限りなく掛け違える輪のように
頭が痛い問題が一つ、増えました。
何がというとセロ君です。
馬に噛まれ、自分がカルニアホーンから落ちたことでセロ君の中で馬=悪者の公式が成り立ってしまったようです。
馬を睨む様子は至って真面目なんでしょうが、見た目は全然、怖くありませんね。
とはいえ騎竜にはそんなに厳しい目を向けていないので、ヨシュアンクラスの騎芸は騎竜が中心になりそうです。
馬や騎竜の手綱を引いて牧場に帰る牧場主さん。
用具を片付ける生徒たち。
教師たちもそれぞれの仕事の管理や指示に回っていました。
自分とヘグマントは無茶をした罰もあり【室内運動場】前から校庭にかけて出来た地面のくぼみを整地しました。 砕けた穂先も拾いましたよ?
なるべく花壇を避けたつもりでしたが、一部に被害が出てしまったようで造園主さんの苦い顔にさらされながらも修復しました。
「……これくらいでいいのではないかね?」
ヘグマントの言う通り、校庭を見渡してみると荒れは目立たなくなっていました。
しかし、やはりというか近くで見ると一度、掘り返した跡がわかり、不格好ですね。
「そのうち元に戻ると思いますし、もういいかと」
「うむ! 会議を待たせるのも悪い!」
「もう少し広い土地があればもう少し、マシだったと思いませんか?」
「騎芸専用の施設かね? さすがに一ヶ月で作れるはずもない! ないものねだりばかりしていても仕方あるまい!」
時間制限もありましたし、整地もそこそこに自分とヘグマントは職員室に戻りました。
騎芸用の土地を作るだけなら可能ですが、リーングラードに何かの秘密があり、大規模な工事は秘密に抵触する可能性があります。
予算の関係でも、あまり施設ばかり作れません。
ないものねだり、確かにそうです。
これからは必要な施設を作るだけでなく、なるべくあるもので対策や改善を整えていかなければなりません。
戻ってすぐ会議室に入ると自分たち以外の教師は当然のように座っていました。
「お二人共、最後まで片付け、ご苦労様です」
学園長の労いの言葉に刺があるように聞こえるのは少し意識しすぎでしょうか?
曖昧に返事をして、席につきました。
「それでは全員、そろいましたので会議を始めましょうか」
長期休暇が明けてから最初の会議ですね。
この月で学習要綱のどこまで進めるかなどを話し合う月始めの会議も兼ねています。
気がかりはいくつかありますが、すでに今月分の教材は作り終えているので、あまり話し合うことはありません。
以前の会議で主要なことも話し終えています。
そうなると焦点は二つですね。
騎芸と思想教育。
他にあげるものがあるのならヘグマントやアレフレットが行き詰まっていたことでしょうが、ヘグマントは騎芸で発散済み、アレフレットも怒り狂ったのである程度、発散したと見ておきましょうか。
もしかしたら余計にストレスが溜まったかもしれませんが、気にしないでおきましょう。
会議でわざわざケアすべきかどうかも難しい話です。
リィティカ先生と女医さん(36)あたりにはそれとなく話しておく程度で良いでしょう。
「ではまず、ヨシュアンは聞いてなかっただろうが暴走事件の顛末だ」
シャルティア先生の言う暴走事件は昼前に起きた暴走馬と暴走竜の事件ですね。
牧場主さんは無罪だったとのことです。
しかし、どうして無罪だったのか。
その情報を自分は知りません。
「まずこいつを見ろ」
シャルティア先生の前にテーレさんがロープを置きました。
相変わらず、学園長と自分以外の全員の認識ではシャルティア先生がロープを出したことになっているんでしょうね。
ロープは頑丈な編みこみでした。
ですが、ただ一つ、奇妙な点がありました。
「このロープ、切れてますね」
刃物で切られたのでしょう。切り口が自然にほつれたものではなく、平面に整っていました。
「事件発覚してすぐヨシュアンとヘグマントが牧場主を連れてきて良かったぞ。ヤツの所持品から刃物は出てこなかった。術式が使えるかどうかだが、これはリィティカの血液法で調べさせた。結果は比較的、弱い術式しか使えないことが判明した」
これは病気を調べたときと同じ検査薬による血液法ですね。
ある程度、術式を使える人間はどうやっても内源素操作を習得し始めます。
術式を使うと内源素に偏りが生まれ、固定されます。
この固定値は六色のどれかに偏ります。
