馬肥ゆる秋前
猛暑だった夏は第一【試練】と共に去り、この時期になると涼しい北風が山を越えて森の奥から吹いてきます。
ですが、まだ夏の陽は強く、生徒たちや先生方は汗ばむことを忘れていません。
自分は怪我を理由に術式具で適温を保っていますが。
ともあれ、過ごしやすくなっただけでもマシでしょう。
「夏ももう終わりだな! ヨシュアン先生!」
もっとも隣にヘグマントがいるとどんな心地よい風でも、とたんに熱を帯び始めます。人間の形をした暖房ですか、貴方は。
「そうですね。暑いんで近寄らないでください」
「相変わらずだな! そういえば先々月に負った傷の調子はどうかね?」
「おかげさまで。完治間近です」
全治三ヶ月と言われた脇腹と右肩の怪我も、だいぶ良くなりました。
自分でもびっくりするくらいの治りの早さなのですが、少し心当たりがありました。
「レギィ……、レギンヒルト試練官に内源素をいじられた辺から調子が良いんですよね」
歪んだ内源素の流れを元通りにしたのでしょう。自分に無許可で。
そのタイミングはおそらく【貴賓館】で背中に乗られた時……、今、思い返して字面にすると『どんな状況だ』と自問自答したいところですが、まぁ、この時でしょう。
問題は何故、隠したのかですがロクな理由が返ってこないので追求していません。
「うむ、俺も最近、表皮を鍛える訓練を重ねていてな! 見てみろこの輝きと張り!」
なんというか、すさまじいことにこの短い言葉に複数のツッコミどころがあるという不思議。
一番、不思議なところを聞いてみましょうか。
「皮膚は鍛えられませんよ?」
「何事もなせばなるのだ!」
フンムッ! とポージングされても困ります。
人体工学に基づいた肉体を要求します。
「皮膚……、張り、あぁ、もしかして湯浴みしましたか?」
「よく気がつくな! ヨシュアン先生! 良い嫁の貰い手になれるぞ!」
「あ、いえ、それはもう勘弁してください」
恋愛関係は先月でお腹いっぱいです。
下手すると教師生活が終わった瞬間、レギィと強制結婚です。
約束してしまった以上、違えるわけにはいきません。
数少ないポリシーのためなら……、はい、えぇ、ちくしょう。
ともかく、しばらくはリィティカ先生と嬉し恥ずかしいことがしたいです。
できたらの話ですが……、できたらの!
しかし、入浴ですか。
「やはり布で身体を拭くよりも暑い湯で汗を流すのは心地よいものだ!」
「それには同意します。そういえば【宿泊施設】や学術施設が揃っているにも関わらず、リーングラードには王都の大入浴場みたいなものがありませんね」
自分にとって入浴場はメンテ契約先です。
お湯を作るための術式具は水気で錆びやすく、かなりの頻度で見て回らないといけないのです。
お得意様、というべきでしょうか。
入浴場は個人浴槽まで含めると幅広く、平民でも入れるくらい安価な娯楽と言えるでしょう。
銅貨で入れるくらいですからね。
自分はあまり人様と一緒に入りたくない畑の人間なので、自宅に入浴場を作ってしまいました。
ともあれ、ここで入浴しようと思ったら、まず大容量の桶と大量の水、そして、焼き石が必要です。
お湯を容れていく様式よりも焼き石で水を温めるほうが手軽ですしね。
まぁ、お湯が汚れるという弱点もありますが。
「うむ、入浴場を作ろうという話はあったそうだ」
「そんな話があったんですか」
「だが、できなかった。【貴賓館】の他にもう一軒、建てるという話があったろう!」
あぁ、そういえばありましたね。
【貴賓館】は元々、王都からやってくる試練官のために作られる予定でした。
実際、レギィが来る前には内装まで作り終えていました。
柵は間に合わなかったのですが、レギィが帰ってすぐ取り掛かり、もう終わっているそうです。
問題はもう一軒、【迎賓館】の方です。
スポンサーがついたことによって貴族が来るかもしれない。
そうした理由で元々、作る予定になかった建物です。
「そちらを優先したために浴場は作られなかったそうだ。三ヶ月……、どんなに早くとも第二試練近くになるだろうな!」
確かに早急に作る必要もありませんし、個別で対処できる事柄は後回しにされて当然でしょう。
今から三ヶ月は【貴賓館】が空いています。
そこに逗留してもらう予定ですが【迎賓館】の建築は急務のままです。
