回り巡る優しさ
ヘグマントと共に生徒たちが待つ【室内運動場】前まで歩くと、出迎えたのは目が吊り上がって、肩を怒らせているアレフレットでした。
「お前ら……ッ!」
自分とヘグマントは顔を見合わせて、二人でアレフレットの肩を叩きました。
「や、さすがアレフレット先生。素晴らしい審判でした。もしかしてジェシリック・グラガンの再来ですか? 次あたりの武術大会で是非と言われてもおかしくないですね」
「うむ! 審判役、助かったぞ!」
「そうそう、英断でしたよ。まさか騎芸から馬上戦闘に移行しても、そのまま審判してましたからね。普通だと停止宣言ですよ。布以上の柔軟性に驚きを隠せません。おかげでこちらはのびのびと試合させてもらいましたよ」
「うむうむ! 我々の心意気を理解してもらえるとはな!」
「生徒たちも本場の空気を味わえたのも単にアレフレット先生の判断の正しさですからね。はい、力を抜いて、にっこり笑って」
「やはり持つべき者は心の広い同僚だな!」
とりあえず褒め殺しておきましょう。
「くびり殺したくなるから今すぐ、そのくだらない冗談しか言えない口を粘着玉で閉じてろ……ッ!」
親でも殺しそうな目で怒られました。
「何故、あんな無茶な行動に出た! いや、言うな、口を開くな! 黙って聞け、お前たちはな、実演をするつもりだったんだろう? それなのに本来、教えるべき騎芸ではなく戦場の騎芸を教えた。お前たちは生徒に何をさせたいんだ? 帝国へ行って殺し合いでもさせるつもりか? ここは軍部じゃない! 学術を学ぶための教育機関だ! わかるか!」
忙しなく、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら怒り続けているアレフレット。
生徒たちも少し呆然とアレフレットを見ていました。
「まぁまぁ、アレフレット先生。落ち着きたまえ」
「落ち着け? これ以上にないほど落ち着いてるさ! 人に審判を任せておいて指示に従わないお前らと違ってな」
これは本気でどうにかしないと授業に移れませんね。
自分たちのせいでもありますが、理由がなかったわけでもありません。
ここはアレフレットを丸めこみ――もとい、説得した方が良さそうです。
「アレフレット先生。昨夜の話を覚えていますか?」
「それが一体、なんの関係がある。口八丁で騙そうったってそうはいかないからな」
「まぁ、お叱りは後で聞きますよ。新しい教育方法についてですが、これも一つでして」
「一体、何を言って……」
言いかけて止まりました。
どうやら思い当たる節があったようです。
思想教育はアレフレットとの共同発案です。
間違った思想を正しい知識に基づいた思想教育で矯正するという手段。
ではどうやって思想を塗り替えていくか。
一番、始めに出た答えは『絵本』でした。
人は文字がわからなくても絵でなんとなく話がわかります。世の中の常識や道徳は絵本で学ぶ子も少なくありません。
もっとも一番、多いのは親の寝物語です。
村の老人から伝説を聞く、キャラバンや商人から街で起こったことを聞く、などの手段です。
やってはいけないことに関しては親のオシオキが一番、効果があるのではないかと思っています。
何度も、何度も、子供が間違うたびに教えていく。
これが思想教育の近道だと結論が出ました。
元より長期戦覚悟でした。
では思想の何を伝えるか。
何を重要視して、どんな事柄を教えるのか。
魔獣は敵であり、食べたり、捨てたりしてはいけないと教えることです。
当たり前ですが、当たり前でない村もある以上、言って聞かせるのです。
もしかしたら教会は魔獣信仰のことを知っていたんじゃないでしょうか?