そうでなくとも強くなればなるほど内包する源素幅が広がり、検査薬で検知しやすくなります。
この検査方式で調べたのでしょう。
結果はごくごく一般の、火を付ける程度の術式しか使えないと判明したようです。
とはいえあまり精度が高くありませんし抜け道もあります。
法国のリーガルなら知っていてもおかしくないでしょう。
「嘘をついている様子はありません」
ピットラット先生が頷きながら言いました。
リィティカ先生やアレフレットもいたのですから、間違いはないのでしょう。
「学園に馬と騎竜を連れて行く途中、突然、縄が切れ、馬たちが暴れたそうだ。あまりに突然だったため天敵が近くにいるのかと疑ったほどだったそうだ」
たしかあの時、マルコだけ暴走していませんでした。
「事故にしては不自然、しかし、故意にしては意味がわからない。犯人がいるとして何故、暴走させる必要があったのか。あの時点で犯人探しも不可能だった。時間が経ちすぎている上に探しようがない。牧場主にも追求したがヤグーの実験を成功させるように言われているだけだ。リーガルはこうした暗躍をしないからリーガルだ。事件を起こす理由がない」
誰かの干渉は間違いありません。
おそらく長距離術式で縄を切ったと同時に馬と騎竜に【殺戮線】をぶつけたのでしょう。
マルコは強烈な【殺戮線】にさらされた経験があったため、それほど動じなかったのでしょう。
しかし、他の馬と騎竜は違います。
彼らは何者かの干渉通りに暴走しました。
問題は何故、暴走させる必要があったのか。
今ひとつ、よくわかりません。
まるでちょっかいをかけて楽しんでいる子供のような行動です。
犯人の利益が見えてこないんです。
「判明しない事柄が多く、消極的な否定案くらいしかなかった」
総合的に見て悪意もなかったから、無罪にせざるをえなかったのでしょう。
情報が足りません。
「牧場主の件は無罪。これ以上はもう少し情報がいるな」
とりあえず棚上げ、ということでしょう。
これは学園長もわかっているので、深くは追求しないようです。
「さて、次の案件に行きましょう。無事に初めての騎芸が終わったようですね。ここまでで何か問題点はありましたか?」
「どこかの戦闘中毒者たちが実演で暴走したこと以外はまだ問題があったようには思えません」
アレフレットが学園長の言葉に反射的に答えました。
「結構。さすがは元三首馬重騎兵隊のヘグマント先生と元革命軍の蒼刃遊撃隊隊兵だったヨシュアン先生ですね」
どうやら軽くペナルティを受けたようです。
まさか学園長が元の所属隊をバラしてくるとは思いませんでした。
「は……? おま、蒼刃遊撃隊だったのか!」
革命軍の蒼刃遊撃隊はある意味、有名な部隊です。
軍や戦争に疎いリィティカ先生を除く全員がこっちを見ました。
「蒼刃遊撃隊ってぇ、何ですかぁ?」
「えー、内紛で自分が所属していた部隊です。特に何かの役割があった部隊ではありませんが」
「【青血吸い(ヴァンピア)】と忌み嫌われた部隊の名前だ。もっとも嫌ったのは当時の上層部だけだったろうがな」
シャルティア先生がリィティカ先生に補足説明をしました。
ですが、きっちり、こちらを探る目を向けてきました。
自分はその目に対して、肩をすくめるしかできませんでした。
蒼刃遊撃隊。
自分からすればハミ出し者の寄せ集め部隊です。
バカ王の戦略と戦術は既存の軍行動では再現できないものが多く、バカげた行動力でなんでもできる部隊が緩衝材の役割をしないと実現不可能な作戦もありました。
割り振られる隊員は程度こそあれ、適応力が高く、特殊な力や特化した技能、アクが強すぎる人間揃いです。
『最悪のエルフ』と呼ばれた知り合いもこの部隊です。
具体的に何をした、というのは一概に言えませんね。
例えば戦が始まると同時に長距離狙撃術式で最高責任官――ようするに軍の全権を担う大将を狙い撃ったり、雪崩を起こすために罠の術式で斜面を爆発させたり等、ロクでもない作戦ばかりでした。
その多くは最後の戦いまでに半数が戦死し、生き残りもほとんどいません。
今や名前だけ残されている部隊です。
「うまい説明が思いつかないな。私も戦場に出たわけじゃない。ヘグマント」
「うむ。そうだな。彼らは規格外の部隊だな。本来、軍同士の戦いはどんな形になったとしても衝突は避けられん。人と人が必ずぶつかり合うようにできている。だが蒼刃遊撃隊が『表に出てこない戦場ほど』ほぼ短期で決着がついてしまう。兵士がぶつからずに戦場が終わることもあったと言われている」
