
なんとなく死体に触るのが怖くて、そっと手を伸ばすと――
「――ッ!?」
――声にならない悲鳴をあげてしまった。
死んでいると思った男がユリウドの細腕をガチリと掴んだからだ。
男は行き倒れではなく寝ていただけと気づき、ユリウドは心底、焦る。
早く逃げないと、そう思って懸命に腕を振るがまったく振りほどけない。
もしも男が危険人物だったとしたらユリウドの身は保証できない。
ユリウドには思いつかないが、特殊な性癖を持つ人間もいないわけではない。
「ちくしょう! 離せ離せ! オレはまだ何にもしてないからな!」
男の口元が小さく開く。
ユリウドが喚いているせいで一度目は聞こえなかったが、静かにするとボソボソと聞こえてくる。
「……な、なんだよ」
冷静になって見れば男の姿は弱々しい。
腕だけは妙に力強いが、それも最後の力なのかもしれない。
恨み言か、それとも遺言か。
そんなことを聞いている場合ではないと分かっていても興味が湧いてくる。
「言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
虚勢を張りながら、恐る恐る口元に耳を近づける。
そうでもしないと怖気づきそうというのもあるが、何より、そんな怯えを相手に知られると恥ずかしい気がしてならないからだ。
「……飯ぃ、もっとらんか?」
その言葉がユリウドの頭に浸透するのに十秒はかかった。
なおも同じ台詞を言いながらもユリウドの腕を離さない。
つまり、何か食糧を渡さないと離さない、ということだろう。
「(……何なんだよ、このおっさん)」
ユリウドは『自らを取り巻く状況』すら忘れて、唖然としてしまった。
時に巡り合わせというものがあり、それは状況や場合を選ばない。
ただ、それだけだが――出会いが幸運か不運かはまた別の問題だ。
少なくともユリウドにとって、その男との出会いは色々と鮮烈だった。
※
「腹ぁ減ってなぁ……、ここ五日ほど食っとらんのじゃ!」
ユリウドにとって最後の食糧でもあったパンを男はバリバリと砕くように咀嚼し、これまたなけなしの水を飲み干してから言った言葉だった。
「馳走になったの! 小僧っ子よ!」
「……あっそ」
ユリウドは不機嫌に呟く。
これから大きな町へと長い道のりを歩かなければならないのに、男のせいで食糧が尽きてしまったのだ。
この疫病神ととっとと別れて、先に進もうと思ったが、ふと名案が閃く。
「なぁ、おっさん。冒険者か?」
大人に対して物怖じしないどころか舐めきった態度だったが、これは何も間違いではない。
相手は大人だ。
舐められないように精一杯、大きく見せなければならない。
身体を大きくするのには時間がかかるなら、何を大きく見せるか、となれば中身を大きく見せるしかない。
自分は大人相手でも怯えず、『話すに足る人物である』と相手に思わせなければならない。
これから交渉しようとしているのなら、なおのことだろう。
何度か来た道を見てから男を見る。
「感謝、感謝じゃ……ん? 冒険か……、ふぅむ。冒険らしい冒険なんぞしとらんの」
「もしかして、この先に行こうとしてるんじゃないか?」
「応。風の向くまま、気の向くまま、着の身着のまま、フラフラと旅しとるただのフーテンじゃからな!」
ユリウドの、呵々と笑う男への評価は下がる一方だ。
しかし、ユリウドには大人の手がいる。
それは道中だけならず目的地についた時、誰かを説得しようと思えば大人が味方であることは十分な説得力につながる。
悔しいが、それが大人と子供の差だ。
逆転、大人の力があれば、ユリウドの目的は果たされる。
「しっかし、どうしてこんなところに主ゃのような小僧っ子がおるよ。迷子かの」
「違う! オレは急がなきゃいけないところがあるんだけど……、おっさん、オレの飯を食ったよな」
「うむ。まずかったが……、うまかったぞ!」
ダメだ、この男。
しかし、だからこそいい。
「つまり、オレに恩があるってことだろ。だったら、今からオレと一緒に町に行ってくれよ。どうせフラフラしてるだけなら来た道を取って返しても困らないよな」
「用などありゃぁせん。が、どういうことか説明してくれんか?」
当然のような男の疑問に一瞬、答えられなかったのは言えないような理由のせいではない。
どう言えばいいかもわかっている。
「盗賊だよ。ずっと前にそいつらが村にやってきててさ」
「ほうほう」
「それまではまだ良かったんだよ。いや、良くないけど」
それは五年前から続く、ユリウドが住む村の問題でもあった。
どこかの傭兵崩れが盗賊になるのはこのご時勢、珍しい話ではない。
そして、酒場では騎士が盗賊を討伐する話など呆れるほど当たり前の話だ。
それも最近では徐々に減ってきているのだが、ユリウドの村に届く情報は遅く、今も盗賊が多く居て、騎士たちはその排除に精を出しているというものだ。
「あいつら、頭いいのかどうか知らないけど、ギリギリ、オレらが食べれるくらいの食糧だけ残して、何人か人質とって山に隠れてるんだよ」
派手に活動している盗賊ほど騎士たちに目をつけられやすい。
当然のようにクライヴたちはこうした有名な盗賊たちを討伐してきたが、中には先見の明を持つ盗賊もいる。
ユリウドの村を襲った盗賊は派手な稼ぎよりも細々と長続きする方法を選んだようで、討伐されない程度の事件か被害を完全に隠すかして生き延びてきた。
村に寄生するという手段は、その中でももっとも長期的に見ても良い手段だろう。
もっとも、見つからなければ、という但し書きがつく。
「そしたら、どーして騎士の輩に言わんのじゃ」
「言いに行ったよ! でも、言いに行った人は皆、その次の日に村の入口で殺されてるんだよ……」
盗賊たちの頭が良かった部分は、村にも利益を与えたことだ。
搾取するだけではなく、盗賊自らが通商路を仕切り、他の盗賊から村を守ると同時に『護衛という名目』で行商を守っていた。
もっともその護衛仕事は村人たちが騎士に駆けこまないための監視役でもあった。
こうして盗賊たちは二年の時間を堂々と搾取し続けてきたのだ。
すでに村人たちも諦めの色が濃い。
それがユリウドを憤らせる。
