見落とす無知
参礼日に静かな図書館で神話を調べる。
そんな簡単なことで、なんだか本職に戻った気がします。
紙をめくる音しかしない空間。
蔵書の並ぶ世界を一人占めしていると孤独よりも薄い万能感に満たされます。
手の届くところに欲しい知識がある。
それが万能感を錯覚させる要因でしょう。
煌々と太陽の光を浴びて反射する埃が一種、幻想的ですが自分にとっては窓を開けるか程度の感慨しか浮かばせませんでした。
ただ調べるだけを調べ、得た知識をすべてブロック状に纏めて組み立てていきます。
積み木のように理屈を重ねていくことで膨大な情報を最適化し、最高率の答えを導きだします。
とはいえ、人の口を介して伝わった神話に決定的な情報はありませんでした。
元の情報が曖昧不確かな文章をまとめたところで、どうにもまとめ切れない部分が発生します。
ですが、いくつものスィ・ムーラン伝承を読むうちに骨子となる部分を発見しました。
共通項ですね。
複数の解釈を切り捨てて、絶対に通るべき歴史の流れの点を洗い出しました。
神話という物語から読み取れる、少なくとも確実な、スィ・ムーランの歩いた道のりです。
「すなわち『真珠の海』から始まり――」
神話において、もっとも不可思議な旅人スィ・ムーラン。
彼は神話の中でもっとも自由に世界を歩き回り、いくつかの章に渡り登場しながらも彼の目的だけはわかりませんでした。自分には狂言回しや章の休憩みたいな役割ばかり負わされているように見えたからです。
あるいは万能の神々に対して、矮小のものを演じさせたかったものか。
その判断はひとまずどこかに放り投げておきます。
「――過去はなく、未来しかない」
歴史がない。
そう取れるほど唐突に始まるスィ・ムーランの旅。
神話だから突然、現れたように見えるのでしょうが複数の神話・伝承の全てに彼の過去は描かれていません。
中には神々の目として世界を見渡す役目を負わされた者と神命を与えられたので過去がない、と言い切っているものもありました。
「スィ・ムーランは正しく歴史がないんでしょうね」
これに関してはすでに答えを見つけています。
だから歴史がないは気にしなくてもいい部分です。
というか前半部なんてほとんど意味がありませんでした。
何故か旅がうまくいかないから『賢しき岩の王』を訪ね、『日記つけてねーからじゃね?』と岩面に諭され『岩を削る杖』をもらい、そこらの岩に日記をつけて歩いたら何故か旅がうまくいったとか。
『めっさ暗くて進めない』とぼやいたら、親友みたいな馴れ馴れしさでマグル族が現れて、南の『焔の意思』という不定形の超生命体に会いに行けと言われたり、様々です。
なんでしょうね、このたらい回しは。
主体性がないのか、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしています。
そうしたスィ・ムーランの旅は問題ではありません。
問題はスィ・ムーランが神話や伝承で行った約束の数。
数多くある約束の中、複数の詩篇で共通するものを抜粋するとその数は三つになりました。
一つは神話のもっとも派手な逸話『嵐落とし』の前。神々の大敵【ファーヴニール】に抗うスィ・ムーランと神々の約束。
『太陽の唄』と呼ばれる約束。
一つは終章において、神々の去った土地を孤独に旅するスィ・ムーランが誰かに当てて、永劫の別れを口にする部分。
『スィ・ムーランの言葉』と呼ばれる約束。
一つはエルフの少女イルミンシアとの悲しき別れの際に再会を約束した部分。
『大樹の唄』と呼ばれる約束です。
「もう一度、また会えるから」
