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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第四章
259/374

捜索、推理、突撃。

 思えば何故、無根拠に危険がないだなんて思いこんでいたのか。


 管理人さんの言葉を聞いてすぐに自分は教師全員の社宅のドアを叩き、依頼に行ったまま帰ってこない生徒たちのことを伝えました。


 事情を飲みこんだ教師陣は迅速に行動を始めました。


 リィティカ先生は夕食の荷物を抱えたシェスタさんと一緒に職員室へ。

 アレフレットは牧場主さんから話を聞いた後、北側の捜索を手伝ってもらうことにしました。

 シャルティア先生とピットラット先生は【宿泊施設】の住人に事情を話して捜索の手を貸してもらい、陣頭指揮に入ってもらいます。

 管理人さんは寮で生徒たちを待っていてもらいます。

 自分とヘグマントはそのまま、すぐにヨシュアンクラスの後を追うように北側の森を捜索しました。


 生徒たちが北の森で採取とヴォルフの討伐に向かったことは覚えています。

 さらに騎竜を使ったところから、北の道を使ったのでしょう。

 そこからしか騎竜で森に入れません。


 大まかな方向はわかっています。

 ですが、野営の跡すら見つけられませんでした。


 リーングラードの森は広大です。

 いくら方向がわかっていたところで、陽が落ちた森の中の痕跡探しは玄人でも難しい作業でしょう。

 どこにあるかわからない手がかりを見つけるなんて不可能でした。


 しかし、諦めるという文字だけは頭にありません。


 頭上まで月が昇りきり、それでも見つかりません。

 どんな些細な痕跡も見逃さないように広範囲をフロウ・メルカプリムで照らし続けて、何時間経ったでしょうか。


 邪魔な枝葉を力任せに引きちぎり、無理矢理、作った道を進んで拓けた場所に出てはエス・ウォルル厶で飛び上がりました。

 空から焚き火の光があるかを確認し、再び着地しては痕跡を探しました。

 もう何十回も行っています。


 悪路が無駄にスタミナを奪っていき、汗が頬を伝います。

 既に背中まで汗だくです。冷風の術式具を使っていても、ちっとも冷えません。


 ふいに誰かがやってくる気配を感じて振り向くと、二足歩行の虎顔が姿を現しました。

 リーングラードのお肉調達担当として牧場主さんと双璧をなす狩人さんです。


「見つかりましたか?」


 開口一番、聞いてみても首を横に振られただけでした。


「ここは吾輩が担当する。一度、学園に戻りたし」

「何故です? たぶん生徒たちは道に迷っているんですよ。えぇ、きっとそうです。探してやらないといけないでしょう」


 そんなわけありません。

 ただ余裕を演じたかっただけです。


「戻りたし」


 短く、有無を言わせない口調でした。

 狩人さんなら山や森に詳しいでしょうし、ヴェーアティガーは索敵にも向いています。

 自分が探すのと同じくらいの成果をあげるでしょう。


 ここは一度、帰って情報を整理しましょう。


 いくらなんでもこれだけ探して痕跡すら見つからないなんておかしすぎます。

 生徒たちの行動範囲なんてそんなに広くありませんし、人が森を歩けば嫌でも跡が尽きます。


 少なくとも生徒たちには森の歩き方を教えています。

 邪魔な藪や枝葉をまとめる方法は、後から来る者にそっくりそのまま行く道を教える方法に繋がります。

 逆の追跡から身を隠す手段も教えていますが、生徒たちが形跡を隠す必要はありません。


「これは勘だ。北は望みが薄い」

「……何故?」

「騎竜の跡が初めからない」


 なら生徒たちはどこへ……、そこまで考えて狩人さんの言いたいことがわかりました。


 前提になる情報がそのまま間違っていたのでしょう。

 自分がすぐに北の森を調べようとしたのは生徒たちが『依頼で北の森に行く』と思っていたからです。

 依頼の物品も北に植生が集中しています。当然、生徒たちも北に向かっていたと考えました。


 この情報が間違っていたら、北側で探しても無駄です。


「お願いします」

「心得た」


 一度、エス・ウォルル厶で空に飛び上がると空気の足場を作り、そのまま一直線に学園の方角へと跳躍しました。

 向かい風を術式で蹴散らし、着地と同時に小さなエス・ウォルル厶で衝撃を殺しました。


 着地点は騎芸の授業を行った【室内運動場】前です。

 