どうして父や母は彼らの搾取に甘んじているのか。
どうして村長や村の人々は貧しさを強要されているのに、諦めているのか。
ユリウドにとって、何もかもが理不尽だった。
盗賊という存在は村や人々を苦しめる理不尽であり、苦しめられることに甘んじている大人もまた理不尽だった。
どうしてユリウドは絵本の英雄みたく強くないのか。
どうして何もできないのか。
まんじりとしながらも、ただ真綿で首を絞め続けられる生活。
いつしか大人たちのようにユリウドもまた諦めてしまうのかと思うと、身体が震えてくる。
これらはまだマシだったのかもしれない。
理不尽であっても命の保証はされていたのだから。
「税の人が来るときはずっと隠れててさ、でも、ずっと監視してんだ。でも……」
終わりの見えないいつかは唐突に終わった。
「ヤツら、突然、皆に……」
月終わりになれば食糧を強請に来るはずの盗賊たちが突然、村を襲ってきたのだ。
誰もが盗賊たちの凶行に驚き戸惑いを隠せなかった。
彼らのルールを守れば危害を加えないと言われ続けてきたのに、いきなりの裏切りだ。
全てはあっという間の出来事だった。
簡素に作られた門はバリケードにすらならず、最初の家が焼かれた。
火に驚いて飛び出た村人を容赦なく、盗賊たちは刃こぼれした剣で斬っていく。
ユリウドはこの状況を予想していたわけではない。
ただ隙があれば町の騎士団に助けを求めるために町の位置を聞き、少ない食糧を溜めるためのバッグや水筒を用意し、狩人からナイフを譲ってもらったりして二年の時間をかけて、ゆっくりと少しずつ準備を揃えていた。
「ほうほう、そいつぁずいぶん唐突じゃの」
そして、混乱に乗じてユリウドは決断した。
今が助けを求める時期だとすぐに荷物を手に山に入った。
村人たちを見捨てる形になるが、必ず仇を討つために町へと赴き、村の現状を騎士たちに話すのだ。
決意し、まんまと逃げおおせたユリウドは峠のど真ん中で男と出会ったのだ。
ある意味ではツイていると言えるだろう。
無事に逃げられたこと、追撃がしばらくなかったこと、そして、期もせず大人の男に恩を売れた。
子供のユリウドが騎士たちに村のことを伝えても信じてもらえない可能性がある。
もしも信じさせるのに時間がかかれば、盗賊たちは騎士が村に到着するまでに逃げてしまう。
男が居れば信じさせる手間が省ける。
「それでじゃがの。盗賊というのは――」
さっきからユリウドの言葉をウンウンと首を振るだけだった男は、ゆっくりとユリウドの背後を指差す。
「――あぁいう輩のことか?」
森の梢に隠れて見えづらいが、通商路の奥――緩やかな下り坂の下で何かが動いている。
それが人であり、二人組だと気づいた時には頭が真っ白になった。
ついに盗賊がユリウドを追ってきたのだ。
もしかしたらありうると考え、急いでいたのに男と会話している間に追いつかれてしまったのだ。
「ヤバい! おっさんも逃げ……早くしろよ!」
「なんでじゃ」
「なんでもクソも殺されたいのかよ!」
慌てて逃げようとしたのに、男は何も感じていないようにゆっくりと立ち上がり、両腕を組んでいる。
腰の一枚布を掴み、必死で引きずろうとするが大木でも相手にしているかのようにビクともしない。
「いんや、んなこたぁ、どうでもええ」
男は盗賊なんていないかのように上からユリウドを見下ろす。
「主ゃ、悪くなかろうが。なんで堂々とせん」
「堂々としてたら殺されるだろ!?」
「違ぁわ。小僧が逃げとるのはの、力が足りんからでもそれが一番じゃからでもない」
こうしている間にも盗賊たちはこっちに向かってきているというのに、男はやはり動じていない。
いっそ男を見捨てるか、そう考えたが食糧分の働きを返してもらっていないのだ。
何より、やはり大人の力は必要だ。
男がユリウドを背負って歩くだけでもユリウドよりも距離を稼げるし、騎士への説得のためにはどうしても男に協力してもらうしかない。
「心の底で諦めとるからじゃ」
「そんなことどうでもいいだろ!」
あぁ、もうこの男を諦めよう。
そうして一枚布から手を離し、二、三歩、距離を取る。
そこでユリウドは気づいた。
男は一切、ユリウドから目を離していない。
まるで盗賊に殺されるよりも大事なことを教えようとさえしている。
「こいつらにゃ勝てん。勝てんからコソコソして逃げようとしとる。態度に出とるんじゃ。さっきからチラチラと道を見とったろ」
「何言ってんだ!? 子供が大人に勝てるわけないだろ!」
「おう。じゃから小僧は賢しいんじゃろうな。勝てんから勝つためにできる全部の手を使おうとしとる。えぇことじゃ」
ふと見た盗賊たちの距離は、さっきよりも随分、近い。
男を見ていいのか、盗賊たちを見ていいのか、どちらを見るべきか迷う。
「ワシはの。どうして正しいと思っとるはずの小僧がビクビクと怯えるように勝ちにいかにゃならんのか! そのことに腹ぁ立っとるんじゃ!」
「ワケわかんねー!? どうしても勝てないならビクビクしててでも逃げるだろ! 捕まったらおしまいなんだからさー!」
「シャキっとせい、つーことじゃ」
「なんか色々と言いたいことあるけど、あんた頭おかしいよ!」
近づいてきた盗賊たちは何も言わずに『まるで人形のように』剣を抜き放つ。
とうとう、追いつかれてしまった。
ユリウドは逃げようとして足をもつれさせ、腰を地面につけてしまう。
それでも逃げようとして、何度も踵で地面を削るが一向に進まない。
「(もう、おしまいだ……! こんな男に関わったから逃げられなかった!)」
殺されるしか、もう何もできない。
一体、何のために生まれたかわからない内にユリウドの人生は終わるのだろう。
「ほう……、ずいぶん血の匂いをさせとるなぁ主ゃどもよ」
出会いが幸運か不運であるか誰にもわからない。
何故なら、それは全てが終わった後に当事者が勝手に決めるもので、今現在の彼らが決められるものではないからだ。
だが、あえて言うのならユリウドにとってこの出会いは鮮烈であり、衝撃であり――幸運だった。
「――ッ!」
盗賊たちは声帯が壊れたのかと思うほどの絶叫を上げながら、男に向かって飛びかかっていく。
