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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第四章
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その心を慈しみという

 結局、事が終わってすぐに学園に戻るわけには行きませんでした。


「ヘキサ・フィルハルク」


 包帯でグルグル巻きの手を地面に当て、浄化術式を吸いこませます。

 自分が浄化しなくてもポルルン・ポッカたちがやるでしょうが、魔獣と戦った者のけじめとしてです。


 瘴気はエンブレリオ・プリムで回収し空の彼方へと吹き飛ばし、木々はひとしきりメルサラが燃やし尽くしましたので楽と言えば楽ですが、さすがに土中に染みこんだ無色の源素までは消しきれません。


 ある程度、浄化し終わったらエリエス君がいた場所に戻りました。

 しかし、そこには誰もいませんでした。


 モフモフがエリエス君を学園まで連れて行ったのでしょう。

 そうするように言った手前、居るかどうか……、いない確率の方が高いとだけわかっていました。


 起きて、すぐに自分の手を払ったエリエス君。

 その瞳は今までに見たことない『色』に染まっていました。


 恐怖。


 敵が圧倒的だから、仲間が死ぬかもしれない、上級魔獣に遭遇した、そんな恐怖とは違うように感じたのは気のせいでしょうか。

 少なくとも『誰か』に向けて恐怖を抱いたのなら、自分を拒否したりはしないでしょう。


 先生である自分に恐怖したのです。


 何が起き、何を聞いたら、そんな訳のわからないことになるんですか?


