コアントローな枢密
謎の緑の生物。
これが生き物なのかどうかは定かではありません。
こいつを初めて見たのはリーングラードに来てからです。
あの時は食べられる生物だと思って誤って術式を撃った時です。
憎しみに満ちた目で見られたのである程度の知性があるとは思っていましたが――
『始まりの【旅人】より幾星霜を経て、この土地に新たなる【旅人】が――』
――とうとう言葉まで喋り始めましたよ。
無駄に荘厳な雰囲気を持つ緑の物体を鷲掴みにして、ちょっと力をこめました。
もちろん【獣のガントレット】は発動しています。
「さて。自分の要求は三つです。一つ、生徒たちを離しなさい。二つ、貴方はなんなのかという質問。三つ、【旅人】とは何か」
『ぬぅ……、言葉が通じぬのか』
「通じてはいますが聞く耳を持ちません。根絶やしにされたくないなら手早く要求に答えてください。お互い、穏便な解決が望ましいですね」
『穏便を求めている態度には見えぬが……、よかろう』
生徒たちの近くにいた緑の丸い生物たちが引き上げていきました。
もっともティルレッタ君の近くにいる個体だけは何故か引き上げませんでした。
『彼らが黒き少女と離れるのを嫌がっている。危険はないだろう』
「……どうだか」
とはいえ、ティルレッタ君の周囲の緑の生物には悪意も害意もなく、むしろ喜んでいるような空気があります。
暫定的に信じてみましょうか。
もしも毛筋ほどの傷でもつけたらまずはこの手の命が一つ、消えるだけです。
さて、この会話がモフモフと同じ性質のものなら生徒たちには聞こえていないでしょう。
その証拠に突然、緑の丸い物体に語りかけている自分を、マウリィ君は不思議なものを見るような目で見ています。
「えっと、先生」
「大丈夫です。どうやらこの個体は言葉がわかるようですよ。おそらく群れの頭でしょう」
「そう、なんですか?」
マウリィ君の信じられないという目が妙に痛いです。
しかし、どんなに言っても生徒たちには聞こえない以上、納得してもらわないと困ります。
主に社会的な都合で。
「まぁ、そうなの……うふふ。それは悲しいお話ですの。お母様の仇のために強くなりたいだなんて健気ですのね」
ティルレッタ君は緑の生物と楽しそうに会話していました。
それを見てマウリィ君も『あ、そういうこともあるのか』なんて顔をしていますがそんなわけありません。これは非現実的な何かです。
常識ではないんですよ?
「おそらく自分――先生を君たちという群れの頭だと思ったから、出てきたんですよ。会話が通じているかどうかは定かではありませんが行動に知性らしきものがあります。モフモフのように言えば理解するのは囲っていた緑色のが退いたことでわかりますね」
「えっと、頭同士の話し合い? がしたかったってことですか? その手の緑色の変なのは」
「そう思っています」
なんとかマウリィ君は納得の姿勢を見せてくれました。
あやふやなことをあやふやな言葉を使うことで無理矢理、納得させるのも色々と疲れますね。
でもティルレッタ君と同じ地平にいるとは思われたくなかったので、ここは無理にでも納得させておきました。
エリエス君も聞いているので、好奇心に負けて口を挟むことはないでしょう。
そう、これは大事なことです。
生徒も大事ですが、自分にとっては授業とはまた別の。
別の次元、別の世界、別の関係、なんと表現すべきでしょうか。
授業や学園を人との関わりでの出来事とするのなら、これは『世界との関わり』というべき出来事です。
始まりはバーベキューの途中で見つけた、いえ、誘われたポルルン・ポッカとその住処に居る白い幽霊の少女。
今も学園教師のローブのポケットに入っている巨大な術陣がこめられた木の実。
『森の守護者』とモフモフ。
特にモフモフはこの土地を忌まわしいと思っているようです。
普段は態度や声に出しませんし、何もいいません。
しかも森で見たモフモフと今のモフモフはどこか違います。
あまり外に出たがりませんし、それとなく外でご飯を食べてこいと行ってもなんだかんだで断ります。