力任せの、獣のような剣の扱いではあったが左右から迫る剣は荒事に慣れた者にも躊躇する。
なのに男は平然と足を一歩進め、もう一歩で右の剣を避けると同時に手のひらで柄を叩き、もう片方の相手にも同じように反対の手のひらで叩く。
まるで剣をすり抜けるような動きだった。
たったそれだけで二振りの剣が宙に舞う。
盗賊たちは剣を持った格好のまま男の脇を通り抜けるだろうと思われた。
少なくとも自然の動きであるのなら慣性の導くまま、そうであったろう。
しかし、結果は違った。
男が通り過ぎた瞬間、盗賊たちの身体が左右に向かって地面と並行に吹き飛んでしまったからだ。
勢いを落とすことなく適当な木に『ぐちゃり』と叩きつけられ、血を撒き散らす。
目の前で何が起きたか理解できないユリウドはポカンと口を空けてしまった。
あっさりだった。
あれほど村を虐げてきた者たちが蚊でも潰すような適当さで、あっけなく死んでいた。
絶対の上位者だった彼らはそれ以上の捕食者によって食われる。そんな食物連鎖を初めて見たような気持ちにユリウドは心がついていかない。
ただ素人目でも彼らが生きていないことくらい、わかる。
「どっかで見たことある目ぇじゃったのぉ……、確かありゃぁ、なんじゃったかの?」
一方、男は盗賊なんて存在しなかったように顎をさすり、何かを思い出そうと目線を宙に浮かせていた。
「……おっさん、あんた」
「ま、ええかの」
あっさり思い出すのを諦めて、男はユリウドに向き直る。
「小僧! 名はなんと言う」
「……ゆ、ユリウド」
「知っとるぞ! ユリウドっつー名前はな、武王と呼ばれた昔のリスリア王と同じ名じゃ! ええ名じゃの!」
ついさっき人間を瞬殺したとは思えないほど快活に笑う男。
「ワシん名はハインツ。継字はタルンカンペ。遥か南が炎山の袂で産湯に浸かり、荒れた砂漠で身体を育てぇ、縁を辿ってここまで歩んできた! これも縁、あれも縁の世ならば、ここらで一丁、命の袂を連ねて見せようぞ!」
ハインツは高らかに口上を述べ終わるとユリウドの腕を取る。
すると不思議なことが起こる。
まるで自分から跳ね飛んだようにユリウドは宙に舞い、地面に叩きつけられると思ったら次はハインツに肩車されていたのだ。
「ユリウド! 勝ちに行くぞ! 戦じゃ! 弔い合戦じゃ!」
「いや、ちょ――!?」
グン、と誰かに頭を引っ張られたと思ったユリウドだが、それは急加速の慣性についていけなかっただけだった。
「一宿一飯――いんや、一飯のみじゃが恩には義で返さにゃならん! ユリウドの村はワシに任せい!」
ユリウドが懸命に駆け、歩いてきた道をあっという間に戻っていく。
その速さはユリウドが経験する、どんなものよりも速かった。
二人が居なくなった頃、まるで思い出したように空から剣が二本、地面に刺さり、彼らを見送った。
※
どれだけ速かろうとも、千里を駆ける足があろうとも、起きてしまった時間を跨ぐ足はない。
「あぁ――ッ!」
わかっていたことだ。
盗賊に襲われた村がどんな結末を迎えるか。
村の入口に立った二人が見たものは変わり果てた村だった。
「ちくしょう……!」
まだ燃えて続けている家もあれば、もう倒壊してしまった家もある。
それらに紛れて、知っている顔が血だまりに横たわっている。
ずるりと死体が動いているのは誰かが無造作に彼らを動かしているからだ。
まるでゴミのように人の足を掴んで、無感動に中央へと集めていく盗賊たち。
「ちくしょう! なんで! なんで……」
その塊の中に父と母の顔を見た瞬間、ユリウドは涙を止められなかった。
もう二度と会えない、触ってくれない、撫でてくれない、叱ってくれない、教えてくれない。
乏しい食材で作ってくれるご飯ももう二度と食べれないし、帰ったら『おかえり』と言ってくれない。
そこまで考えたわけでなくとも感情はそれらの事実を受け止め、涙を流す。
もうこれ以上、見たくないと目をつぶって嗚咽を漏らす。
「……やはり変じゃの」
肩のユリウドを引っこ抜いて、地面に下ろすハインツ。
ユリウドは力なく地面に腰を落とすが、そんな様子を気にかけることなくハインツは鋭く周囲を見渡す。
それを待っていたかのように盗賊たちはハインツに襲いかかってきた。
おおよそ人の言葉とは思えない咆哮と共に。
ハインツは真正面の盗賊を上段蹴りで『頭を掴む』と、盗賊の身体を使ってグルリと周囲を薙ぎ払ってしまう。
そんなことをされてしまえば掴まれた盗賊はただでは済まないだろう。
首が折れ、仲間の身体で骨はグチャグチャにされ、ぶつけられた盗賊も人一人分の重量で殴られたらタダでは済まない。
おもちゃのように吹き飛ぶ盗賊たちの姿はもはや冗談でしかない。
その力ですら、ハインツにとっては技ではない。
ただ、いちいち殴るのも面倒だから敵を使って敵を排除しただけだ。
「盗賊っつーのはの。ケチくさい生き物じゃ。金に代わるなら歯や髪すら持っていくもんじゃ。それをただ殺すんじゃワリに合わなかろう」
加えて、先ほどから盗賊たちの様子。
まるで誰かに操られているかのように理性を感じさせない。
少なくとも先の一合でハインツの実力はわかっているはずだ。
なのに、物陰から続々と盗賊たちが姿を現す。
正常な判断ができていない証拠だ。
「ランスかヨの字が居りゃぁの。なんかわかるんじゃろうが」
ハインツは謎や不思議の解明などに気を使わない。
わかることはわかるように片付けてしまうし、わからないことはわかる者が解明すればいい。下手な推測など休むに似たりという考えの持ち主だ。
なので、盗賊の様子がおかしいと分かっていても原因を特定する気にはならない。
「いんや、ワシで良かったかもしれんな。ヨの字は頭でっかちの振りしてすぐに怒りよるからの……、村どころか山まで吹き飛ばしてしまいかねん」
本人が居れば『ハインツよりマシです』とジト目で睨むような言葉だった。
「ユリウド。主ゃ、泣くためにここに居るんか」
まだ泣いているユリウドに目を向ける。
全てを否定して、地面にえづいている姿は記憶にあるヨシュアンと重なる。
ヨシュアンもまたフィヨを失い、この世の全てを否定した。
そして、優秀な兵だったヨシュアンはその日より、残酷な復讐者となった。