色々と規格外だったのは確かです。
主に性格の悪さだとか、頭の悪さとか、イカレ具合とかが。
ですが、そんな話はどうでもいいんですよ。
「あれだけの動きに術式の実力を考えると逆に納得がいく話だ! まさかあの部隊の生き残りだったとはな!」
「昔話はともかく今の話を続けましょう」
平静にしてますが心の中では学園長への舌打ちが鳴り止みません。
面倒なことを話しやがりましてありがとうございます。
「実は今回の暴走はある実験でもありました。ヘグマント先生からの打診を自分が利用した形でしょうか」
「ぬ? どういうことだ?」
「誤解がないように先に言っておきますが実演自体は本気で勝負しにいきました。そのうえで負けても、正統派が異端派を駆逐する様に見立て、生徒にわかりやすく、覚えやすい価値観へと導きやすい戦いにしたつもりです。勝てばそのままです。リスクが少なかったので導入しました」
話の流れが変わったことを知ると全員が傾聴の姿勢を取りました。
「そうですね。少しややこしい話になるので最初から話します。最初はそう、自分たちが当たり前だと思うことを知らない生徒――リリーナ君みたいなエルフやまだ狭い視野しか持っていない生徒のことですね。当たり前のことが当たり前だと思われていないことに不思議に思いました」
本当はプルミエールの事件やアレフレットの話が最初ですが、リィティカ先生のように無垢で清楚な女神がいますしね。
耳障りの良い言葉選びは必要です。
ですが、思い当たる節があったのも事実です。
リリーナ君のようにエルフの常識で育ったが故の不思議行動。
平民のことをあまり知らないクリスティーナ君やキースレイト君がセロ君の食事風景にピンと来なかったりですね。
一番、目立っていたのはエリエス君です。
情緒が発達していない以前に、常識がポンと抜けているんですよ。
今までは個性だと思っていましたが、個性というには歪な言動。
顕著に現れたのは料理の時です。
食事を作ってくれた者に対して『おいしい』『おいしくない』と言うのは当たり前のことです。
『ありがとう』でもいいですね。
そうした感想を言うのが当たり前です。
毎日、食事をするような間柄――家族のような立場ならともかく、週に一度しかご飯を食べに来ないエリエス君は明らかに言葉不足です。
促してみても変わらなかったところを見ると思いつきもしなかったのでしょう。
最近では少し常識や情緒が発達したせいか『おいしい』と言ってくれるようになりましたが、その以前が問題だったのです。
『特筆すべきものはありません』というセリフは明らかにおかしいんです。
リューミンの料理にしても、あれだけの質の料理に対して無感動はありません。
『食事に対する常識』が抜けていたとしか考えられません。
これは一度でも親か親に近しい者、誰かと食卓を囲めば教えられる事柄です。
もっとずっと子供の頃、幼児の頃にです。
「言い換えてしまえば常識がない。これは子供だから当然でしょう。むしろ常識は教育で培われていくものです。それらを教えるのは親で、近所の親方で、優しいおばあさんで、頑固ジジイなんですよ。周囲から怒鳴られ、諭され、窘められて教わることです」
「……つまり、常識を私たちで生徒に教えよう、というつもりか? それは本当に私たちの領分か? 仮にあったとしてだ。常識のあるなしを何で測る。本人には自覚がない。話を聞くことすらできない。それに今なら生徒たちは皆、寮住まいだ。おかしな部分は管理人や周囲の生徒が教えるだろう」
「特殊な事例を言います」
自分は一度、アレフレットに目配せをしました。
アレフレットも理解して、頷きました。
「魔獣に対して忌避感のない子がいます」
「……何?」
シャルティア先生が珍しく不思議そうな顔をしました。
リィティカ先生は驚いた顔をしていました。
ヘグマントなんて腕を組んで、眉根を顰めていました。
「自分たちにとって『魔獣は危険』というのが常識です。自分は何度か魔獣退治をしましたし、学園に来てからも一度、遭遇しています。その時は臨戦態勢を取りました。当然です。『魔獣は倒しておかないと被害が広がる敵』です。ですが、忌避感がなかったらどうなるか。魔獣に襲われて餌になるだけです。そうでなくとも原生生物と同じように処理して魔獣を増やしかねません」
「誰だ、その生徒は」