この教育を一番、優秀な方法を施しているのは教会です。
教会は魔獣を敵と見做しています。
ある程度の大きさの村や街には必ず存在し、ない場所には放浪導師が伝え歩き、魔獣の脅威を語り、聖水を売り歩きます。
考えてみれば深く浸透する分だけ、効率的なやり方なのでしょう。
もしも教会の教え漏れを学園が補助する形になれば……、反教会的なことも教えている学園にとって悪い話ではありません。
うまくすれば、これまで通り不干渉を貫く流れに持って行けます。
「お前、もしかしてわざと……」
「いえ、試合自体は本気でした。そうでないとヘグマント先生に失礼ですからね」
暗に自分が邪道にこだわったような言い方をしました。
実際は邪道でないとヘグマントに勝てないとわかっていました。順序は逆ですけれどね。
言い方次第ですね。
わざと『邪道』を演じて『正道』に負けた形はわかりやすい思想です。
「……言っておくが許したわけじゃないぞ。前もって言っておかなかった分は後で言わせてもらうからな」
「えぇ、このあと教師全員にあの話もしますので」
「もう授業の時間の終わりも近い、授業を締めてこい」
アレフレットが感情を抑えながらも了承したのは、やはりアレフレットには理由があるからです。
この学園で思想教育がうまくいけば、自領で行うつもりなのです。
アレフレットからすれば利益のある実験、というべきでしょうか。
ヘグマントが鎧姿で生徒たちの前に出ると、何人かは気圧されましたね。
「以上が騎芸の実演だ! 理解しているだろうが最初の一往復が騎芸! その次からは馬上戦闘と呼ばれる実際の戦闘技術だ! お前たちが覚えるものは騎芸だが、もしもお前たちが馬や騎竜に乗る盗賊などと戦うことがあれば相手は騎芸を越えて襲ってくることを教えるためのものだ!」
普段の格好より厳ついこともあって子供からすれば怖いのかもしれません。
しかし、ヘグマントも言いますね。
まるで最初からそうするつもりだったみたいに聞こえます。
「だが騎芸も訓練を積めば相手を倒すことができる! どちらが強いというものではない! 技術は常に完全ではないと知れ! そして、相手が必ず己の想像を越えて行動すると覚えておけ! お前たちに教えることは常に実戦にも通用する技術だと理解したのなら、その心構えがお前たちを救う! 気合を入れて学べ!」
歩兵でも馬や騎竜と戦う方法があると教えておくべきでしょうか。
これは少しヘグマントと話し合ってみましょう。
「以上で騎芸の初日訓練を終わる! 他に何か言いたい教師はいるか!」
自分は手を上げて、一歩前に出ました。
「明日も騎芸の授業ですが防具を持っている子はちゃんと寮の管理人さんから鍵を開けてもらって持ってくること。忘れても貸出用の鎧がありますが数は限られています。鎧を持っていない子に優先して回すので、忘れてはいけませんよ。また今日から騎芸に使われる騎士槍を作る依頼が解禁されます。ポイントは少ないですが、武器の構造に興味がある子は依頼を受けてみてください」
ふと見たヨシュアンクラス。
クリスティーナ君がものすごい顔で睨んでいました。
あぁ、負けたのがそんなに嫌だったと。
マッフル君はちょっと考えている顔です。
何かまた思いつきましたね。
これは要注意です。
エリエス君はいつものように無表情で佇んでいますが、瞳に『馬、騎竜』と書いてあります。
気に入ったんですね、そうですね。
馬と騎竜は絶対、飼わせませんよ。
リリーナ君は相変わらず、とぼけたようにキョロキョロしています。
あまり共感するものはなかったのでしょうか?
いえ、まだ鞍の取り付けしか教えていません。実際にやらせてから様子を見たほうがいいですね。
そして、一番、酷い顔をしているのがセロ君でした。
魂が抜けたような顔……何があったんですか?
授業の終わりと同時に自分はヨシュアンクラスに足を進めました。
しかし、それも肩に置かれた手で止めざるをえませんでした。
「貴様……、何故、負けた」
シャルティア先生が不穏な空気を纏わせていました。
「何の話です?」
「貴様が負けたせいで銀貨一枚が空に浮かんで消えてしまったぞ」
何、賭け事してんですか。
というかいつの間に賭けていたんですか。
「誰と賭けていたんですか」
「ピットラット老だ。騎芸の実演があることは前もって知っていたからな」
「……ピットラット先生からお金を巻きあげようとしないでください」
ピットラット先生を見たら、小さく肩を揺らして笑みを浮かべていました。
あっちはヘグマントに賭けていたことを考えると慧眼としか言い様がないですね。
「しかし、ヘグマントが勝つとは思わなかったぞ。術式があるのなら勝てると踏んだんだがな」
これは暗に『遠距離術式を使っていれば勝てただろう? どうして負けた』と聞きたいのでしょう。
「正直な話、事が戦闘ならお前は一番強いのではないかと思っている」
「メルサラがいますよ。さすがに【タクティクス・ブロンド】には勝てません」
「だが、勝ってみせた。相性なのか、知り尽くしているからかは知らないが授業に戦闘という項目があったらヘグマントすらお役御免になるほどだろう」
本当に非戦闘員なのかと思うくらい、よく見ています。
いえ、シャルティア先生の言う通り、なんでもアリだったらそうなんでしょう。
しかし、今回は騎芸ですからね。
さすがに熟練者相手に初心者が挑んで簡単に勝てるほど甘くありませんよ。
「それも含め、職員会議で話そうと思います。今は――」
「あぁ、なるほど。セロか」
目線を合わそうとしない自分に気づき、シャルティア先生が引いてくれました。
シャルティア先生に小さく手を上げて、自分はセロ君の前に立ちました。
「セロ君。顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」
呆然としていたセロ君は自分の声に気づいて、肩をビクリと震わせました。
そして、ゆっくり見上げるクリクリした瞳に涙が浮かんでいました。
なんで泣いてるんですか?