それから先はハインツですら止められなかった。
ハインツが好む戦の作法、礼儀、散る命への手向けの一切を無駄と断じ、鬼畜生のように敵を屠り裂いていった。
あの時にハインツは何ができたのか。
きっと今と同じだろう。
結局、最後までハインツはヨシュアンを止めなかった。
ただ優秀な戦士にならなかったヨシュアンを残念に思うだけだ。
今さらヨシュアンに対して慙愧の念も後悔も抱いていない。
過去を悔やむような精神性は持ち合わせていない。
だが、少なくとも十年しか生きていない少年を復讐鬼にするような趣味はなかった。
「おっさんに、何が、わかるんだよ……ッ!」
「応、わからん。親ぁぶっ殺されてもワシゃ修行に明け暮れとったからの」
理解を得られないだけでも憤るのか、ユリウドの幼い瞳は険しい。
「ほんでもじゃ。ユリウドのどうにかしたいっつー気持ちくらい、わかるぞ」
ハインツの後ろから盗賊の一人が斬りかかる。
それを見ずに裏拳で叩くと、パン、と破裂したような音と共に盗賊が吹き飛ぶ。
力なく倒れる盗賊の身体に頭部の影はなかった。
「主ゃ、なんとなくわかっとったろ。もう助からんと。騎士に話しして帰ってくる頃にゃ全部、手遅れだっつーことくらいな」
不思議なことに盗賊たちは無抵抗なユリウドではなく、ハインツばかりを狙う。
もしもこの場に武術の心得を持つ者で、深くまで武術に関わった者が居たならばハインツを賞賛していただろう。
【導歩】。
歩法の中でも【瞬歩】よりも高度で特殊な歩法だ。
この歩法は自らではなく相手に行わせるという点にある。
足の小さな動きや肉体の挙動で相手の間合いを操り『まるで相手を導いている』ような様から【導歩】と呼ばれている。
それだけでも十分な練度ではあるが、ハインツは【導歩】を更に極めた【九点導歩】を行っている。
間合いに居る全ての相手の挙動を自らに向けさせるという、特殊な歩法だ。
おそらく盗賊が正気だったとしても『何故、ハインツに向かっているのか』理解できなかったろう。
「だから主ゃがしたかったことはわかった。どうにもならないならせめて仇討ちしたいっつーことくらいな。弔い合戦じゃろ」
まさに飛んで火にいる蝿のような有様だった。
適切な距離と十分な威力で放たれる拳や蹴りを受けた盗賊たちは、身体の部位を吹き飛ばしながら死んでいくのだ。
気づけば動く者はハインツとユリウドだけになっていた。
「ワシにゃぁ、憎いっつー気持ちがわからん。ヨの字のアレもよくわからんかった。男が命を削り、粉々にしてまでやりたいことっつーことくらいか。ユリウドも同じじゃろ」
両手を真っ赤に染めて立つハインツの姿はまるで修羅のようだった。
そんな修羅がまっすぐ、ユリウドを見下ろしている。
初めて、この得体のしれない男がどんな者か理解した。
大人と子供の差なんてものではない。
正しく修羅と人との力関係だ。
「虐げられとるなら拳を握れ! 勝ちたいんなら勝つまで立ちあがれ! ワシの知っとるバカはガキみたいなことぉ、ほざきながらも鬼のように歯ぁ食いしばっとったぞ!」
何時だってハインツは己の力で立ち上がれない者を叱咤するしかできない。
血染めの手を握りしめて叫ぶしかない。
「小僧みたいにビクビクなんぞ一個もせんかったぞ!」
ユリウドにはその言葉は届かない。
呆然としているのもそうだが、何より言っている意味がわからない。
修羅の気持ちで叫ばれても普通の人間の、ましてや子供に意味を理解しろなど不可能だ。
「まったく、ガキ相手になんてこと言い出すんだよ、あんた」
血だまりを臆せず男が一人、無造作に右手をポケットに手を入れて歩いてくる。
腰には一本の剣をぶら下げ、ブロンドの髪を反対の手でガシガシと掻いていた。
無精髭と垢だらけの顔はお世辞にも清潔とは言い難いが、重責に悩んでいるような眉とギラギラした目つきのせいで無頼のイメージを思わせる。
それほど背が高いわけではないが、やけに大きく見えるのは仕草や格好だけでなく、彼自身の立場も理由なのだろう。
「主ゃ、この盗賊どもの頭じゃろ」
しかし、ハインツにとっては相手が誰であろうが一切の問題がない。
それこそ王であろうとも彼は動じない。
ましてや相手が盗賊の頭程度ではビクともしないだろう。
「頭だった、だな」
周囲の血だまりや人間だったものを見て、少しだけ盗賊の頭は目を閉じた。
そして、すぐにハインツへと向き直る。
「もうコイツらは俺の言うことなんざ聞きやしなかった」
「ほう、まぁええじゃろ。そんじゃ殺ろうかの」
「いや、待てや。不思議に思わねぇのかよ」
「そんなもんは当の昔に諦めたんじゃ!」
「威張っていうことか……、まぁ、こっちにやる気はねぇよ。こうなっちまったら、流石に国に気づかれちまう。そうなったら騎士団が出張って俺たちゃ……、違うな。俺はおしまいだ」
「主ゃ――」
敵がいる前で不自然に落ち着き払った姿の盗賊の頭。
言うほど無造作ながらも剣を意識している様子から『襲ってくるなら迎撃する』という態度は取っている。
ようするに戦闘も視野に入れて話をしに来た、と言ったところだろう。
「父ちゃんと母ちゃんを……、返せよッ」
盗賊の頭、という言葉で再びユリウドの拳が血にまみれた土を掴む。
慌ててナイフを鞄から取り出し、しっかりと両手で握り、立ち上がる。
そして、走り出そうとしたときに筋肉質な腕がユリウドの前を塞ぐ。
ユリウドは言葉にならない感情をぶつけるようにハインツを睨む。
「本当に殺れるんなら止めんが、その足の震えが止まるまで、ちっと話を聞いてみんか?」
ユリウドは興奮して気づいていないがハインツから見れば一目瞭然だ。
膝がガクガクと震え、走り出したとしても三歩も動かない内に足をもつれさせるだろう。
そうすればナイフを手に持ったまま倒れることになる。
非常に危ない、という理由の他にハインツにも興味はある。
そのため、少し時間を欲したというのも本音だ。
「主ゃ、何が起きたらこんなことになるんじゃ。部下の暴走にしちゃぁおかしいじゃろ」
「あー……、何から話せばいいかね」
盗賊の頭は無造作に倒れた梁へと腰掛ける。
ハインツも気楽な様子で、その場に足を組んで座り込んでしまう。