 まだ痛痒が残る左目に手を添えても何も起きません。


 ただ意味なく気づいたのは、いつの間にか消えているポルルン・ポッカの死骸のことくらいです。


「……いつまでもこうしていても意味がありませんね」


 鋼を飲みこんだような気分をいつまでも抱えても仕方ありません。


 今頃、シャルティア先生やリィティカ先生に心配されているのでしょう。

 帰って、生徒たちから話も聞かねばなりません。


 眷属鬼と戦った場所に戻ると中央でメルサラが大の字で寝ていました。

 色んな骨が折れているにも関わらず、よく眠れるものです。

 普通は鎮痛剤がなければ眠ることはおろか、気絶して起きて、気絶してを繰り返して体力を消耗するところです。つまり普通ではないわけですね、そうでしたね。


「メルサラ。帰りますよ」

「んぁー? 夜じゃねぇか……、起こすんじゃねぇ」


 こいつ、置いて帰ってやろうか。


 メルサラが寝ているのは別に負傷が原因ではありません。

 術式師の癖に浄化が使えないからです。


 よくこれで冒険者をやってられるな、とは思わなくもありませんが特化しすぎているくらいでないと【タクティクス・ブロンド】なんてやってられません。

 歴代【タクティクス・ブロンド】も万能選手の方が少ないくらいです。


 仕方ないのでメルサラをお姫様だっこして、エス・ウォルル厶で学園まで帰ってきました。

 こっちも両腕を怪我しているというのに戦闘以外は本当に面倒……、戦闘もこっちの作戦を無視するので味方にしてもリスクの高い女です。

 エドやレギィのサポート能力が恋しくなります。


 いえ、むしろエドとレギィが居たら、そもそもエンブレリオ・プリムを使う必要もなかったわけです。


 道中、モフモフが帰ってこないことだけが気がかりでしたが生徒たちと違ってできる狼なので心配はいらないでしょう。


 守衛の詰所にメルサラを放り投げ、留守居の守衛さんに治療を任せてから自分は学び舎の職員室に向かいました。

 若干、【宿泊施設】方面がザワついて、薄い明かりが木々の上から漏れていましたがおそらく捜索隊が戻ってきてゴタゴタしているのでしょう。


 ドアを開けると教師陣が勢ぞろいしていました。


 リィティカ先生がそうとわかるくらい安堵した表情で出迎えてくれました。

 シャルティア先生はため息をついて、それから身じろぎするように姿勢を変えました。

 ピットラット先生がティーカップを丁寧に中央机に置き、小さく首を動かしました。

 ヘグマン卜は珍しく難しい顔をして、アレフレットに至ってはだいぶ歩き回ったせいかイスにもたれたまま身動きもしていませんでした。


「ただいま帰りました」

「あぁ! よく帰ってきた!」


 それでも帰宅の言葉を言えば、ヘグマントは豪快に笑い直し、肩を叩いてくれましたが振動で両手が痛いです。


「ヨシュアン先生ぃ、また怪我をしてぇ……」


 明るい表情だったリィティカ先生は両腕の包帯を見て、逆に曇り空に隠れた太陽のような御顔をされてしまいました。

 下々の痛みを理解し、己のように痛む優しさには、もうなんていうか抱きしめたいくらい愛しています。


 なので実行しようとしたら両腕を捕まえられ、そのまま怪我を看られました。残念です。


「――これぇっ!」

「どうかしましたか?」

「どうやったらこんな皮むき器でめくったみたいな怪我をするんですかぁ!」

「痛そうな話ですね」

「他人事じゃなくてぇ!」


 治ったら斑模様になりそうで少し不安ですが必要でしたしね。

 むしろ両腕の怪我で広範囲に散った無色の源素を回収できたと考えたら、安いものです。


 もしも、あの場をそのままにしておけば魔獣の培地が完成してしまいます。

 モンストレアの谷や霧の森のように魔獣群を生み出す土地になっていたでしょう。

 そうなれば、もう軍であっても手が出せません。


 定期的に討伐して数を減らす程度の処置しかできません。

 将来のことを考えただけでなく、現在進行形でも危険な土地になってしまうのです。


「ヨシュアンクラスから話は聞いて大方の事情は飲みこめたつもりだ」

「全員、帰ってきてますか。今、どこに?」

「【医務室】だ。お前に間一髪で救われたとな。そこでだ、一つ、わからないことがある」


 珍しくシャルティア先生が喉に何かつっかえたような表情をしていました。


「モフモフとはなんだ? 生徒たちはモフモフに送ってもらったと言っていたがモフモフとやらのことを聞くと皆、モフモフはモフモフだとしか言わん」

「それを答える前に一つ。生徒たちと一緒に竜車くらいの毛むくじゃらな生き物はいませんでしたか?」

「……いや、見ていないな。生徒たちは皆、職員室まで自分の足で現れたぞ」


 どうやらモフモフは上手く人に見られなかったようですね。

 ただアレフレットだけは胡乱げな目でこっちを見ていました。


「モフモフは自分が社宅で飼っている狼の名前です」


 シャルティア先生の目が少しピクリと動いたのは気のせいでしょうか?


「まぁいい。お前の理不尽さはいつものことだ。他にも北西に現れた太陽やあの場で何があったのかを聞いてやりたいところだが、聞きたいことの方が多いだろう」


 今すぐ問いかけたい言葉を飲みこんで、自分はまず頭を下げました。


「今回は大変、ご迷惑をおかけしました」


 こんな夜分まで同僚や【宿泊施設】の住人に迷惑をかけてしまったのです。

 頭の一つや二つ、下げるべきでしょう。


「次のキャラバン、私好みのワインでいいぞ」

「シャルティア先生ぇ、ダメですよぅ」

「冗談だ」

「いいえぇ、最近、飲みすぎですぅ」

「あんなもの飲んだ気にならんぞ、安酒ばかりで辟易する」


 なんでリィティカ先生がシャルティア先生の飲む量まで把握してるんですか。

 重要な謎がまた一つ、増えました。


「うむ! 問題ないぞ! 無事に帰ってきたのだから後はしぼるだけだ! それより話を聞く前に生徒たちの様子を見に行ってはどうかね! 心配だったろう!」

「そうですな。それに、まだ夕食も済んでいない方もいらっしゃるでしょう。【宿泊施設】の方々が炊き出しの準備をしています。ヨシュアン先生が帰ってくるまでにそちらから少し頂いて参りましょう」