「いいえ。生徒ではありませんよ? 以前、訪れた村でそういう子が居たんですよ」
あえて『生徒ではない』と明言します。
生徒の中にいるかどうかを知っているのは当の魔獣信仰組織だけです。
誰がどうなのかまでは自分も知らないんですよね。
でなければ思想教育なんてしませんよ。
もしも貴族院のスパイが生徒の中に『潜在的協力者』がいると知っているのなら、貴族院のスパイと魔獣信仰組織の某らが共同歩調を取っていることになります。
逆に知らないのならお互い無関係な組織と考えていいでしょう。
この一言で協力関係にあるかどうかを知る一助になります。
あくまで一助。本筋ではありません。
どちらにしろ思想教育が成功すれば『潜在的協力者』はいなくなります。
「何か隠していないだろうな」
無駄に鋭い視線を向けないでください。
隠し事なんて五万とあります。
「もちろん。仕事に関して情報を共有していないと後々の問題になりますからね」
睨んでもボロを出さないとわかったのでしょう。
シャルティア先生は顎に手を乗せて沈思しました。
その沈黙を好機と見たアレフレットが手をあげました。
「アレフレット先生、どうぞ」
学園長の許可が下り、発言を許されます。
「魔獣を知らない村は実際にあるぞ。そもそも教会が何故、放浪牧師や導士を各村に派遣していると思う? 魔獣の脅威を伝え歩くためだ。逆に言えば『当たり前を知らない村がある』と言っているようなものだ。そして、この義務教育計画は様々な身分や場所から参加している。もしかすると教会がまだ担当しきれなかった村の出身者が居てもおかしくない」
「教会の息がない村から選抜されることなど、それこそ少数だろう。可能性はあるが必ずしも居るとは限らんだろう」
「【宿泊施設】の住人を含めて考えたらどうだ。三十人だけじゃない。おおよそ百数十名の人間の中にいないと言い切れるか? 自慢の確率計算はどうだ? ありえない数字だと思うか」
おそらく概算で考えているのでしょう。
シャルティア先生も腕を組んで、イスに背をもたれさせ、目を瞑りました。
ベルベールさんが選抜したときに魔獣信仰を見抜けなかった理由はコレですね。
常識の欠損まではベルベールさんでも読みきれないんです。
何せ、頭の中で考えていることは大抵、独りよがりで自分勝手、気分や感情から生まれます。
常識による考え直しはそのあとですし、禁忌に対してはそもそも考えようともしません。
ベルベールさんですら【タクティクス・ブロンド】の心の欠損を理解しきれないのと同じで、常識に関しては行動と思考からいちいち推測するしかありません。
もちろん、能動的に呼びかけることも可能ですが、人というのは『不思議な物事に対してしか』深く考えようとはしません。
ベルベールさんだけではありません。
誰もが日常的で当たり前のことほど見逃しがちになります。
ヘグマントやアレフレットがストレスで行き詰まったように。
日常の小さな問題はいつだって後回しにされます。
奔放な日常生活に疑問を挟める人間なんて、時間が余った哲学者か思想錬成師くらいしかいませんよ。
「何やら外掘が埋められているような気もするが、まぁいい。具体的にどうする、いや、すでにやってみたんだったな。我々に無許可で」
「さすがに今回は正しいかどうか、成果があったのかどうか確かめられません。常識のあるなしをどう知るのかですが、シャルティア先生の言う通り、測り方がありません」
「成果がわからないものをどうやって……、そうか。それでか」
シャルティア先生もようやくピンと来たようです。
「リィティカ。思想錬成師はどうやって思想を広める?」
「ふぇ? えっとぉ、アレフレット先生が言ったようにぃ、根気強くお話するのも一つですがぁ一番は影響力がある人が学会と協力して貴族の人たちに教えることですねぇ」
「やはり教会のやり方が一番、有効だということか」
「後はぁ、身近なものですごく革新的な技術を作ったりしたらぁ考え方も変わりますよぅ」
簡単に料理を温められる道具を作り、多くに流通できたのなら、当然、今までの生活サイクルが変わります。
作り置きしておけば誰でも温めて食べられますし、そうなれば温め専門の食品も売られるようになります。
個人の手間を一極化させ、商売にすることができます。
手間が省かれると今度は主婦に時間ができます。
そうなれば今まで家事に専念していた主婦が社会活動に貢献できるように、社会の在り方まで変わります。