『大樹の唄』の最後の詩を口にすると、妙な懐かしさすら感じます。
しかし、感情とは裏腹に心は否定的な理屈が埋め尽くしていきます。
会えるはずがありません。
始祖のエルフの一人のイルミンシアは『無色の獣』を封じこめるために『鎖の森』に身を捧げ、死んでいます。
死んだ者は決して生き返らない。
生き返ってはならない。
この世のどの神が許そうが自分だけはそんな逆理を認められません。
と、神話にムキになっても仕方ありません。
最古の術式イルミンシア・プリムとも強い関わりがある物語です。
なので、逸話だけは知っていましたが骨子だけ見ると発動時期が違います。
『無色の獣』を滅ぼす前とイルミンシアが殺される前。
そのどちらかで使っていますが、これは『イルミンシア・プリムが一度、発動した』と読むべきでしょうか。
少し気になってイルミンシアの『鎖の森』の章を再度、読み解きました。
「スィ・ムーランが北の『雪の女王』に会いにいく途中、【囁くラタトスク】のささやきに耳を傾けるところ。ここはモフモフが言った言葉の裏付けですね」
モフモフが【囁くラタトスク】を嫌っている部分ですね。
スィ・ムーランの旅を邪魔したので嫌いなんでしょう。
【囁くラタトスク】が寂しそうな少女イルミンシアのことを同情混じりに噂します。
噂はスィ・ムーランの耳に入り、一度、立ち寄ってみようとして入った森が『鎖の森』です。
そこでスィ・ムーランとイルミンシアは出会います。
しかし、出会いは短いものでした。
すぐに『鎖の森』に封じられている『無色の獣』に見つかってしまいます。
姿無き獣の遠吠えにスィ・ムーランが動揺すると、
『大変。旅人さんを知って『無色の獣』が騒ぎ出したわ。でも安心して。この『鎖の森』からは『無色の獣』は絶対に逃げられないし、自由に動くこともできないの。でも、静かに、そーっと息をひそめるように今日を過ごしましょう。死は深く動く者に積極的に働きかけるの。『無色の獣』も同じ。だから静かにして頭を垂れていましょう。いつか死も『無色の獣』も頭の上を通り過ぎてしまうでしょう』
少女の的確な助言で落ち着きを取り戻しました。
こうして静かに一晩をやり過ごしたスィ・ムーランは当然のようにイルミンシアを外に誘おうとします。
『ここは『鎖の森』。この森にあるもの全ては繋がれているの。あの『無色の獣』は私がいるから自由に動けないし、『無色の獣』がいるから私も生きていられるから。とても嬉しいお誘いだけど、お願い。その手を戻して。私はどこにもいけないけれど、いつでもここにいるわ。いつかまたお話を聞かせて。貴方の旅のお話を。その時――いけない、また騒いでる。早く先へ、決して振り向かず――振り向いたら獣に追いつかれてしまう』
ここで一度の別れ。
そして、スィ・ムーランはもう一度、この森に訪れる決意をし『雪の女王』の下へと向かいます。
この時の助言が吹雪の園での旅を助けるんです。
「再び出会うのは『太陽の唄』を越えて、『嵐落とし』を成功させた後。滅びた【ファーヴニール】の起こした災厄によって、各地の眠れる魔獣が解き放たれた後です。『鎖の森』の『無色の獣』もこの事象のせいで鎖から脱けだしました」
ここの挿絵では、見えない何かによってイルミンシアが食べられています。
反対側にはスィ・ムーランです。手を差し伸べているところを見ると、間に合わなかったか、あるいは助け出そうとしたのか。
その姿がやけに胸に突き刺さりましたが、いきり立つほどのものではありません。
せいぜい、胸を掻きむしりたくなったくらいです。
死に際のイルミンシアがスィ・ムーランに別れの言葉ではなく再会の約束をしたのは何故でしょう?