自分に頼まれた時だけ外に出て、それ以外は絶対に自分と一緒でないと表に出ません。
あの引きこもり狼がどんな理由で変な行動をしているのか。
その理由の根幹に、この緑の丸い物体が関わっているのです。
聞かざるをえません。
自分だけならまだしも、ここには、学園には生徒たちがいます。
危険な話であれば真っ先につぶし、生徒たちの実力を超えた事件など起こさせません。
簡単な話ですよ。
後手に回るより先手に回って根こそぎ潰せば、それで全てが丸く収まるんです。
『まず我々について語ろう』
「手短に」
『我々はネズミだ』
うそつけ。
お前らのように丸くて手足がついたネズミがいるか。西瓜に割り箸を刺したような姿をしやがって。
だいたい尻尾だってないじゃないですか。
『かつて神々の手駒として作られたもの。【囁くラタトスク】と呼ばれていたもの。今ではその血も薄れ、このような丸いネズミになってしまった』
お前らをネズミとは認められません。
ネズミっていうのはもっと小さくて毛むくじゃらなんですよ。
断じて桃のような質感があっていいものではありません。
しかし、【囁くラタトスク】という名前は知っていました。
神話においてスィ・ムーランの往く道を騙し、鎖の森へと誘った狂言回しです。
他にもルーカンとヒュティパの絆を壊そうとし悪評をバラまいたり、氷の女王の態度を頑なにしたり、何かにつれて噂話をかたどるように台詞が挿入されていました。
神話を見た人もあまり良い印象をもたないんじゃないでしょうか。
『もはや我々は人や神に囁きかけるほどの力もない』
なら喋っているコイツはなんでしょうか。
あと喋っているティルレッタ君はなんなんですか。
『時折、あぁした感性の鋭く無垢な子が我々の囁きを感じ取ることはあるが我々の発するささやき声などそよ風の音よりも小さい』
無垢、といえば無垢なんでしょう。
傷つけられるところに敏感なところは実に動物的です。
邪悪に近い無垢なのか、無垢だから邪悪に近いのか判断はできませんがね。
『我々がなんなのか、理解できただろう』
「いいえ、まったく」
謎と疑惑の判定しか増えません。
『では何故、我だけがこうして【旅人】と言葉をかわせるか――いたい、力をこめるな』
人の話を聞かずに先に進めるからです。
つい、手に力が入ってしまいました。後悔はありません。
『我は【囁くラタトスク】の血族ではない。否、この体はたしかに【囁くラタトスク】の血族だ。だが、この体と同化して幾度もの夜と朝を繰り返してきた』
要点だけかいつまんで欲しいというのはわがままでしょうか?
『我はニンブル。そう呼ばれる種族だ』
「古くから聞く形を持たない人類、でしたか」
神話にも何度か登場しておきながら見た者はいないとされ、今では絶滅してしまった人種です。
聖域が滅ぼされたせいとも言われていますが、真実がどうなのかまではわかりません。
少なくともニンブルを名乗る生物と出会ったのは初めてです。
『滅びてなどいない。我々はこの土地での生活を諦め、新たな世界を夢見て海を越えていった』
とはいえ、信じられませんね。
ニンブルという存在が神話の記述通りなら肉体をもたない生き物になってしまいます。
『我はただ一人、旅神との約束のためにこの森に残った。この身体に乗り移ってまでな』
亡霊のような黒い霧状で知性を持ち、生物やヒト種にとりついて生きているだなんて。
この緑の丸い生物がネズミだったという戯言のほうが、まだ信憑性がありますよ。
『その後、同胞たちがどうなったかまでは知らぬ』
自分の疑う眼差しをスルーして、ニンブルは語り続けていました。
真実がどうかは定かではありませんが、少なくとも質問の一つは答えたと見ておきましょうか。
次の質問は内紛から続いている疑問でもあります。
「【旅人】とは何か。誰も彼もが言葉を濁す、その意味を答えてもらいますよ」
最近ではモフモフが口にし、古くは知り合いのデザイナーが口にした謎の単語【旅人】。
『残念ながら我々には答えられない』
「何故です」
『知らされていないからだ』
知らされていない?
妙な言い回しです。
まさかこの生物たちに親玉でもいるんですか?