 痺れる足を無視し、常時では焚かれない篝火を抜け、そのまま学び舎へ。


 学園の廊下は緊急時に灯される術式ランプによって明るく照らされていました。

 明かりを用意することで生徒たちに学園の方向を知らせるためでしょう。

 こうした配慮はシャルティア先生か学園長だと思いますが、気になるものでもありません。

 

 職員室のドアを開けるとリィティカ先生とシャルティア先生が目を向けてきました。

 シェスタさんの姿が見えないのが気になりますが【宿泊施設】に向かったはずのシャルティア先生がここにいるのですから、何か指示を出したのでしょう。

 自分は首を振るとリィティカ先生はあからさまに肩を落とし、シャルティア先生は眉を潜めました。


「戻ってきたか。新しい情報が入ったぞ」

「聞かせてください」


 急遽、備え付けられた中央のテーブルには、生徒会のために作ったリーングラードの地図がありました。

 捜索を終えた部分を丸で囲み、備考として小さな文字が書きこまれていました。


 北側はまだ何も書かれていませんでした。東側に『騎竜の足跡なし』『痕跡なし』、南側は『冒険者の目撃情報なし』、西側に『【宿泊施設の住人より目撃談あり】』と書かれています。


 ざっと読み、自分は眉間に皺がよるのを自覚しました。


 この情報はシャルティア先生がまとめたのでしょう。

 だとしたら高い確度の情報です。


 なんの情報もなく突っ走って、悪戯に時間を消費したと思うと臍を噛む気持ちです。


「北側には騎竜の痕跡はなく、誰もいませんでした」

「初期の時点で北側がもっとも可能性があった。まずはない部分を潰せたんだ。無駄じゃないぞ」


 顔に出ていたんでしょうか。

 珍しく……、いえ、思えば何度もシャルティア先生にフォローされてきましたね。


「香茶淹れてきますぅ」

「いえ、お気遣い無く」

「ダメですぅ! たくさん汗をかいてますよぅ」


 水分補給も忘れていたようです。

 返事も待たずに注がれる香茶に、自分はリィティカ先生を見て小さく頭を動かすことで感謝に変えました。


「西は今、ピットラット老が陣頭指揮をとって人海戦術で森を捜索している。そろそろ定期連絡が入るはずだが……」

「西で間違いありませんか?」

「あぁ。途中で緑が深くなりすぎて難航しているらしいがな」


 場所さえわかれば。

 場所さえわかれば迎えにいけます。


「今から西に向かいます」

「待て。はやるな。こういう時の迂闊な動きは命取リだ」


 その命取リは間違いなく自分に向けたものではありません。


「ピットラット老なら細かい部分にも気がつく。任せて大丈夫だろう。少なくとも今のお前より、ずっとな」

「大丈夫です。リィティカ先生のお茶のお陰か冷静です」

「ならいい。曇るなよ。私たちは教師だが子供たちを預かっている以上、親ではないが親も同然だ。いざという時にどうするかわかるか?」

「迷子にオシオキですか」

「しっかりする。それだけだ」


 冷静を保てというのですか。

 それは今も、そして生徒たちに何があっても、すべての意味を含みます。


 しっかりする。

 ただそれだけのことが【戦略級】術式の負荷のように思えます。


「情報を整理する。手伝え」

「アイ、マム。森の歩き方以外でお願いします」

「まず、それを口にしていたら頬を叩いて正気に戻しているところだ」


 大丈夫です。

 今、そんなことほざいたら自殺したくなりますよ。


「何故、依頼のある北ではなく西へ向かったんですか」

「西の奥はたしかまだ捜査が完全でなかったな。何があるか私たちすら知らない場所だ」


 西にはポルルン・ポッカの集落らしき名状し難い森があります。

 あそこは封鎖されていると考えてもいいでしょう。


 もしもあの白い少女の幽霊がイルミンシアなら。

 ポルルン・ポッカと共に居るというのなら、あの森はポルルン・ポッカの聖域なのでしょう。

 おいそれと入れないはずです。少なくとも自分のように呼ばれない限りは。


「何故、西に向かった。依頼の採取物は北に集中している。それは生徒たちも知っていたはずだ。では偽ったことになる。依頼と称して西に行くためにな。となると生徒たちは後ろめたいと思っていた。西に向かうことが、違うな。目的地を我々に知られるのが後ろめたい、だ」