何故、『大樹の唄』という約束をする必要があったのでしょうか。
愚直に見るなら本当にイルミンシアはなんらかの力で復活できると思っていたのでしょうか。
仮にできたとしても納得いきません。
【神話級】だとしても、です。
もしも【神話級】が万能なら何故、『無色の獣』を封印するしかなかったんですか。
万能でない証拠です。
そして、死んだ神や人間が生き返った伝承はありません。
少なくとも神話関係にはありません。
なら、仮説は一つです。
イルミンシアは生きている。
ただ深い眠りかそれに属する形に落ち着いたのでしょう。
となると、ポルルン・ポッカが踊りながら言った台詞は厄介な意味を含みます。
『トーメイ ノ ケモノ イルカラー』
『透明の獣』を『無色の獣』だと仮定すると、非常に嫌な予感しかしません。
「『無色の獣』がいるのならイルミンシアも居るはずです。二つで一つみたいなことを書いていましたしね。だとするとあの幽霊の少女がイルミンシア? しかし、実体があったように見えません。アレでは生きていると言わないでしょう」
実在を証明する木の実の術式具。
【神話級】の術陣が込められたものである以上、【神話級】が関わっているのでしょうが、そもそもモフモフが関わっている時点で理解できていました。
謎の力、という曖昧な理屈を駆使して、ひとまず納得しましょう。
これらも単純に『幽霊の少女が目を覚ましたときに『透明の獣』も目を覚ます』と考えられます。
寝ている現状は大丈夫と言えるわけです。
ありえないものも含め、単純に考えるのなら『リーングラードは以前は鎖の森と呼ばれており、物語上、滅びたはずの無色の獣はまだ生きており、リーングラードの土地のどこかで眠っている。モフモフたちの危惧通り災厄の土地である』という結論です。
そして、ここで最新の情報である遺跡を組み合わせます。
遺跡が神代に作られたものだったとして、もしもこの仮説を裏付けるものが発見された場合――
「最悪、リーングラードは謎生物たちに任せて撤退したほうがいいですね」
――生徒たちのことも考え、退いたほうがいいでしょう。
政治や貴族院のことを考えなければ、ですが。
それでも自分にとって天秤は生徒側に傾いています。
無駄な地獄に生徒たちを置く必要なんてありません。
モフモフから今すぐどうこうとは言われていないので、義務教育計画中は大丈夫でしょう。
ここで凍結されると予算的にも大打撃です。
時間的なものを考えるともっとです。
さて、ここまで色々と考えましたが自分で立てた仮説、おかしいのも確かです。
一つは『大樹の唄』の謎。
もう一つが『鎖の森』とイルミンシアの歴史的資料が存在しないことです。
どこを探してもイルミンシアはスィ・ムーラン伝承にしか出てこないんですよ。
『無色の獣』がどんなものかまで知りませんし、モフモフの警戒っぷりから強敵なんでしょうが『そんな凶悪な敵のことなのにスィ・ムーラン伝承でしか存在しない』という不思議さがあります。
スィ・ムーランは他の神々から見れば矮小な存在です。
作戦、立案みたいなことはしていますがその程度で、神々のような力を持っていません。
この『鎖の森』の終わりにしてもそうです。
『無色の獣』はスィ・ムーランを助けに来たルーカンが倒しています。
しかし、ルーカンが主役の叙事詩や伝承にはまったく登場していないのです。
強敵だったものが主役の方で現れず、神々の伝承の隙間に位置するスィ・ムーラン伝承にだけ伝わっているのも変な話です。
例えば【ファーヴニール】は全ての伝承に顔を見せます。
これは過去、【ファーヴニール】と呼ぶ災厄の魔獣神が高確率で存在したと見ていいでしょう。
あるいは魔獣神と呼ばれるほど卓越した何かがあったと見るべきです。
「『無色の獣』と『鎖の森』、そしてイルミンシアの存在が気薄なくせに『まるであると知っている人外どもの行動』が解せませんね」
伝承に載っていない何かを隠したがっているようにすら思えます。
「まるで、スィ・ムーランと同じで」
始まりがないのに結果としての『物語』があるような。
では、イルミンシアもスィ・ムーランと同じ『どこかから来て神話・伝承という物語を作った』のでしょうか。
突然、『鎖の森』が出現したように錯覚するのは気のせいでしょうか?