「……すみません。ではお言葉に甘えて」


 流石に今回の件は教師陣に頭が上がりません。

 ですが、いつまでも頭を下げている場合でもありません。


 ちゃんとこの目で生徒たちの無事を確かめたかったのは確かです。


 職員室のドアを手にかけ、出ていこうとしたその背後から、


「よく無事に帰ってきた」


 シャルティア先生がそう、抑声発音法で語りかけてきました。


「もちろん。生徒たちが卒業するまで死ぬつもりはありません」


 ドアを閉めると同時に、一瞬だけ見えたシャルティア先生の姿。

 ため息と共に肩をすくめられたのはどういう意味があったんでしょうか。

 

 しかし、すぐに思考は生徒たちのことへと塗りつぶされてしまいました。


 医務室に駆け出したい気持ちを押し殺してでも、決めてしまわなければならないことがあります。


 今回の件。

 まず生徒たちは無断で依頼と称して遺跡に向かいました。

 それを是とするか否かです。

 生徒会システム上、問題ない行動ですが結果はこのざまです。


 これは自分を含めた教師陣で決めればいいでしょう。

 少なくとも騒がせた分だけの罰は確実ですが。


 四バカをしばき倒した分は――見なかったことにしましょう。

 むしろ生徒に負けた上に遺跡のことまで話してしまった四バカどもにペナルティです。

 メルサラに言えば面白く焦がしてくれるでしょう。


 遺跡の中でどのようなことがあり、エリエス君が恐怖を抱いたのか。

 上級魔獣はどこから生まれたのか。


 これらの謎は生徒たちか、その話を聞いたシャルティア先生やリィティカ先生が語ってくれるでしょう。


 『遺恨児』に関してはモフモフと相談したほうがいいでしょう。

 少なくともいくつか聞いておかなければならないこともあります。


 これらは後で聞き、対処のそれぞれを考えれば済みます。


 もっとも問題なのは『危険な真似をした生徒たちに自分はどんな姿勢で向き合うか』です。

 怒りたい気持ちはあります。

 よく生きていてくれたという気持ちもあります。


 何を叱るべきで、何を認めるべきか。

 何を諭し、何を気づかせてやらなければならないのか。


 こんな時、自分はよくわかっていません。

 何故なら革命軍にいたときの立場は生徒たちとほとんど同じだったからです。


 まだ【戦略級】術式師になる前です。

 まだフィヨが生きていて、蒼刃遊撃隊の皆が生きていた頃の話です。

 作戦を成功させるために無茶をし、必ず生きて戻っていただけでフィヨには心配をかけ通しでした。


 あの時、バカ王はどうだったのでしょうか。

 ベルベールさんは? ヘルマンは? ウィンスラットは?


