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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第四章
222/374

苦労という名の塔を建てる

「殺気をぶつけたら馬が円形脱毛症になりました」


 報告してみたら珍しく学園長が固まっていました。

 しかし、さすがは人生の大先輩というか、すぐに回復されました。


「ヨシュアン先生。私はヘグマント先生と一緒に授業に使う馬がどのような状態なのかを牧場主との相談の上で調べ、調教に必要な課題をあげてください……、と言ったはずですが」

「はい」

「馬に不要な威圧を与えるためではなかったはずです。詳しい経緯までは聞きません。それらを含め、どうなりましたか」


 学園長室でヘグマントと一緒に報告したのですが、案の定、怒られムードです。


「うむ! 『マルコ』はともかく、他の馬と騎竜は十分、体調が良さそうだ。順調に育っている! 課題に関してはまず人馴れさせるのが先決だとのことだ。俺もその意見に賛成だ」


 『マルコ』とはもちろん、生後一年と半分、若くして脱毛してしまった馬のことです。

 いや、悪いとは思っています、はい。


 何せ自分も他人事ではない……、いえ、なんでもありません。

 悲しくなるのでこの思考は止めましょう。


「人を群れの一員と認め、主だと理解すれば馬は答えてくれる。まずはそこからだろう!」


 ちなみに名前をつけたのはマッフル君。

 由来は可哀想なので察してください。


「調教した馬ならそのような人馴れまでさせずに済むのだが……、あまり文句も言えん立場だ」


 さて、どうして生後一年半の馬ばかりがリーングラードに来たのか。

 レギィが来た時点で塀のなかった【貴賓館】。

 まだできていない【迎賓館】や【浴場】も一枚噛んでいます。

 これらは財政にも絡んでくる話です。


 このリーングラード学園、見ての通りまだ未完成です。

 正確には未完成の部分を多く残している、ですね。


 リスリア王国は今、貧乏です。

 理由は三十年続いた暴政と【十年地獄】に関係しています。


 暴政が始まる前から初期にかけては良かったのです。

 かろうじてやりくりできていたようなのですから。

 これは三十年前に起きた帝国との戦争、その特需の影響もあるのでしょうね。


「そうですね。だからこそランスバール王はリスリア王国に新しい産業を興そうとしています。この義務教育計画を通して、ですね。あるいは一面でしょうか」


 しかし、【十年地獄】に入ってから事態は急変しました。


 その様子はまるで『沈みかけの船に嵐がやってきた』ように例えられます。

 ギリギリで回していた財政が食糧不足の影響を受けて、見事、首が回らなくなりました。

 そして、トドメとなる大寒波が起こり、本格的に餓死者も出てきました。


 皆、日々を生きるのに精一杯でした。

 それでも当時の為政者は村々に対して、己の欲望を満たすためだけに無理な重税を課しました。


 税を払えなかった村は武力で脅し、それでも出せなくなった人々に対して貴族は焦れました。

 しかし、彼らは危機感も道徳もなかった。


 『金がないなら人で払えばいいじゃないか』。


 この戯言にも似た正式な告知を皮切りに『奴隷狩り』が始まりました。

 強制的な人狩り、そして人員を強制労働させることでまだ寒波の影響の少ない地域で農奴として働かされたのです。


 農奴だけで済めば、まだ救いがあったのかもしれませんね。


「調教後の馬は高いですからね。少しでも予算を使わずに済むのなら仕方ない部分もあるのでしょう。生徒たちと平行して調教を進めるという話は初期案ですよね?」

「えぇ。切り詰める部分があれば切り詰める。これは私たちでも対処できると考えての面もあるのでしょう」


 間違いなく、学園長そして教師全員の共通認識です。


 調教していない未熟な馬を、未熟な生徒が調教しながら騎芸の授業を進める。

 この、大道芸というより曲芸飛行みたいな授業だからこそ、ヘグマントも困っていたわけです。


「そういえば騎竜も調教前ですか? たしか調教前の騎竜は人を襲うこともある、と聞いた覚えが」


 自分も騎竜に関しては詳しくありません。

 騎竜に乗った経験も少ないですね。

 このあと、【大図書館】で少し調べてみる予定です。


「うむ。一応、こちらは人馴れをさせているようだぞ! 獰猛な気配はしなかったからな!」


 と言っても危険なことに変わりはないわけです。


 騎兵が戦場に置いて高い殺傷力を秘めている理由は、その高機動性と殺傷力にあります。

 馬が走り、歩兵を巻き込むだけで痛手を負います。

 そのうえ速くて弓も中々当たらないとなれば騎兵の優位性は高いでしょう。


 もっとも、その騎兵にも弱点はあります。

 そちらは座学でやることになるでしょう。


「ともあれ。いつまでも牧場主さんに調教をお任せするわけにも参りません。最終的には繁殖も視野に入れていますが、学習要綱の件もあります。騎芸に関して、詳しい段取りを皆で決めましょう。明日、朝一の会議で議題にあげようと思います。よろしいですか」