 生徒たちには自覚があったことになります。


「では、どうして帰れない? 不慮の事故か、あるいは予想外の事態に見舞われたか。ともあれ何かあり、身動きがとれない状態にあると考えるのが妥当だ」

「しかし、それだとどうにも腑に落ちません。リリーナ君がいます」


 森に愛され系のリリーナ君なら単身で学園に戻ってこれます。

 異変があったのならまず自分たちを呼ぶはずです。

 同時にクラスメイトを何かから隠した後に動くなんてこともできるでしょう。


 たとえ後ろめたくても、手に負えないとわかれば自分たちを頼るしかない。

 生徒たちはそう行動する。

 その自負があります。


 例えばヨシュアンクラスの誰かが怪我をしたとしましょう。一人か二人か。少なくとも全員とは考えにくい。

 足をひねった程度と生命の危険、天秤にかけて足を選ぶような子たちではありません。


「リリーナか。アレは何を考えているか掴みづらいがどうだ?」

「まず間違いなく危機判断能力はクラス――いえ、全生徒一です。どうにもならないとわかればエリエス君も同じ判断を下すでしょうが、本能的に正解を選ぶというのならリリーナ君を置いて他はいません」

「なら、なんらかの事情でリリーナが動けない、か。いや、待て」


 急に黙考し始めたシャルティア先生を邪魔するようにコツコツと窓が叩かれます。


 連絡用の小型飛竜が嘴で窓を叩いている音です。

 自分はすぐに立ち上がって窓を開け、足の書簡筒から紙片を取り出します。


 紙片を開くとシャルティア先生が肩から覗き見てきましたが、とりあえず何も言いません。

 気にしている場合ではありません。


「……貸せ!」


 その内容を見た瞬間、シャルティア先生に紙片を奪われました。


 ちらりと見た時にピットラット先生の捜索隊が魔獣に襲われたというように見えたのですが。

 なるほど、ふざけやがって。


「待て。動くな。撃退したと書いてあるぞ」

「……捜索隊には誰がついていますか」

「『ナハティガル』と大工連中だ」


 『ナハティガル』はともかく大工連中って棟梁さんですか。

 確かに物理的に頼りになりそうな連中です。


 怪我人が出たため一部を【宿泊施設】に戻すそうです。

 捜索の手が欲しい、こんな時に!