ユリウドは何時でも襲いかかれるように気構えをするが大人同士の会話という要素が絡んでくると、途端に『邪魔できない空気』のようなものを感じて、萎縮してしまう。
萎縮している場合ではないという気持ちと今すぐ仇を取りたい気持ち。
恐怖や怒り、憎しみも含まれ、次々と湧いてくる様々な感情に縛られ動けずにいた。
「俺らがなんで盗賊やってると思う」
そんなユリウドを無視して、盗賊の頭は気楽に話を始めてしまった。
「そんなのお前らが悪いヤツだからに決まってるだろ!」
「まぁ、そうなんだろな。性根や頭が特にな。んでもよ、俺だって最初はそうじゃねぇ。理由なんざそれほど多くねぇし、今更言うまでもねぇよ。それでも決定的だった出来事くらい心当たりがある」
盗賊の頭が指差す方角を見ても森があるくらいだ。
そこからずっと長い山が続き、その先はユリウドも知らない。
「ここから西に何があるか知ってるか」
「……なんかあったかの?」
「あんた、本当に冒険者かよ。地理くらい把握しとけ。タラスタット平原だろ」
「おぉ、そうじゃったな。懐かしい名前じゃの」
「あんたもあの戦に出てたクチか」
「最前線で国軍相手をタコ殴りにしとったわ!」
「最前線でよく生きてたな……」
楽しそうに笑うハインツを非常識なものを見るような顔をするユリウドだった。
「俺にとってアレほど非道い戦は初めてだったぜ。敵も味方も関係ねぇ。突然、前線のど真ん中でバケモノ同士が殺し合いをし始めやがったんだからよ。監視塔が飛んできて、部下が何人も下敷きになってな。その時、気づいた。ここは人間の居る場所じゃねぇ。呼吸一つ、判断一つで隣の仲間が溶けて消えるってどんな戦場だ。今だって雷槌の【灼熱の魔女】と革命軍の【愚犬】の名前を聞くだけで震えが来る」
「アレらは元気だけは人一倍あったからの」
「元気だから百単位で人を殺せるってどんな理由だ。部下全員に撤退を出して、天下の国軍や勝ち負けの尻馬なんざ関係ねぇ、俺たちは逃げた。気づいたらこの村の近くだ。二十四名になっちまった俺の部隊もな、このままじゃ飢えて死ぬ」
「部下を飢えから救うために盗賊かの」
「珍しい話じゃねぇだろ。敵前逃亡しておいて『給料くれ』なんざ、良くて首が跳ぶぜ。元騎士だったからな、国のやり方くらい知ってるさ」
お互い敵軍同士で今も敵同士なのに座り合って昔話する。
その神経がまずユリウドには理解できない。
しかし、そんな不可解さよりも見逃せない台詞が盗賊の頭から飛び出していた。
「騎士……ッ! お前が!?」
ただの盗賊が元騎士なんて、そう珍しい話ではない。
戦争中だ。誰だって命は惜しい。己の命を守るのもままならない上に戦略、戦術の責任を含めて上から下まで『勝つまで利益にならない』のだ。
では不利益は誰が被るか。
それはいつだって弱者、それがリスリア王国だった。
その上、リスリアで起こった戦争は内紛。
国益という意味では非常に利益の薄い戦争だ。
最後まで戦い続ける性根や理由を持つ者は少ない。
それでも多くが戦い続けた理由はもう後がないという、どうしようもない理由だけだ。
「知らねぇのか? 雷槌傭兵団みてぇに真正面から国の門をくぐって『雇ってくれ』なんて言う力のある傭兵団はそうねぇよ。ありゃぁ一種の武装キャラバンだ。俺たちみたいな数百人程度の傭兵団はな、昔、騎士だったツテで雇ってもらえるか、その道で長く飯食ってたことがあったか、あるいはそこそこ目立ってたら国からお触れが出るもんだぜ。運が良けりゃ非正規騎士団ってぇ肩書きで雇われることもある」
ユリウドにとって騎士は村の救いで復讐の手段だった。
今でこそハインツという訳のわからない戦闘生物がいるが、本当ならば騎士だけが頼りだったのだ。
そうでなくても少年たちにとって騎士は憧れだ。
元騎士だったから傭兵をやれた、そして盗賊として村を襲ったという繋がりがユリウドの騎士へのイメージをガタ落ちさせるのには十分だった。
盗賊の頭と関係ないとわかっていても、騎士が汚れたような気がして震えが来る。
「話を戻すか。この村の全部を奪って飯に変えるってぇ手はあった。それでしばらくは保つだろうよ。だが、そこからどうすんだ。また飢えろってか? どこも飯があってないようなもんだ。なら一番の方法はなんだ? 雇われが一番良い、と言っても金なんざねぇ。こっちもすでに失敗して力すらほとんどない傭兵団だ。装備の支度金もねぇんだ。もう一度、国には雇ってもらえない。だから俺は選んだ。『この村を守る代わりに飯をくれ』とな」
「嘘だ! あんたらのせいでオレたちは飯だって少なくて、母ちゃんだって困ってた! 父ちゃんも村長も、あんたらが悪いって言ってた! それに守るって誰からだよ! あんたたちくらいじゃないか!」
「……俺たちだけだったと思うか? あのバケモノ供の殺し合いを見て、心底ビビったヤツがいないと思うか? そいつらはあの場に何千人、居たと思ってる。そいつらがこの近くを目指していないと思うか? そいつらが俺と同じ選択を選んだと思うか? 下手すりゃ騎士すらもあの瞬間から盗賊になる道を選んでたかもな」
ユリウドは十歳のわりに頭がいい。
その頭の良さは『ありえる』という答えを出した。
内紛の恐怖は知らなくても、順序立てられた説明には納得できる。
否定を求めてハインツを見るが、笑っていた顔はそこにはない。
ただ静かにしている姿がまた説得力を煽る。
「実際、当たりだった。バカな傭兵崩れがここを襲おうとしててな。そいつらの首を持って村長の家に商談しに行った。『こういうバカがいるんだが、あんたらは自分の身を守れる自信があるか? 何、ちょっと飯をくれりゃバカからあんたらを守ってやるよ』とな」
「だったらなんで、父ちゃんらはあんたらの悪口を言うんだよ! 守ってたんじゃないのかよ!」
「この村も最初は大喜びだったさ。ただ、景気が良くなって段々、最初の条件じゃやっていけなくなった。なんてことはねぇよ。今じゃ傭兵を雇うほどの危険はなくなった。だから、俺たちに支払う賃金が惜しくなり始めたのさ」
「そんな……、話……」
信じていた日常は壊れた。
信じてきた人々の言葉すらすがれなくなったら、どうすればいい?