「はい。軽く、他の教師にも話しておきます」

「お願いしますね」


 学園長の意見に、自分たちは頷きました。

 時間的な余裕がある分、まだ楽なほうです。


「騎芸の授業が進めば、かねてより考えていた『貸出』の件もうまくいくでしょう。しかし、もう一つの懸念はどうなりましたか?」

「そちらは現在、警備の冒険者が良さそうな場所を割り出してくれています。とはいえ、大工たちが少し……」

「うむ! 【迎賓館】で忙しいらしい! 最悪、俺とヨシュアン先生が駆り出されるかもしれませぬ!」

「そうですか。時間の調整が難しくなりそうですね」


 これは生徒会が発足した時点で考慮されていた話です。


 元々、学習要綱になかった部分、ですね。

 こう考えるとだんだんと学習要綱外の事案が圧迫し始めてきました。

 どこかで色々と手伝わないと第二試練にも響いてきます。


 しかし、自分たちもまた授業しなければならないため、自由に動ける時間は少なくなってきます。

 さて、どうやって学業外の問題を片付けましょうか?


「それと牧場の件とは別件ですが、少し問題になるのでは、と思うことがありました」

「なんでしょう?」


 いえ、実は前から気になっていたのです。


「汚れについてです」


 この夏、体育の授業のあと、泥だらけで授業を受ける子がいました。

 特に男の子たちは『泥くらいなんともない』という意識が強いですね。わからなくもありませんが、

 逆に女の子はウチのクラスですら、ちゃんと身だしなみを整えようとする意識がありました。


 ただ女の子も女の子で問題があるようで、


「先生、時間足んないんだけど」

「朝に体育の授業があると大変ですわよ。先生にはわからないでしょうけれど」

「むー、井戸が中庭にしかないであります」


 と、不満を述べていました。

 これだけだとウチの生徒しか文句を言ってるようにしか見えませんが、実際、他の子たちも不便を訴えています。


 この不満を自分なりに分析してみたところ、身だしなみをするための場所や道具が学園にない、という結論に到達しました。


 いいえ。もちろん、まったくないわけではありません。


 教養の授業は身だしなみが重要なので、当然、そのための道具は揃っています。

 鏡や櫛、カミソリに布、爪切り……、綿までありましたね。


 これらの道具は職員室にあります。

 教養実習室にもあります。

 しかし、これらはあくまで学園の備品、しかも消耗品です。


「生徒たちが次の授業までに、気軽に身だしなみを整える場が必要になってきたんじゃないかと思います。現状、【室内運動場】から直接、教室に入るのではなく、中庭の井戸で水を汲んで自前の布で汚れを落としています。そこから教室に向かうと少し遠回りになるので、そこを嫌がったんでしょう」


 もしも布を忘れたとしましょう。

 いちいち職員室に行き、布を借り、中庭で水を汲んで身を整えて、それから教室に向かう……大きな時間ロスとなります。

 生徒たちも休憩時間くらい自由にしたいでしょう。

 一分でも遊んだり、話したいはずです。


「布などは個人の携帯に任せるのも一つなのですが、できれば最低限、水があって鏡があるような場所は欲しいですね」

「そこまで気にするようなことかね? 言ってはなんだがこの学園での生活に順応しすぎるのも考えものではないか」

「そうですね。帰った時の落差は心配の種です。場所によってはまだ税を払えても生活は厳しい村はあるでしょう。ですが、それも一つの問題です」


 生徒の生家――村は生活が厳しいと仮定しましょう。

 学園に行き、便利で豊かな生活に慣れ、一年過ぎて戻った時、生徒は何を思うのでしょう。


「自分の村がこんなにひどかったのかと思うでしょう。学園に戻りたいとも思うでしょう。不平も不満も出て、こんな気持ちになったせいを国に押しつけるかもしれません。国でなくても自分たち教師に向けるかもしれませんね」


 しかし、その生徒は気づくはずです。

 自分の村はとても貧しいのなら、その原因は?