「そうなるとますます入浴場が欲しくなりますね。できれば毎日、入りたいところですね」
「贅沢な話だな。貴族のようだぞ」
「そんなものと一緒にしないでください。虫唾が走る」
「恐れを知らんな! さすがはヨシュアン先生だ!」
若干、苦笑気味だったのは気のせいではないでしょう。
でも本心ですので訂正しません。
「そろそろ目的地ですね」
遠目に見えた牧場が今回の目的地です。
「しかし、今更ですが学園長には驚かされますよ」
自分とヘグマントが牧場に訪れた理由が【第二試練】のネックになるだろう授業のためです。
この内容がかなり難物です。
「当初は五頭のみ、それも馬だったそうだな!」
「えぇ。それを途中で騎竜を追加発注するとは思いませんでした」
そう、馬術です。
あるいは『騎芸』という技術体系です。
リーングラードの課目では馬に関する技術は『騎芸』で統一呼称されています。
「なんでもヨシュアン先生が持って帰ってきた刻術武器がかなりの高値で売れたそうだな!」
「掘り出し物だったんでしょうね、きっと」
何せ高額で鳴る冷凍竜車三台分ですからね。
元々、予算で用意された馬五頭に帝国の刻術武器のあまりで騎竜五頭を購入。
合わせて十頭がヤグー牧場で預かってもらっています。
しかし、授業がある度にわざわざ牧場まで行くのも面倒な話です。
「学び舎の近くに厩を作りましょうか?」
「む。あれば便利だがどこに作るのかね」
「景観的に考えると、冒険者の詰所あたりが一番でしょう。授業で使わない時は警備にも使っていいと言えば世話もしてくれるんじゃないでしょうか」
「む。一応、世話の仕方も授業でやるのだが持ち回りで世話をさせる案が潰れてしまうぞ!」
「あー……」
あぁした動物の世話は毎日やらないと忘れるんですよね。
騎竜はともかく馬はグループ意識というか階級意識が犬や狼並に強いんですよ。
ちゃんと世話しないと乗せないなんてこともあります。
「あまりいい案もありませんし会議で話し合ってもらうとして……」
授業も大変なんですがね。
もっと大変な光景が目の前で繰り広げられていました。
「言うことをお聞きなさい! この駄馬!」
「た、手綱を早く離すんだ! クリスティーナ嬢!?」
馬が走り、手綱を手にダッシュしているクリスティーナ君。
それを追うフリド君。
柵に腰掛けて大爆笑しているのはマッフル君で、キースレイト君は頭を抱えています。
おや、ヤグーに乗って並走するようにリリーナ君もいますね。
立派にヤグーを乗りこなしています、おかしいですね? カウボーイ……、もといカウレディか何かでしょうか。
総じて言えることは珍しい組み合わせです。
「学園生徒最強の組み合わせですね」
「選抜するとしたら理想的な組み合わせだが……、楽しそうで何よりだな!」
それぞれが学園でも抜きん出た特徴を持つ子たちです。
タンカーにフリド君、アタッカーにクリスティーナ君とマッフル君、スカウトにリリーナ君、キャスターにキースレイト君と置いていくと、一般冒険者以上の働きをしそうですね。
呵々大笑としているヘグマントには悪いのですが、冷静に見て、考えて、思ったことは一つです。
またウチのクラスですか……。
今回は二人ほど別のクラスが混じっていますが、五人中三人がウチのクラスなら十分、自分の責任率が大きいわけですちくしょう。
「絵かきが『馬と戯れる少女』という題名で描けば、ちょっとした傑作が生まれそうだと思いませんか?」
「躍動感に溢れる絵になりそうだな! そういえば軍本部の大広間に巨大な絵があるのだがアレは中々に燃えるぞ!」
「それは内容を見て昂揚するのか、燃えやすい素材でできているのかどちらですか?」
「両方だ!」
ちなみに自分もその絵を見たことがありますが、軍旗を持った上半身裸の男が仁王立ちし、その後ろに軍隊がいるという、じっと見ていると意味がわからなくなる絵でした。
「どうやら絵かきもいないことですし、ちょっと止めてきます」
「うむっ」
柵を乗り越えるとマッフル君が自分に気づいて「うぇっ!? 先生!」と短く叫びました。
後で色々と聞きたくなる反応ですね。
さて、現在、馬の足早な散走に引きずられる形のクリスティーナ君。
腕に手綱が絡まっている状態なのですが、馬も本気ではなく軽く走っているだけです。