「今、この瞬間に襲ってこなくてもよかろうものを……」


 流石にシャルティア先生の顔も険しさを隠しきれません。


 魔獣。

 魔獣信仰組織。


 どうして自分はあの依頼のサインを入れる時に魔獣信仰組織について考えを巡らせなかったのでしょうか。


 暴走事件の時も誰かの存在が仄めかされていたにも関わらず、敵が居そうな森へ生徒たちを送り出してしまいました。

 もっと安全を確認してから、遠出を許すべきでした。


 何かあったらなんて話ではありません。

 相手の思う壺じゃないですか。


 魔獣信仰組織については何もわかっていないに等しいんです。

 義務教育計画の頓挫が目的なら、もう生徒が生きていない可能性だってあるんですよ。


 そうなれば自分はどうやって悔いればいいんですか。

 知らず握る拳に力が入りました。


 遺跡が見つかったせいで忙しかったという言い訳をするつもりは……。


「シャルティア先生。何か言いかけましたよね」

「何が、いやリリーナのことか?」

「えぇ、その続きです」

「まず危急の事態にあるとして、リリーナが救援に走らない状況と考えて何故、空に向かって救難信号の術式を撃たないのかと思ってな」


 エス・プリムを使った救難信号などの話は授業でもやりました。

 生徒会に入る前にも危急時の連絡方法として説明したはずです。


 生徒たちが覚えていなくてもエリエス君なら覚えているでしょう。

 なら、真っ先に救難信号を飛ばすはずです。


 近くまで来ているなら、制服に取り付けられた胸の術式具で位置を知らせてくるはずです。


「撃てない状況にある、と」

「余裕がないか、あるいは屋内」

「西側の森の中にある屋内といえば」


 自分とシャルティア先生が同じ結論に達した瞬間、地面が揺れました。


 違います。

 地面の揺れ以上に『揺れたと錯覚するほどの凶悪な圧』に、身体が勝手に身構えたせいです。


「きゃあ!」


 リィティカ先生が身体を抱えて蹲り、シャルティア先生も中腰で身構えていました。


「な……んだ、これは?」


 学び舎の中に居ても感じる巨大な何かの息遣い。

 おそらくリーングラード中にこの圧力を撒き散らしているのでしょう。


 自分はとっさに『眼』を飛ばし、源素を伝って遺跡側へと視界を移していきます。

 暗く、しかし鮮やかな色彩の森を抜け、北西の遺跡目指して突き進みます。


 生徒たちは今、遺跡にいるのでしょう。

 何故、隠していた遺跡のことを知っていたのか、遺跡に行こうと思ったのか。

 そこまではわかりません。


 もしかして偶然なんてことも考えましたが、偶然ではないのでしょう。

 その辺の追求は生徒たちに直接、聞いたほうが良さそうです。


 今はあの子たちの安否だけが気がかりでした。

 この異常事態に生徒たちも見舞われているのですから。


 森を往く光景。


 ですが、不意に目の前が玉虫色のような、シャボン玉のような歪みにぶち当たり、侵食されました。

 バチンと術式が途切れ、壊れた術陣が波動を目の中で撒き散らし、痛みと驚きにのけぞりました。


「ヨ、ヨシュアン先生?」


 突然、何かに当たったような自分の挙動にリィティカ先生がおずおずと顔をあげ、シャルティア先生が息を飲みました。


「ヨシュアン、その眼はどうした」


 涙のように伝う血の匂い。

 どうやら術式破壊のせいで目か周囲の肉に傷が入ったようです。


「なんでもありません。しくじっただけです」


 運が良かったのは左目だけにしていたことです。

 すぐに動けるように左目の視界だけに術式をかけていました。


 お陰で完全に視界を失うようなバカな真似だけは避けられました。


 あの歪みは間違いなく無色の源素です。

 それも周囲を満たすほどの無色の源素となれば、もはや瘴気と言ってもいいでしょう。


 生徒たちがいるかもしれない場所で瘴気。

 そして、この圧力の元凶が魔獣に関するものなら生徒たちが危険です。

 急ぎ、助け出さねばなりません。


「明らかに一人でどうにかなるような事態ではない。メルサラ・ヴァリルフーガが出るような事件だ」


 ドアの前に立つ自分にシャルティア先生が胸を押さえながら、制止の声をあげました。

 圧を受けて顔色も変えていない精神力、非戦闘員でコレですからすごいと思いますよ、本当に。


「えぇ。だから行かないといけません」


 今も降り注ぐ圧力。

 下手をしたら錯乱している者もいるかもしれません。

 西の捜索員も魔獣から襲撃を受け、この圧の影響も受け、余計に余裕のない捜索になるでしょう。


 もはやアテにならないのと同じです。


「この事態にアレフレット先生かヘグマント先生が帰ってくるでしょう。寮にいる生徒たちも感じているはずです。何人か寮の生徒たちのためへの手配をお願いします」

「待て!」

「これは、自分の見落としが原因です」


 本当なら気づくべきことに気づいていなかった。

 これではヘグマントやアレフレットの余裕のなさを笑えませんね。


 自分こそがもっとも余裕がなかったんです。


 生徒たちが軽挙を起こす前に、絶対に何かしらのサインがあったはずなんです。

 今思い返せば、おかしな部分をそのまま追求せずに見逃してきました。


 例えば『クリスティーナ君とマッフル君の賭け』です。

 その中身をちゃんと聞いておくべきでした。

 今回の件に関わっているかどうかですが、少なくとも何かしらの関係はあったんだと思います。


 あの時点ではまだ遺跡の話は出ていません。

 なのでポイント大量獲得のための布石、その出資額の話だったのでしょう。

 遠出には色々と物入りですから出資額をクリスティーナ君が多めに出した、とかそんな感じだと思います。


 エリエス君も様子が『変な部分』が色々とありました。


 依頼の受諾書を何故、持ってこなかったのか、その理由を聞かず仕舞でした。

 エリエス君を信用して耳を傾けなかったんじゃなく、あの後にきちんと話をすることが信用だったのです。

 あれでは放置したのと変わりません。何が誠意ですか。


 もっとも誠意がなかったのは自分です。

 この聞かなかった態度がエリエス君の口を閉ざしたのです。


 それが『ナハティガル』が出発するときの目に繋がります。


 あの時のエリエス君は見たことのない瞳をしていました。

 アレは探っていたのでしょう。遠出で必要なものを見て覚え、貪欲に知識として取り入れるために。

 質問するはずのエリエス君が自分にしなかったのは、口止めをされていたのかもしれません。

 遠まわしでも聞く素振りもありませんでした。

 

 だけど、聞こうとさせる振る舞いができていなかったからエリエス君は聞かなかったのです。


 最大の失敗は牧場での件です。


 あの時、ついてきたのは『確証を得るため』でしょう。


 勘のいいマッフル君が自分とジルさんとの会話で遺跡を想像することは容易かったはずです。

 本来なら遺跡まで、子供の足と一泊二日程度では行けない距離です。

 それを可能にしたのは騎芸でした。


 マッフル君はきっと得た情報と手段を最大に回転させて、こう考えたのでしょう。


 遺跡がある。では、遺跡がありそうな場所はどこか?