『多くの【旅人】は己を語らない。我々が知る彼らは歴史をもたない流浪であること。我々が【旅人】だと知る術は一つ』
モフモフと知り合いのデザイナー、この二人は何かの方法で自分を【旅人】だと認識しています。
そのあたりも聞いておきたかったところですね。
『原初のヒトと似た性質を持つこと』
原初のヒト。
神話には記載されていません。
これはどちらかというと思想錬成師か暦学者が稀に口にするものです。
どういうものなのかはアレフレットかリィティカ先生に聞いてみたほうがいいでしょう。
語感のまま想像すると勘違いしそうです。
『ありえぬことだ。歴史のない生き物などいない。それこそ原初の神のように突然、そこに現れなければ。その奇妙さ、その真新しさ、その始まり方は我々にとってひどく懐かしくも感じる』
モフモフもまた同じ感想を言っていたような気がします。
たしか懐かしい、と。
『生き分たれた兄弟に出会うがごとく。幼き日に見た眩しい光景を見るがごとく』
そろそろ手も疲れてきたのでニンブルを地面に下ろしました。
渋い顔のまま、じっと自分を見ていることに変わりはありません。
『ヒトも動物も命そのものが【コ】に至る遥かな道を進み続けた歴史を持つ』
また謎単語が飛んできましたよ。
これもモフモフも言っていましたね、【コ】と。
いや、もう言葉そのものだけでなく、全体があやふやになって理解しづらくなってきました。
ようするに自分と最初の頃の人類が似てると言いたいんですね。
それを人外は何故か知覚できる、そういうことですよね。
『重みが足りぬ』
この謎の生き物、とうとうダメ出ししてくるようになってきましたよ。
もう放り投げて帰りたい。
しかし、聞いてしまったのは自分です。少しは我慢しましょう。
『君らは自由だ。どこに行き、何を成すか、我々の予想を常に越え、時に歴史すら大きな影響を及ぼしてしまう。その姿に我々はマレビトたる者と最初の旅人たるスィ・ムランを思い浮かべ、重ね合わせ、懐かしみを込めて――』
意味なく言葉を溜め始めました。
たぶん、それが【旅人】だと言いたいんでしょう。
『――【旅人】と呼ぶようになった』
やっぱりでした。
つまり、単なる人外の専門用語ですか。
人外からすれば目立ち、なおかつ懐かしさを感じるからグイグイくるわけですか。
モフモフなんかが良い例ですが、グイグイこられてる自分はたまったもんじゃありません。
まぁ、モフモフとは謎こそあれ、良い関係を作れていると思っています。
『そして、最後に【旅人】は皆諸共に彼方なる天の土地を目指す』
要約して自分に照らし合わせていくと、ぐうの音が出ませんでした。
今のところ、この喫驚な生き物の言うことに心当たりがあります。
歴史がない。
歴史に影響を及ぼす。
そして、最後はあの空の大地、天上大陸に望みを見る。
七年前よりリスリア王国にやってきて、内紛で【火榴橙】などの新武器を開発、【戦略級】術式師となり、そして、全ての原因を探るために天上大陸へと向かうための術式具を作っている自分。
『我が知る限り、例外は途中で死んだ者だけだろう』
……ん?
『知る限り』? 『途中で』?
自分はまじまじと謎の生物を見やりました。
『察するところが鋭い』
「以前も自分と同じ【旅人】に出会ったと、そういうことですね」
『幾人かは、そのとおりだ』
「最近、自分以外で出会った【旅人】は誰です」
すでに内容は生徒に聴かせるべきではないところまで来ています。
抑制声音法を使い、奇っ怪な生き物とだけ喋っています。
『すでに時間の感覚はなく――うぬ、そうだなメス、女性だ』
即座に術式を使おうとしたら、あっさり日和ました。
くだらない詩的表現はやめて、小鳥のようにペラペラしゃべればいいんですよ。
『赤の源素を従わせた女性。ここに訪れた時に一度だけ語る機会があった』
自分はこのとき、覚悟というものを忘れていたのかもしれません。
内紛から続けて、襲撃に気を配り、周囲に対して警戒を怠ったことはありません。
こちらから襲撃する時にしても痛みはもちろん、殺される覚悟もありました。
殺す覚悟なんてものはすでに終わっており、今や相手が生きているか死んでいるか、その影響力や面倒があるかないかだけが判断基準です。
しかし、術式師として、基本的な覚悟を忘れていたのかもしれません。
心を操る、ありとあらゆる出来事において本心をフラットに置く、という形です。
『数多くの血と嗅ぎなれない匂いをさせた、弧弦の月のような口で嘲笑みを浮かべた、薄気味悪い【旅人】だったな』
その特徴を自分もよく知っています。
この世の全てを皮肉ったように嘲笑い、この世の全てが実験台にしか見えていなかった狂人。
『名は置いていかなかった。しかし、従者らしきモノが【旅人】をこう呼んでいた』
だんだんと嫌な予感しかしない言葉に、自分はしかめっ面をしていました。
『アルベルタ』
知りたくないことを知る覚悟を忘れていたのです。
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謎の生き物のイラストはこちらです。
ゆっくりSAN値をえぐられていってください。