 自分は皮肉げに斜めに構え、誰の言葉も本当の意味で聞いていなかったと思います。

 その無茶の積み重ねは、どれだけの心配を重ねさせていたのでしょう。


 そして、どんな気持ちで彼らの言葉があったのか。

 今度は自分が同じ立場になって、言われた言葉の意味を考えなければなりません。


 その上で、特にエリエス君にはどうしたらいいかすらわかりません。


 そんなことを考えている内に自分は医務室の前にいました。

 同じ一階ですしね。すぐに辿りつきます。


 ノックをしようとして鈍る手の動き。

 躊躇している場合か、バカですか自分は。


「入りますよ」


 どれだけの愚かが目の前に広がろうとも、まずは生徒たちに会わなければなりません。


 しかし、ノックをしても返事がありません。

 そっとドアを開け、備えの術式ランプに指を這わせ、明るくなった室内を見て息を飲みました。


 三つのベッドを一つにして、五人で眠る生徒たち。


 エリエス君を中心にして、まるで守るようにセロ君を抱くリリーナ君。セロ君はクリスティーナ君の髪が絡まり、ちょっと苦しそうでした。

意外と寝相はいいのにマッフル君の足をお腹に乗せて唸っているクリスティーナ君。そのクリスティーナ君もマッフル君の顔を手で押さえている辺、どっちもどっちでした。


 エリエス君は誰とも繋がっていないわけではありません。


 むしろ、皆どこかしらエリエス君の身体に手が触れていました。


 触れられることが嫌いなはずのエリエス君。

 なのにエリエス君はその手や足の全てに触れても、眠ることができるんですね。


 ゆっくりと上下に動くお腹が皆が生きていると伝えています。


 どれだけの心配をかけたと思っているのでしょうか。

 死んだかもしれないと考えた時はこっちが死にそうだったと気づいていますか?


 それなのに呑気に寝て待つなんて、どうなんですか。


 わかっています。この子たちの体力が限界だったことくらい。

 上級魔獣と対峙して精神がすり減らないはずがありません。

 学園に戻ってきて、怒られたり話をした時点でもう安心してしまったのでしょう。


 自分を待とうとしていたかどうかはわかりませんが、少なくとも子供は寝る時間なのは確かです。


 でも、わかっていますか?


 あの時、君たちの行動を推測しきれていなかったら。

 あの時、モフモフがポルルン・ポッカたちを呼ばなければ。

 あの時、間に合っていなかったら。


 その全て、どの要素が欠けても君たちは死んでいたんですよ。


 今回は運が良かっただけです。

 『遺恨児』は復讐心がないなどと言っていましたが、素直に信じられるわけはありません。

 『遺恨児』の目的が生徒たちだけに向けられていなかったことも幸いでした。

 アレのことは理解できませんが、おそらく自分を狙っていたようにも思えます。


 あるいは計画と自分、両方かもしれません。


 君たちは自分に関わる憎しみの鎖に絞め殺されそうになったんですよ。


 何よりも。


 激しい後悔を覆い尽くす、この気持ちをなんと呼ぶべきでしょうか。

 息の根すら止まりそうな、嵐のど真ん中に立ち尽くすような脱力感。

 心の糸が解れが、腹立たしさも苦しみも悲しみすらも感じさせます。


 そんな心を一度だけ味わったことがあります。

 フィヨだけにしか向けたことのない感情でした。


 憎悪も怒りも、その心の全てを侵す温かさなんて、もう二度と味合うことはないと思っていました。


 自分は女医さん(36)がよく座っているイスを引き寄せて、生徒たちを眺めながら座りました。


「自分は君たちに何かを教えるような人間ではありません。いえ、下手をすると誰かと関わっていいような人間でもないのでしょう」


 ともすれば口から漏れてしまいそうな心を、そのまま口にしたりしません。

 聞いていないとはいえ生徒です。

 教えてはいけないことくらい理解しています。


「それでも、そんなものよりも」


 でも、これだけは聞かせなくても言っておきたいのです。


「君たちが無事で良かった」


 いつの間にか腹の底にあった鋼が溶けてなくなっていました。


「……うぅ、オシオキが」

「……そんな大きなハリセンは無理ですわ」

「うにゃ……、先生がエロスケベであります……」


 人が心配してんのに君たちは自分(おしおき)の心配ですか。

 三人そろって苦悶の表情で寝てんじゃねぇですよ。


 イスから立ち上がり、職員室に戻ろうとしたら衣擦れの音が聞こえました。

 振り向くとエリエス君が上半身を起こしていました。


「エリエス君……」


 無言のまま、じっと伺う黒の瞳。

 今までは情報を得て、推測する形で生徒たちに助言してきました。


 ですが、今はほとんど情報がありません。

 何故、生徒たちが遺跡に向かったのかすら、知らないのです。


「話をしましょうか。それではまず――」


 それでも逃げてはいけない時があると学んだはずです。


「クリスティーナ君の髪やら絡んでいる腕を解いてからにしましょう」

「……はい」


 皆、寝相が悪いですね。

 クリスティーナ君は主に髪の毛の寝相が悪すぎます。

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