ガタガタとうるさい音が『ユリウドの歯』だと気づいた時、慌てて隠すように口を閉じる。
飲んだ唾はチリチリと痛い。
「こっちもこっちでな。給料でやっていけるように一部を冒険者にさせたり、山の基地で畑仕事したりしてたんだぜ? あんたらが冒険者を雇いたくないけど護衛がいないと困るっつーから護衛の仕事までしてたりな」
「だったら、なんで、村の兄ちゃんらが殺されてたんだよ……」
「お前みたいに契約の内容を知らない若いヤツが先走って騎士に俺たちのことを告げ口しようとしたんだよ。村長はそのことを見ないふりだ。あわよくばってヤツだな。若手を殺すのも気が引けたが、話が通じねぇんならしょうがねぇ。『契約を守らないとこうだ』と見せる必要もある」
そんな理由で殺されたのか。
怒り以上に脱力が身体を支配する。
それ以上にもしもユリウドが盗賊の頭と同じ立場だったら?
そこまで考えて『何故、敵のことまでユリウドが考えなければならないのか』と頭を振る。
「ようするに俺らもカツカツだった。そんなときだ」
その時のことを思い出しているのか、盗賊の頭の目線が少し宙をさまよう。
「見るからに怪しい幌竜車が西側の峠を通ったのは」
西側の山はタラスタット平原と隣接している。
「知ってると思うがタラスタット平原は今、魔獣の巣窟だ。どうしてか魔獣はあそこから離れないとしても、そんな近場を通る竜車や冒険者はいない」
危険地帯をわざわざ突っ切るような竜車は『正気ではない』か『危険を冒してでも動く必要に迫られた』からだ。
「堅気なら放っておくつもりだったが、どうにもキナ臭い。しかも紋章を潰した、真っ黒な幌だぜ。疑ってくれって言っているようなもんだ。何をしたいのかわかんねーが、この辺で問題を起こされても困る。俺たちも金が欲しかった。即座に『いなくなってもらう』ことにした」
何日か観察した結果、魔獣の巣窟を抜けてきたとは思えない人数だった。
御者と正規の兵装で身を包んだ男が数名。
ますます怪しさが漂う中、盗賊の頭はいけると確信した。
『重要で怪しいもの』を少数名で運ぶ。
様々な憶測が取れるが一番の有利な点は『運ぶ者も含め知る者が少ない』ということだ。
おそらく信頼できる護衛がそれだけしかいなかったのだろう。
となると竜車の持ち主、幌竜車を向かわせようと指示を出した者はそれほど力はないが特殊な技術を持つ小さな団体か、大きな組織であったとしても一枚岩とは言えない、派閥争いの強い団体であることがわかる。
例え『誰かの虎の子』であったとして、その切り札の重要性が高くなれば高くなるほど、背後の団体は隠そうとするか他の派閥を牽制するために身動きが取れなくなる。
幌竜車の連中が復讐のために盗賊たちや村に危害を加える可能性は少ない。
もしも予想が外れた場合は、諸共に死ぬだけだ。
もっともそれは時間が過ぎても同じことだ。
少なくとも寄生先の村はすでに盗賊たちを見限り始めている。
「それが失敗だったんだろうな。幌竜車を襲って、荷台に何を積んでいるかと思えば酒樽だ。ちっと生臭いが味も匂いも酒だった。降って湧いた戦利品に喜んだ俺たちはそのまま宴会をした。さすがに俺は飲まなかったがな」
「ほう? 戦利品に手ぇつけんのか」
「盛り上がる席だったからな。俺は俺の酒を飲んだ。あいつらにゃ苦労させっぱなしだったしな。ちょっとでもあいつらがバカになれるように遠慮してやったんだよ。それが間違いだったな。もうちょい疑うべきだった」
何故、重要な物が酒だったのか。
何故、少数だったのか。
もっと早く気づくべきだったのだ。
酒は液体だ。度数にもよるが気化しやすい液体でもある。
もしも移動中に横転や木の根にはまって、中身がこぼれるようなことがあれば、どうだろうか。
結果論になってしまうが、盗賊たちのように頭をおかしくする酒なら運ぶ者たちにも危険性がある。
彼らは『もしも酒を誤って飲用してしまうことがあれば』という危険性を恐怖していたのだ。
故に少数名。
そして、明らかに異常な代物だった。
「気づいた時にはあいつらは皆、このザマだ。辛うじて俺のことはわかるのか襲ってこなかったが、代わりに村を襲い始めた」
「で、結局、なんじゃったんじゃ? その酒とやらは」
「さぁな。どこかの錬成師が作った厄介な代物を処分する予定で運んでたんじゃねぇか。あるいはどっかが必要だから売りに向かっている最中だったか。ま、もうわかんねぇよ。竜車のヤツらは皆殺しにして、俺たちも俺を除いて、あんたに殺されちまった」
つまり、関係者は盗賊の頭以外、全滅してしまったということだ。
「さて。これで全部だ」
ここに居れば、もしかしたら酒の関係者が様子を見に来るかもしれないが、この村の惨状を見れば、好き勝手に想像して答えを出してしまうだろう。
酒造者は盗賊の頭やユリウドを追いに来ない。
「どうするんだ小僧。仇討ちをしないのか?」
盗賊の頭に言われ、ハッとするユリウド。
もう震えは別のものに変わってしまっている。
怒りや憎しみも含めた、何が何だかわからない感情のせいだ。
どうしようもない理不尽にさらされた人間が持つ、奇妙な感情だろう。
一番近い感情は癇癪、だろうか。