「ぁぅ……」
震える手で自分の足を掴むと、一生、離さないと言った感じで抱きついてきました。
「えー……、リリーナ君」
「なんでありますか?」
「下の娘の面倒はリリーナ君のお仕事でしょう。抱きついて安心させてあげましたか?」
「んー? リリーナはちゃんとセロりんを抱きしめてたでありますよ?」
「では、どうして溢れんばかりに涙を溜めているんですか」
「さぁ、であります。怖かったっぽいでありますね」
怖かった?
いえ、それは見てわかりますよ。
問題は何が怖かったか、ですよ。
「実演なんて何回もやっているでしょうに」
「先生が負けたのが怖かったんじゃないでありますか?」
実演に参加するのは何も今日が初めてではありません。
セロ君もよく知っているのか、心配そうな顔こそすれ、泣くようなことはなかったのですが。
やはりリリーナ君の言う通り、負けたせいですか?
「そうですわ! 私に無断で負けるなんてどういうおつもりですの!」
なんか面倒な子がきましたよ。
フリルをプリプリ怒らせて、指を差してきました。
「ヨシュアンクラスの不敗伝説を先生が破ってどうするのです!」
そんな伝説、初めて聞きました。
エリエス君に『説明お願いします』という目線を送ると、小さく頷きました。
「クリスティーナの妄想」
的確かつ鋭すぎる答えでした。
確実に心臓を狙いに行ってますね。
「クリスティーナ君。ヘグマント先生を甘く見てはいけませんよ。あの人は本気で強い人です。正当な強さとはあぁである、と追求してきた結果、強くなったのです」
必ず殺したい相手がいるから条理を越えて、常識を塗り替えて、肉体も魂も犠牲にして作り上げた自分の強さとはまさに正反対。
「強くなる方法は様々ですが騎芸で馬上戦闘を制するなんて真似は軍人でもそうはできません」
馬上戦闘で勝とうと思うのなら術式による遠距離術式や弓矢を使って、先に相手を倒します。
わざわざ相手の間合いまで待ってやる必要はありません。
しかし、実際にヘグマントは術式を使わず、支給されたという軍用の術式具もあまり使っていないそうです。
肉体の強度だけにこだわり、肉体の駆使だけで相手に勝つ明確な意思が自分を負かした最後の技――背後の敵を討つための技術を生み出したのです。
いえ、それすらも正当な技術を何度も訓練し、何千何万と行ってきた技から派生した応用でしかないのです。
「理屈の話ではありませんわ!」
それだとどう考えて説得できません。
クリスティーナ君も何を憤っているのか、今ひとつ掴めませんね。
セロ君を宥めるように頭を撫でてやりながら、心は静かに考えます。
説得する必要があるかどうかです。
「クリスティーナ君、マッフル君、エリエス君、そしてリリーナ君。今回の実演で君たちはどんな騎芸がしたいと思いましたか?」
急に話を変えられて、クリスティーナ君は口をへの字に曲げました。
「はい、はい、はーい!」
普段は手を上げないくせにこういう時だけ自己主張が激しいですねリリーナ君。
「先生の戦い方が一番、良かったであります。飛んだり跳ねたりしたいであります」
「あー、リリーナならできそうだよな」
マッフル君が微妙な顔で同意しました。
「とりあえず教えてくれるものを基本にして、それからかな? 先生らの実演、意味わかんない部分もあるしさ」
堅実的な意見のマッフル君。
確実に勝ち、ここぞという時に博打を売るマッフル君らしい答えです。
「私が正道以外に何を求めるというのですわ」
胸を張っているクリスティーナ君。
でも知っていますか? 君に教えた『幽歩』は邪道の技です。
元は暗殺者や最初の一撃に特化した剣士という、滅多にいない剣士の技術なんです。
「ドリルとかフリルを求めたらいいんじゃない? 今みたいにさ」
「わかっていませんわね。これは貴人の嗜みですわ」
「同じ貴人のレギンヒルト試練官はしてなかったじゃん」
うぐ、と声を詰まらせるクリスティーナ君。
レギィは貴人というよりも修道女生活をしていましたからね。
そうでなくても、ドリルやフリルよりもスラッとした服が似合うのは認めますよ。
「エリエス君は?」
「わかりません」
これまたハッキリと言いましたね。