 どうなって、どういう結論で村のお金は逃げていくのか。

 村人は立ち行かないのか。そうした部分にも目を向けるはずです。


「貧しさをどうすればいいのか、自らで問題を立て、自らで問題を解こうとします。貧しい村になかった、新しい価値観をもって、誰にもどうにもできなかった問題を別の視点で解くことができるかもしれません」


 できれば生徒たちにはここの生活を模範にし、不便を便利に変える形を見出してもらいたい……、いえ、自分も学園の近くに浴場の一つもあったら便利だと思いますけどね?


「自分は生徒たちが元の場所に戻った時、今の不便な部分を改善していける姿を見せることで劣悪な条件を少しでも良くするための模範にしていきたいのです」

「うむ。平たく」

「……自分たちの住む学園を見て、村を立て直す模範にしてもらえたらと思います」

「うむ。なるほど。すなわち武術の型を見せて真似をさせるのと同じか」


 身も蓋もない話です。

 なんとなく意味が通じてるのが悔しいですね。


「模範解答ですね。ここをこうして、こうすれば便利になる。そうした結果だけを見せて、生徒たちに考えさせるのも教育方法でしょう」

「そうだな。ここで生活するのが生徒どもの終わりではないからな!」


 わかってもらえて何よりです。


「他にも教養という授業がある以上、気にするように仕向けるのも教師の仕事でしょう」


 ようやく元の話に戻せそうです。

 汚れをどうにかする方法、その場所についてですね。


「なるほどな! 言われてやらせるのではなく積極的に動かす、というわけだな!」


 この辺は命令系が綺麗に整っている軍人だったヘグマントは思いつかない部分だと思います。


「俺もよく上官に『喜んで!』と言わされたものだ」


 訂正。

 軍人は生粋のドMでした。

 辛いことでもなんのその、のようです。


 汚れが原因で病気になると身をもって知るのならともかく、そうだと気づかないことも多いのです。


「内紛時代、餓死の他に病気も流行っていましたが、あれは身体が弱っている他にも身奇麗にする機会が乏しかったからと考えています。大寒波によって池や湖に入ることもままならず、仕方なく帰れば街や村には死体が放置されている。浴場に赴こうにもそんなお金があったら食糧に金を使いたい。そうした状況ほど劣悪ではありませんが、病気の感染源になりやすい原因の一つでもあります」

「うむ。つまり、病気にならないために身奇麗にする、と」

「病気にも、です。後は純粋に汚れたままで教科書に触っていると汚くなるじゃないですか。もしも復習しようとしてめくった頁が泥だらけだったらイヤでしょう? ちょっとした心がけや呼びかけでも防げるでしょうが、どうせなら徹底的にやってしまおうかと」

「確かに馬は騎竜と違い、臭いがつく。気にはならんだろうが体育の次に教養があった場合を考えるとピットラット老に申し訳がたたんな!」


 これは牧場でわかったことですね。

 馬の足で跳ねた土がクリスティーナ君の足元やお腹あたりについていたのに気づいたのです。


 騎芸の授業を行えば、間違いなく生徒たちは泥だらけになるでしょう。

 そして、フリド君あたりは気にせずにそのまま授業を受けようとします。


 その様があまりに酷いと殴りますね。


「ところで、全部わかりましたか?」

「うむ! 身奇麗は必要だということがな!」


 主旨だけは覚えてくれたようです。


「よくわかりました」


 一方、学園長がゆっくりと頷きました。


「ヨシュアン先生のおっしゃることはとても良いことです。与えられるだけでなく自らで進んで何事かに取り組むことの意味を生徒に教えようとしているのでしたら、今月を清掃月間としましょう。学園が再開した時の呼びかけ、告知はヨシュアン先生に一任します」


 ……あぁ、また無意識に仕事を増やしてしまった。

 いや、でも気になるじゃないですか。別に潔癖症というわけではありませんが、それでも『汚れに対する意識』はしてもらいたいというかなんというか。


「これは私たちだけが行っても仕方ないことです」


 ん? となると生徒も何かしら協力させなくてはいけないんですよね?