 牛車を借りる様子から遠いことはわかっていたでしょう。

 ジルさんたちが西の入口から出発し、帰ってきてから慌ただしい自分たちの様子を見ていたはずです。遺跡が見つかった時期を考えれば、西側のどこかと予想を立てられます。


 しかし、ここまでだとまだ特定には至りません。


 ここでエリエス君の情報があります。

 エリエス君はジルさんたちを探っていました。

 自分とジルさんとの会話で北西あたりと聞き耳を立てていたのでしょう。


 エリエス君の情報を聞いてマッフル君はさらに確信を深めました。

 北西の騎竜でいける範囲のどこかに遺跡がある、と理解しました。


 ですが、やはり確定ではありません。


 遺跡に行くためには詳細な情報がいります。

 もしかしたらこの時点ではまだ、遺跡が見つかったらいいな程度にしか考えてなかったのでしょう。


 北西から北へと向かい学園に帰ってくるルートを通れば、偶然、見つけられる程度を確定情報に変えた事態があったのです。

 

 それが出発前、リャナシーンのバカ息子との事件でしょう。

 四バカたちへの信用度はほぼゼロなので、まったく信用していませんでした。

 ですが生徒たちは違います。


 四バカたちは仮にも冒険者です。

 遺跡を特定できそうな情報を持っていると考えたのです。


 チーム戦に持っていき、セロ君が物理結界を張りながらリリーナ君がセロ君を持ちながら突進すれば、ほぼ瞬殺できます。

 そのためのアレンジを宿題でしていました。


 さぞかしゴロゴロと転がったんでしょうね四バカたちは。


 そして、勝利と同時に遺跡の情報を手に入れました。

 この時に気づいていれば、生徒たちを追いかけて窘められたはずでした。


 日常的に積み重なった当たり前を過信で見過ごしてきたというのなら、それは自分のミスでしかありません。

 止めるべき弁が働かないとどうなるか、この二週間で何度も見て聞いてきたはずなのに。

 この肝心な時に働かないでどうするんですか。


「死んでも助けます」

「好き嫌いしている場合ではないか。せめてメルサラ・ヴァリルフーガに手伝ってもらえ」

「どうせ嗅ぎつけてきます。それよりも」


 この職員室に向かって、廊下から暴れるような足音が聞こえてきます。

 乱れた気配に、荒い呼吸。

 渾身の力を込めてドアを開けて入ってきたのは、体中が擦り傷だらけのリリーナ君でした。


「リリーナ君!」


 驚き、しかし、冷静にリリーナ君を支えました。


 何があったのか、どうやって帰ってきたのか、他の生徒たちはどうしたのか、途中で誰とも会わなかったのか、どうして遺跡に向かったのか、無茶をするなとか、身体は大丈夫なのか、怖い思いをしなかったのか、よく無事に帰ってきたとか、様々な聞きたいことを全て押しとどめました。


「大丈夫ですか」

「マフマフが怪我して、遺跡の中で皆が大変であります! 変なローブが変な化物の祭壇でうぞうぞ出てきて、ちびっこが助けてくれて、皆で外に出て、それから……先生!」


 あのリリーナ君が涙を流しながら、必死で伝えてきています。

 何があったかを伝えようとして、まとまりきっていません。


 ですが十分です。


 自分の服を必死な手で掴んで懸命な願いを言葉にした。

 子供たちの誤ちを見過ごしていた自分に、それでも最後に掴むべき縁として自分を選んだことに、言いようのない気持ちが沸きあがります。

 しかし、素直に嬉しく思えません。


 リリーナ君の怪我のほとんどは擦り傷です。

 自分に助けを求めるためにリリーナ君は単独で森を踏破したのでしょう。

 その無茶な行動であちこちを擦りむいた姿です。


 森に愛された子が森によって傷つくほどの疾走。


 よほど余裕がなければできません。

 そして、追い詰めさせた原因が自分にもあるのなら、何を嬉しく思えるというのですか。


「皆を助けてであります!」

「えぇ。もちろんです。リィティカ先生、リリーナ君の治療をお願いします」

「は、はぃ……」


 リィティカ先生はこの圧力の中で身体がうまく動かないのでしょう。

 焦りながらも這い寄ってリリーナ君の身体を受け取りました。

 