結局、収穫になりそうな部分は『大樹の唄』の周辺でしょうか。
ですが、これだけでは【語り部】から謎を切り崩せません。
他にも謎があるとしたら、これらの謎をどうしてアルベルタは放置したんでしょうか。
アルベルタなら、自分が考え出した推測くらい容易に導き出したでしょう。
その上で『アルベルタの目的と合致している』にも関わらず、撤退しています。
つまり、アルベルタの目的に近いにも関わらず、リーングラードを破棄して構わないと考えたんですよ。
破棄するほど危険度が高かった、とは考えません。
アレにとって危険度の高さなど意味がありません。
もしかしたら謎すぎて再現できなかったのかもしれません。
わかっていても使えなければ放置一択でしょう。
アレの思想や思考に理屈をつけようとするたびに静寂の中に『夜鷹のような嘲笑』が聞こえてくる気がします。
『――ほら、くるぞ。お前が見落としている無知がくるぞ』
「うるさい、黙れ」
声を出しても何も返ってきません。
所詮は幻聴です。
長い間、文面とにらめっこしていたせいでしょう。
だから、ありもしない幻聴なんかを聞くハメになるんです。
いつの間にか天窓から降り注ぐ光に薄橙が混じってきていました。
十分、調べ物をしたと思います。
後はベルベールさんから追加の資料が届くのと遺跡から何か出てくるのを待つしかありませんね。
全ての資料をあった棚に戻し、鍵を閉めて【大図書館】を後にしました。
このあとは鍵を返し、職員室で番をしているヘグマントに帰る旨を告げ、社宅に戻りました。
試しにモフモフに色々と聞いてみてもいいですね。
【守護者】とやらが隠したい部分を覆うように質問すれば、大筋の輪郭も見えてくるでしょう。
夕食はシェスタさんが作ると言い切っていたので、用意しなくてもいいでしょう。
社宅に戻って部屋に入ると、ローブを外套掛けに放り投げました。
長時間の調べ物のせいか肩が凝って仕方ありません。
グルグルと肩周りをゆっくり動かしていると、定位置のモフモフが立ち上がりました。
『む――』
「どうかしましたか?」
探るように鼻を動かしているモフモフ。
いつもはのほほんとしている瞳が剣呑な気配を宿しています。
『出てくる』
短く言い残し、モフモフは玄関のドアの前に座りました。
一瞬、何をしているのかと思いましたが、すぐに理解しました。
モフモフは自分がドアを開けないと出られないんでした。
面倒ですが出不精のモフモフが出かけるというのですから、開けてやりましょう。
ドアを開けた瞬間、猫のようにスルリと扉を通り抜けて、もう薄くなった陽の中に消えていきました。
何かあったんでしょうか?
モフモフが気になるようなことと言えば自分か【神話級】関係でしょう。
目の前に自分が居る以上、今回は間違いなく後者でしょう。
自分も気になって外に顔を出してみて、ふと音が聞こえました。
サンダルを履いた人特有の、つっかえたような不規則な音。
あまり運動しない人が頑張って走ったらこんな音を奏でるんでしょうね。
やがて広場の出入り口の向こう側から、誰かが自分の社宅目掛けて走ってきているのが見えました。
向こうは自分に気づいたみたいで、より足を速めます。
三十代後半とは思えない瑞々しさと白いエプロンが特徴的な女性と言えば管理人さんしかいません。
管理人さんが慌てて教師の社宅に走ってくる事態なんて限られています。
どうやら生徒に何かあったようです。
「どうかしましたか?」
「あの、……ッ」
荒く肩を上下させて崩れる管理人さんを、間一髪で抱きとめました。
「落ち着いて、座って待っていてください。水を持ってきます」
「あの……、ごめんなさいね、ちょっと待って」
しっかりと掴まれる二の腕。
心臓を押さえて、少し深呼吸した管理人さんは荒々しい、しかし、とぎれとぎれでもハッキリとこう言いました。
「ヨシュアンクラスの、皆さんは、こちらにいますか?」
柔和な瞳の奥には心配の影が隠しきれていませんでした。
「まだ帰ってきてなくて、心配で、心配で……」
自分が事件を認識した一番、最初の言葉から嫌な気配が濃厚に立ち上がっていました。
『ほら、見落としていた』
喉がつっかえたような嫌な笑い声が耳奥で大きく響き渡っていました。