クリスティーナ君が全力で走ってなんとか追いつける速度を維持しているのは……、馬が遊んでいるせいでしょうね。
つまり、わざとです。性格の悪いことを。
我が物顔で牧場を走る馬。
大きく柵に沿って走っているので待っていれば目の前まで来てくれるでしょう。
少し待つ間、ヤグーたちの様子を見てみましょう。
先住のヤグーたちも居候の馬が大きな顔で走っていて気が気でないのかと思いきや、他人顔で草を食んでいました。
図太い牛ですね。
そうこうして、走行してきた馬とクリスティーナ君とフリド君。
彼我距離十数歩で馬の前に出ると生徒たちの驚き、息を吸う音が聞こえます。
馬の前に出たら危ないから、生徒たちも自分を心配して――
「先生の目が怪しい!? 馬ー! 逃げてー!」
――マッフル君の叫び声に危うく肩を落としそうになりました。
自分ではなく馬の心配ですか、そうですか。
間違っていないのがなんとも言いづらいところです。
【支配域】を広げ、馬が【支配域】に入った瞬間、殺すイメージを叩き込む。
全身で、目線で、気配で、源素で、ありとあらゆる行為で『殺す』という形を組み上げる。
強烈な殺意を受けた瞬間、馬は嘶き、急停止しました。
素直で結構。
ウチの生徒はそんな程度で止まってくれないのが悲しいところです。
「んなぁ――!?」
急停止した馬と違い、【殺戮線】に反応しきれなかったクリスティーナ君は持ち前の反射神経で立ち止まろうとして、吹っ飛びました。
何故に吹っ飛んだかというと絡まった手綱が原因ですね。
馬を通し越して、でも後ろから引っ張られた――この場合、引っ張ったのはクリスティーナ君自身の力ですが、ともかく後ろから引っ張られました。
その結果、足が宙に浮き、しかも絶妙のタイミングで手綱が緩むと、あら不思議。
クリスティーナ君が自分に向かって飛んでくるという珍事に発展しました。
とはいえ【支配域】を広げていたおかげで、クリスティーナ君が落ちてくる場所はわかります。
少しだけ足を動かして、クリスティーナ君をお姫様だっこで保護しました。
「クリスティーナ君。大丈夫ですか?」
「……あの駄馬ッ! よくも私をここまで愚弄して……はうぇ?」
馬に対する怒りはまだ冷めていないようです。
ですがお姫様だっこされているとわかると、みるみると顔が真っ赤になりました。
「あ、あぅ、がが、はぬ?」
「人語を喋りましょう。あと――」
見た感じ細いわりに少し重いですね。
これはいい傾向です。
「――重たいですね。これだと安心して」
「ちぇすと――!!」
ぶん殴られました。グーでした。
まっすぐ見据えた良いパンチでした。鼻がいてぇです。
「……違います。筋肉がついたので見た目より重たいという意味です」
「途方もなく失礼ですわ! 星々が全て地に落ちるくらいの失礼ですわ!!」
ヘグマントではありませんが、自分もそこそこ痛みに対して耐性があります。
生徒の拳くらいでは鼻血もでません。
「ある程度の筋肉は必要ですし、君たちはまだまだ成長期なので体重くらい増えてもおかしくありませんよ?」
「……先生はもう、口を閉じてくださいませんこと?」
怒りか羞恥かともかく、真っ赤な顔のクリスティーナ君をゆっくり下ろすと、背中ごとそっぽ向かれました。
納得してくれませんでした。解せぬ。
「ほう、【支配線】か!」
「【支配線】って何さ、ヘグマント先生」
「うむ。ある歩法に使われる技術だな。そこまで教えられるかどうかはわからん! お前たちはまだまだ筋肉が足りないからな!」
「筋肉でできるんだ、その歩法」
いえ、そんなことありませんよ。
元より技術の類は力のない者が効率良く成果をあげるためにありますから。
もっとも技術を得るために技術を必要とし、結果、筋力が必要なんて本末転倒もありますが。
もっともっと言ってしまえば武術や武力は厳密には技術ではないのですが。
「【導歩】に必要な技術ですよ。もっともクリスティーナ君のようなアタッカーくらいしか必要ありませんが」
クリスティーナ君に教えた【幽歩】もまた【導歩】に必要な技術ですね。
その前に【瞬歩】を覚えるでしょうが。
「ふぅん。私が使えそうな技はないの? 最近、クリスティーナばっかりじゃん」
以前、今の技術を身につけたい的なことを言ってませんでした?