「落ち着いたら話を聞いてあげてくださいシャルティア先生」

「……死んでもいいと言ったな。なら、生徒くらい助けて戻ってこい」


 シャルティア先生も渋々、妥協したようです。

 自分は小さく頷いて、廊下に出ました。


 駆け登る階段。

 目指すは屋上です。

 遺跡の位置はジルさんから聞いています。【ウルクリウスの翼】を使う距離ではありませんが上級強化術式なら十分、届く距離でしょう。


 屋上へのドアを蹴破り、屋上に出ました。


「おいおい。ずいぶん派手な登場じゃねぇか! スラムの借金取りも青ざめるぜぇ! 今日のシチューは真っ赤なトマトスープか?」


 欄干に持たれて待っていたのはメルサラでした。

 ほら、言ったとおりです。


 この戦闘狂がこんな圧力を受けて、黙っているはずがありません。

 むしろこの場に留まって、自分を待っていただけお利口さんですよ。


 月の明かりに負けないくらい、煌々と赤い源素を活性化させ、両手には火の粉のように赤の源素を漏らすガントレット型術式具【十本指】が装着されていました。


 すでにメルサラは戦闘準備に入っています。

 メルサラが拳を握る、それだけで薄い炎が撒き散らされていきます。


「カカッ! おい、大変だ今のオレは絶好調だぜぇ? なんせ嫁に行くくらいの気持ちで高ぶってやがる」


 その証拠に今も圧の中心らしき場所を楽しそうに目を歪めて睨んでいます。

 一方、自分は究極につまらない顔をしているでしょうね。


「メルサラ。生徒が近くにいる。初撃でぶちかますな」

「カカッ! らしくなってんじゃねぇーか! 乙女を焦らすんじゃねぇよ!」

「救助でき次第、殲滅戦だ」


 任務の内容は短く伝えながら、遺跡への方角を定めます。

 場所を誤るとそれだけ救助までの時間に関わります。


『安心していい同胞』


 突然の旋風と共に背後から声をかけられました。

 どこかに消えたモフモフが帰ってきたようです。


『子らは【森の子】が守っている』

「……気づいていたんですか?」

『【森の子】から聞かされた。眷属鬼のせいでうまく話ができなかったが集落まで足を運んで聞いてきた』


 何をしてきたと思えば、まさかモフモフが生徒たちを救うために動いていたとは思いもしませんでした。


『長くはもたないそうだ』

「助かりましたモフモフ」

『さもありなん』


 絶賛を口にするような気分ではありません。

 ですが頭を撫でてやりました。


 生徒たちに害を及ぼさないようにするという約束をモフモフは守ってくれたんでしょう。

 あんな脅迫まがいだったというのに。

 律儀な狼です。愛してますよ。


「愉快な狼つれてんじゃねーか! 喋りやがんぞこいつ」


 メルサラにも声が聞こえる――あぁ、そういえば自分と同じ力量の人間には聞こえるようにしたとか言っていましたね。

 何気にメルサラとモフモフは初めて出会います。


 メルサラは愉快そうに、モフモフは不思議なものを見る目でメルサラを見ていました。


『モフモフだ。同胞の同胞をしている』

「カカッ! モフ助か! 何ができる? 伏せやお座りくらいできんだろうな」


 その瞬間、モフモフが膨れあがりました。

 体毛ではなく、身体全てが竜車くらいまで大きくなりました。

 元の体格はもっと大きいのですが正直、もう驚かなくなっている自分がいます。


 謎生物の常識にさらされすぎです。

 メルサラ? こいつは元々、常識外れです。今も笑って見ているだけです。


『運ぼう。子らのところまで』


 乗れ、ということですか。

 ライオン座りをするモフモフに跨るとメルサラも同じように後ろにつきました。


『ぬ……』


 あ、モフモフ的にメルサラは運ぶつもりがなかったようですね。


「危急なので目をつぶってください」

『……さもありなん』


 これが終わったらヤグーの肉でもあげましょう。

 

 モフモフが立ち上がり、屋上を蹴って空に舞い上がりました。

 体重を感じさせない動きで跳ね飛ぶ姿は【神話級】の名に恥じないものだったでしょう。


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