どうしようもないことに叫びたくなるような、無理だと分かっていても飲み込まなければならないような、湿気った爆弾を腹に抱えた気分にユリウドもどうしたらいいかわからない。
「……お前は父ちゃんと母ちゃんの仇だッ!」
しかし、幸いにもはけ口はある。
「あぁ、その通りだ。俺はこれまでの全部を悪いと思っちゃいねぇ。お前らの村にしたことを謝るつもりもねぇ」
「……ころしてやる!」
ナイフを握り直した時にはもう膝の震えは気にならなくなっていた。
盗賊の頭は座ったまま、若い殺気を受け流すようにユリウドを眺めている。
「小僧。そいつがどういう意味か理解しているか? 小僧に殺されるほど俺は生きることを諦めちゃいねぇ。殺すぜ。例え後でそこのおっさんに殺されることになってもな。いや、最初からおっさんが出てきたら小僧は手を汚さずに済むし、俺は殺され、晴れて仇討ち完了だ。だが、そいつを抜いたってことは例え誰が代わろうともお前自身が俺を殺したい、と願ったことだ」
言い切り、座りながらも『鳶の紋章が描かれた柄頭』に手を添える盗賊の頭。
おそらく、このまま突っ込んでいけばユリウドもまた他の村人たちと同じように故郷の土に帰るだろう。
「その願いが果たされた時から、お前はお前と他人がなんら変わりないクソだと理解する。死はただの銅貨と変わらないと知るだろうよ。お前はクソのような銅貨のために涙を流していることになる」
あるいは、この期に及んで『初めて人を殺す』という気持ちを避けたいと思ったのだろうか。
そもそもこの仇討ちは本当に正しいものなのか。いや、間違いなく恨んでおかしくないのだ。
この気持ちを止められるものなんて、どこにもない。
「えらっ! えらそうにッ!」
「偉かないさ。何十秒後のお前と一緒だ。どっちにしてもな」
グルグルと回る頭の中でユリウドがハインツに目を向けると、ハインツもまたユリウドをじっと眺めていた。
「主ゃの仇討ちじゃろ。何も決められんなら布団でも噛んで寝れ」
返ってきた言葉は辛辣だった。
それも当然だ。ハインツは元々、無関係の人間。ここでユリウドの助けをしたのも一食の義理のためだ。
「う、ううう……」
他人の仇討ちを義理とは言え、横からかっさらってしまえば不義理に当たる。
そうした常人には理解しがたい感性がハインツにはある。
そのことを知らないユリウドからすれば、ただの理不尽でもあった。
「どうした? ほら、やれよ」
どうして、こんなに苦しまなければならないのか。
何を間違えたら、こんな責め苦に放り込まれなければならないのか。
本当なら今頃、父の手伝いをして麦の虫取りをしているはずだった。
もう少しすれば暇になって、友達と一緒に小川で遊んでいたはずだった。
なのにどうだろう。
麦は倒され、帰る家も壊され、血の川で奥歯を噛み締めている自分。
仇は討てそうになく、力がない自分を殺してやりたいほど憎く感じる。
「うわあああああ!!」
何もできないなら叫ぶしかないのだ。
渦巻く感情を吐くように、足元に雫をこぼしながら。
青い空に怨嗟を吐くことしかできない。
『何よりも不幸なこと』はユリウドが大人の会話が理解してしまえることだ。
何も分からず愚直に死ねば、悩まずに済んだと後悔しても彼の聡明さは消せやしない。
「あんたは!」
何もかもが苦しい、そんな気持ちだったからだろうか。
ふいにユリウドの頭の中で何かが繋がる。
「この村に借りがある!」
さっきと同じように空に向かって吠え上げる。
「契約を守れなかったあんたたちはこの村に借りがあって、この村はもうこんなだ! オレしか残ってない!」
息のために吸い込んだ空気は何故か鼻水の音がした。
「この村はオレが継ぐ! だから、あんたの借りはオレにかえせ!」
相手を睨みつけようと思って勢いあまり、地面まで顔を下げてしまったがすぐに相手にピン卜を合わせた。
「オレが、おどなになるまで! あんだがオレをま゛もれ……ッ!!」
顔の穴という穴から蛇口でもひねったかのように水分がボタボタと落ちる。
懸命に息をしているのに、勝手に肩がしゃくりあげる。
「どうするんじゃ」
「……百人隊を率いてた俺が傭兵に堕ちて、盗賊まで転がり堕ちて、最後にゃガキのお守りか」
お世辞にもかっこいいとは言えない顔で、まだ睨みつけるユリウドに盗賊の頭は肩をすくめる。
元々、村との契約ではない。
あくまで村長との契約だ。
村長が死ねば盗賊たちは村を守る謂われなどないのだ。
もっとも村長が死んだことを良いことに難癖つけて村と関係を継続する予定だった。
「だが根性のあるガキは嫌いじゃない。所詮、雇われだ。せいぜいコキ使えよ」
その相手がガキになって、借金をこさえただけだ。
しかも借金の先が『子供の割に根性が座っていて、盗賊の頭と違い性根も頭も悪くない』となれば、悪くない。
ただ、それだけの理由だ。
「よう言うたぞ。ユリウド」
まだグチョグチョの顔のユリウドの頭をハインツは荒々しく撫でた。
「(主ゃのソレはワシらにゃ、辿りつけん強さじゃ)」
その言葉は言わず、もっと強く頭を振り回すことしかできなかった。
※
村人と盗賊たちの死体はハインツと盗賊の頭が全て埋めていった。