技術によって考え方が変わり、社会そのものすら変化する。
これもまた思想の変化とも言えます。わかりやすいイノベーションです。
「技術に関しては難しいな。となるとやはり教会方式か。成果がわからない教育――えげつのない話だ」
シャルティア先生はすでに責任問題まで考えを巡らせているようです。
「問題はできなくないだけの情報が揃ってしまっていることだ。ヨシュアン、お前はここまで考えて私たちに六訓を作らせたのか?」
「いいえ。どのみち必要だと思ってです」
「……そうか。なら、一つ案を出そう。六訓と同じように我々の常識をすり合わせる必要がある。ようするに模範的な生徒の理想像を作る。架空の存在だ。近しいのなら生徒に模範生徒として広く教えてもいい。模範生徒制度……、まではまだいかなくていいか。少なくとも理想的な生徒の想像図は必要だ」
六訓を基本に、生徒の理想像を共有し、常識のあるなしの判断にする。
逐次、生徒たちに対して理想像を教え、導かなければなりません。
「歪んだ貴族の生まれ方はな、親が過剰な『押し付け』をすることだ。我々は親ではない、教師だ。だが同じ立場にある。一歩間違えれば理想像を生徒に押しつけることになるぞ。無駄な歪みが生まれないように慎重に思想を厳選する必要がある」
「さて、では名前でもつけましょうか。そのまま思想教育と呼んでも?」
「いいや。それでは印象が悪い」
コツコツとテーブルを指で叩き、一つ呼吸してシャルティア先生は全員を眺めました。
「知識の習得と合わせ、社会通念の意識を高める教育方針。略して知育だ」
……いつからこの学園は幼稚園児に教える幼育施設になったんでしょうか。
ヨシュアンクラスを思い浮かべると違和感がないところが凄まじいですね。
「知育か、ふん! 他に名称案もない以上、仕方ないな」
ちょっと待ってください、アレフレット。
何、やる気出してんですか? こういうときに普段の仲の悪さを発揮して反対してください。知育ですよ、知育?
もっと年齢層が下の子に当てる言葉です。二歳児とかが対象です。
「知能を高める教育とも読めますな。道徳や社会通念を教えるというのなら、道具も必要になりましょう。絵本や学術書にも適応したほうがよろしいのでは?」
「そういえばセロやティッドは本といえば文字の多いものより絵本を好んでいたな。今回の会議で決まった通念に近しい絵本を取り寄せるか」
「む? 俺はどうすべきだ? 今ひとつ話がわからんのだが」
「それはぁ、これから話し合って覚えてくださいねぇヘグマント先生ぇ」
無駄に優秀で卒のない先生方は道具集めまで視野を広げ始め、すでに手を打とうと話し合ってます。
あれ? え? ちょっと待ってください。
自分を置き去りに出発しないでください。
知育って本決まりですか? 本当に決めちゃうんですかそれで。
学園長、何か言ってあげてください。
あ、ダメだ。ニコニコして頷いているだけです。
「えー、もうちょっと年齢層が高い言葉じゃダメですか?」
「何を今更。これほど素晴らしい略語はあるまい。私を褒めていいぞ」
変更は効かないみたいです。
自分が知っている知育の概念と違います。
知育っていうのはこう、幼児や赤ちゃんに道具を通して教えるアレコレじゃないんですか?
知育玩具とか、いえ、もしかして知育で正しい? 間違っているのは自分でしょうか?
どうしたらいいんでしょう。
ここから何十年、何百年と知育は思想教育の別名として受け継がれるんですよね?
義務教育計画は次代の教育方法のノウハウの蓄積も兼ねているんですから。
大きな間違いを侵してしまっているような。
わかっている罠に足を踏み入れてしまったような。
圧倒的においてけぼり感のまま、会議を眺めていました。
どうしましょう、これ。
やらかした感がハンパないんですが……。
「あぁ、話の途中だが言っていないことがあったぞ!」
ヘグマントが立ち上がり、ポージングしてきました。
「騎芸前の話だ。魔獣の討伐に向かった守衛たちの帰還届が入っていたんだが」
これ以上、何を言うつもりですか。
今、知育をどうやって別の名前に変えるか考え中なんですよ。
「遺跡が見つかったそうだ」
……面倒事がまた増えましたよ。
補足:教育では知識を知育、道徳を徳育、運動を体育と呼ぶこともあります。
ヨシュアン先生は知育を赤ちゃんから学ばせる『知育』を限定的に考えていた模様。