アレですかね、長女にばかり新しい服を買うと次女が羨ましがる気持ちですかね。
「もちろん、マッフル君にも教えられる技はありますが……」
問題はそこではないのです。
「まず、一体全体、なんでこんなことになったのか説明する気はありますか?」
詰問するように言ってみたら、観念した顔をするキースレイト君とフリド君。
一方、クリスティーナ君、マッフル君、そしてヤグーに乗ったリリーナ君、女性陣は誰一人、目線を合わそうとしません。
男性陣は潔いというのに、この、女の子たちのふてぶてしさと来たら。
誰に似たんでしょうね。
「リリーナ嬢が牧場に新しい動物が来たというので、見てみようという運びになりました」
国民の前で重大発表でもするかのような顔をしたキースレイト君が一歩前に出て言いました。
「ぐぬぬ……、であります」
リリーナ君はキースレイト君をガン見しました。
なるほど、発端はリリーナ君ですか。
「そこに私たちが通りかかりました。ヨシュアンクラスの三人が寮を出て行こうとしたところを呼び止め、共に牧場へ」
「一応、理由を聞きましょう」
「私とフリドも牧場の噂を聞いていました。興味があったのも事実です。なので同行することになりました」
いきなり馬と騎竜がやってきたのですから気になったんでしょうね。
たぶんですが、噂の大元は生徒会で牧場の手伝いをした誰かでしょうね。
現在、学園は長期休暇中です。
残り五日で授業再開だというのに、休暇中も問題に勤しんでいるウチのクラスは勤勉と取るべきでしょうか殴りたい。
「放牧されている馬を見て、ハイルハイツ嬢が馬術を自慢し始めました」
あぁ、なるほど。
クリスティーナ君を見るとダッシュで逃げようとしたので襟首を掴んで、捕まえました。
「はやしたてるマッフル嬢」
マッフル君も柵から飛び降りて逃げようとしたので拘束術式で捕まえました。
「そして、見せつけるようにヤグーに乗るリリーナ嬢を見て、余計に火がつき――」
リリーナ君は初めから拘束術式で捕まえています。
この子は話の流れが自分に向く前に逃げますからね。
「――クリスティーナ嬢が馬に近寄り、無理矢理、鐙をつけて乗ろうとしたところ、馬が走り出し、あの状態になりました」
えー、この話は多分に自業自得というか、自ら失敗に足を突っ込むという、どこを怒るべきなのか困る話でもあります。
しかし、困る話でも結論はすでに出ています。
問題は何がいけなかったか、ですね。
そして、いつだって教師はそこを怒るものです。
「マッフル君とリリーナ君はわかっていて焚きつけましたね?」
ゴンゴン、と小気味いいゲンコツの音が響き渡ります。
「そして、クリスティーナ君も容易く挑発に乗らないの」
クリスティーナ君にもゲンコツを落としておきます。
「危険を認識して足を踏み入れるならともかく、危険だという認識もないまま行動をしないこと。覚悟のない行動は大怪我の元です。わかりましたね」
「はい! ヨシュアン大先生」
フリド君に言ったわけではないのですが、返事は一番良かったです。
「この馬は騎馬や馬車を引く馬と違って特殊な調教を受けていないそうです。なのに突然、人間が触って乗ろうとしても怯えるだけです。物珍しいのもわかりますが相手は馬と侮らないこと。怯えさせたり、驚かせたりしてはいけません」
人間とは違いますが、馬もまた知性のある生物です。
犬や猫、そうした人間の身近にいる動物でも特に馬は独特の価値観で行動しているところがあります。
「あんまり窮屈な思いをさせるとすぐにハゲたりするので、愛情を持って接すること――」
「ヨシュアン先生。少しこちらを向いてもらえるかね?」
説教している途中でヘグマントが後ろから声をかけてきました。
「――どうかしましたか?」
振り向いて、自分は二度ほど目を瞬きました。
「うむ。ここまで急激に『なる』とは思わなかったぞ」
ヘグマントもちょっと驚いている様子でした。
ヘグマントは馬の手綱を持って、ちゃんと御していたのですが肝心の馬の様子が変です。
「ある、という話は聞いたことがあるぞ。極限の恐怖で白くなったりな」
せわしなく左右に首を振り、耳を盛んに動かし、ブルブルと鼻を鳴らす姿は――怯えていますね。
ヘグマントがしきりに毛皮を撫でて落ち着かせているから素直にその場にいるようです。
ついでに頭の体毛がパサパサと落ちていました現在進行形で。
「少しあてすぎたのではないかね?」
どうやら自分が放った殺気が過剰なストレスとなって、馬は円形脱毛症になってしまったようです。
あれ? さすがに予想外すぎて言葉をなくしてしまいました。
そんなこんなで月初め早々、生徒と共にやらかしてしまったようです。
これは……、怒られるでしょうね。