そのままにしておくほど急いでもおらず、夏場なので腐るのも早く異臭の元になる。放っておいたら野犬や狼が現れることを考えると早めに処分しておいた方がいいだろう。
そう提案したのは盗賊の頭だった。
ユリウドも手伝っていたが何度かまた泣きそうになってはグズグズと鼻を鳴らすを繰り返していた。
結局、全てを埋め終わる頃には陽は沈み、村の備蓄庫にあった保存食材を焼く程度の食事で済ませ、辛うじて建っている家の中でユリウドを眠らせた。
布団に潜りこむと同時に寝てしまったのはやはり心も身体も疲れきっていたせいだろう。
そんなユリウドを眺めてハインツも腰を落とす。
彼が床で安穏と寝ることはない。
「よう。こんな時間に出発か? ずいぶん早起きなんだな」
そんな彼が月が頂点に輝く頃、家から出ると外で夜番をしていた盗賊の頭が火を眺めたまま聞いてくる。
「武芸者は元より早起きじゃからの。主ゃこぞ怠惰の極みの盗賊崩れじゃろ。出会って半日の小僧によく入れこんだもんじゃの」
「――契約だからな」
枯れ木を放りこむと、火の粉は空に舞っていく。
その様子がまるで追悼のように見えたが、ハインツは何も言わなかった。
「だが、俺も歳か夜番は辛くなった。ウトウトして妙なことを喋るかもしれないな」
「ほう。まぁ、なんじゃ。急ぐ旅でもありゃせん。寝言の一つや二つ、耳に入れることもあるじゃろう」
「――内紛の頃。たった一人で五千の兵を真正面から切り崩し、敵本陣営を叩きのめしたイカレた武術家のことを聞いたことがある」
『冗談だと思っていたがな』と付け足す盗賊の頭。
「そいつは異国人で拳術家だった。【異国の餓虎】なんて呼ばれていた」
「ほうほう。おっかない虎も居たもんじゃな」
「噂によるとその強さと数々の功績を称えられ、武術家でありながら異例にも術式師の最高峰【タクティクス・ブロンド】に選ばれたらしいが……、さすがにそこは嘘臭い話だったな」
「じゃろうな。ただの武芸者が【タクティクス・ブロンド】にはなれん」
さて、と頭の中で一呼吸するハインツ。
「知っとるか? 術式っちゅーのはな。いわゆる形じゃ」
腰溜めに構え、拳を振るう。
それだけで空気を裂く音が起き、焚き火が揺れる。
「源素の形が事象に影響を与えるっつーんなら『人がこしらえた武術の型』にも術式となるものがあってもおかしくないかの?」
「【異国の餓虎】は武術で術式を使った、と?」
あまりの常識はずれな解答に忍び笑いが出る。
理屈上ではあり得るのだろう。
しかし、それならば何故、どの国にもそんな『型』が残されていないのか。
もしも、本当にあるのなら、どうして武術家はそんな頂点を目指さないのか。
そして、本当だとして、そこに至るまでにどれだけのものを犠牲にしなければならないのか。
元騎士としての修練をこなしてきた盗賊の頭でも『ありえない』と切って捨てられる戯言も、ハインツが言うと『なんとなくある』ような気もする。
「なら【異国の餓虎】は【タクティクス・ブロンド】になれてもおかしくないな」
「応。居ってもおかしくないぞ。もしかしたら王に言われて世直しの旅なんぞしとるかもな」
呵々と笑いながら、ハインツは足を村の外に向ける。
盗賊の頭も引き止めはしない。
「おぉ、そういえば主ゃ、名はなんと言う?」
「……雇われに名を聞くなよ」
「これも縁じゃ」
「ヴァイツ……、だ」
家名を言いそうになって、口を閉ざすヴァイツ。
「ワシん名はハインツ。継字はタルンカンペ。遥か南が炎山の袂で産湯に浸かり、荒れた砂漠で身体を育てぇ、縁を辿ってここまで歩んできた。これも縁、あれも縁の世ならば再び見えるのも一興じゃろう。その日まで生きとれよ。死にたがりなアンデルの鳶よ」
「次会う時は味方で頼むぜ。バカがつくほどお人好しな虎よ」
ハインツはおおよそ今から旅に出るとは思えない格好のまま、背を見せ、おざなりに手を振る。
ヴァイツはハインツの背中を目で追ったが、入口を抜ける頃にはもう焚き火に目を戻していた。
知り合いというにはあまりに過ごす時間は短く、関わりも深くない。
あるいは関わりがあるかもしれないがヴァイツに覚えがなければないのと同じだ。
だから、ヴァイツは次の問題に頭を悩ますことにした。
今、寝ているユリウドがハインツの出立を聞いて、どんなことを言い出すか。
頭が痛いようで、その内容に興味を惹かれている自分を感じながら、夜は更けていく。
※
ハインツが村から出てから陽が昇る頃。
のんびり歩いて、ふと思い立つ。
「そういえばヨの字やランスとも、めっきり顔を合わしとらんの。ここらで報告がてら、顔見せにでも行こうかの」
懐をまさぐり、出てきたのは『粒子状の模様が入った指輪』だ。
何も知らない者が見れば少し黄色がかっている鋼の指輪にしか見えないが、その材質を知る者からすれば驚きで腰を抜かすような代物だ。
何せ、その指輪は隕鉄という特殊な金属でできており、その指輪を持つ者はこの国では最強の術式師と呼ばれているのだから。
ハインツ・タルンカンペ。
彼こそが【タクティクス・ブロンド】の黄金位。
【砕く黄金】と呼ばれる男だった。
きっと口頭で伝えても誰も信じないだろうその証拠は、太陽を受けてキラキラと輝いていた。