「これも明日の会議の議題にしましょう。具体的にどんな方法で生徒たちに意識を向けさせるのか。期待していますよ」

「……はい。お任せ下さい」


 引きつった顔でまた引き受けてしまいました。


「で、だ。また何をしでかしたんだ?」


 ヘグマントと共に学園長室を出ると、案の定、目ざとく自分の変化に気づいた人がいます。

 最近、邪神探偵と名高いシャルティア先生です。


 あー、ものすごく楽しそうな目ですね。


「積みあげた塔の窓が気に入らなかった場合、シャルティア先生ならどうします?」

「売る。そして、次の建築の予算にしてやる。もちろん大工も新しく変えるぞ。それがどうした?」

「いえ、自分なら窓枠部分だけ改築するんですがね」

「あぁ、なるほど。また仕事を増やしたか。ひょっとして好きなのか? 苦労を買うのが。費用も馬鹿にならんぞ」


 シャルティア先生は珍しく仕事をしていませんでした。

 いえ、仕事をしている途中とも言えますね。

 足を組んで、イスに大きく背をもたれさせ、ただ書物を読んでいるだけにしか見えませんけど。


 この長期休暇中、必ず職員室に教師が二人以上いるように組み分けています。

 今日は自分とシャルティア先生、そして、アレフレットです。


 ヘグマントが居たのは牧場の――というより馬の調査のためですね。休日出勤みたいなものです。

 だからもう帰ってもいいのですが、どうやらついでとばかりに職員室の隅で筋トレしています。もう帰れ。


 『五日もあれば今月の教材くらい作れるぞ』とはシャルティア先生の弁です。

 たしかに授業がない分、仕事に集中できるので進みは早かったです。

 自分ももう半月分の教材まで出来上がっています。


 シャルティア先生の教材は基本、方程式と問題作りに集中しますからね。

 膨大な陣数を意味と必要コスト分だけ覚えて組み合わせる術式とは毛色が違います。


「実際に予算を使わないだけマシだと思ってください」


 予算の番人に睨まれたくないので、ちゃんと言い訳しておきます。

 今回は低予算どころか備品だけでどうにかできるはずです。


 浴場を除けば、ですけどね。


 この浴場の予算をどう勝ち取るかが次の会議の一番、厳しいところでしょう。


「そういえばアレフレット先生がいませんね」

「【大図書館】だ。お前が来る前、生徒たちが鍵を借りに来た。そんなことも気づかずに学園長室に入ったとあれば、ますます何かあったと言っているようなものだな。どうせ明日あたりの議題に登るのだろう? 先に話して楽になっておけ」


 生徒の付き添いで【大図書館】にいる、となるとアレフレットも意味なく肩を怒らせていたでしょうね。

 『まったく、ヨシュアン・グラムのいない時に……』とか『いいか。僕はお前たちの監督なんだから静かにしていないと開けてやらないぞ』とか言ってそうですね。


 軽く清掃月間について話すと、シャルティア先生はパタン、と片手で書物を閉じました。


「学園に浴場を作る、そう言ったのか?」

「本格的なものを作るつもりはありません。水場を作るだけです。そうですね、温かいお湯と冷たい水、両方出るようにしたいですね。問題は排水部ですが――」

「学園に浴場を作る、そう言ったのか?」


 何故、二回聞いたのですか?


「そうか。予算ぐらいいくらでもくれてやろう! 大急ぎで作るがいい。私の全面的な協力をもって思う限りのものを作れ、尽くせ、使い絞れ!」


 シャルティア先生のテンションが上がりました。


「いえ、さすがにまた予算を使うのは後が怖いんですよ」


 財政的にも怖いですね。


「ふ、ふふ。これでちまちまとお湯を桶に入れずとも良くなるぞ! 何故、早く作れると言わん!」


 メンテ契約の関係上、浴場の術式具関係は全て把握していますから再現くらい簡単です。


「時間と学習要綱と授業の関係です」


 後は暗殺者がいたり、帝国に行ったり、レギィがやってきたり、【試練】があったりしたせいです。

 

「この際だ。【宿泊施設】にもドカンと一発、巨大なものでも作るがいい、塔のごとく!」


 塔の排水部や水管関係ってかなり面倒なんですよね。

 一度、下から頂上まで水を移動させ、貯水して、そこから無駄がないように壁の中を糸を通すように地上部分まで下ろしていかないといけませんから。


 ……とにかく簡単に、お湯を作る術式具を六つ作っておけば大丈夫ですかね?


 たぶん、大丈夫ではないのでしょうが五日でできるだけをやってみますか。


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