たぶん、マッフル君に近しい答えなのでしょう。
今はまだ選べないということです。
個人的にエリエス君は自分の技術が一番、しっくり来ると思っています。
小柄で術式の才能があるのなら、最適解は自分に似通ってくるはずです。
そしてセロ君。
まだ落ち着いていないので戦い方なんて聞いても――あ。そうか、思い出しました。
暴走馬と暴走竜を止めたり、氷の橋を壊したり、ご飯食べてなかったり、実演したりですっかり忘れていました。
特にご飯は意識するとお腹が減ってきました。
いえ、そんなこと考えている場合ではありません。
「セロ君。もしかして……、どんな騎芸を思い浮かべていました?」
この問にセロ君はビクリと肩を動かしました。
「ぁの、あの、あのなのです……」
なんだか擬音が多く、たどたどしい説明だったのでまとめてみました。
セロ君は馬の上で戦闘する騎芸というものを聞いて、こう考えたのです。
お互いの馬を止めて、木槍や木剣でポコスカ叩き合う姿を浮かべたそうです。
その話を聞いて自分はまるで『絵本』みたいだと思ったのですが、
「もしかしてバナビー・ペイターですか?」
思ったとおり、セロ君は首を緩やかに縦に動かしました。
そういえば長期休暇中、セロ君はティルレッタ君やエリエス君と一緒に本を読んでいましたね。
内容も想像がつきます。
「バナビーが馬に乗っていた姿を想像していたから、実演との差に驚いたんですか?」
「ちがうのです」
おずおずと見上げるセロ君はちょっと頬が赤くなっていました。
まだしゃっくりが止まっていないので、ただの生理現象ですね。
「先生が負けたとき……」
気が弱いからといって泣くほどの内容だったとは思えません。
多少、気当たりが酷かったかもしれませんが、距離は空いてましたし、何より実演だと最初に教えておきました。
「その絵本の内容で負けた方が落馬して、酷い目にあったとかですか?」
「首が取れたのです……」
絵本って基本、残酷ですよね。
現実離れしすぎて現実に当てはめるとエグくなる仕様です。
大丈夫。先生の首はバナビーのように取れたり、くっついたりしません。ちゃんと人類です。若干、疑わしい部分もありますが。
「先生の首は取れたりしませんよ。落ちた時にちゃんと術式で落下速度を落としていましたしね」
「でも、槍が首に……」
「大丈夫です。あれは首ではなくローブのフードですよ。先生はちゃんと生きていますよ」
ほんの少しだけ肩から力が抜けて、でも足から手を離してはくれませんでした。
「先生を心配してくれたんですね」
この子の何が優しいかといえば、こういうところでしょうね。
クリスティーナ君たちは自分を信じていました。クリスティーナ君は負けて欲しくなかったようですが、ほかの子達も『先生なら死なないだろう』という信用がありました。
実際、死ぬことはないと思っていました。
どんな事態になろうとも生き抜ける自信がありました。
その自信を生徒たちもわかっているのでしょう。
だからこそ心配しないし、その先の言葉を口にするのです。
自分が問いかけても平常心で答えられるのです。
ですがセロ君だけは『先生』ではなく、『死ぬこともある人間』として見て、心配しました。
セロ君が信用していなかったというわけではありません。
信用していても心配してしまうのでしょう。
万が一を思い浮かべて、震えてしまう。
気の弱さと人は言うのでしょうが、自分はきっと、そういう気持ちを優しいと呼ぶのだと思います。
誰かを心配する気持ちを悪いとは口が裂けてもいえません。
【戦略級】術式師になってからは一度もされたことがない気持ちを向けていたのです。
【タクティクス・ブロンド】になってからも同じことです。
ともすれば自分が自分で忘れてしまいそうな当たり前を、セロ君が教えてくれます。
「ありがとう。セロ君」
自分が人間であるという至極、簡単な事実に。
負けて悔しく想い、勝ちたいと願う、ただの人間だと。
きっとそれは自分にとって足枷で、邪魔なもので、なりたくないもので。
でも悪くない気分です。
セロ君が落ち着くまで、トントンと肩を叩きながら自分は慰め続けました。




